○中西一郎君 以上、
外国人登録法の関連なんですけれ
ども、実はこの問題は、人間といいますか人格を中心にした話、また国と国との
関係ということでのテーマだと思うんです。それで、少し時間がありますので恐縮なんですけれ
ども、これは質問というよりも考え方を申し上げて、むしろ皆さんの批判を仰ぎたい点なんです。
最近目に入ったのはドイツ民法の
改正なんですよ。これは
日本文で二行ですけれ
ども、まず、動物は物でないと書いてある。あとつけたりは申し上げませんが、実はどうしてこういう
改正が行われたのかということを知りたいんです。
というのは、あの国は御承知のように酸性雨で森が大変な被害を受けていますし、チェルノブイリの問題もあったし、環境問題大変やかましい。そこで、ローマ法と言っていいのかな、ずっと長い千何百年の法体系の中で人間を中心にして、その
関係あるいは人格と人格、国と国、そういう法体系になっている。ところがここで、動物というのは人間と同類であると翻訳ですけれ
ども書いてある。ということは、何か人間と環境といいますか、人間と自然というのかな、そういうもののかかわりを意識して法体系に取り込まざるを得ないような何か時代が始まっておるのかもしれない、私はそういう受け取り方をしているんですよ。そのことは、人間は人間中心で、物は物で使うんだと、どう加工してもいいんだとか、資源は収奪していいんだとかというような近代文明の流れがありますので、それでは人類に未来がないという議論が今出始めているということで、ドイツのこの立法の
趣旨はよくわからないんですけれ
ども、皆さんこれはおかしいぞというんで、まず動物を人並みに扱うというようなことから始まったのかなということが一つ。
それともう一つは、これは民事局に聞くことでないのかもしれませんが、しかし念頭に置いておいてもらって、また
機会があれば勉強させていただきたいんですが、要するに、環境というものを考えると、人間は生かされておるという
関係でもあるし、環境もある意味で生き物である、植物もね。そういうことを考えると、この北川善太郎
先生の書いておられる本ではDNAまで言っているんです。全部生き物じゃないかというような言い方なんですが、もうそこまで今ここで踏み切る意識変革というのはとても一般的なものにならないと私は思いますが。そこで、この動物というのを取っかかりにして、次は植物、次は環境、そういうものに人格権というとおかしいですけれ
ども、それに被害を与えれば向こうから仕返しかあるんだというような意味も含めて、お互いに生きていくという、共生というんでしょうかね、共生というようなものを踏まえた法体系というものが、いつできるのか知りませんよ、しかし、そういう時代の入り口としてこの民
法改正があったんじゃないのかなという感じがしているんです。
それからもう一つは、これは去年の四月九日、ここで私、これまた余計な話なんですけれ
ども、憲法前文を
改正して一人間と人間、人間
社会のことが書いてある、平和とか民主主義とか自由とか書いてあるんですが、自然の中で生かされておるという理念を前文に入れるべきじゃないかというようなことを申し上げたことがあるんです。この民
法改正見ましてそれをちょっと思い出したんで、そこできょうこんな話になったんですけれ
ども、前段の話、
外国人登録法の問題は、言ってみれば人と人の分野の、在来の法体系の話。しかしここで、ドイツ国民が何を考えているのか知りませんが、意識の変革があれば、人と自然というものについてもやっぱり法がカバーせにゃいかぬというようなことが問われているのかなという気もしますんでね。
そんなことで、これは
答弁してくださいとは言えないんだけれ
ども、法制
審議会の話なのか、これもちょっと疑問があるんですが、念頭に置いていただいて、きょう何かおっしゃっていただけるんなら
大臣からでもお聞きしたいんですけれ
ども、後々また何かありましたら、そんなことについて勉強する
機会をお与えいただきたいと思います。非常に簡単に申し上げましたので、御理解いただけたかどうか疑問がありますけれ
ども、一言申し上げたわけでございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。