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深田肇君 きょうは特別にお許しをいただきまして、私は
埼玉県からの選出でございますので、
埼玉県の方でただいま
千葉刑務所に
服役中の
石川一雄さんの仮
出獄要請について少し
お話し申し上げながら、
法務大臣を初めとして
法務省の
関係当局の
方々から
現状についての
お話を少し伺いまして、これからのことについて
お願いをいたしてみたいというふうに
思います。
この
機会でございますから、
先輩及び
同僚の
議員の
方々を初めとして
皆さんは
十分御存じのことと存じますけれ
ども、少しこの
石川一雄さんの
事件といいますか、
狭山事件につきまして日程を追いながら
お話をまずさせていただきたいと
思います。
実は、一九六三年でありますから大変古い話でありますが、その五月二十三日に私
どもの言い方では
別件逮捕で、この
石川一雄さんが
逮捕されたのであります。当時まだ二十四歳でございます。これから始まりますから、現在のところ
石川一雄さんはもう五十三歳でありますから、まさに三十年目にこれから入るという大変長い務めをしているということになるわけでありまして、そこのところ
あたりを勘案いただきまして、冒頭申し上げた仮
出獄の
要請をいろいろいたしておるわけでございますから、そのことにつきまして
現状などをお聞かせいただければありがたいと思うわけでございます。
六三年に
逮捕されてから、これはまた驚くことでありますが、六四年の三月、一年
足らずですね、五月
逮捕の三月十一日、一年
足らずでいわゆる一審が
浦和の地裁で
判決がおりたのです。これは実に早い
判決だと今から
思いますが、
死刑の
判決が下されました。そして、六四年から十年たった一九七四年の十月三十一日、
東京高裁では、これは
死刑から
無期懲役へというふうになるわけでございます。その後、
本人、これまた
弁護団の協力を得ながらいろいろと
異議申し立ていたすわけでございますが、一九七七年の八月十六日、最高裁の方で
異議申し立てが却下されて、言うところの刑の
確定がこの一九七七年の八月十六日に決まった、こうなるわけであります。
一九七七年を強調いたしたいことは、本年が一九九二年でありますから、言うところの十年はもうたっぷりたっているということをまずは
思い起こしていただきたいということで
お話をしている次第でございます。
それに伴いまして、私がたまたま
埼玉におりますから、
石川さんの御家族や、そして友人、知人の
方々、隣、御町内の
皆さんとのおつき合いもあるわけでありまして、その間で聞かされたこと、
一つ、
二つ耳に入りましたことを申し上げますと、一九八五年に入って十一月二十三日には、この
石川一雄さんの
お父さんが亡くなるのです。
お父さん、八十七歳で亡くなられます。悪いときは続くものでありまして、その後八六年、翌年になりますと、お姉さんのよねさんがやはり六十二歳で亡くなる。また悪いことは続きまして、その明くる年の一九八七年三月二十八日、お母さんのリイさんがやはり八十一歳でありますけれ
ども亡くなる。
申し上げましたように、何度もしつこいことを申し上げるようでありますが、
別件逮捕の話は別にいたしましても、
浦和での
死刑判決から始まり、そして刑の
確定された一九七七年、そういうものをずっと二十四歳の青年から四十代、五十代へと年をとる過程の中で、
石川一雄さんは親、
兄弟を失っていくということをあの
獄中で味わいながら、恐らくや寂しい
思いをしたり、悲しい
思いをしたりしながら今日まで頑張っているのだろうと思うわけでございます。
そこで、この際一言申し上げておきたいのでありますが、先ほど申し上げた一九七七年の刑の
確定から考えますと、十年で一九八七年の八月十六日になりますと、まさにこれは仮
出獄の
請求をしてもらってもいい言うならば
条件が
一つ整ったと、こう考えていますことをこのところでは
指摘をいたしておきたいというふうに
思います。
しかしながら、私は本
委員会におきまして、この
石川一雄さんの
事件といいますか、
狭山事件と言われるものについて、裁判上の内容についてここでやりとりを多くしようと思っているわけじゃないのでありまして、その点は率直のところ、むしろ仮
出獄をぜひ実現するために、長い時間かかっている
石川さんの
心境なり
周りの
気持ちをお伝えすることによって、その
実現方の
配慮を賜りたいと思っているところでございます。
一言で申し上げましたように、まさに
獄中というのはもう二十九年この方は味わっているということでありますから、二十四歳で
逮捕されてから今日まででもう五十三歳にまでなっているわけでありまして、私も何回か
面会いたしましたが、大変健康でありますけれ
ども、お年は隠せないものとしてあるわけでありますので、
大変同情をしているわけであります。
先ほど申し上げたように、両親が亡くなり、そして一番頼りにしておった姉が亡くなっていくという
状況の中で、恐らくや悲しい
思いをかみしめながら
本人は無実を今訴えているということを御
説明申し上げて、改めてこの場で
法務省を初め御列席の
先輩や
同僚議員の
方々にも
石川さんの
気持ちや、そして
兄弟、そして
周りの
皆さんの
気持ちをひとつぜひ御理解を賜っておきたいと思っているどころでございます。
さて、もう
一つこの
機会に訴えさせていただきたいことは、私
自身も数度にわたって
千葉刑務所の方に訪ねまして、
本人の
石川一雄さんに
面会をいたして
現況を聞いたり、励ましをしたりしながらやりました。大変元気に、想像を超えるような朗らかに、快活に
健康管理をして頑張っているようであります。
同時にまた、最近の
刑務所の
待遇は大変よくなっている面もあるようでありまして、
本人も長い
生活の中で変化があることを実感として味わっているようでありますし、
本人もだんだん長くなりますし、最近では一級、二級とかあるようでありまして、その二級になっていることがあって、割にいい
待遇をいただいているし、せんだっては地元のものと思われる生の
スイカ、缶詰でなくて生の
スイカを食べだというような話があったり、お正月においての
待遇のよかったことの話があったりして、中におる者と外におる者の会話でありますけれ
ども、
本人は大変快活に、朗らかに仮
出獄をされる日を希望を持ちながら元気に
生活をしていることも感じて、何とか早く彼が仮
出獄をして、
本人の希望する
再審の
段階に入ることができたらなと思っていることも申し上げたいのであります。
申し上げたいことは、実は
社会党の
国会議員団は、こういう
状況について、
国際的用語とも言われるような
人権問題の
観点を大変自覚いたしまして、集中的に千葉の
刑務所長にお会いして、ぜひひとつ彼の仮
出獄に対する
申請を早く出してもらいたいという
要請をすることにいたしました。同時にまた、
法務省の方にも参りまして、
法務省の
関係局長に
お願いをしたり、関東の
更生委員会にお邪魔して
お願いをしたり、いろんなことをしながら今日まできているわけであります。
私
どもの
事務局の報告などを参照いたしますと、九〇年の十月から九一年の三月まで何としても仮
出獄を得たい。そしてまた
衆議院の我々
同僚の
感触によりますと、
歴代所長とお会いするわけでありますが、時の
所長のお
言葉は大変温かくて、
大変機が熟している
感触を得たということもありまして、集中的に延べ三十一人の
衆参議員が
刑務所を訪問したりいたしまして、六回にわたって
陳情要請をしてきたところであります。
特に、九一年の三月十二日には
田邊委員長、当時は副
委員長でありましたが、
本件の総
責任者としてみずからが団長として団を率いまして、私も、参議院の側からは瀬谷元副議長を先頭に数名が参加をしてお邪魔いたして、
所長に
面会をして
お話をさせてもらいました。同時にまた、その後
法務省にも参りまして
法務省の方にも
お願いをしたことを今
思い起こすわけでありますが、大変いい
感触を感じるのでありますけれ
ども、結果として今日まで一切の動きがない、厳然として
石川一雄さんは
千葉刑務所の中で寒い冬も越したということになっているわけであります。
その後、九一年に入りましてからは、やはり七回にわたって
社会党の
国会議員団が
陳情要請に参りましたし、
本人の励ましにも行きますというふうな形の中でやっているのでありますが、率直に申し上げますけれ
ども、
歴代の
所長さんと我々があそこで
お話をする私の感じ、そして行きました
同僚議員の
感触を得たところによりますと、大変いい
雰囲気の
お話をされるのであります。例えば、後々から
お話をいただければありがたいのでありますが、大変長期間にわたっていることだとか、それから
石川一雄さんの今日の
服役中の
生活態度だとか、いろんな
お話を伺って、我々が
お願いしている主目的である仮
出獄をぜひ
所長としても
申請を
お願いしますよということについては大変いい
感触を得るのでありますが、結果は進んでいないということを率直に申し上げて、何とも割り切れない
気持ちを今私
たちは持っているということを再度申し上げながら、今日の
段階における
石川一雄さんに関する
現況や、もし
問題点があるとするならばこういう点が問題なんだということを
法務省当局から、まず御
説明いただければありがたいと思っております。