○鎌田要人君 たまたま次にお
伺い申し上げようと思っておりました、
農水省で昨年来、全省挙げて取り組んでおられます新しい食糧・農業・農村に関するいわば長期ビジョン、こういったものの策定作業も進んでいるようでございます。私は、今日の農業、農村をめぐる、特に最近の米の自由化報道等、マスコミの報道を見ておりましても、あるいは評論家と称される方々のテレビあるいは各マスコミにおきまする表現等を見ておりましても、これで農業の青年たちに頑張れと言うのほかわいそうだなという感じを禁じ得ないのであります。
いかにも守りの農業ということで守勢一方といいますか、人間というのはやはり攻撃をしないと生きがいを感じないところがあるわけであります。私は、新しいビジョンをつくられますときに、これはある
意味においては言い古されたことでございますが、やはり攻めの農業というものをどう展開していくか、これについてひとつ知恵を凝らしていただきたい。
農産物の輸出、こういった面でも農業において、例えば鹿児島県、宮崎県、群馬県、この三県が一昨年から、アンテナショップという形でございますが、和牛をアメリカに売っておる。あるいは鹿児島の漁連が中心になりまして、鹿児島の魚をニューヨークに日航便で直送いたしまして、ニューヨークですしを食べられますと、鹿児島弁をしゃべる魚を食べていただいておる。こういうことでございまして、これはささやかな例でありますけれ
ども、そういった輸出の
振興という面も含め、
農業生産の面においてもっと明るい積極的な展望を開いていかなければいけないと思うわけでございますので、そういった面についてのひとつ元気の出るビジョンというものを持って、しかもこれをわかりやすく、余り難しい表現じゃだめです、やはり農村の青年たちがううんと腹にこたえるような元気の出る展望というものをひとつお示しをいただきたい。これは要望であります。
それに
関連をいたしまして、この答申を見ておりまして、一番力を置いておられますのが「産業としての農業を担う「農業経営体」の確立」、それと後継者につきましてはその中におけるまた個の確立、個人の確立、こういうことを非常に力説しておられます。これも
一つのかなり古い時代から、アグリカルチャーからアグリビジネスヘ、何か言葉の遊びみたいでございますが、そういうことを私
どもも地方におりまして偉い
先生たちから訓示を垂れられたことがあります。しかし、これが大きな方向であり、正しい方向であると思うわけでありますが、例えば個人の農業の場合におきまして家計と農業というものを分離をする、いわゆる企業者マインドを持った云々と、こういうことを書いてありますが、あるいは法人、集団的な組織体としての農業という場合にも、いわゆる損益というものを明確にするとか、そういったいわゆる総合的な経営としてのマインドと、またそれに伴う経営管理というものをやっていくべきだ、こういうことを言っておられるわけでありますが、これを見ておりまして、はたと感じたことが二つございます。
一つは、先ほ
どもお話がございました農業基本法ができて三十一年でございます。お恥ずかしい話でありますが、改めて農業基本法の前文から一条、二条と読み進んでまいりますと、まさに今日において必要なことが書かれてある。一体この農業基本法三十一年という経過の中で、これは
法律自身が書いておりますように、農業基本法に則して、その第一条の目的に従い第二条の具体的な
施策が八項目書いてありますが、それに基づいて
農水省の各年度の
予算が組まれて、それについて我々は、
国会の責任でもあると思うんですが、
国会に報告をいただいておる。そういうことが三十一年積み重なって、そのとおりにできてきておって、なおかつこの
法律で定めております農工間の所得格差の解消もできないところかだんだん拡大をしておる。
生産性の
向上についても今またこういったことで、経営体というものでひとつ経営マインドを持って
生産性を上げていくんですと、こういうことを言わなければならない事態になっておることの原因というのは一体どこにあるのか。
行政が悪いのか、あるいは対象が悪いのか、
国会が悪いのか、だれが悪いということを言っても今済む問題じゃございませんが、その
意味での農業基本法三十一年のこの歩みというものを振り返って、どのような感想を持っておられるのか。
ある人によりますと、農業基本法農政ということが言われながら、この三十一年間の現実の農政は基本法を軽視する方向で
行政は展開されておると、ある有力な方もおっしゃっておられるわけでございますが、それであればこれはやはり反省をして、新しい農業ビジョンに生かしていかなければならない大きなこれは契機であろうと思うわけであります。
第二は、この農業経営体の
考え方というものは、何も
法律を改正しなくても、あるいは今ある
法律を廃止しなくても、現実の
農業生産者あるいは組織体の努力によって今でもできること、ある
いは
行政がそういうふうに誘導をすればできることだと思うのでありますが、そういうことが今日まで問題意識として、産業として樹立てき、国際競争力のある農業を育てましょうと言い続けてきて、しかもそのための大きな要素としての農業経営体、こういうものの必要が充分認識をされながら今日までそれが実現を余りしておらない。今ここで改めて大きく言われなければならないその
理由は何であろうか。この二点についてお教えをいただきたいと存じます。