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谷畑孝君 昨日、私もこの質問の準備にかかりながら、
教育テレビの
人権という番組を見ておったわけであります。水平社が結成されてちょうど七十年ということで、「人の世に熱あれ
人間に光あれ」というテーマの朗読を交えながらの
教育テレビでございました。
その中で、
日本の先住民族でもございますアイヌの
皆さんの、自分の出自といいましょうか、生い立ちを語ることのできない苦しさがその映像に出ておったわけでありますけれども、その中から、自分の出生を語るということを覚えて
人間性を取り戻してきた。そういうことで、自分たちの祖先が生きてきた知恵を、サケの料理の仕方を含めて、生き生きとしたシーンを、きのう私もこの質問の準備をしながら実は見ておったわけでございます。
明治四年の太政官布告、いわゆる解放令、えた、非人の称を廃する、こういう解放令が出されたわけでございまして、そのときにちょうどこの未解放
部落の人々に、いや、それは実は間違いであった、あの解放令は五万日の日延べになった、そういうことが言われて、これ非常に有名なことでありまして、この五万日を繰っていきますと二〇〇八年七月の二十日、こうなっておりまして、二十一
世紀ということになろうかと思いますけれども、
大臣の、二十一
世紀にはこの
部落差別を残さない、非常に軌を一にするものじゃないか、そんなことを実は思うわけであります。
未解放
部落に生まれた
人たちが、自分の出生を常に誇りを持って語れないという、ここには大きな悲しさがあり、
部落差別の持っている重さがある、こういうふうに思うわけでございまして、私は、ぜひひとつこの
法律を手がかりに一日も早く
部落差別や、そしてすべての
差別がなくなっていくような、そういう
社会になっていくことを、非常に
決意を心新たに申し上げまして、私のこの
地域改善対策特定事業に係る国の
財政上の
特別措置に関する
法律の一部を
改正する
法律案についての
質疑を終わりたいと思います。本当にありがとうございました。
それでは、私の持ち時間少しいただいておりますので、次の問題に入ってまいりたいと思います。
次の問題は、そのことに関連する人種
差別撤廃条約の批准についてということで、外務省と法務省に幾つか質問をして私の持ち時間を終わっていきたいと思っております。
一九七八年、ちょっと少し間違っているかどうかわかりません。今から十四、五年前だと思うんですが、国連軍縮総会ということで私も非
政府組織の一員というか、NGOとして初めてアメリカヘ被爆者の
皆さんと一緒に訪れました。そのときに非常に感じたことがあるんですが、今まで私自身、西部劇というのは非常におもしろいですし、夢中になったり、そういうものを見ておったわけ
であります。アメリカに行ったときに、ちょうどアメリカの
人たちによりまして、ポピーというアメリカのインディアン文化を守っておられる種族の村を訪れることができました。十五、六年前ですから、我々
日本人がそこを訪れるということはなかったわけでありますけれども、私も初めてそのインディアンの居住の村を訪れまして、今まで私どもが見てきた西部劇だとか、そして、今日のアメリカの映画だとか、それと全く異質といいましょうか、地の果てと言われるような、ウランの出てくるようなところにあるわけですが、そこに居住区ということでインディアンの
皆さんが住んでおられる。
また、そこの長老との話し合いを、その種族の言葉を翻訳されて、また英語で語る、そういうことで会談をさせてもらったわけであります。そこの話の中で私も非常に
考えさせられたことがあるわけなんでございまして、それは、メーフラワー号に乗ってイギリスから移民がやってきたそれ以前に我々はここに住んでおるんだ。しかも、我々はずっと歴史、伝統を守りながら、特に我々ポピーというのは平和を守る種族ということで暮らしてきたんだ。そして、やがて国ができて、その国に従えということで一我々は軍隊に徴兵された。我々はずっと祖先から平和を守るポピーという種族ということで誇りを持っておるんだ。ということで、それを拒否したということです。そうしたならば、牢獄に入れられた。そういうことを長老がずっと語ってくれたんです。これが一つ。
それと、二つ目は、今四百ぐらいのインディアンの種族があるというんですが、我々は同化の中で全部英語化されたり、そういうことである。しかし、今ようやく我々は気がついてきたんだ。自分たちの種族の言葉を守ろう、自分たちの民族が培ってきたよき伝統を守っていくんだということを、我々は今まで多くの
皆さんと一緒にその
活動をしておるんだと、そういう
発言でございました。
もう一つは、我々の土地を取り返したいんだと。我々の土地を何らかの形で、どんどん狭められてしまって我々は土地がないんだと、我々はメーフラワー号が来た以前からここに住んでおるんだということで、全米のインディアンの
皆さんと一緒にワシントンヘいわゆるデモ行進をやるんだと、そういう話でございました。
私、十五年前に行って、インディアンといえば西部劇で見る、どんどん白人に鉄砲で撃たれていき、我々はそれで拍手をしていくようなことしか知らなかった。そこに行って本当に歴史を逆から見たものを教えられて帰ってきたわけでございます。私、それから以後はもう西部劇は余りおもしろくない、むしろもっと違った観点から表現があってもいいんじゃないか、そんなことを思いながら帰ってきたわけでございます。人種
差別撤廃条約とも絡んで、そういう私の経験を語らせてもらったわけでございます。
そこで、最近三つの大きな出来事が
日本国内をにぎわしてきたと思うんです。
その一つが、帰化人の弦念さんの当選ということです。湯河原町の町議選で初めて欧米人が四位で当選をして、青い目の外人さんが、帰化した弦念さんが町議選で四位で当選する、
日本で初めてだと。私もこのニュースを見ておりましてやっぱり
日本も変わってきたな、今まででいえば、あの第二次世界大戦のときでもそうですけれども、鬼畜米英というようなことで、やっぱり
日本人という
意識が非常に強い中で、弦念さんの当選というのは、僕はいろんなことを示唆しておるのではないか。そのときの町民の
皆さんのインタビューいろいろ聞いておりましたら、やはり
国際化の
社会だから今までのような、既存のような閉鎖的なことじゃなくて、弦念さんによって大きな一つの刺激になったらいいと、もっとオープンされた町会になったらいい、もっと国際的なことを
考える町会になったらいいと。そういうようなことがこの町
会議員選挙でありまして、非常に
国際化の波の中で我々もそういう時代に来たんだなということを、私も聞いて一つ感じたわけであります。
もう一つは、これは大阪で春場所の相撲がございまして、これもう
皆さん相撲の好きな方がたくさんおると思うんですが、大関小錦が優勝して相撲の世界も最近は非常に
国際化してまいりました。この大関小錦も今度、横綱にということで国技館をにぎわしておるわけで、まあ私どもも非常に楽しませてもらっているような
状況だと思います。また、モンゴルから六名、相撲を目指して入ってきた。モンゴルという国はもともと相撲の祖先だと言われているわけですけれども、六名、これまた楽しみでございます。
このようにして、
日本の
社会もどうしても国際的な問題が避けられないような、また私どももそこに生活をしており、それでまた喜び、悲しむということになっておるという、こんなことを実は思うわけです。
それともう一つは、違った観点の問題でございますけれども、例えばある雑誌で、イラン人が上野の山に相当たむろしている、もう常宿になってしまっているということで「イラン人゛大増殖゛で」と、こういうふうな言葉であったり、「イラン人はもういらん」ということで書かれたりしている。これは、とりわけ外国人労働者の問題あるいは不法就労の問題だとかさまざまな難しい問題、私どもがいろんな
意味でいろんな角度からこれまた
検討し
考えなきゃならぬ、単にこうだと言うだけでは整理できないさまざまな難しい問題があるんですけれども、しかし、私はそういう問題は少し棚上げしまして、あえて問題と言えば、「イラン人はもういらん」という、こういう外国人に対する排斥といいましょうか、そういう問題も片方ではやっぱり出てくる。
また、
日本の古くて新しい問題で、一九一〇年の日韓併合ということ以来、強制連行の問題だとか、あるいは今日では従軍慰安婦の問題だとか、そういうさまざまの歴史的過程の中で、
日本で住んでおられる外国人の
皆さん、そこにおいてもまた就職の問題があったり、あるいはさまざまの問題が今日出てきている。そういう
意味では、
日本の
社会の中においても非常に急スピードの中で、多岐多様にわたったそういう
国際化といいましょうか、そういう問題があるのではないか。また片方では、私どもが外国に旅行しますと、どこへ行っても
日本人がビジネスマンとして頑張っておられるし、また観光客もどこへ行っても、地の果てへ行っても
日本人が一番多いということと同時に、
日本の商品があふれておる。そういうことから見ても、やはり
国際化の問題は私は非常に大事な問題だと、そういうように思うわけでございます。
そこで、外務省、法務省にお聞きをするわけですが、まず私が今申し上げましたそういう
国際化の中で、
日本自身がそのことの事実をきちっと
認識できるのかできないのか、私が今長々としゃべってきた中における基本
認識について、外務省、法務省の方から一言ずつ、感想でも結構ですからお答えを願いたいと思います。