○下村泰君 いろいろとありがとうございました。
私がここで言う聴覚に障害のある方というのは、何も障害者手帳を持った方々だけではないんですね。老人性の難聴の方々も含めるわけです。
そうしますと、これはほかの役所の方々も来ていらっしゃるので聞いていただきたいんですが、今大体六百万といいますけれ
ども、これ二〇一〇年になりますと四人に一人が六十五歳以上になりますでしょう。そういう状態になったら六百万どころの騒ぎじゃないですよね。老人性で聞こえなくなる人も含めれば一千万近くなりますよ。そうしますと、この聴覚障害者に対するそういった放送もあだやおろそかにはできなくなるわけですね。ここにこんな文章があるんですよ。
一九九X年一月。正月の三が日のテレビ放送に
すべての番組に字幕が付いた。全国の茶の間で
耳が遠くなったお年寄りや病気などで聴力が減
返した難聴者や中途失聴者が家族と一緒に、新
年を祝う各地の行事に見入り、その来る年を論
じる座談会を聞き、お笑いタレントの軽妙な駄
じゃれに涙を流すほど笑いころげている。画面
の映像や出演者のプロフィールを題材に家族と
の団らんにも花が咲いている。これは夢物語なんです、あくまでも希望なんです、この文章はね。けれ
ども、私、これわからないことはないと思うんです。
例えば文字を出しますわね。文字を出したときに、いわゆる漫才で言う突っ込みと落としですわね。突っ込みと落としを一遍に字を出されたら、これはおもしろくも何ともありませんけれ
ども、突っ込んでいる言葉が出て、落とす言葉が出れば、これはやっぱり笑えるわけですよね。ですから、晴眼者、目の見える方が落語の本を読む。これは順序よく正しく読んでいけば、言葉が活字になっていても結構落としへくれば笑えるものなんですよね。それが調子よく突っ込みがぼんと出た、言葉が出た、受ける言葉の落としかぽんと出たとすればやはり笑えるわけなんです。ですから、この人の書かれた文章というのは、私は物すごく感覚的にわかるんです。
もう
一つ、ちょっとこれは長くなりますが、御辛抱願いたいと思います。
字幕のついたテレビドラマやクイズを、継続し
て視聴することは、知らず知らずの間に受け
る、またとない国語教育の場ではないだろう
か。
これは、健聴児の話であるが、いまの幼児は、
一~三歳のころから、「1」「3」「4」「6」「8」
「10」「12」の数字から覚えていくという(東京
の場合)。東京にお住まいの方であれば、すぐお
気付きになるであろう。
これはテレビのチャンネルの数である。いま
の子供は、乳幼児のころからテレビのとりこに
なっているので、チャンネルの数字をすぐ覚え
てしまうらしい。
また、こんな話も幼稚園の
先生に聞いたこと
がある。「うちの園の子は、「湖」のような難し
い字を読めるんです。ですけれど、だれも「み
ずうみ」とか「こ」とは読めず、「うみ」と読むんですよ」
もう四~五年前のことになろうか。大相撲で
「湖」の漢字のつく、ある横綱が連勝を続けてい
たころのことである。
これらの数字や漢字は、幼稚園の
先生や両親
が教えたわけではない。テレビの教育番組で、
数・文字の教育として扱ったものでもない。幼
児が、テレビから、知らず知らずのうちに学ん
でいったのである。こういう文章もあります。
言語の習得において、このような影響はばかに
ならない。健聴の子供たちは、このようにして
学校外でいろいろな言葉を覚えてく。
この面でも、聴力障害者は長い間、置き去り
にされていたのである。今度はある学校の
先生のお話ですが、
聾学校の高等部の野球部が、普通高校の野球部
と初めて試合をした時のことである。
接戦が続く中で、相手の普通校のベンチから
は盛んなやじが飛ぶ。聾学校側のピッチャーが
一球投げる度に、バッターが打席に立つ度に普
通高校側のベンチは、やじでわきかえるようで
ある。聾学校の生徒に、やじはそのまま伝わら
ないが、その雰囲気はわかるであろう。しかし、
聾学校側のベンチは、シーンとしたままであっ
た。そのせいでもないであううが、試合も少々
押されぎみである。
じれったくなった聾学校チームの監督(健聴
者)は、部員に向かって、「おまえたちも、ヤジ
れ!ヤジれ!」と、となった。
しかし、聾学校のベンチはシーンとしたまま
である。実は、生徒たちには、ヤジるとはどう
いうことか、わからないのである。
聾学校での経験の浅い監督
先生には、このご
とがわからない。再び「おまえたち、相手に負
けないようにしっかりヤジれ!ヤジれ!」と手話、指文字、口話など、できることすべてを動員して、生徒たちを励ました。
しばらく考えていた部員たちは、相手のバツ
ターに向けて大声で「やじ!やじ!」と、どな
っだそうである。
聴力障害者は、常識に欠けているといわれる
ことがある。それは、このように子供のころか
ら、ひとりでに耳に入ってきて、知識となって
いる「常識」が、聴力障害者には耳から入って
こないからである。
こんな日常の些細なことが、大人になってか
ら、大きな欠点とみなされてしまうこともあろ
う。ちょっと長くなりましたが、こういうのもございます。
ですから、
大臣、政治改革だ、やれPKOだとテレビを通じてやりましても、そのやりとりを肌で
感じることができない人々が多いわけですよね。そうしますと、今もう口角泡を飛ばして一生懸命やっていますわ。でもそれは全然
感じないんですよね、そういうことを。ですから、こういう立場にいる人たちにこそ
感じさせるようにせにゃいかぬわけでしょう。
アメリカのABCのジュリア・バーナーという方が、利潤ベースの放送なのに、マイノリティーザービスですから障害者ですね、向けのサービスをしておるわけです。取り組む理由を聞かれたときに、ライセンスを受け放送を出すというのは責任の重いこと。傷害があろうとなかろうと、一人でも多くの視聴者に責任を果たさなければならないんだと言われたそうです。要約者の問題、コストの問題、機器の開発の問題、時間の問題、
免許の問題とそれはいろいろありますわ。私が取材した限り、本当に阻害しているというのは何だろうかとよく考えてみますと、本気になってやろうとする気持ちがあるかないかなんですよね。それは皆さんお役所の方たちだからお役人としての
対応の仕方をしていらっしゃる。だけれ
ども、今申し上げたように目が急に見えなくなる、あるいは耳が聞こえなくなるというような状態を想像したら、その人たちのために一時間でも、それこそ一秒でも早くそういう方たちの心安かれという方法をとるのが私は行政の立場にある人間のあれじゃないかと思うんですが、本気にやるかやらないか、これが問題だと思います。
大臣、問題点を挙げますと、即アメリカ並みに全部やれなんてそれは無理です、感覚が違いますから。でも二、三年あれば、あとはやる気があれば飛躍的に番組はふやせると私は信じております。もう一度この問題について
大臣の姿勢を伺わせていただきたいと思いますけれ
ども、私は今やめてほしくない
大臣が二人いるんです。一人は
渡辺郵政大臣、いま一人はここで名前ははばかりますが、
大臣がいらっしゃる間に、交代されるまでに何とかめどつけてほしいんですね。やっぱり
大臣になる方も人ですから、人によってはこういうことに全然興味を示さない方もいらっしゃるんですよ。私はもう十五年もここにおりますから、いろんな方にお会いしましたけれ
ども、いろんな方がいますよ。口先だけでおしまいにしちゃう方もいます。こちらからお願いに行くと逃げて歩く
大臣もいます。そういうことなんで、ひとつここで
大臣の本当に決意を聞かせていただきたいと思います。