○足立良平君 今ちょっとお話がございましたが、
国際放送の問題、きょうもずっと朝から議論を聞いておりまして、私の方の考え方も一点だけ申し上げておきたいと思います。
私もこの
逓信委員会で、二度目、三度目くらいでしょうか、
国際放送の問題について
郵政省の予算が少な過ぎるのではないかということを常に申し上げてきた立場であります。先ほど大臣の答弁を聞いておりまして、いろんな問題が先ほどから出ていましたけれ
ども、きょうはなかなかいい答弁だなというふうに正直言って思いました。これは単に経済摩擦とかそういう問題だけにとどまらずに、
日本のこれからの
国際的な位置というものを考えてみましたときに、やはり何といいましても
日本から世界に向かって
情報を発信していかなきゃならない。
日本の本当の姿というものを世界の人々に認識をしていただくということが今日の我が国の置かれている
状況からするならば極めて重要なことなんではないか、このように実は認識をいたしております。
そういう面では、先ほど大臣の答弁の中で、今まで
NHKに任せ過ぎたと思っている、したがって、これから次のときには十分それは努力をしていかなきゃならない、こういうふうに明確に大臣が答弁をされましたことは、私は大変に重く受けとめておりまして、
大変期待をいたしております。単にこれは
郵政省とか
NHKとかという問題でなしに、我が国の置かれている
状況からしても極めて重要なことだ、このように認識をいたしておりますから、これは私、別に答弁していただこうとは思いませんが、あえてそのことを申し上げておきたい、このように思います。
質問事項に入るわけでございますが、
公共放送の問題をめぐりまして朝から各
委員の皆さん方から提起をされているわけでありまして、ダブらぬように視点を少し変えてみたいと思います。お話している内容と少し視点がずれるのかもしれません。その点はあらかじめ御容赦を願いたいと思います。
放送法の第四十四条の中に、
日本の過去のすぐれた文化の
確保、あるいはまた新文化の育成を
公共放送である
NHKというものは進めていかなきゃならないということがはっきりと明文化されている。これは大変私は重要なことだろうと思うんです。ただそこで、これは私も余り大きな口をきける立場じゃないんです。後ほど本当にしゃべることの一番専門家がおいでになりますから、私の表現の仕方というのは大変語彙も貧しいものでございますが、ただ、私は
日本文化というものを考えてみましたときに、言葉といいますか、あるいはまた文字というもの、そういうものの中で、それに含まれている含蓄のある、あるいはまた言うに言われない、言葉だけでイエスというだけではなしに、いろんな人と人との
関係のニュアンスというものは、この
日本文化を支えている言葉というものがあるんではないか。
ところが、今どんどん
メディアがふえてくる。多
チャンネル化してくる。そうして見ますと、かつての
日本文化の一番中心になった文字であるとか言葉というものがだんだん衰退をしてきて、そして映像文化というものが今日の我が国の世相の中心になりかけているのではないか、私はこんな感じを実は受けています。きょうはたまたま
NHKの予算をやっているわけですから、
NHKというのは映像を送る一番の中心ですから、映像を送るのをやめろというようなことは言えっこないんですが、多
チャンネル化あるいは
メディアがどんどんふえてくるということは、一方において我が国における古来の本当にいい文化というものが、
NHKを媒体としてこれを伸ばしていくというよりも、むしろ衰退をしていく傾向が出てくるのではないかな、一種の危機感と言ったら言葉が悪いのかもしれませんが、そういう感じを実は私持っているわけです。そういう点がまず一つございます。
それから二つ目に、映像文化の時代といいますか、そういう時代に入ってまいりますと、いわゆる議論の中身というものではなしに、映像から受けるイメージというもので感覚的に物が判断をされる、受けとめられていく、こういう危険性と言ったらちょっと言葉が悪いかもしれませんが、そういう傾向があるんではないか、それはともすれば、民主主義というものに対して、本当に深く考えた議論というよりも、やっぱりイメージなり感覚でぱあっとあっちこっち動いていくという極めて即物的な傾向が出てくる危険性というものがこの映像文化の中にあるのではなかろうかな、こういう感じを私は実は持っているわけです。事実、総務庁が
平成三
年度の青少年白書でその種の
調査をやっております。この内容を見ますと、マス
メディアとの接触、小学生でありますと一日に二時間二十三分くらい、新聞とか雑誌とかあるいは漫画とか、いろんなこういうマス
メディアがあります。これに接触している平日の平均時間が二時間二十三分ある。そのうち
テレビは二時間一分持っているわけですね。これは単に
NHKだけじゃありません。
民放も含めましてです。
それから、大学生で見ますと、日曜日でありますと四時間三十八分マス
メディアと接触いたしておりまして、そして二時間四十五分
テレビと接触しているわけですね。もう半分以上です。とりわけ
テレビをじっと見ているんです。何もせずじゃない、からからゃっているからちょっとは指が動いているんでしょうけれ
ども、見ているわけですね。
しかも、大変ここで注目をしなければなりませんのは、同じ
調査を今から二十年前の昭和四十五年と
平成二
年度で比較をいたしてみますと、これは大学生の場合ですね。
テレビ、ラジオの内容から自分の考え方というものが変わってきた、影響を受けたというのが二十年前でありますと一六・七%。それが
平成二
年度でありますと四〇・七%。そして友人とか同僚とかそういうふうな人から影響を受けたというのは、二十年前は二〇・二%。それが九・七%にがあんと半分以下に激減をしてきている。
これは、先ほど私の仮説の中でちょっと申し上げたような今日の
日本人の意識構造なり、
日本人の物の考え方なり、そういうものにこの
テレビというもの、マス
メディアというものが大変な実ね影響を与えてきているし、そのマス
メディアのいかんによってはこれから
日本の
国民の方向性、考え方というものが完全に変わってくるんではないかということを示唆しているのではなかろうか、私はこのように実は受けとめているわけであります。
さて、その上に立って、これは大臣に感想をまず一点述べていただきたいと思うのでありますけれ
ども、従来の
放送行政というものを考えてみましたときに、
メディアであるとか、あるいは
チャンネルをどうするとか、いわゆるこれは規制とか許認可を中心にした
放送行政であった、現実問題として。しかし、今言いましたような
状況を考えてみましたときに、我が国の文化的なアイデンティティーの保持をするとか、あるいはよい文化を育成をしていくとか、あるいはまた民主主義というもの、
日本の
国民の意識というものを健全に伸ばしていく、そういうふうな観点から今後の
放送行政というものは一体どういう
役割をしていかなきゃいけないんだろうか。大変難しいことだと思うんですが、今までのハードを中心にした、あるいはまた許認可を中心にした
放送行政から、これからの
放送行政というものは一体
郵政省としてどういうものを中心に置いていかなければいけないんだろうかというふうなこと、もし大臣の方であれば、まず感想をちょっと述べていただきたいと思います。