○猪木
寛至君 きょうは与えられた時間を大変有効に使いたいと思っておりますが、しかしながら、既にもうこの二年越しの議論と、そしてまた今回の各
委員の皆さんの
お話を聞いておりまして、実際私はもう何を聞いたらいいのかなと、また同じようなことを聞くようなことになるんじゃないかなと思うんです。
今も
お話にありました
外務大臣の意見と、そして
文民は受け入れないという言葉と、
文民を送り込むんだということで、何か聞いておりますと、異種格闘技というか、かつて私がモハメッド・アリ選手と戦ったときに、ボクシングとプロレスが戦うという大変難しい、私の方はつかまえる、相手はぶん殴るという勝負なんですが、全くこれは常識としては不可能な勝負であったんです。しかし、そこにお互いの目的というのは、戦う者同士、おれが強い、いやおれの方が強いということから、その証明ということで、私の方が大分歩み寄った形で実現したわけなんです。こうしていきますと、プロレスに例えて大変申しわけないんですが、こういう議会の中で聞いておりまして、本当にどこかで接点が持てないのかなという気がするんです。
そういう中で、この間、先週ですね、同僚
議員の田渕
先生が質問に立たれまして、戦後の
状況から、そして戦後の歴史という部分でずっと語られました。私も戦後の歴史というのはほとんどよくわからないので、この
PKOを論じるときに、やはりアメリカとの関係と、それからまたずっとその長い歴史の中でいろいろ見ていかなきゃいけない。そういう中で、戦後、五一年の平和条約、そしてまた五三年でしょうか、宮澤総理が当時アメリカに行かれていろんな交渉をされた。本当に敗戦の中で、アメリカからのある
意味では一方的な条件をのまなきゃいけないという
状況の中で、当時の外務省としては大変
努力をされている。本当にある
意味では国を興さなきゃいけないということから、命がけで闘った姿勢があるんじゃないかと。私が今読ましてもらった「
日本外交のすべて」という本に記されているんです。
そういう中で、私も多少戦後史を勉強させてもらいまして、本当に四五年のヤルタ
体制からずっと始まった、今言った平和条約、それから日米安保、そして
国連。総理がいつも言われている
国連中心主義というのを私も余り理解できなかった。さっきも
永野議員から話がありました敵国条項があるのに何亡
国連にそんなにあれしなきゃいけないのか。しかし、戦後の中でいろんな無理があった。そういう中でずっと
日本が歩んできた道。
米ソの
対立から
協調へということで、宮澤総理が百年にあるかないかの要するに変革ということを言われておりますが、まさに私もちょうどこの四年ぐらいの間、ソ連の関係というかスポーツ関係を通じまして、当時オリンピック選手をプロに転向させるというのは絶対できないような
状況であったんですが、乗り込んでみて交渉していくうちにそれが実現いたしました。そのときに
世界の
流れが変わっていくということを大変強く感じておりました。
一つは
構造の変化ということで、よく私もいろんなところで機会があるとき話をするんですが、
米ソの対決で軍拡、その中で
日本が軽装
武装ということで、戦後かつての先輩
たちが頑張られて、そういう中で経済の発展ということをしてきたわけだと思うんです。その
構造の変化というのは、
一つ例えて言いますと青虫からサナギに変わり、サナギからチョウチョウに変わっていくプロセスというか、生きている生命体は同じなんですが、その都度やはり着ているものを変えて、脱いで変わっていく
状況。
そういう
意味で、今
日本が本当に問われている、今までは本当に受益国としてただ自分の身だけ考えていればよかったんではないか。しかしながら、ここへきて湾岸戦争の後、もう申し上げるまでもありませんが、そういう中で
日本の責務というものが問われている。ちょうど当時、去年でしょうかね、サッチャーさんが来られたときに、私もちょっと質問をさせてもらったら、湾岸戦争においては大変強硬な態度をとったサッチャーさんでしたが、とにかく
日本ができる貢献をすればよいじゃないかというようなことを言っておりました。
この間、あちらの傍聴席におられた人
たちが、こういう我々の論議を聞いておりまして、ちょうど散会になりまして立ち上がったときに、
PKO法案の論議ってこんなものなのかねということで、大変がっかりしたような声で帰っていかれた。それが私大変印象的だったんですが、私自身もここへずっとつき合っていて、何か体力の勝負だなというような気がしまして、総理のお顔を見ていると本当にもう辟易したような感じもするんですが、やっぱり体力がある方が勝ちかなという気もいたします。
しかし、それは冗談としても、今本当に我々こうして真剣にこの
PKOについて論議をさせてもらっております。いろんな勉強を今私もさせてもらっている中ですが、先ほどから
PKOに対する基本、あるいは
活動とか、それからいろんな規則が出ておりますので、もう重ねるつもりはありませんが、今ここで私は感じることは、やっぱり
現地からの声というか、今
PKO自体が、カンボジアを今度入れれば二十七回目ということになるんでしょうかね。そういう中で、私は海部総理のときに質問をさせてもらって、最初のときに、
PKOは危なくない、そして危なくなればすぐ引き揚げるから大丈夫なんだという論法から入ったために非常にややこしくなってきたという気がするんですね。
その後、相当にそれぞれ各党間とも変更、見直しかあったようですけれ
ども、やっぱり一番大事なことは国民にもっと最初に真実を伝えておくべき必要性があったんじゃないか。人間というのは一回そうじゃないと思い込むとそれを変えさせるのは大変な
努力が必要であると思いますし、そういう
意味で、私も部屋に帰りますと、せっかくテーブルをきれいにしてあるんですが、帰るたびに山ほどの
PKOに対する反対の陳情というか、そういうのが来ております。
実際私は、前にも申し上げましたが、ラジオの番組を担当しておりまして、そのときに直接いろんな国民の声が聞こえてくるわけですけれ
ども、
一つ、大変これは誤解だと思うんですが、もし
議員、政治家の息子だったら
PKOに出しますかという質問があったんです。私自身大変冒険も好きだし、いろんなところへ飛ばしてもらうのは大変興味があるわけなんで、私自身はもしそういう許可がいただけるのであれば喜んで飛んでいきたいと思うんですがね。
きのう、この国会便覧を見ておりましたら、私はプロレスをやっておりますが、柔道、少林寺拳法、空手、合気道、有段者がずらり並んでおりますね。それで、特に一番すごいのは金丸信
先生の柔道七段というのがあります。二、三日前の新聞ですか、きのう
明石代表からもありましたが、今十人でも二十人でもとにかく
日本人の
参加が欲しいんだということを言っておりましたから、もし国会の承認がいただけるのなら、私が先頭になって団長になって飛んで行ってもいいかなという気がしますが、ひとつ御検討いただきたいと思います。
そこで、もう聞くことは余り政府にはありませんが、きのうの新聞に出ております大内
委員長の「民社党が求めてきた「
派遣部隊の指揮権の
国連への一本化」について、七日に政府側から非公式にこれまでの政府見解を修正する案文が示されたことを明らかにし、「いくつか難点があったので修正を求めた。先週末に、すべて(民社党の要求)受け入れるとの返事が私にあり、
解決した」」、こういう記事が出ております。まずこの件について、政府としてそういう考えがあるのかどうか、ひとつお尋ねしたいと思います。