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参考人(
花形道彦君)
都市開発協会の
花形でございます。
都市開発協会と申しますのは、実は大手の私鉄十五社とその関連の不動産会社が集まっております民間のデベロッパーの団体でございまして、私は立場上はそこの専務理事でございますけれども、きょうはやや立場を離れさせていただきまして、そういう比較的
都市問題等の情報が入りやすい立場にいる一
国民というような立場から
意見を述べさせていただきたいと思います。大変勝手なお願いでございますけれども、お許しをいただきたいと思います。
今回の
都市計画法、
建築基準法の
改正案でございますけれども、総論といたしましては、
都市行政の一歩前進であるというぐあいに評価をいたします。今後もなお検討すべき
課題は多々ございますけれども、現段階では一歩前進であるというぐあいに評価をいたします。
主な点として申し上げますと、先ほどから出ております
用途地域の細分化、これは本来ならばもう少し早い段階から検討すべきであったとすら言える問題でございまして、特に最近での
住居地域の中の機能の
混乱という面からの対策としては評価できます。
それからまた、今回の
改正の中には地価対策という面も含まれているわけでございます。しかし、この点は、本来、
都市計画というのは地価対策の主役ではございませんのでやむを得ないということは言えるかと思いますけれども、これだけに大きな期待をかけることはできないんじゃないかというぐあいに存じます。地価対策としてはもっといろいろな総合的な対策が必要であるというぐあいに思います。
それから、それに付随します問題といたしまして、
用途地域に関連する
容積率と建ぺい率の問題でございます。
お聞きしますところによりますと、修正案として、
用途地域が指定されていない
地域での
容積率の最低が二〇〇%から一〇〇%という修正案が出ている、それから建ぺい率が六〇%から五〇%と数字は多少落とされた修正案が出ているというぐあいに伺っておりますけれども、五月十九日の衆議院の
委員会で、きょうもお見えでございます真鶴町長さんが真鶴の実態についてるる苦労話をお話しになられまして、要するに、
社会資本の要量がないところで非常にマンションが乱立している、そういうものに対する対策の手当てがないということで非常に御苦労されているお話がございまして、諸先生方も非常に感銘を受けておられるようでございました。そういうようなものが
一つの動機がと思いますけれども、今回の
改正が非常に
大都市地域での問題の対処に偏っている面もございましたので、そういう
意味では非常に評価できる修正ではないかというぐあいに思います。
それから、
誘導容積制度でございます。
これは
大都市の一極集中を助長するのではないかという御批判があると聞いております。また、確かに機能的にはそういうものがなきにしもあらずでございます。
ただ、しかし、
道路、公園、広場とかオープンスペースを
整備すれば
土地の
有効利用、
高度利用をある程度認めていこう、こういう思想は今回の
誘導容積制から始まったわけではございませんで、御
承知のとおり、既に昭和三十年代、昭和三十六年にできました特定街区
制度、これがオープンスペースをとれば
容積率にプレミアムをつけるということで、新宿副都心とか霞が関ビルがそうでございます。それから、その流れを酌むものとして昭和四十五年に総合設計
制度、これは同じような思想で、ややスケールを小さくした
制度でございますけれども、そういうものもできておりますし、
平成元年には再
開発地区計画制度というものができておりまして、
考え方としては別段新しいことではございません。
しかし、確かに一極集中を助長する面がなきにしもあらずでございますので、その補完といいますか、並行的な対策として一極集中排除という確固たる
考え方と対策を持った上での創設であるというぐあいに理解をした上で評価をすべきじゃないかと思います。
言葉をかえて言えば、確かに一極集中をせざるを得ませんし、大きな
課題でございますけれども、そうは言うものの、今の東京というものを経済的な諸機能等を中心に今後も使っていかざるを得ない、そして、
高度利用をすべきところについてはある程度その
都市施設の容量等が許される
範囲で
高度利用していかざるを得ない、そういう
課題は確かにございますので、そういう
意味では
誘導容積制というのも一歩前進ではないかと思います。
ただ、この問題が出ましたのでちょっと申し上げますと、東京の再
開発なり
高度利用というときに、大体の御議論の場合に、何といいますか、視点がそちらへ行かないのでございますけれども、現在の東京の
都市施設というのを見てみますと、
道路率でいきますと二十三区では一四・六%しかございません。一四・六という数字をお聞きいただきましても余りぴんとこないかもしれませんけれども、最近の例えば住宅・
都市整備公団とか民間企業が
開発しております大団地ですと、
道路率というのは大体二五%から三〇%前後でございます。これは
欧米の
先進国の
都市でも大体同じでございます。東京で二五%以上あるところというのは都心三区しかございません。
一四・六という数字も非常に驚くのでございますけれども、なお一層驚くのは、その六〇%が五・五メートル以下の狭幅員の
道路であるということでございます。要するに、消防車がほとんど行き交えないという状況がございます。
そして、もう
一つ驚くべき数字は、
都市公園の面積というのが一人当たり二十三区で二・三平米しかございません。豊島区あたりでございますと〇・三平米しかないということで、
都市公園がほとんどないというような状況がございます。これは
欧米の例で申し上げますと、パリあたりですと一一%ぐらいとか、大きな公園のあるワシントンあたりですと何と三〇%近い
都市公園があるというような状況がございます。
そういうことでございますので、一極集中排除というのは今申し上げたような
都市施設の容量との
関係でいえば極力進めなければいかぬ、しかし
高度利用できるところはオープンスペースなり
道路等を
整備しながら再
開発をする、
高度利用をするという
課題はあるのではないかということでございます。
それから、もう
一つちょっと目につきましたのは、
建築基準法の
改正の方で防火
地域、準防火
地域以外のところで木造三階建ての住宅を認めるという
改正案が出ております。
私たまたま四月の初めにアメリカヘちょっと行ってまいりまして、向こうの合板協会の案内でまさに木造三階建てを使っている実情を見てきたわけでございますけれども、アメリカにはアフォーダフルハウスという言い方がございまして、これは
日本式で言うと手が届く住宅というような
意味になるかと思いますけれども、勤労者向けの住宅、ガバメントハウジングというような言い方で、要するに、政府なり州の税制とか国庫補助等の助成の対象になっている住宅で、家賃をある程度抑えてそれで勤労者用に供給をしている賃貸住宅がございますが、このアフォーダフルハウスというのはほとんど全部が木造三階建ての住宅でございまして、向こうでは非常にコストが安くできるということで評価されているわけでございます。
これを
日本へ持ってくる。御
承知のとおり木材が高いというようなこともありますし、それから、私、技術者でございませんので一緒に行った技術の方にお聞きしますと、耐火とか耐震の基準が大分遣うんだというようなこともおっしゃっておりましたけれども、その辺も検討して、木造三階建てができるということであれば、単に日米構造協議で押しつけられたというような評価だけではなくて、せっかくですから有効に勤労者のためのローコストの住宅ということで活用ができないか、検討に値するのではないかと思います。
以上がその主な
内容についてでございますが、もう一度申し上げますと、一歩前進であるということでございます。
ただ、この機会に、もう少しその前段の問題として、行政の
課題というか、むしろ政治の問題として政治の立場から考えた場合、
都市計画というのは何かということについて触れてみたいと思うのでございますけれども、どうも
日本では、
都市計画とか
都市計画施設というと何か非常に難しいことで、余り
日常生活に
関係ないというような感じが強いわけでございます。
例えば「
計画なきところに
開発なし」という
言葉があります。これはイギリスで発生した
言葉ですけれども、これはまさに
日笠先生の御専門で、私、大変口幅ったいのでございますけれども、イギリスの
都市計画の歴史というのを勉強してみまして、あるいはと考えたことがあるわけでございます。
イギリスで
都市計画というような思想が出てまいりましたのは、十九
世紀の初めでございますが、向こうでは決して観念的にできたわけではございませんで、十九
世紀の初めにコレラが発生しまして、コレラ対策で初めて公衆衛生という
考え方が出てきたわけでございます。それで、一八四八年に公衆衛生法ができまして、そこで厨房とかトイレの衛生のチェックとかやや
建築基準法的な
考え方が入ってまいりまして、そういう公衆衛生法の思想が土台となって、住宅法とかあるいは一九〇九年の住宅・
都市計画法ができてきているということでございます。
これは、言い方をかえて言いますと、
理念から先に出てきたんじゃなくて、コレラという極めて具体的な町題に対処する方策として
都市計画的な
考え方が出てきたわけであります。
それは何かというと、要するに、余り考えたくないけれども全体のことを考えないと自分も死んでしまうということです。どうも、人間でございますから、修身の教科書みたいな
意味で他人のことを考えろといってもなかなか無理でございまして、
都市計画というのは人間を相手にしてやるものですから、単なる
理念じゃなくて、全体の町づくりあるいは全体の住
環境ということも考えた方が自分の
生活もプラスになるんだ、まさに憲法二十五条で言う健康で文化的な
生活ができるというのは、個人だけの努力だけじゃなくて全体のことを考える、それが憲法二十五条の
生活の実現の方策になるんだ、個人での物の
考え方じゃなくて、全体を考える
生活感覚を醸成していく必要があるんじゃないかということを考えます。
これをやらないと、いつまでたっても同じような問題にぶつかっていくんじゃないか。
確かに、それはすぐできるのかと言われれば、極めて中長期的な問題であろうかと思います。しかし、ちょっと
考え方を変えてみますと、
日本の
国民というのは、戦時中まではまさにお上の町づくりに従ってきたわけでございます。戦争中までは、富国強兵でありまさに防火体制としての町づくりだったわけですけれども、戦後ほどちらかというと産業優先的な町づくりが進められてきたということでございますので、ある
意味では、本当に
国民の立場から、
生活者の立場から物が言えるようになり、それが多少でも実現し始めたのはごく最近じゃないか、そう考えたら、余り絶望することもないので、始まったばっかりだ、これから五十年かかっても、こう思えばよろしいんじゃないか、こう思います。
例えば、もし御興味がございましたらお帰りになって辞書をお引きいただきますと、「宅地」を引きますと「
土地」と出てきます。「
土地」を引きますと「宅地」と出てきます。そこに書いてあることは何かというと、建物が建てられる
土地、こういう
言葉しか出てこないのであります。先ほど
五十嵐先生もおっしゃっていましたけれども、本来、
都市型の
生活を行うためには、単に物理的な
土地じゃなくて、そこに
都市計画というものと
都市施設の
整備というものが伴わなきゃいかぬはずです。そこで初めて宅地ということになるわけなんですけれども、
生活感覚としてはそういうものが我々の中にございません。
例えば農地の宅地並み課税をやると宅地が出るのか出ないのか、こういう議論になりますけれども、しかし、農家の方がもし
土地を手放されたとしても、それに見合う
社会資本の容量がなければ、それは宅地じゃなくて単なる物理的な
土地のはずなんです。そういう区別がつくような
生活感覚から初めて本当のいい
意味での
都市計画というものが生まれてくるんじゃないか、そう思います。
もう時間が大分過ぎたようでございます。この辺でとりあえず終わります。