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小森分科員 そこで大臣、ひとつこの点は政党政派を超えてじっくり聞いていただきたいと思うのですが、この部落問題というのは、やはり問題はマクロに見て、
事業なら
事業に限って言ってもよいですが、全体としてどれだけあるか、それを年次に割ったらどうなるかということで追い込むというか、政策を次々に進めていかなければならぬわけですね。
ところが、大変ネックがあるのですよ。これは閣僚の一員として、しかも同和問題に大変
関係の深い大きな
事業量を抱えた
建設大臣ですから、聞いておいていただきたいと思うのでありますが、どうしてもちょっとこう目で見たところが、それが差別の実態なのかどうなのかということが普通はわからないのです。よほどスラム街とか、よほど堤防が部落のところまで来て、そこでちょん切れておって、また部落が済んだら向こうへ堤防が続いておった、これは差別じゃないかというようなことならばわかるのですけれ
ども。
こう言ったらちょっとおかしいのですが、立石
局長なんか随分前から広島におられたり、その後本省へ来られでいろいろ接触があるから、
大分この人は本質的に物を見る力を持っておられると私は思うけれ
ども、ついうっかりすると、何が差別で何が差別でないかがわからないのですね。それは同対審答申にも書いてあるのです。一見何事もなきかのごとく見えるが、よく本質的に見たら差別だ、こう書いてある。これは私の勝手な理屈を振り回しているのではないのであります。
それで申し上げておきますけれ
ども、広島県の私の町を流れておる芦田川という一級河川があるが、これは大正年間から福山市の川下からずうっと芦田川、河川を改修していくという特別の立法でもってやっていった。私の町まで入ってきて、部落だけちょっと残して、部落だけ残して、部落だけ堤防なくて、また上へ堤防をつくった。いつか見てもらいたいと思いますけれ
ども、そこを、部落へ入る途端のところで堤防を山の方へぐうっと巻き込んで、部落だけ洪水にさらして、また部落が済んだところで堤防が始まっておる。
これが要するに同対審答申以後、私はまだ青年時代であったが、田舎の市議会の、府中という町の市会議員をしておったが、府中市議会が特別の議決をして、
小森君、行ってこい、同対審もできたことだし、
建設省と談判してこい。それで当時の
建設省の河川
局長と談判したら、それは差別じゃない。何かと言うたら、それは何億も金を使ってそこに堤防をつくるほどの生命財産を守るだけの価値がペイしないと言う。ペイしないというのは、要するにそれだけの価値がないというんだ。これはもう全然物の
考え方が違うわな。そういうのが差別というんじゃと言ってかなり議論をして、そこへ堤防がついた。私が解放同盟の中央執行委員になって議論をし始めて、四国だったと思うけれ
ども、鏡川に堤防がやはりそれと同じようになくて、やかましく言って堤防をつけた。群馬県の桐生市の桐生川、これはたったこの間ですよ。私が現地を見に行って、何でここに堤防がないか、部落は遊水地帯になっておるではないか。それは何か
建設省がやりますというから、やるならすぐこの秋からやれ、それならやりますと。
これは簡単に言うと、気づいたところからできる。気づいたところからできるということは、一見何事もなきがごとく見えるというのは、差別に対する不感症になっておる者から見れば何事もないのです。差別を見抜く力のある者から見れば、それは差別だとわかるのです。そうすると、残念ながら、
事業というものは、被差別部落民の市民的権利感覚が高まるに従ってふえるのです。それが
政府にはわかっていない。
私は、総務庁の大臣とか官僚と、わずか三十分じゃからどこまで議論できるかわからぬけれ
ども、それはわしはよく言っておこうと思うのですけれ
ども、うちの団体が交渉して言う分には、総務庁はすっぺらこっぺら、へ理屈ばかり言っておるけれ
ども、
事業がふえるのは、市民的権利感覚が次第に深まっていくに従って、あれもこれもと気がつくのです。一たん、
事業を五年前、七年前に定めたものがそのままであっただけで、ずっと
事業を組んだだけで、あと残り何ぼというような計算になるということは、これは残念ながら、我が国における近代市民社会の原理である市民的権利感覚が、つまりそこで硬直状態になっておればそうなんです。
したがって、どうしてこれはやるたびに
事業がふえるのかなと、私はそれを答えてもらいたかったのだけれ
ども、私の方から答えたような格好になるのですけれ
ども、大臣、ひとつそこを十分頭に入れておいていただいて、やるたびに
事業がふえるのは何かむちゃを言いおるのではないか、こう思われたら、事の本質は大いに間違いが生まれてくる、こう思うのですね。立石
局長はわかっておるのではないかと思いますから、立石
局長、どうですかな、私が言うたことは間違いですかな。