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柳沢委員 刑事
局長がたまたま同郷で、かつて同じ部屋で席を同じゅうしていた私の尊敬する
國松さんですから、
國松さんのような立派な、公正な刑事警察をぜひ選挙の面におきましてもお願いするほかないわけでございます。これ以上はもう申しません。
そこで、巷間、この選挙の腐敗の問題として
政治腐敗防止法が、英国の例でございますが、大変喧伝をされておりまして、こういうことをやれば大変いいことになるんだというような安易な
論議が多いわけでございます。
そこで私は、
政治腐敗防止法は、確かにイギリスにおいてはこれはある一定の効果を、また大きな効果を生んでいることについては結果としてそれを認めるわけでございますけれ
ども、実はこれは、識者と言われる
人たちは、この法律があったから選挙の腐敗が大変減少したということで、そういう面も全部は否定しないけれ
ども、実はそうじゃないんだと。実はこのときからイギリスの選挙
制度は変わりまして、小選挙区制、二大政党制が実現されたのでございます。それなるがゆえに、選挙の腐敗が根本として、物事の実体として改まってきた。法律が機能してということ以上に、そちらの選挙
制度そのものが変わっ
たことの方がより大きかったのではないかという
指摘があって、私も状況の推移を見る限りそういうことがむしろ当たっておる。したがって、いたずらにこういう法規を我が国の現状を前提としてそこに導入した場合、果たして同様の効果が
期待できるのか、この点については実は大変な問題がある。このことは
指摘をしておかなければならないと思うわけであります。
そこで、最後の
くだりで選挙
制度の問題に入るわけでございますけれ
ども、イギリスの選挙
制度、我々
同僚議員の中にも、また、ここに羽田先輩も、羽田大蔵
大臣もいらっしゃるんですけれ
ども、イギリス型の政党、政策で
お互いに競い合い、そして小選挙区制で、組織政党で、候補者も政党本部が大変大きな力を持って任命をして、その反対党と競争するといったような、こういう選挙
制度及びそれにつながるところの
政治制度、こういうものをどう評価するのかという問題が実はあるわけでございます。
私も、学生時代にいろんな
政治の本を読んだときに、例えばR・A・バトラー蔵相などは、オックスフォードの本当にまだ学生期間中に保守党にスカウトされて保守党本部に連れてこられて、すぐ立候補されて
政治家としての歩みを始めだというような話を聞いたりして、大変感心をして記憶もしたわけでありますが、他方、このハロルド・ラスキの本を、これもまた古い本で学生時代に読んだものでございますけれ
ども、こういうものをちょっと読んでみますと、そこで生まれた
議員、特に陣がさの
議員というのはやることがなくて困るんだ、はっきり言って。これはもう、要するに頭数でもって、それで、選挙の結果はこの党の頭数が多いからここから
総理大臣が出るんだといえば、陣がさ
代議士は用済みでやることはない。ああ、おれはただ頭数として頭を勘定されただけの仕事だったかといって、後はまあ、のらくら、ぶらぶらしておる、こういう掛写が実はこの本にもあります。
私は、それに比べると、我が
自由民主党の一年生
代議士、私も一年生
代議士であっ
たころから先輩
議員を前にして勝手なことを言っておった記憶があるんですが、大変実は元気がよくて、非常に
政治家になったというそのなりがいを
感じるような、そういう
論議を
党内で実はやっておるわけでございます。果たして、そういうことを考えた場合に、一体どちらの
制度がいいのか。
最近、何か、これも国会図書館の方にちょっと聞いたわけでございますが、一九七九年ごろから、バックベンチャーというかそういうような
人たちも、ちょうど日本の
自民党の部会のような、そういうものをつくって、議会の中あるいは党の中で各省庁別の予算の審査をしてけんけんがくがくやり始めたんだというようなことを聞かされました。これは全く、日本にだんだん近くなってしまっておるわけであります。そうして、今度は選挙運動の方も、どうなっているかというと、だんだん金帰火来になって、昔はもう政党本部が、今度はおまえここで立候補しろなんていって指示をされると、まさに党の服を着て、党の政策を持って反対党と戦うというようなことをやっておったというんですが、だんだん選挙区と
議員個人との結びつきが濃くなってまいりまして、このごろは選挙区に事務所を置く、そして金帰火来で選挙運動をやっている。何だかだんだん日本に似てきた。中には、イギリスの学者の中では、一党優位制の日本の
政治が非常によくて、そうして、なるがゆえに日本はあんな経済的発展をしたんだ、こういうようなことの説をなす者まであらわれている。
我々もよく知っておるジェリー・カーティス、アメリカのコロンビア大学の
政治の、特に日本の
政治に詳しい先生も、日本は今、古典的な
意味でのヨーロッパ型の政党を倣おう倣おうなんというような
論議が行われているようだけれ
ども、何を、どこに目をつけて見ておるんだ、実は日本の政党が最も近代政党ではないのかということをカーティス教授は言っておるわけでございまして、私
どもは、これはよっぽど心していろいろな
論議に取り組んでいかなければいけないというふうに実は思っておるわけであります。
日本の政党は本当に、特に
自由民主党は不思議です。私はよく言うんですけれ
ども、
自由民主党は党ではない。これはまあ、ちょっと総裁を前にして不謹慎きわまりない言辞でございます。それは承知の上で言っているんですが、日本の中の政党は、私は、
自民党は控除説だと言っているんです。共産党の方はある思想を持って出られた、公明党の方もそうだ、それから社会党の方も、少なくとも今までは組合とかなんとかの関係で出られた。それぞれ行きがかりのある
人たちが出られた後、その他大勢が実は
自由民主党である、こういう
感じだろうと率直に言って思っておりまして、そのことは
選挙民にも私なんか言っておるわけです。
しかしこれは、目下公人さんという人がいらっしゃるんですけれ
ども、私は
自由民主党の総合政策研究所というシンクタンクをつくっ
たことにかかわった
人間なんですが、そのときに、いろいろと大学の国家公務員の先生方もこのスタッフに加わっていただくというときに、ちょっと私心配して、公務員でも政党のスタッフになっていただいていいんでしょうかねと言ったら、目下さんが手を挙げて、
自由民主党は政党でありませんから大丈夫ですよと言われて、いや、それは参ったお話だなということでびっくりし
たこともありますけれ
ども、まさにそういう状況であろうと思うわけであります。
しかも、それぞれ我々、これは今の若手の会、
自民党の中で
政治改革に燃えている
人たちはそれが気に入らないと言って指弾をしておるわけでありますけれ
ども、はっきり言って
自民党の、はっきり言ってというのはまずいかもしれませんが、泊民党の候補者で公約なんて一回も読まずに立候補している
人たちがもう大半じゃないかというように思っておりまして、まさに我々が選挙で問うているのは、私
自身を人的に信頼してください、私に信託をしてくださいということで実はやっておる。その
人たちが集まってきて何をやるかというと、総合調整です。ですから、我が
自民党は何物も公約しないで、自由
民主だけ公約して、これはもうみんな共通の価値ですから差別化という
意味では何の公約でもない、そういうものを背負ってきて、もうすべて白紙委任みたいな格好で我々は政策のかじ取りをしている。これが我々の政党だろう。そこにはもう一年生
代議士もけんけんがくがく参加できて、そういうところから、幹部に席を連ねている
人たちは民意はどの辺にあるかということを推しはかって、それで政策を積み重ねてきた。こういうのが私は実態ではなかろうかと思うのですけれ
ども、こういうことでやってきて、少なくともそのパフォーマンス、実績、アチーブメントとしては、完全に、かなり世界の中で成功したという我々のこの
制度が、一面また
制度疲労を起こしたかということが心配されておるわけでございます。
その一つはどういうことかというと、湾岸危機のときにあらわれた
政治指導の弱さと言われておることでありますが、この
制度疲労というようなことを我々は本当にそのままもう認めていいんだろうか。確かに最近、先ほど、冒頭塩川
自治大臣は私に、十年置きぐらいということを言って、
政界に
不祥事が見つけられるということですが、今問題は、十年置きならまあいつもの例がということなんですが、次々起こっていることが実は問題なんですね、次々起こっていること。私は、しかし、これを我が国の
政治制度の
制度疲労と見るべきか、あるいは、経済界でも起こってしまった、我々の経済社会にびまんしてしまったバブルの現象の
政界への反映と見るべきか、そういう一時的な事象の
政界への反映と見るべきかは、大変な実は問題を含んでおると思うわけであります。
だから、そういうことで短絡的に私
どもが本当に我々の選挙
制度を根本から変えてしまっていいのかということについて、大変私は疑問に思い、また、いろいろな
人たちがいろいろな
論議をしておるのに耳を傾けている最中でございますけれ
ども、この
制度疲労論というものに対して、最後に
総理から一言お
言葉を賜って、私の
質問を終わらせていただきます。