○小森
委員 原則はアメリカ法で、そこに例外を設けた、その例外の持ち方あるいは運用の仕方というところに
刑事局長は焦点を絞っておられるのだろうと思いますが、受ける方にとってはオール・オア・ナッシングなんです。ここが
考え方が少し違うのですね。つまり、罪を受ける方はこの条規のゆえに、例えば死刑だったらもうオール・オア・ナッシングなのであります。また、無期にしても十年の刑にしても青春を失うのであります。そういう
意味で、厳密の上にも厳密、こういうことを言っておるのであります。
また、確かにそれは、GHQが戦後の日本の
刑事訴訟法の問題についていろいろな示唆を与えたことがあって、
影響を受けておるといえば
影響を受けておるわけでありますが、しかし
影響を受けでないものの方がかなり大きいと私は思います。権威ある
島田刑事局長の言われたことだから私もちょっと信用しかけたのですけれ
ども、私はこういうふうに負けず嫌いでありますから、その後調べたのですよ。調べたら、かなの
影響を受けていない、つまり日本の旧来の
考え方を踏襲しているものがあるということに気づいておりますので、これはまた後ほど、
島田刑事局長がその位置におられることがしばらく続けば
議論する機会もあろうかと思います。
そこで、
先ほどの拷問と今の自白の
関係でありますが、拷問が現代もう行われていないのではないかというふうに善意に法務大臣は
考えておられるようでありますが、どの程度のことを拷問というかということについては、これも非常に大きな問題ですね。しかし、夜の八時ころから入れかわり立ちかわり取り調べが始まって、一睡もさせないで朝まで、明くる日の夕刻までというような形でするのは、これは拷問だと私は思います。人間眠ることは何物にもかえがたいですからね。ところが、それを眠らさないでやられるというのは大変な問題だと思う。しかし、そんなことについて
裁判所がどういうふうな
判断をしておるかというと、これは現代のことですよ。「たとい取り調べが所論のように夜中にわたり且つ二、三人掛りでしたとしても直ちにそれを強制脅迫その他任意の供述を不能ならしめるような無理な取り調べをしたものと断じ得ない」、仙台高裁秋田支部一九五〇年十月三十日、こういういいかげんなことを言って
裁判所が逃げよるのは、調べればまだ何ぼでもあると思いますよ。これだったら、調べる方はかわるがわる寝ればいいが、調べられる方は夜中じゅう調べられて、そしてもうどうにもならぬ、せめて
公判廷で晴らそうか、こういう気持ちになったときにはバッターアウト、終わりです。だから、アメリカ法の
影響を受けておるというところに
刑事局長のアクセントがあのときには非常にかかっておったと思うのでありますけれ
ども、個々の事実を
指摘すれば、それとはかなり違うものが日本の今日の法律にはあるし、また
裁判所もそういう運用をしておると思うのですけれ
ども、時間が参りましたから、そこのところをちょっとだけ
答弁してください。それで終わります。こういう秋田の
裁判所の例があるのです。