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坂元政府委員 確かに
学校教育法三条で設置基準は監督庁が定めるというふうになっておりまして、その監督庁はほかの規定で文部
大臣になっておるわけでございます。文部
大臣が制定します省令、
学校教育法施行規則の十六条あるいは五十一条では、この節に定める事項のほかは小
学校設置基準を別に定める、あるいは中
学校設置基準を別に定めるというようなことで、二十二年に
学校教育法が制定されたときには法令上は別個の設置基準を予定していたわけでございます。
ただ、それが今
先生御
指摘のとおりに、設置基準としてまとまったものは規定されていないのが実情でありますが、その後御承知の
義務教育のいわゆる標準法、公立
義務教育諸
学校の
学級編制及び
教職員定数の標準に関する
法律や、それから
義務教育費国庫負担法あるいは
義務教育諸
学校施設費国庫
負担法等が制定されまして、
法律そのものにいわゆる設置基準と同様の機能を果たす規定がつくられておるというようなこともあって、実質上これらが一体となって私
ども設置基準としての機能が果たされているんじゃないかというふうに理解しているわけでございます。
ちょっと長くなりますが、そもそも
義務教育は、もう私が言うまでもありませんが、市町村に設置義務が課せられているわけでございまして、若干の
私学、国立はございますけれ
ども、大半は市町村みずからが設置する公立
学校で
義務教育が行われてきているわけでございます。そういう
意味で、
私学がかなりのウエートを占める幼稚園や高等
学校等の他の
学校団体と同様の設置基準を定めるという必要にも乏しかったんじゃないかというように思います。
それから、今度は公立
学校の立場からいいますと、
地域が過疎であろうと過密であろうと、
子供が一人でもおれば必ず
学校をつくるということで対応しなければならなかったということもございまして、全国一律の基準を
整備することがなかなか難しかったんではないかということもございます。
それからさらに、戦後の大混乱期の中で、
先生もご承知だと思いますが、我々も経験したのですが、中
学校が
義務教育化されまして、青空教室、二部教室、小
学校と一緒になって授業を受けるという
状況でございました。そういう
状況の中で、これは
地域によって大分違いましたが、全国画一的な基準をつくるということは実態にもなかなか合わなかったのではないか。言いかえれば、当時の社会情勢の中で設置基準をつくるにもつくりようがなかったんじゃなかろうか。そういう中で、三十年代に入りまして標準法ができ、あるいは
義務教育施設費国庫
負担法や何かができて、先ほど申し上げましたが、設置基準と同様の機能を果たすそういう
法律ができたというようなこともございまして、結局設置基準が今日までつくられなかった、つくる必要も余りなかったということだと思います。いず札にしましても、これらが設置基準としての機能を果たしまして、小中
学校における
教育の水準を確保するための機能は果たしてきたというふうに考えております。
なお、ちなみに戦後
私立の小
学校あるいは中
学校が、小
学校は設置された例はほとんどございません、中
学校が何校があると思いますが、これは都道府県がこれらの設置基準と同様の機能を果たしている
法律や何かを参考にしまして、
私立の審査基準を設けて審査をしてきているというのが実情でございます。
やや長くなって恐縮でございます。