○堀
委員 宮澤総理
大臣とはこの国会で三回目の質疑をさせていただくという、私もこれまで大変長く議会におりますけれ
ども、総理と三回も質疑をさせていただくのは今回が初めてでございます。
きょうは、これが今国会での私の最後の
質問となりますので、この前
大蔵大臣でいらしたときに一回取り上げたことがございますけれ
ども、実はここにこういうパンフレットをお配りをしております。これはもう実はいろいろな場所で論議をいたしてきておりますけれ
ども、この論議に
関係がございますので、きょうはひとつ、これまでの
日本の憲法でございました大
日本帝国憲法というのを皆さんのお手元に配らせていただきました。と申しますのは、現在の憲法というのは、その前にあった憲法、大
日本帝国憲法が廃止をされてそうして新しく
日本国憲法が
日本の憲法となったのでありますので、そこでこの大
日本帝国憲法というものの性格を一遍皆さんに申し上げたいと思って実はお配りをいたしました。
「第一章天皇」でございまして、「第一条 大
日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、こうございます。そうして「第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依り之ヲ行フ」「第五条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」「第六条 天皇ハ
法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス」、こうなっておりまして、要するにこれは天皇を頂点とするところの行政権が絶対的な権力を確保するために実はできておるのでありますが、ではこの憲法がどうしてできたかということを、実はこの「政治
改革」のパンフレットの方で私は説明をいたしておるのでございます。
この二ページのところをごらんいただきますと、「帝国憲法と現行憲法の比較」というところで
大隈重信がイギリス的な議院内閣制・政党政治を
内容とする憲法を制定すべきこと、また速やかに議会を開設すべきことを強く主張するに至ったので、岩倉具視を指導者とする
政府は、大隈一派を
政府から追放するとともに、明治十四年十月十二日の勅諭によって、明治二十三年を期して議会を開設すること、それまでに「立国の体」に従う憲法を制定することを明らかにした。これを「明治十四年の政変」という。ここに明治
政府の憲法制定の基本
方針は定まり、明治十五年、伊藤博文が憲法
調査のためヨーロッパ、主としてドイツに派遣された。すなわち、伊藤は、
民間の自由民権論者は「英米仏の自由過激論者の著述のみを金科玉条のごとく誤信し殆ど国家を傾けんとする」ものであるとし、「君権赫々」たる当時のプロシャ憲法を模範とすることが、「人権不墜の大眼目」を達成し、わが国情に最もよく合致するものと考えたのである。
「
日本国憲法概説
佐藤功著」よりの引用であります。
歴史的に既に大隈重信さんたちが英米仏の民主的な憲法及び議会の
制度を導入しようとしていたのに対して、御承知のように普仏戦争に勝利をいたしましてベルサイユ宮殿で戴冠式を行ったというこのプロシャの憲法がいいというのが伊藤博文、岩倉具視さんたちの考えでございました。それがさっきも申しました明治憲法のそもそもの由来でございます。
そうして、この明治憲法の中で特にちょっと私が申し上げておきたいと思いますことは、「帝国議会」というところで、「第三十八条 両議院ハ
政府ノ提出スル
法律案ヲ議決シ及各々
法律案ヲ提出スルコトヲ得」、こういうふうに第三十八条はなっておりますけれ
ども、この帝国憲法の当時に議員立法というものが提案された例は一例もございません。すべてが要するに行政権による
政府提案であったということでございます。それから第五十四条でありますけれ
ども、「国務
大臣及
政府委員ハ何時タリトモ各議院ニ
出席シ及発言スルコトヲ得」、こう書いてございます。要するに行政権絶対優位の中で、政治家である
大臣だけでは到底議論ができない、そこで憲法の中に現在の
政府委員という
制度が実は明記をされているわけであります。そうしてこの「政治
改革」の方でも書いておりますけれ
ども、実は現在の
法案提出の状態は依然として閣法が主でございまして、このパンフレットの六ページのところに「内閣の
法律案提出の
現状」というのを書いておりますが、ここで「私が議員となった
昭和三十三年から現在まで」現在というのは一九九一年のことでありますが、「
内閣提出法案は四千二百九十一件、衆議院提出
法案千六百四十九件、参議院提出
法案六百七件でありますが、
内閣提出はその八五%が成立し、衆議院提出は二五・六%、参議院提出はわずかに三十五件五・一%にしかすぎません。
内閣提出法案は八九%、議員提出
法案は一〇%の成立状態です。
法案提出の現在のありかたは、まさに旧憲法時代と大差のない状態です。」こういうふうに実は書いておりますけれ
ども、内閣が
法律を出すものですから、私たちは、単に野党である私たちだけではなくて、与党である自民党も
政府と論議をしなければならない。
政府案が提案される前には与党が承認をしているわけですね。与党が承認をしたその案を与党の皆さんが
政府と論議をするというのは、論理的にも大変、何といいますか、正常な姿ではないのではないか、私はこういう
感じがいたします。ですから、少なくとも国会というものが今の
日本国憲法が定めておるような形で運用されるようにするためにはどうすればいいのだろうかということでございますけれ
ども、この
日本国憲法は第四十一条で、これはもう皆さん十分御承知のことでございますけれ
ども「国会は、国権の最高
機関であって、国の唯一の立法
機関である。」こうなっておるわけであります。この「唯一の立法
機関」という意味は、実は東京大学御出身の憲法学者の皆さんは、大体東京大学法学部出身あるいは
経済学部出身の方が官僚組織のほとんどを占めておる。最近新聞で見ますと、
大蔵省の採用については東京大学という問題について少し考えたらどうかというようなことが新聞で伝えられておるぐらいに、実は東京大学の出身者が多いものですから、そこで、議院内閣制だから内閣が
法律を出すことは今の憲法四十一条とそごをしない、こういう意見でありますけれ
ども、佐々木惣一さんとか田畑忍先生とかという、出身は東京大学でありますけれ
ども京都大学の法学部の教授をしておられた皆さんは、私と同じ考えでございます。要するに、憲法四十一条というのは、最初の立法から始まって、それを国会に提出し、議員
同士が議論をして、その上で国会が決める、これが憲法四十一条の本来の
考え方だというふうに実は学説でもなっておるわけでございます。
私はその件について、現行憲法の七十二条を申し上げますと、
内閣総理大臣の職務として「
内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出しここう書いてございまして、
法律案を国会に提出しとは、実は憲法に書いてございません。「一般国務及び外交
関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。」そして、その今の「議案」の中身というのが第七十三条の内閣の職務の中で、「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。 一
法律を誠実に執行し、国務を総理すること。 二 外交
関係を処理ずみこと。」三番、「条約を締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。」これが私は重要な議案の
一つだ、こう思うのであります。さらに、四番目「
法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。」五番目「予算を作成して国会に提出すること。」この二つが、七十二条で「議案」というふうに書きました中身が実はこの七十三条の三と五の二つである、こういうふうに私は認識をしておるわけでございます。
そこで、そういう認識に立つならば、当然議員立法でございますから、議員が出した
法案を議員
同士で論議をするということで初めてアメリカなりフランスなりイギリスなり、要するに大隈重信が考えたこれらの民主主義国家の国会のあり方と同じ形になるのではないのか、こういうふうに私は判断しているわけでございます。
そこで、宮澤総理にもこの前申し上げましたけれ
ども、きょうは幸いにして新しい建物でございまして、今の大蔵
委員会、第一
委員室をよく使いますけれ
ども、この第一
委員室は、この写真の中で私は御
紹介をしておるのでありますけれ
ども、戦前と同じままの、大
日本帝国憲法のときの第一
委員室の仕様と何も変わっておりません。変わっておるのは、私たち議員の座るいすが変わりました。あれは当初は、私
どもが入ってきましたときは、
政府委員が座っているのと同じ平たいいすだったのです。しかし、それでは余り議員が気の毒だということで、衆議院の事務局があの小さなひじつきのいすに変えてくれた歴史的な経過がございます。しかし、依然として内閣の閣僚は大きないすに座って、私
どもは小学校の生徒のように机を並べて向かい合っておるというのは、あの第一
委員室は戦前の大
日本帝国憲法そのままであります。
さらに、今の本
会議の議場をひとつごらんください。あれも大
日本帝国憲法のときの、行政優位でありますから、要するに内閣は高い壇のひな壇の上に座って、国権の最高
機関が下の壇にいる。尾崎行雄さんは、憲法が成立をしましたときに衆議院の事務総長に対して、憲法が新しくなったのだからあの壇を下げろと言われたそうでありますけれ
ども、当時は予算がないのでそれができなかった、こういう経緯があるわけでございます。
ですから、まず第一に、すべて
内容は形式がかなり規定をするということがあるわけでございますが、まず総理、宮澤総理が総理におなりになっているうちに、
日本国憲法の定めるように、ひとつ本
会議のあり方あるいは第一
委員室のあり方を改めていただくわけにはいかないか。私はこれまでこういう問題をほかの総理
大臣にはいたしておりませんけれ
ども、宮澤総理というのは、私も長年御一緒しておりますけれ
ども、極めて合理的に、そうして非常に正確に物事を御判断いただく政治家だというふうに私は確信をしておりますので、この宮澤総理のときに変えていただきたい。
そこで、私は本
会議の議場のひな壇はあれでいいのでありますが、この前
羽田大蔵大臣と一諸にフランスの本
会議を傍聴いたしました、そのときは
羽田さんはまだ
大蔵大臣ではございませんが。そうしますと、フランス議会の本
会議では閣僚が一番前の席に総理を含め、当時のクレッソンさんを初め、私の親しいルイ・メルマーズ農林
大臣と一番前の席に座っておられまして、そこにマイクロホンが立っているのです。それから各議席の中に、ちょうどあの自民党の若い方が議長と言って提案をされるマイクが立っておりますけれ
ども、ああいうのが通路、通路に立っておりまして、おのおの総理に対して水曜日の午後三時から五時までは定例的に本
会議における一般
質問があるということのようでございます。それで、
羽田さんと御一緒に上から見ておりましすと、皆さんが立って
質問しますと、総理や農林
大臣が立って今度はそのそばにあるマイクを通じて議員の皆さんの方に答えておる。ですから、今衆議院は一番後ろに閣僚は座っておられますけれ
ども、これは前へ出ていく。時間がむだですし、フランス式に一番前の議席にずらっと座っていただければもうひな壇の上へ上がる必要はないのであります。そうすれば、皆さんも議員でありますから、今後ろの席に座っておられるわけでありますから、一番前の席へ座っていただいて、そして演壇がせっかくあるのですから、演壇を使ってこちらも
質問に立つ。答弁はまた演壇に上がってやうていただいて、何もマイクでやる必要はないと思うのであります。そういう少なくとも大
日本帝国憲法から
日本国憲法へ、ひとつ宮澤総理
大臣のときに形式的にも新しいステップを踏んでいただきたい。
さらに、予算
委員会は
政府が提案でありますから、これは憲法七十三条で規定しておりますように
政府が予算案を提案しますから、
政府と議員が
対応するのは当然でありますが、あのいすだけは我々のいすと同じようにしてほしい。何も大きないすに閣僚が座る意味はないと思いますので、いすを直すことと、要するに今のひな壇に並ぶのを一番前の議席に座っていただくということで大
日本帝国憲法から
日本国憲法ヘテークオフするということになると思うのでございますが、総理、いかがでございましょうか。