○遠藤(乙)
委員 この
PKO法案の
審議も大詰めに近づいているようでございまして、
考えれば
考えるほどこの
PKO法案、大変歴史的な
法案でございます。私は、若干、今までのこの
PKO法案並びにそれに先立つ
国連平和
協力法
案等の問題を振り返りながら質疑を進めていきたいと思っております。
〔
委員長退席、中川
委員長代理着席〕
この
冷戦が終わった後の
日本、大変な国際的な試練に直面をしてまいりました。特にこの
湾岸戦争以降、具体的にさまざまな決断を要する問題に迫られたわけでございまして、多国籍軍に
日本から
参加するか否か、あるいは九十億ドルの支援問題、さらにはこの
PKO法案、いろいろ決断を迫られる問題に逢着したわけでございます。こういった中で常に我々が持っていなければならない
問題意識、これは、こういう大きな変革の
時代には、決して決めつけ、先入観、あるいは枝葉末節にとらわれた議論ではなくて、あくまで骨太な議論をしていく必要がある、二十一世紀における
日本のあり方、
日本の針路を過つことのないために骨太の議論をしていくべきでないかと強く感じた次第でございます。
こういった観点から、我々もさまざまに議論をしてまいりましたが、振り返ってみますと、いろいろな骨組みがあったと思います。
一つは、
冷戦の終了、これをどうとらえていくか、これが
一つの重要な枠組みでございます。続いて、
日本国有の問題として、
憲法と国際貢献の接点、これをどう探っていくかという問題でございます。それから三つ目に、そういう枠組みの中で、国際的にも評価され、また国民の合意も得られるような、そういう選択をしなければならない。大変難解な、複雑な、困難な問題を強いられたわけでございます。
まず、この
冷戦の終了の
意味、これをやはり深く
考えてみる必要がある。国際情勢が百年に一度と言われる激変をしたわけでございます。特に、この平和の問題に限って言えば、
冷戦の間というものは、
米ソという二つの軍事超
大国がそれぞれ核兵器を持って対峙してくる、そういう
軍事大国主導型のいわば
秩序の維持のあり方であった。そういった中におきましては、我が
日本はほとんど発言権はなかったし、実際に果たし得る余地もほとんどなかったと言っても過言ではないと思います。
冷戦の陰の中で経済
大国を目指して努力をしてきたというのがその実態であったかと思います。
しかしながら、この
冷戦の終了、これが大きな平和の
環境の変化をもたらしました。何よりも今までの
冷戦時代における最大の平和の脅威は核戦争の脅威だったわけです。いつ
米ソが核兵器を発射し合って地球が滅亡するか、そういった非常に核戦争の恐怖が最大の平和の脅威だったわけですけれども、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連が崩壊し、ソ連の脅威が消滅をしていった。そういった中にありまして平和の問題も大きくその本質が変わってまいりました。核戦争の恐怖が大幅に遠のいたかわりに、これにかわって
地域紛争の恐怖というものが逆に出てきている。
現実の問題として起こってきている。いろいろ専門家の見方によりますと、
世界じゅう六十カ所以上の
地域が
現実にそういう
地域紛争の
可能性があるということでございます。
また、今までのこういった
冷戦時代、
米ソ二大軍事超
大国の主導のもとにおけるそういった
秩序の維持から、今度は
国連を軸とした、
国際社会が
協力をしてどう新たな
平和維持のシステムを
構築していくか、そういった
時代に入ったわけで、こういった基本的な平和
環境、平和の問題の変化に伴って、また
日本としても果たし得る
役割が大きく出てきた。
資金の面であるいは人員の面でさまざまなそういう
日本の
役割というものが問われるに至ったわけでありまして、まず、こういう
冷戦の終えんのもたらす
我が国の平和の問題、
世界の平和にどう貢献するか、やはりこれを深く
考え、
認識を整理していく必要があることが第一でございます。
日本の議論を見ると、なかなかまだそういう点における透徹した議論が非常に少ない。
冷戦時代の思考そのままで進んでいるようなところがありまして大変残念に思うわけでございますが、ぜひとも国民的な討議の上で、そういう
冷戦の
時代の変化というものを、何を
意味するかということを、まずしっかりと本質を
認識していくことが大事ではないかと思っております。
こういった大きな枠組みの変化の
認識のもとに、もう
一つの大事な問題は、
我が国固有の問題として
憲法と国際貢献の接点、これを探るという問題でございます。この問題は、戦後四十数年にわたって、ある
意味では凍結されてきたわけでございまして、それがこの
冷戦の終えんとともに凍結を解除せざるを得ない、そういう
状況になった。多くの人々が議論に混乱するのは当然かもしれません。今まで、
憲法上どこまで許されるかということはほとんど議論されることはなくて、特に、
自衛隊法の問題も、
自衛隊法に
規定してないということですべていわば逃げてきたわけでございますけれども、それが許されないという
時代になった。
憲法の枠内でどこまでできるか、国際貢献はどこまでやるべきか、その接点を探るということが重要な作業になってきたわけでございます。
そういった
意味で私たちは、片や
日本国
憲法の精神をどこまでも堅持しながら、
軍事大国になってはならない、二度とあの悲劇を繰り返してはならないという
憲法の精神、また
憲法のそういった魂というものを堅持しながら、他方、経済超
大国としての
日本の
役割、果たすべき国際貢献をどこまでできるか、この二つの接点をぎりぎり探るというのが重大な我々の作業だったわけでございます。
そういった中で、具体的には、
国連平和
協力法案の際には、多国籍軍に
自衛隊が後方支援の形で
参加する是非が問われたわけです。また九十億ドルの支援の問題、そして今この
PKOの問題が問われているわけでございます。私たちもそういう骨太な議論をどこまでもやってきたつもりでございまして、その結果、今回この
PKO法案が成立すれば、この
冷戦後の
世界における
日本の平和貢献のあり方についての
一つの範例ができ上がる、基本的な枠組みができ上がるものと私はこれを
考えておるわけでございます。
それで、その個々の対応がどうなってきたかということを若干振り返ってみますと、まず
国連平和
協力法案、湾岸危機勃発後問われたものでございますが、あのときの
政府の
考え方は、多国籍軍の後方支援に
自衛隊を使おう、こういう
考え方でございました。私たちも大変議論をいたしましたが、結論的には、これは多国籍軍というのは戦争を前提にした軍隊そのものであって、たとえ後方支援といえどもそこに
自衛隊が
参加をしていくことはやはり武力行使に巻き込まれる
可能性が高い、たとえ当初は
派遣という形で
自衛隊を出したとしても、現代の戦争においては前方、後方、区別がつかない、必ずや武力行使に巻き込まれる
可能性が高いということで、これはいずれ派兵になる
可能性が高いし、また
憲法の禁ずる、目的・任務に武力行使を伴うということに触れる
可能性が非常に高い、そういう判断を持って、
憲法の厳護という上からこれを公明党は強く
反対をし、その結果、
衆議院の
委員会の段階でこれは
廃案になったということは御承知のとおりでございます。今にして思えば、これは非常に正しい選択であったと感ずるわけでございます。
また、九十億ドルの問題、これも率直に言って大変私たちの党内、大きく議論が分かれたところでございます。しかし、この九十億ドルを多国籍軍に支援するという問題、これは、片や多国籍軍は
国連の枠組みの中で
国連決議のもとにイラクの不法な侵略を排除していく任務を持っている。しかしながら
日本国
憲法からすれば、
自衛隊がこれに
参加することはこれは
憲法に反するものであるけれども、
資金的な支援をしていくということはやはりこれは
国際社会のむしろ責務であろう、そういう観点に立って条件つきの賛成を公明党が打ち出して、そのとおりにまた
実現をしたわけでございます。これが二つ目の判断。
三つ目に、この
PKOの問題がございます。これにつきましては、私たちも当初は、この
PKOという問題がよくわからない時点におきましては一時懐疑的な時期があったわけでございますけれども、やはり
調査なくして発言なしという精神に立ちまして、
国連から意見を聞き、また各地に議員を
派遣しまして実態を
調査をしました。
紛争地域に行きまして、本当にそういった
紛争に悩む庶民の苦しみをじかに聞き、また
現実に展開をしている
PKOの人々の意見も聞き、
調査すればするほどこれはむしろ大変すばらしい任務である。この
冷戦後の
世界にあって
国連が軸となって
紛争を平和的に
解決する、まず政治的に話し合って停戦させる、その後にこの
PKOが行ってフォローアップして本格的な平和を樹立する、しかも武力行使をしないで非暴力、非強制の精神に沿って平和主義、人道主義に基づいて平和を
構築する。この実態を知れば知るほど、大変崇高な任務であってむしろこれは平和
憲法の精神そのものではないか、
憲法の非常に志の高い部分をこれは
実現していくものではないか、そのような私たちは判断に立ったわけでございます。
その後、さらにこの
PKO、詳細に議論をいたしました。確かにこの
PKO、
国連の行っておる
PKO自体には、概念
規定として必ずしも明確な部分がない。
政府側からの
説明もありますように、
PKO自体がそのときどきの国際情勢に従って進化発展をしているというのも事実でございまして、極めて厳密に理論的に検討すれば、九九・九%はよくても〇・一%ぐらいは武力行使に巻き込まれる
可能性はあり得る。そういったことでさらに議論を積み重ねまして、五原則の問題、さまざまないろいろな原則を取り込みまして、
日本独自としてこの
PKOに
憲法に抵触することなく
参加できる枠組みというものを明確にこれを決め、これを
法律に盛り込み、さまざまながんじがらめのいわば歯どめをつけてこれを今検討したわけでございまして、我々も徹底的な検討、研究の結果、現在の
PKO法案、特にこの
修正を経た
PKO法案には
憲法上何ら問題がないと強い確信を持つに至ったわけでございます。
そういうことで、この
PKOにつきましては、もともとこの凍結がない部分につきましても、これはもう我々の判断としては
憲法上問題がない。しかしながら、これはまだ国民にとって極めて新しい現象であり、わかりにくい問題でもあるので、やはりステップ・バイ・ステップということが政治的には賢明であろう。そういった世論の理解が進むということ、進めるということを
考えながらこういう凍結ということを言ったわけで、決してこれは凍結されている部分が
憲法上問題があるということでは全くないということを、ここに申し述べておきたいと思っております。
こういうことで、非常に話が長くなってしまいましたけれども、
冷戦後の
世界における
日本の平和への貢献のあり方、具体的に、多国籍軍への
自衛隊参加はだめ、それから多国籍軍への財政支援、これは条件つきでよい、そして
PKO、これはむしろ積極的に推進すべしという明快な
一つの範例がここで成立をしたと私は
考えております。これは、今後の
冷戦後の
世界にあって
日本がよるべき
一つの基準、明確な基準を設定したものであると私たちは
考えておりまして、特にこういった範例あるいはお手本の設定に当たって公明党が非常に重要な
役割を果たしたということも、私たちは自負をしておる次第でございます。これは、必ず歴史が証明することであろうし、歴史の試練に耐える選択である、そういう骨太な選択であるものと確信をしておりますし、また、何よりも
日本の国際化という観点から見ても、こういった選択は極めて重要なものであると私は確信をしているわけでございます。
そこで、非常に長広舌になってしまいましたけれども、こういう
一つの基本的な
考え方、
冷戦後の
世界における平和貢献のあり方についての哲学、
考え方を我々は主張してきたわけでございますけれども、これに関連して、
先ほど伊藤忠治委員の方から、若干公明党に対する批判的な発言がございました。それは、石田
委員長が
国連平和
協力法案の際に
自衛隊の
派遣は絶対にだめだと言っていると、それなのに今回
PKOについてはこれを認めている、短期間のうちに何という変節だということを言ったわけでございますけれども、これは全く何といいますか、知的な混乱と言う以外何物でもないものでございまして、そもそも前回、石田
委員長が
自衛隊の
派遣はまかりならぬと言ったのは、戦争を前提とする多国籍軍に対してであって、それが前提である、それはもう当然でございます。これはもう
憲法の精神からいって、やはり武力行使を伴う
可能性があることからしてこれは断じて許せないということで言ったわけであって、他方、今回は、この
PKOは戦争が終わった後に、また武力行使をしないで非暴力の精神で平和を樹立する大変とうとい任務である、むしろこれは
憲法の精神からいってぜひやるべきだということであって、この二つの主張には一点の矛盾もないということを理解すべきではないかと思っております。まさか野党第一党の社会党が、戦争を前提とする多国籍軍と
PKOを本質を区別できない、混同視するほどの知的混乱にあるとは思いにくいわけでございますけれども、この点はぜひ社会党の皆さんには御理解をいただきたいと思うわけでございます。
まず、こういった基本的な
考え方を前提にしまして、さらに質問を進めていきたいと思っておりますけれども、先般、五月の五日から十三日にかけまして、私ども石田
委員長を団長としまして、カンボジアそしてタイ、マレーシアを訪問してまいりました。特にカンボジア問題に関しての視察、そして意見交換がその主眼であったわけでございますけれども、今回実際に現場を見て、ますます今申し上げました私たちの立場が正しいということを確信をしてまいりました。特にこの
PKOにつきましては、ぜひともこれは成立させなければならない、これが今
日本の置かれた責務であるということを強く確信をしてまいったわけでございます。
特に、幾つかの感想を持ったわけでございますけれども、
一つは、カンボジアあるいはタイ、マレーシアも含めて、そこの指導者もあるいは国民も含めて、
日本の貢献を切実に求めている。
自衛隊も含め、
自衛隊も文民も問わずぜひ来て、カンボジアの平和のために、復興のために頑張ってもらいたい、切実なそういった要求があったわけでございます。特にカンボジアの現況は、瀕死の重傷を負ったけが人あるいはもう死にかけた病人が、何とか助けてほしい、水を飲ましてほしい、何とか命を長らえてほしい、そういった切実な叫びにも似た要求であったわけでして、ぜひとも
日本としてはそういう声にこたえていかなければならないということを痛感をいたしました。
また、実際にカンボジアの現状を見るにつけ、これはすさまじい
状況であって、戦争が終わって間もなく、飲料水にも事欠く、食糧の不足もある、あるいはまた寝るところもない。また、いろいろな疫病もある、あるいは治安も全く悪い、そして医療設備もない、こういった
状況。また、非常に過酷な気候風土のそういう中にあって、単なる善意のボランティアとか文民だけではほとんど対応が不可能であるということがよく
認識できたわけで、やはりこういった
状況において有効な
平和維持活動をするためにも、自己完結的な支援体制を持ったそういう
自衛隊のような組織が行かなければ対応は不可能であることを痛切に感じてまいった次第でございまして、そういった
意味でも、ぜひこの
PKO法案を
実現をさせていく必要があると感じておる次第でございます。
そこで、特に今回カンボジアの訪問を通じて感じたことでございますが、そういった
日本の今後の国際貢献、いろいろ総合的な貢献をしていかなければならないと痛感をしておりますけれども、一番その星は何か、一番重要なキーワードは何かということを
考えますと、それはやはりこの人的貢献ということであって、特に顔の見える
協力、ともに汗を流す
協力、そして心の通い合う
協力だ、こういうことではないかと思っております。こういった
協力を通じて本当に
我が国の、何といいますか、国際的な評価を高め、信頼をかち得て、平和
大国日本というものをつくる道になるわけでございまして、ぜひともこういう
考え方で進めなければならないと思っておるわけでございます。
そこで、
総理への質問でございますけれども、こういった私たちの
考えを申し述べましたけれども、
PKOへの
我が国の
参加についての基本的な
考え方につきまして、
総理の所見を改めてお伺いをしたいと思います。