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岩國参考人 出雲市長の岩國でございます。
本日は、こうした大変貴重な時間に、
浅学非才の身ではございますけれども、意見を述べさせていただく機会を得まして、大変光栄に存じております。
では、着席して意見を述べさせていただきます。
私もいろいろな場所でいろいろと意見を述べさせていただいておりますけれども、この
国会等の
移転に関する問題、それはとりもなおさず
東京の
一極集中の問題と深く関連している、このように認識しております。
その
東京の
一極集中について、三年前までは私は
経済界におりましたけれども、ことしの初め、一
地方の市長の体験として、このようなことを書いております。
東京の
一極集中を是正するということは論外である。一
地方の市長という私の経験からして、
東京の
一極集中ほどすばらしい
システムはない。
東京へ行きさえすれば、
霞が関の一キロ四方で全部仕事が終わる。こういう効果的で便利な
システムはないと思います。
それに、ここだけの話でありますけれども、退屈な
地方暮らしの
市町村長あるいは
議員にとりまして、陳情のたびに上京して
東京の空気を吸う機会が与えられているというのは、実に心楽しいことでもあります。
東京に出ている息子さんや娘さんにも会う機会もありますし、うまいものも食べられる。こういう
恩情システムは何としても残していただきたいと思います。したがって、文部省は仙台に、あるいは通産省は名古屋に、こういうのは最悪の事態であります。劣悪な
生活条件に耐えて暮らされる
東京住まいの官僚や公務員の
皆さんにはまことに申しわけないことでありますけれども、
地方の
市町村長及び
地方議会議員のためには、ぜひとも
東京一極集中は維持し続けていただきたい。
東京に活力あるものをすべて
集中させているということは、「国破れて山河あり」という言葉がございますが、今、
日本の現状は「国栄えて山河貧し」山河すなわち
地方であります。「国栄えて
地方貧し」という状態をつくり出していることでもあります。しかし、この
地方と
東京との関係は、とりもなおさず地球上に存在する南北問題、貧しい南と富める北、この地球の南北問題を
日本人にも身近に感じさせるという啓蒙的な役割も必ずや果たすに違いない。
そういった意味から、大学を
地方に
移転する、つまり
大学減反、
東京の
教育機関を
地方都市へ分散させるというのも考え物だと思います。
東京に学生を
集中させるということは、次の時代を担う
青年たちに、難しい学問よりは人生を享楽する習慣を身につけさせることでもあります。その中から、将来、
国際社会に貢献するような人材は生まれ出ない公算が大きいと思います。しかし、
世界から重宝がられるミツグ君国家としての
日本には、高邁な精神や
学問的素養は、無用どころか、かえって邪魔というものであります。
こうした観点から、私は、
東京一極集中についてこのようなことを書いております。しかし、もちろん私の本意はそういうことではございません。
東京一極集中というものを是正してほしいという叫びは
地方の声であります。
本日、私、三十分ばかり時間をいただきましたので、その中で次のような論点に従ってお話をさせていただきたいと思います。
まず最初に、
一極集中の是正がなぜ必要かという私の認識であります。二番目に、
国会移転をどのように評価しているか。三番目に、
移転先についての私の考えてあります。四番目は、いわゆる
東京問題はその後本当に解決するものかどうか。そして最後、五番目でありますけれども、いわゆる
地方の問題というのはその後どうなるのか。そういう順序で話をさせていただきたいと思います。
まず最初に、
一極集中の是正がなぜ必要かという認識であります。
一極集中の是正は次の四つの理由から私は必要だと思っております。
まず一番に、災害の危険であります。いろいろな統計がございますけれども、
日本の富の七〇%はこの
東京に
集中しておる、あるいは
日本の
人口の二六%が
集中しておるこうした
首都圏一都三県、三%に達しないような面積のところにこれだけの富と
人口を
集中させるということは、大変危険なことであります。これは今までの
参考人の
皆さんがるる述べておられますから詳しい点は省略させていただきますけれども、政治、
行政、特に
日本の
経済機能というものは、今
世界の
経済取引にとって欠くべからざるものとなっております。
竹下大蔵大臣のときに、
日本のお金から国境をなくそう、こういう金融の
自由化を実行されましてから
日本のお金は
世界の通貨となり、そして、それまで
ロンドンで八時間、
ニューヨークで八時間、
東京にそういったマーケットができないときには二十四時間体制というのは構築されておらなかった。しかし、
日本の円が
自由化された結果として、
世界の二十四時間体制というのは完成いたしました。
ロンドン、
ニューヨーク、
東京、次々と八時間ずつ、三、八、二十四時間、マージャンでいえば
一気通貫、あるいは
マネーシャトルとも言われておりますけれども、こうした二十四時間体制の八時間を担うのは
東京であります。そうした点から、こういう
経済機能が麻痺する、あるいは大変な障害を受ける。これは、
世界に対する
日本の責任として何としても避けなければならない。こうした大きなダメージは、
日本のためだけではなくて、
世界の諸国に大きな迷惑をかけることになりますから、ぜひともこの
一極集中体制というのは避けねばならない。
二番目に、
住環境の
劣悪化であります。これは、
東京の場合には、毎年のように恒常的な水不足、
電力不足が訴えられております。これ以上
東京を膨張させることは、
住環境を
劣悪化させることでもあります。
人口を減らす、面積をふやす、これが必要であると思います。
次に、
東京を中心として、新しい子供の
出産率が低下しております。いわゆる一・五四ショックということが言われておりますけれども、こうしたものを分析いたしますと、
地方の、面積の広い、あるいは
人口密度の低いところほど
出産率はまだ高とまりしておるという現象に注目していただきたいと思います。
日本の四十七都道府県の中で、沖縄が
出産率が一番高いところでありますけれども、本州の中では島根県が一番
出産率が高いところであります。
高齢者が一番多いのも島根県であります。
高齢者が多くて、しかも
出産率が高い、これは何を物語っているのか。それは、
おじいちゃん、お
ばあちゃんが家にいるから安心して若い奥さんが子供を産む。島根県の
お母さん方はそういう意味で非常に頑張っております、頑張っているのはだんなさんの方かもしれませんけれども。
出産率が高いということは、
おじいちゃん、お
ばあちゃん止すぐそばに住める。そして、面積が広いということは、家も広いところに住める。それは、裏返せば、
東京の
出産率低下の原因でもあります。そうした
東京の
過密人口、そうした
住環境の悪化というものがこの
出産率の低下につながっているというふうに思います。
三番目に、
住環境の
劣悪化の三番目でございますけれども、いわゆる労働時間の
短縮化ということが言われております。千八百時間という問題でありますけれども、
日本の二千百時間と、諸外国、
先進国の平均の千八百時間と比較しますと、三百時間、これにしても相当大きな差であります。しかし、これからは、労働時間という単純な統計だけではなくて、
実質的拘束時間という概念が必要ではないかと思います。通勤に要する時間が三時間であれば、それは二千百時間ではなくて、二百五十日掛ける三時間、七百五十時間を追加して、二千八百五十時間というものが拘束時間として働くために失われておる。外国の場合には、千八百時間に、一日一時間の
往復通勤時間としますと、二百五十時間を足して二千五十時間。労働時間の比較よりもはるかに大きな差というものが、この拘束時間というとらえ方をした場合に出てくる。
これはどこから出てくるか。これは、
東京を中心とする
都市生活者の悪い
住環境、あるいは職場のために往復三時間を失わねばならないというところが出てきておりますから、いずれこうした労働時間の
国際的比較というものは、あと数年すれば
実質的拘束時間の比較というところへ必ずやってくると思います。そのときには、さらに
日本は大変な努力を
行政として政治としてやらなければならないわけでありますから、こうした
東京問題というのは、
一般労働者の
生活条件を向上させるという点からも必要であると思います。
次に、大きな問題の三番でありますけれども、
一極集中をなぜ是正しなければならないかという点では、三番目に、
地方の活力をそいでいるということであります。
人口も企業も、狭い
日本の各地にバランスよく分散させるということが、
地方の活力を維持させるということの上から必要であります。とりわけ、
日本の伝統的な文化が今どこに残っているか。それは、
東京よりも島根であり、大阪よりも熊本ではないか、そのように考えております。そうした
日本の伝統的な文化を維持し、そのすそ野を支えているのは
地方であるという認識に立ては、
地方の活力がそがれているということは、とりもなおさず
日本の伝統的な文化の枯渇になってきはしないか、そのように私は考えております。したがいまして、これからそうした富や
人口、企業の
地方への分散ということは、
航空路、空の
交通体系あるいは陸の
交通体系がこれから着々と整備が進めば、これは十分可能なことであると思います。ぜひとも、こうした
一極集中の原因というのが
地方の活力をそいでいるという認識に立っていただきたいと思います。
出雲市は今月、
木づくりで
世界最大の
ドーム球場を完成させます。鹿島建設の
世界的な技術でこれは完成するわけでありますけれども、こうした
ドームの建設の途中で、
アメリカの
技術者あるいは調査の人がよくやっておいでになります。私は、その名刺を一つ一ついただいてびっくりすることは、
ニューヨークから来る人は一人もいないということであります。
日本の
建設会社が
アメリカで
ドームを建設するとしたら、
技術陣、材料、これは恐らく
東京の住所を持った名刺の人ばかりが
アメリカに行くだろうと思います。
アメリカから来る人は、カンザスの人、ミズーリの人、オレゴンの人というふうに、この
出雲ドーム建設のときにはるばる
日本へ来ながら、一人として
ニューヨークの名刺を持った人はいないということであります。それだけ技術にしても、素材にしても、
アメリカの場合、あの広い
アメリカ各地に分散されておる。大変うらやましく思いました。私自身もヨーロッパに十一年、そして、
アメリカには二年と三年と五年、三回合わせて十年住んでおりました。そして、
ロンドン、パリ、
ニューヨーク、そういう
大都市に住んでみまして、
日本のすべてが
東京に
集中しているということについては、今振り返ってみても大変異常なことだなという実感に浸っております。
一極集中是正の四番目の理由、最後でございますけれども、こうした
東京と
地方の問題は先ほど申し上げましたけれども、「国栄えて山河貧し」、私は、これが
日本人の間における
不公平感を増長させていると思います。豊かな
東京というのを見過ぎる。そして、
地方は実質的には経済的にはかなり豊かになっているにもかかわらず、心の中はいつも貧しい、貧しいと思わせるような仕組みというのは、この
東京一極集中という現象を
年がら年じゅう見させられている。そして、いつも
地方は何かを奪われておるという
被害者意識があります。こうした
不公平感が豊かさを実感させない。豊かさの時代に入ろうというときに、
経済力が充実しても、いつまでも
生活実感として貧しい、ゆとりがないという意識に追われる一つの原因ではないかと思います。
次に、
国会移転をどう評価するかということでございますけれども、最近、新聞で、ある一つの気になる記事が出ました。それは、二十階建てか三十階建ての
議員会館を新しくつくろうという計画が発表されておりました。我々
一般庶民といいますか大多数の国民からしますと、
国会移転という決議を
国会でされたにもかかわらず、新しい
議員会館を今の
議員会館のそばにつくろうということは、一体、
国会移転を本気でなさろうと思っていらっしゃるのかなという戸惑いを感ずるわけであります。そうした二十階建て、三十階建ての
議員会館を新しい
移転先にこれから準備するんだということであれば、そういう説明がついておれば、国民は、なるほどいよいよ
国会は移るんだなという感じになりますけれども、決議は決議だけれども、
議員会館の立派なものをこれから十年計画、十五年計画でおつくりになるということは、どうもしばらくは
国会は動きそうにない、こういう印象を受けてしまうのではないかと思います。こうした点についても、適切なそういう御説明をいただきたいと思います。
新聞等で私どもが知り得た知識によりますと、そうした
政治機能、
行政機能というものは
移転させる、そして、
経済機能は残していくということでありますけれども、私は、大筋としてはもちろんそうあるべきだと思います。ただし、
行政機関の中でも各省庁の持っております
政策機能あるいは
中枢機能と言われるものは新都に移るべきだと思いますけれども、
地方との接点、
地方へのサービス的な機能、機関、組織というものは
東京に残しておくというのが現実的なやり方ではないかと思います。
すなわち、さらに一歩踏み込めば、
地方への
権限移譲、そういったことも組み合わせて、今の
霞が関にあります中央諸官庁は、三分の一は新都に、三分の一は
地方への
サービス機関の窓口として
東京に残り、そして残りの三分の一は
地方へ権限とともに人も移譲させる、そういう計画が現実的ではないかと思います。権限だけの移譲ではなく、
地方の
行政能力をグレードアップするために、やはり権限の移譲というのは、現在中央の諸官庁にいらっしゃるベテランの
行政マンというのを
地方の
行政体に移譲していただく、それが必要ではないかと思います。
また、新都を建設するという場合には、当然ながら
自然膨張を抑えるために
転入制限というものを最初から設けるべきであると思います。百万なら百万、百五十万なら百五十万という
適正人口というものを維持できるためには、
自然膨張を抑えるために、最初から
転入税を設けるなり、何らかの一つの基準でもって野放しの
人口増加を防ぐということが、第二の
東京問題を防ぐために必要ではないかと思います。
同時に、そうした
国会移転あるいは
行政機能の
移転に伴いまして、
許認可条項をドラスチックに削減していただきたい。そうした膨大な
許認可権限というものを持ったままで新都に行かれるということは、
地方の
市町村長から見ますと、いろいろな
陳情等に依然として
東京にもあるいは新しいところにも行かなければならないということを意味しますから、
地方の
市町村長、県知事も含めてでありますけれども、そうした新しい首都の方には行かなくても済むくらいにしっかりと
許認可条項については減らしていただきたいと思います。
同時に、
官庁情報、
行政情報というものが、
地方にとってはもちろん、大企業にとって非常に重要な役割を今の
日本では占めております。したがいまして、そうした情報を求めて
民間企業も大挙して新都の方向へ
移転することがなくて済むように、
官庁情報はさらに
情報公開を進めていただきたい、このように思います。
次に、
移転先について、私はそうした
専門家ではございませんけれども、こうした
移転先というものを論ずるときには、常に、今までの新聞その他で発表されておりますいろいろな権威の方、
専門家の方がおっしゃいますことは、表
日本の都市ばかりが取り上げられておる。私は、この点について
大変不満を覚えます。もともと歴史をひもとくまでもなく、かつての表
日本は
日本海側でありました。今、表
日本と呼ばれている地帯は文化果つるところ、何の文化もないところでありました。
出雲というのは、ある意味ではそうしたかつての
日本文化の窓口であり、そして表
日本の中心であったわけです。そうした
日本海側を見直すということも、新しい視点としてぜひ検討していただきたいと思います。最近はすべて表という名前のつくものが活力があり、力が強い、
経済力が強い、そういうのが通念、常識になっておりまして、裏という名前がついて力が強いのはお茶の
世界だけてあります。それ以外はすべて表が強いということになっておりますが、現在、
裏日本と呼ばれている中で、神話というものを引き出すのは大変古臭いことでありますけれども、もともと
日本で
国会が置かれておったのは
出雲であります。やおよろずの神々がお集まりになる、そして今でも
議員会館がしっかり残っておるのです。二十階建てじゃありませんけれども、
木づくりでしっかりとした、
議員の
皆さんがお泊まりになる神々の宿というのが今でも残っておるのは
出雲であります。
古来から、
日本の首都というのは
出雲から奈良に移り、奈良から京都に、京都から
東京へと、次々と東へ東へと移動しております。限りなく
アメリカに近くなってきたのが
日本の首都の移動の形跡であります。これからは
アジアの時代だ、
日本海の時代だということであれば、これからの
首都機能の
移転はさらに東へ行くということではなしに、もう東へ行けないくらいのところまで来ておりますから、これからの移動は、すべてあとう限り西へ西へと移動していただきたい。私は、
出雲へと、それくらいのことを言いたいつもりでありますけれども、まず現実的に考えて、
出雲へ行くまでに、これから二百年間は奈良、京都の中間の方がいいのではないかと私は思っております。思い切ってそうした、ロマンだけでこういうことを決定することはできませんけれども、二百年間は奈良と京都の中間に、それから二百年間は
出雲へ帰る、限りなくこれから
アジアに近い方に移動していく、そういうことは考えられないかと思います。
また、
出雲というのは突拍子もないことでありますけれども、
懇談会が発表されました「
移転先地に求められる条件」、新
首都移転先地には以下のような条件が求められる、六項目の条件がありますが、この条件、
出雲はすべて満たしております
用地震・火山による災害の危険の少ない地域である。二番目、急峻な地形がない、そのとおりであります。三番目、十分かつ安定的な水の供給を行える地域である。斐伊川の水がたっぷりでございます。四番目、均衡ある
国土構造の実現のため、少なくとも
東京圏は避けるべきである。
東京から限りなく遠いところであります。交通の
利便性にすぐれている。四往復のジェットが
東京からも大阪からも飛んでおります。六番目、
土地取得が容易であり、地価が比較的低廉である。一町歩一億円で求められるのは
出雲であります。こうした観点から、
裏日本というものもやはり検討すべきではないかと思います。
しかし、もっと近い現実ということを考えますと、私は、個人的な考えでありますけれども、以前から大宮の北、こうしたところに第二
東京というものをつくり、そしてリニアで十五分か二十分で往復ができる、パリと同じ規模の同じようなきれいな町並みを持った、そこに
国会と
行政機能を持っていく、そしてそこに、
人口からいいますと百万から二百万の
間——新しい都をつくるという以上は、六十万という規模ではこの
東京問題の解決には役に立たないと思います。やはり百五十万から二百万の
人口を
東京から吸い出すだけの機能、そして新しい都に
文化施設、
レジャー施設、いわゆる町としての潤い、それは
人口の集積が百万以上でないと、なかなかそこへ
議員あるいは官僚の
皆さんが住みつこうということになりにくいのではないかと思います。
もう一つの
候補地としては、私は、長野県の諏訪市、茅野市、もう少し離れるのであればそういったところが一番適切ではないかというふうに思います。
大きな項目の四番目、いわゆる
東京問題は
国会等の
移転の後解決するか、これについて私の所感を申し上げます。
東京は今異常な状態にあるという認識に立ちますと、異常な事態に対しては異常な手段が必要だと思います。どういう異常な手段が必要か。二つあります。
一つは、
人口の
転入制限を直ちにしくべきではないかと思います。転入してくる人には
転入税を課するか、絶対的な例外的にしか認めないという
転入制限。そして同時並行して
転出奨励金、例えば百キロ出ていく人は一世帯につき百万円、千キロ遠くまで行く人は千万円、そういったような距離に比例した
転出奨励金というものも導入すべきだと思います。言ってみれば、これは
人口減反であります。
地方の農業県、島根県のようなところは、血のにじむような苦しみを負いながら米の減反を一生懸命やっております。
東京も余っているものがあれば減反していただきたい。それはまず
人口であります。
人口減反をどうやるか。それは、二〇%減らすというためには、こうした異例な措置も必要ではないかと思います。
二番目、大学の減反であります。米の減反にかえて、
東京も余り過ぎる物、金、人を集め、そして
東京は教育という名のもとに学生も集め過ぎております。
世界の
先進国のどこに、こういう
行政の中心に学生まで集めている国がありましょう。それは外国の例を見てもすぐわかります。イギリスのオックスフォード、ケンブリッジ、あるいは
アメリカのプリンストン、エール、
ハーバード、スタンフォード、すべて五万から一五万の
地方の都市にあります。そういう
生活環境、
教育環境の一番悪いところに
日本の学生を
集中させているということは、次の時代の
日本を背負っていく優秀な人材はそこから出てくるでしょうか。私は、一刻も早く今の早稲田大学、慶応大学、
東京大学、すべての大学について二割、三割の学生定員の減反を行い、その分は分校か、あるいは教養課程だけは
地方で、そして専門課程になれば
東京へ行くという形で、学生の総定員数を二〇ないし三〇%減らすという努力をすべきだと思います。官庁の
移転よりも大企業の
移転よりも、決断すれば一番やりやすいのはこの大学の減反であり、大学生の
地方分散であります。
五番目、最後の問題でありますけれども、その前に、この
大学減反については、言葉として少し乱暴なところはありますけれども、今
東京と
地方の学生の問題というのは、
地方の産業にとっても文化にとっても大変大きな影響を与えております。例えば
東京には大学が百六校、短大が七十九校あります。これは八九年の数字でありますけれども、島根県は大学が二校、短大が一校しかありません。いずれも全国最下位がそれに近い。入学定員の差を考えますと、気が遠くなるほどの差であります。当然のように起こってくるのが若者の大量流出であります。
普通の県は二十二歳になったら
人口が流出します。島根県は十八歳から
人口流出が起きているのです。ほとんどの過疎県はこうであります。島根県では、大学、短大進学者三千人のうちの八五%は県の外へ出ていきます。特定大学へどうしても行きたいという学生も当然ありますけれども、多くは県内に収容力がなくて志望学部がないためであります。島根県ほどではないにしても、東北、山陰、四国、九州の過疎県は同じような状態にあります。かってこれらの地域は、高度成長期においても十五歳あるいは十八歳の若者を都会の労働力として送り出す人材供給県でありました。今は進学という名のもとに、再びそれが繰り返されております。高度成長期のときと異なるのは、今は子供が二人程度しかいないということであります。もし彼らがそのまま都会で就職すれば、
地方には親と年寄りしか残らないのです。
一九五〇年から一九八〇年に至る神武、岩戸、イザナギ景気の時代に
地方各県から若者を奪っていった主役は産業界でありました。今や、
東京その他のごく少数の
大都市にある大学が過疎の新しい主役となっております。産業界から大学へ、通産省から文部省へと
地方過疎化の主役は交代し、
地方の高齢化はますます加速されております。全
人口に占める六十五歳以上の比率を見ますと、島根県は、八五年の国勢調査ですと一五%、現在では一七%を超えまして、二〇〇〇年には二二%に達すると見られております。
断っておきますけれども、私は、進学者の一〇〇%を島根県にとどめよと言っているのではなくて、県内に大学、短大があって、志望学部、学科があれば県内にとどまりたいという人については、その意向がかなえられるように環境を改善すべきだと申し上げたいわけであります。
また、この教育過疎というのは多額の教育赤字を
地方にもたらしております。都会への進学に伴って生ずるもう一つの現象は、仕送りという形でのお金の流出であります。私は、これを「教育赤字」と呼んでおりますが、地域経済にとって軽視できない額になります。
島根県の例でまた申し上げます。大学、短大、専門学校を合わせた県外進学者は、一学年で約三千五百人、在学年数を平均三年とすれば一万人強であります。これに一人当たりの仕送り額を年間百五十万円として掛けますと、毎年百五十億円以上が教育赤字として島根県の外へ出ていっております。山陰で一番の穀倉地帯であります
出雲平野を有する
出雲市の生産農業所得は九十億円ですから、教育赤字の額の大きさがいかに大きいかおわかりだろうと思います。仮に、県内に大学、短大を新たにつくられて全国平均並みの県内残留率を達成したとしますと、教育赤字は半分以下に減少します。親の負担もそれだけ軽くなります。しかし、現在は、県内の大学、短大の収容能力が低いために選択の幅も狭い、多くの学生はいや応なく出ていかざるを得ない。親は都会に比べてはるかに少ない収入、島根県の平均収入は
東京の五五%、全国平均の八〇%であります。そういう低い収入の中から多額の教育赤字を出さねばならぬ。ただでさえ小さい地域経済のパイは、このようにしてさらに小さくなっていきます。残念ですが、これは現実であります。
もう一つ大事な点は、
地方ほど進学率が低いということであります。これは、大学が少ないからであります。大学進学率一位の
東京と最下位の青森とでは実に二倍以上の開きがあります。青森だけでなく、過疎県と言われるところは全部低いわけであります。
同時にこれは、
地方の産業近代化にも大きな障害となっております。大学のあるところとないところで差がつくのが産業面であります。大学のない地域、特に工学系のない地域は産業の近代化がどうしても立ちおくれてしまいます。島根県では、島根大学の工学部増設を望む声が産業界を中心に非常に根強くあります。島根県の産業近代化、中でも製造業の近代化が著しく立ちおくれている主な要因としては、工科系の大学がなく、県内企業に優秀な若手
技術者の供給が乏しいことが挙げられます。
例えば隣の鳥取県と島根県を比較してみるとこれはよくわかります。鳥取県は
人口約六十万人、島根県は約八十万人、島根県が約二十万人多い。しかし、大学に工学部がある鳥取県の工業出荷額は八千億円であるのに対して、工学部のない島根県の工業出荷額は、
人口が三〇%多いにもかかわらず七千七百億円、差は明らかであります。一刻も早く、こうした教育減反というものを実行していただきたいと思います。
最後の問題でございますけれども、
地方の問題について四点申し上げたいと思います。
まず一つは、これからの
地方の問題というのは、
国会等の
移転あるいは
東京の
一極集中という対策をとられても、とられたら解決するかという問題であります。私は、それにしてもまだ問題は残る。四点申し上げます。
一つは、
地方への
権限移譲あるいは大学の分散等々が整備されましても、残る一つの問題は、
行政能力が低いということであります。これは、職員の一人一人の質が悪いということではなくて、三千三百という小さな市町村に分かれておる現状においては、
行政規模が小さ過ぎて
行政能力がどうしてもグレードアップしない。そうした点から、例えば
出雲市、松江市等をとりますと、道がよくなれば、おかげさまで現に大変道はよくなってきておりますが、ますます
出雲市を中心とする周りの市町村と一体的な経済圏、生活圏、利用圏が形成されております。
出雲市の夜の
人口は八万三千、昼の
人口は十万をはるかに超えております。
出雲市へ勉強に来る人、仕事に来る人、遊びに来る人、買い物に来る人、昼の
人口と夜の
人口の乖離、これはミニ丸の内現象でありますけれども、この現象は
地方の都市にもどんどん広がっております。それは、道がよくなれば、そして
皆さんが車を持てば、この現象は当然、広い経済圏、生活圏、利用圏が形成されつつありますしかるに、
行政能力は小さく小さく分断されたままであります。夜の
人口のための
行政能力しか持てない、
行政権限しか持てない市庁、昼の
出雲市、十万をはるかに超える、十二市町村が利用する、昼の
行政能力を持たない、これは非常に問題であると思います。
そうした昼と夜の乖離を埋める、そして
行政能力の向上を図るためには市町村合併が避けられないことだと思います。三千三百に分断するのではなくて、全国を約三百の経済ブロックに分けていく、そういう措置がなければ、広域
行政を名実ともに実現しなければ
地方の時代はやってこないと私は思います。こうした狭域行政、狭い地域の
行政にいつまでもとどまる限り、
地方の
行政能力というのは上がってこないと思います。
また、これは過疎対策にとっても必要なことであります。
地方の若者が小さな町や村からなぜ出ていくか。それは小さな
行政単位の中で、お祭りもいろいろな行事もすべて小さい村の単位、隣のあんちゃんはいつまでも隣のあんちゃんです。三十年、五十年たっても隣のあんちゃんはいつまでも変わることはない。若者はそういう閉鎖的な、固定的な人間関係を嫌って、そしてそのために出たくもない
東京や大阪へ脱出します。そういう若い者の心理というものを酌むためには、小さな
行政単位を広域化していくこと、広域化することによって固定的、閉鎖的な人間関係の風穴をあけてやることが、若者の地元定着にもプラスになるものと私は信じております。
二番目に、これは何度も言われていることでありますけれども、
地方への権限の移譲であります。
三番目に、現在六省庁によって進められております
地方拠点都市、こうしたものの重点的な整備が行われることを切望いたします。特に、十年間で四百三十兆円という公共投資計画、これの圧倒的な大半を
地方拠点都市の整備のために充てていただくならば、必ず
地方の時代、そして
地方の活性化を、
国会等の
移転をきっかけとして大きなうねりとなって進むものと信じております。
四番目、最後でありますけれども、
東京一極集中と同じようなことが四十七都道府県それぞれにおいて、今残念ながら起きつつあります。この
地方の
一極集中ということは、残念ながら
地方の問題とはなりにくく、しかし、静かに静かにそうしたそれぞれの
地方の県において県庁都市への
一極集中が進んでおる、こういうことは大変問題であります。こうした
地方の時代はあくまでもそうした県土全体をにらんだ、バランスのとれた、それぞれの都道府県の中で行われるべきではないかと思います。一刻も早くこうした
地方における
一極集中の実態調査が進められるべきではないかと思います。
以上、大変時間をオーバーいたしましたけれども、私の意見を述べさせていただきました。どうもありがとうございました。(拍手)