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1992-04-14 第123回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成四年四月十四日(火曜日)     午後三時四分開議 出席委員   委員長 村田敬次郎君    理事 谷川 和穗君 理事 山口 鶴男君    理事 渡辺 嘉藏君       塩谷  立君    高鳥  修君       谷  洋一君    原田昇左右君       細田 博之君    五十嵐広三君       木間  章君    渋谷  修君       中村 正男君    平田 米男君       金子 満広君    米沢  隆君  出席政府委員         内閣官房内閣内         政審議室長         兼内閣総理大臣         官房内政審議室         長       伊藤 博行君         国土庁長官官房         長       藤原 良一君         国土庁計画・調         整局長     田中 章介君         国土庁大都市圏         整備局長    西谷  剛君  委員外出席者         参  考  人         (島根出雲市         長)      岩國 哲人君         国会等移転に         関する特別委員         会調査室長   杉本 康人君     ――――――――――――― 委員の異動 四月十四日  辞任         補欠選任   杉浦 正健君     細田 博之君 同日  辞任         補欠選任   細田 博之君     杉浦 正健君     ――――――――――――― 三月十六日  国会等移転に関する陳情書  (第七〇号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  国会等移転に関する件      ―――――・―――――
  2. 村田敬次郎

    村田委員長 これより会議を開きます。  国会等移転に関する件について調査を進めます。  この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  本件調査のため、本日、参考人として島根出雲市長岩國哲人君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 村田敬次郎

    村田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
  4. 村田敬次郎

    村田委員長 この際、岩國参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございます。何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、議事の順序でございますが、最初に三十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、岩國参考人、お願いいたします。
  5. 岩國哲人

    岩國参考人 出雲市長の岩國でございます。  本日は、こうした大変貴重な時間に、浅学非才の身ではございますけれども、意見を述べさせていただく機会を得まして、大変光栄に存じております。  では、着席して意見を述べさせていただきます。  私もいろいろな場所でいろいろと意見を述べさせていただいておりますけれども、この国会等移転に関する問題、それはとりもなおさず東京一極集中の問題と深く関連している、このように認識しております。  その東京一極集中について、三年前までは私は経済界におりましたけれども、ことしの初め、一地方の市長の体験として、このようなことを書いております。  東京一極集中を是正するということは論外である。一地方の市長という私の経験からして、東京一極集中ほどすばらしいシステムはない。東京へ行きさえすれば、霞が関の一キロ四方で全部仕事が終わる。こういう効果的で便利なシステムはないと思います。  それに、ここだけの話でありますけれども、退屈な地方暮らし市町村長あるいは議員にとりまして、陳情のたびに上京して東京の空気を吸う機会が与えられているというのは、実に心楽しいことでもあります。東京に出ている息子さんや娘さんにも会う機会もありますし、うまいものも食べられる。こういう恩情システムは何としても残していただきたいと思います。したがって、文部省は仙台に、あるいは通産省は名古屋に、こういうのは最悪の事態であります。劣悪な生活条件に耐えて暮らされる東京住まいの官僚や公務員の皆さんにはまことに申しわけないことでありますけれども、地方市町村長及び地方議会議員のためには、ぜひとも東京一極集中は維持し続けていただきたい。  東京に活力あるものをすべて集中させているということは、「国破れて山河あり」という言葉がございますが、今、日本の現状は「国栄えて山河貧し」山河すなわち地方であります。「国栄えて地方貧し」という状態をつくり出していることでもあります。しかし、この地方東京との関係は、とりもなおさず地球上に存在する南北問題、貧しい南と富める北、この地球の南北問題を日本人にも身近に感じさせるという啓蒙的な役割も必ずや果たすに違いない。  そういった意味から、大学を地方移転する、つまり大学減反東京教育機関地方都市へ分散させるというのも考え物だと思います。東京に学生を集中させるということは、次の時代を担う青年たちに、難しい学問よりは人生を享楽する習慣を身につけさせることでもあります。その中から、将来、国際社会に貢献するような人材は生まれ出ない公算が大きいと思います。しかし、世界から重宝がられるミツグ君国家としての日本には、高邁な精神や学問的素養は、無用どころか、かえって邪魔というものであります。  こうした観点から、私は、東京一極集中についてこのようなことを書いております。しかし、もちろん私の本意はそういうことではございません。東京一極集中というものを是正してほしいという叫びは地方の声であります。  本日、私、三十分ばかり時間をいただきましたので、その中で次のような論点に従ってお話をさせていただきたいと思います。  まず最初に、一極集中の是正がなぜ必要かという私の認識であります。二番目に、国会移転をどのように評価しているか。三番目に、移転先についての私の考えてあります。四番目は、いわゆる東京問題はその後本当に解決するものかどうか。そして最後、五番目でありますけれども、いわゆる地方の問題というのはその後どうなるのか。そういう順序で話をさせていただきたいと思います。  まず最初に、一極集中の是正がなぜ必要かという認識であります。一極集中の是正は次の四つの理由から私は必要だと思っております。  まず一番に、災害の危険であります。いろいろな統計がございますけれども、日本の富の七〇%はこの東京集中しておる、あるいは日本人口の二六%が集中しておるこうした首都圏一都三県、三%に達しないような面積のところにこれだけの富と人口集中させるということは、大変危険なことであります。これは今までの参考人皆さんがるる述べておられますから詳しい点は省略させていただきますけれども、政治、行政、特に日本経済機能というものは、今世界経済取引にとって欠くべからざるものとなっております。  竹下大蔵大臣のときに、日本のお金から国境をなくそう、こういう金融の自由化を実行されましてから日本のお金は世界の通貨となり、そして、それまでロンドンで八時間、ニューヨークで八時間、東京にそういったマーケットができないときには二十四時間体制というのは構築されておらなかった。しかし、日本の円が自由化された結果として、世界の二十四時間体制というのは完成いたしました。ロンドンニューヨーク東京、次々と八時間ずつ、三、八、二十四時間、マージャンでいえば一気通貫、あるいはマネーシャトルとも言われておりますけれども、こうした二十四時間体制の八時間を担うのは東京であります。そうした点から、こういう経済機能が麻痺する、あるいは大変な障害を受ける。これは、世界に対する日本の責任として何としても避けなければならない。こうした大きなダメージは、日本のためだけではなくて、世界の諸国に大きな迷惑をかけることになりますから、ぜひともこの一極集中体制というのは避けねばならない。  二番目に、住環境劣悪化であります。これは、東京の場合には、毎年のように恒常的な水不足、電力不足が訴えられております。これ以上東京を膨張させることは、住環境劣悪化させることでもあります。人口を減らす、面積をふやす、これが必要であると思います。  次に、東京を中心として、新しい子供の出産率が低下しております。いわゆる一・五四ショックということが言われておりますけれども、こうしたものを分析いたしますと、地方の、面積の広い、あるいは人口密度の低いところほど出産率はまだ高とまりしておるという現象に注目していただきたいと思います。日本の四十七都道府県の中で、沖縄が出産率が一番高いところでありますけれども、本州の中では島根県が一番出産率が高いところであります。高齢者が一番多いのも島根県であります。高齢者が多くて、しかも出産率が高い、これは何を物語っているのか。それは、おじいちゃん、おばあちゃんが家にいるから安心して若い奥さんが子供を産む。島根県のお母さん方はそういう意味で非常に頑張っております、頑張っているのはだんなさんの方かもしれませんけれども。出産率が高いということは、おじいちゃん、おばあちゃん止すぐそばに住める。そして、面積が広いということは、家も広いところに住める。それは、裏返せば、東京出産率低下の原因でもあります。そうした東京過密人口、そうした住環境の悪化というものがこの出産率の低下につながっているというふうに思います。  三番目に、住環境劣悪化の三番目でございますけれども、いわゆる労働時間の短縮化ということが言われております。千八百時間という問題でありますけれども、日本の二千百時間と、諸外国、先進国の平均の千八百時間と比較しますと、三百時間、これにしても相当大きな差であります。しかし、これからは、労働時間という単純な統計だけではなくて、実質的拘束時間という概念が必要ではないかと思います。通勤に要する時間が三時間であれば、それは二千百時間ではなくて、二百五十日掛ける三時間、七百五十時間を追加して、二千八百五十時間というものが拘束時間として働くために失われておる。外国の場合には、千八百時間に、一日一時間の往復通勤時間としますと、二百五十時間を足して二千五十時間。労働時間の比較よりもはるかに大きな差というものが、この拘束時間というとらえ方をした場合に出てくる。  これはどこから出てくるか。これは、東京を中心とする都市生活者の悪い住環境、あるいは職場のために往復三時間を失わねばならないというところが出てきておりますから、いずれこうした労働時間の国際的比較というものは、あと数年すれば実質的拘束時間の比較というところへ必ずやってくると思います。そのときには、さらに日本は大変な努力を行政として政治としてやらなければならないわけでありますから、こうした東京問題というのは、一般労働者生活条件を向上させるという点からも必要であると思います。  次に、大きな問題の三番でありますけれども、一極集中をなぜ是正しなければならないかという点では、三番目に、地方の活力をそいでいるということであります。  人口も企業も、狭い日本の各地にバランスよく分散させるということが、地方の活力を維持させるということの上から必要であります。とりわけ、日本の伝統的な文化が今どこに残っているか。それは、東京よりも島根であり、大阪よりも熊本ではないか、そのように考えております。そうした日本の伝統的な文化を維持し、そのすそ野を支えているのは地方であるという認識に立ては、地方の活力がそがれているということは、とりもなおさず日本の伝統的な文化の枯渇になってきはしないか、そのように私は考えております。したがいまして、これからそうした富や人口、企業の地方への分散ということは、航空路、空の交通体系あるいは陸の交通体系がこれから着々と整備が進めば、これは十分可能なことであると思います。ぜひとも、こうした一極集中の原因というのが地方の活力をそいでいるという認識に立っていただきたいと思います。  出雲市は今月、木づくり世界最大ドーム球場を完成させます。鹿島建設の世界的な技術でこれは完成するわけでありますけれども、こうしたドームの建設の途中で、アメリカ技術者あるいは調査の人がよくやっておいでになります。私は、その名刺を一つ一ついただいてびっくりすることは、ニューヨークから来る人は一人もいないということであります。日本建設会社アメリカドームを建設するとしたら、技術陣、材料、これは恐らく東京の住所を持った名刺の人ばかりがアメリカに行くだろうと思います。アメリカから来る人は、カンザスの人、ミズーリの人、オレゴンの人というふうに、この出雲ドーム建設のときにはるばる日本へ来ながら、一人としてニューヨークの名刺を持った人はいないということであります。それだけ技術にしても、素材にしても、アメリカの場合、あの広いアメリカ各地に分散されておる。大変うらやましく思いました。私自身もヨーロッパに十一年、そして、アメリカには二年と三年と五年、三回合わせて十年住んでおりました。そして、ロンドン、パリ、ニューヨーク、そういう大都市に住んでみまして、日本のすべてが東京集中しているということについては、今振り返ってみても大変異常なことだなという実感に浸っております。  一極集中是正の四番目の理由、最後でございますけれども、こうした東京地方の問題は先ほど申し上げましたけれども、「国栄えて山河貧し」、私は、これが日本人の間における不公平感を増長させていると思います。豊かな東京というのを見過ぎる。そして、地方は実質的には経済的にはかなり豊かになっているにもかかわらず、心の中はいつも貧しい、貧しいと思わせるような仕組みというのは、この東京一極集中という現象を年がら年じゅう見させられている。そして、いつも地方は何かを奪われておるという被害者意識があります。こうした不公平感が豊かさを実感させない。豊かさの時代に入ろうというときに、経済力が充実しても、いつまでも生活実感として貧しい、ゆとりがないという意識に追われる一つの原因ではないかと思います。  次に、国会移転をどう評価するかということでございますけれども、最近、新聞で、ある一つの気になる記事が出ました。それは、二十階建てか三十階建ての議員会館を新しくつくろうという計画が発表されておりました。我々一般庶民といいますか大多数の国民からしますと、国会移転という決議を国会でされたにもかかわらず、新しい議員会館を今の議員会館のそばにつくろうということは、一体、国会移転を本気でなさろうと思っていらっしゃるのかなという戸惑いを感ずるわけであります。そうした二十階建て、三十階建ての議員会館を新しい移転先にこれから準備するんだということであれば、そういう説明がついておれば、国民は、なるほどいよいよ国会は移るんだなという感じになりますけれども、決議は決議だけれども、議員会館の立派なものをこれから十年計画、十五年計画でおつくりになるということは、どうもしばらくは国会は動きそうにない、こういう印象を受けてしまうのではないかと思います。こうした点についても、適切なそういう御説明をいただきたいと思います。  新聞等で私どもが知り得た知識によりますと、そうした政治機能行政機能というものは移転させる、そして、経済機能は残していくということでありますけれども、私は、大筋としてはもちろんそうあるべきだと思います。ただし、行政機関の中でも各省庁の持っております政策機能あるいは中枢機能と言われるものは新都に移るべきだと思いますけれども、地方との接点、地方へのサービス的な機能、機関、組織というものは東京に残しておくというのが現実的なやり方ではないかと思います。  すなわち、さらに一歩踏み込めば、地方への権限移譲、そういったことも組み合わせて、今の霞が関にあります中央諸官庁は、三分の一は新都に、三分の一は地方へのサービス機関の窓口として東京に残り、そして残りの三分の一は地方へ権限とともに人も移譲させる、そういう計画が現実的ではないかと思います。権限だけの移譲ではなく、地方行政能力をグレードアップするために、やはり権限の移譲というのは、現在中央の諸官庁にいらっしゃるベテランの行政マンというのを地方行政体に移譲していただく、それが必要ではないかと思います。  また、新都を建設するという場合には、当然ながら自然膨張を抑えるために転入制限というものを最初から設けるべきであると思います。百万なら百万、百五十万なら百五十万という適正人口というものを維持できるためには、自然膨張を抑えるために、最初から転入税を設けるなり、何らかの一つの基準でもって野放しの人口増加を防ぐということが、第二の東京問題を防ぐために必要ではないかと思います。  同時に、そうした国会移転あるいは行政機能移転に伴いまして、許認可条項をドラスチックに削減していただきたい。そうした膨大な許認可権限というものを持ったままで新都に行かれるということは、地方市町村長から見ますと、いろいろな陳情等に依然として東京にもあるいは新しいところにも行かなければならないということを意味しますから、地方市町村長、県知事も含めてでありますけれども、そうした新しい首都の方には行かなくても済むくらいにしっかりと許認可条項については減らしていただきたいと思います。  同時に、官庁情報行政情報というものが、地方にとってはもちろん、大企業にとって非常に重要な役割を今の日本では占めております。したがいまして、そうした情報を求めて民間企業も大挙して新都の方向へ移転することがなくて済むように、官庁情報はさらに情報公開を進めていただきたい、このように思います。  次に、移転先について、私はそうした専門家ではございませんけれども、こうした移転先というものを論ずるときには、常に、今までの新聞その他で発表されておりますいろいろな権威の方、専門家の方がおっしゃいますことは、表日本の都市ばかりが取り上げられておる。私は、この点について大変不満を覚えます。もともと歴史をひもとくまでもなく、かつての表日本日本海側でありました。今、表日本と呼ばれている地帯は文化果つるところ、何の文化もないところでありました。  出雲というのは、ある意味ではそうしたかつての日本文化の窓口であり、そして表日本の中心であったわけです。そうした日本海側を見直すということも、新しい視点としてぜひ検討していただきたいと思います。最近はすべて表という名前のつくものが活力があり、力が強い、経済力が強い、そういうのが通念、常識になっておりまして、裏という名前がついて力が強いのはお茶の世界だけてあります。それ以外はすべて表が強いということになっておりますが、現在、裏日本と呼ばれている中で、神話というものを引き出すのは大変古臭いことでありますけれども、もともと日本国会が置かれておったのは出雲であります。やおよろずの神々がお集まりになる、そして今でも議員会館がしっかり残っておるのです。二十階建てじゃありませんけれども、木づくりでしっかりとした、議員皆さんがお泊まりになる神々の宿というのが今でも残っておるのは出雲であります。  古来から、日本の首都というのは出雲から奈良に移り、奈良から京都に、京都から東京へと、次々と東へ東へと移動しております。限りなくアメリカに近くなってきたのが日本の首都の移動の形跡であります。これからはアジアの時代だ、日本海の時代だということであれば、これからの首都機能移転はさらに東へ行くということではなしに、もう東へ行けないくらいのところまで来ておりますから、これからの移動は、すべてあとう限り西へ西へと移動していただきたい。私は、出雲へと、それくらいのことを言いたいつもりでありますけれども、まず現実的に考えて、出雲へ行くまでに、これから二百年間は奈良、京都の中間の方がいいのではないかと私は思っております。思い切ってそうした、ロマンだけでこういうことを決定することはできませんけれども、二百年間は奈良と京都の中間に、それから二百年間は出雲へ帰る、限りなくこれからアジアに近い方に移動していく、そういうことは考えられないかと思います。  また、出雲というのは突拍子もないことでありますけれども、懇談会が発表されました「移転先地に求められる条件」、新首都移転先地には以下のような条件が求められる、六項目の条件がありますが、この条件、出雲はすべて満たしております用地震・火山による災害の危険の少ない地域である。二番目、急峻な地形がない、そのとおりであります。三番目、十分かつ安定的な水の供給を行える地域である。斐伊川の水がたっぷりでございます。四番目、均衡ある国土構造の実現のため、少なくとも東京圏は避けるべきである。東京から限りなく遠いところであります。交通の利便性にすぐれている。四往復のジェットが東京からも大阪からも飛んでおります。六番目、土地取得が容易であり、地価が比較的低廉である。一町歩一億円で求められるのは出雲であります。こうした観点から、裏日本というものもやはり検討すべきではないかと思います。  しかし、もっと近い現実ということを考えますと、私は、個人的な考えでありますけれども、以前から大宮の北、こうしたところに第二東京というものをつくり、そしてリニアで十五分か二十分で往復ができる、パリと同じ規模の同じようなきれいな町並みを持った、そこに国会行政機能を持っていく、そしてそこに、人口からいいますと百万から二百万の間——新しい都をつくるという以上は、六十万という規模ではこの東京問題の解決には役に立たないと思います。やはり百五十万から二百万の人口東京から吸い出すだけの機能、そして新しい都に文化施設レジャー施設、いわゆる町としての潤い、それは人口の集積が百万以上でないと、なかなかそこへ議員あるいは官僚の皆さんが住みつこうということになりにくいのではないかと思います。  もう一つの候補地としては、私は、長野県の諏訪市、茅野市、もう少し離れるのであればそういったところが一番適切ではないかというふうに思います。  大きな項目の四番目、いわゆる東京問題は国会等移転の後解決するか、これについて私の所感を申し上げます。  東京は今異常な状態にあるという認識に立ちますと、異常な事態に対しては異常な手段が必要だと思います。どういう異常な手段が必要か。二つあります。  一つは、人口転入制限を直ちにしくべきではないかと思います。転入してくる人には転入税を課するか、絶対的な例外的にしか認めないという転入制限。そして同時並行して転出奨励金、例えば百キロ出ていく人は一世帯につき百万円、千キロ遠くまで行く人は千万円、そういったような距離に比例した転出奨励金というものも導入すべきだと思います。言ってみれば、これは人口減反であります。地方の農業県、島根県のようなところは、血のにじむような苦しみを負いながら米の減反を一生懸命やっております。東京も余っているものがあれば減反していただきたい。それはまず人口であります。人口減反をどうやるか。それは、二〇%減らすというためには、こうした異例な措置も必要ではないかと思います。  二番目、大学の減反であります。米の減反にかえて、東京も余り過ぎる物、金、人を集め、そして東京は教育という名のもとに学生も集め過ぎております。世界先進国のどこに、こういう行政の中心に学生まで集めている国がありましょう。それは外国の例を見てもすぐわかります。イギリスのオックスフォード、ケンブリッジ、あるいはアメリカのプリンストン、エール、ハーバード、スタンフォード、すべて五万から一五万の地方の都市にあります。そういう生活環境教育環境の一番悪いところに日本の学生を集中させているということは、次の時代の日本を背負っていく優秀な人材はそこから出てくるでしょうか。私は、一刻も早く今の早稲田大学、慶応大学、東京大学、すべての大学について二割、三割の学生定員の減反を行い、その分は分校か、あるいは教養課程だけは地方で、そして専門課程になれば東京へ行くという形で、学生の総定員数を二〇ないし三〇%減らすという努力をすべきだと思います。官庁の移転よりも大企業の移転よりも、決断すれば一番やりやすいのはこの大学の減反であり、大学生の地方分散であります。  五番目、最後の問題でありますけれども、その前に、この大学減反については、言葉として少し乱暴なところはありますけれども、今東京地方の学生の問題というのは、地方の産業にとっても文化にとっても大変大きな影響を与えております。例えば東京には大学が百六校、短大が七十九校あります。これは八九年の数字でありますけれども、島根県は大学が二校、短大が一校しかありません。いずれも全国最下位がそれに近い。入学定員の差を考えますと、気が遠くなるほどの差であります。当然のように起こってくるのが若者の大量流出であります。  普通の県は二十二歳になったら人口が流出します。島根県は十八歳から人口流出が起きているのです。ほとんどの過疎県はこうであります。島根県では、大学、短大進学者三千人のうちの八五%は県の外へ出ていきます。特定大学へどうしても行きたいという学生も当然ありますけれども、多くは県内に収容力がなくて志望学部がないためであります。島根県ほどではないにしても、東北、山陰、四国、九州の過疎県は同じような状態にあります。かってこれらの地域は、高度成長期においても十五歳あるいは十八歳の若者を都会の労働力として送り出す人材供給県でありました。今は進学という名のもとに、再びそれが繰り返されております。高度成長期のときと異なるのは、今は子供が二人程度しかいないということであります。もし彼らがそのまま都会で就職すれば、地方には親と年寄りしか残らないのです。  一九五〇年から一九八〇年に至る神武、岩戸、イザナギ景気の時代に地方各県から若者を奪っていった主役は産業界でありました。今や、東京その他のごく少数の大都市にある大学が過疎の新しい主役となっております。産業界から大学へ、通産省から文部省へと地方過疎化の主役は交代し、地方の高齢化はますます加速されております。全人口に占める六十五歳以上の比率を見ますと、島根県は、八五年の国勢調査ですと一五%、現在では一七%を超えまして、二〇〇〇年には二二%に達すると見られております。  断っておきますけれども、私は、進学者の一〇〇%を島根県にとどめよと言っているのではなくて、県内に大学、短大があって、志望学部、学科があれば県内にとどまりたいという人については、その意向がかなえられるように環境を改善すべきだと申し上げたいわけであります。  また、この教育過疎というのは多額の教育赤字を地方にもたらしております。都会への進学に伴って生ずるもう一つの現象は、仕送りという形でのお金の流出であります。私は、これを「教育赤字」と呼んでおりますが、地域経済にとって軽視できない額になります。  島根県の例でまた申し上げます。大学、短大、専門学校を合わせた県外進学者は、一学年で約三千五百人、在学年数を平均三年とすれば一万人強であります。これに一人当たりの仕送り額を年間百五十万円として掛けますと、毎年百五十億円以上が教育赤字として島根県の外へ出ていっております。山陰で一番の穀倉地帯であります出雲平野を有する出雲市の生産農業所得は九十億円ですから、教育赤字の額の大きさがいかに大きいかおわかりだろうと思います。仮に、県内に大学、短大を新たにつくられて全国平均並みの県内残留率を達成したとしますと、教育赤字は半分以下に減少します。親の負担もそれだけ軽くなります。しかし、現在は、県内の大学、短大の収容能力が低いために選択の幅も狭い、多くの学生はいや応なく出ていかざるを得ない。親は都会に比べてはるかに少ない収入、島根県の平均収入は東京の五五%、全国平均の八〇%であります。そういう低い収入の中から多額の教育赤字を出さねばならぬ。ただでさえ小さい地域経済のパイは、このようにしてさらに小さくなっていきます。残念ですが、これは現実であります。  もう一つ大事な点は、地方ほど進学率が低いということであります。これは、大学が少ないからであります。大学進学率一位の東京と最下位の青森とでは実に二倍以上の開きがあります。青森だけでなく、過疎県と言われるところは全部低いわけであります。  同時にこれは、地方の産業近代化にも大きな障害となっております。大学のあるところとないところで差がつくのが産業面であります。大学のない地域、特に工学系のない地域は産業の近代化がどうしても立ちおくれてしまいます。島根県では、島根大学の工学部増設を望む声が産業界を中心に非常に根強くあります。島根県の産業近代化、中でも製造業の近代化が著しく立ちおくれている主な要因としては、工科系の大学がなく、県内企業に優秀な若手技術者の供給が乏しいことが挙げられます。  例えば隣の鳥取県と島根県を比較してみるとこれはよくわかります。鳥取県は人口約六十万人、島根県は約八十万人、島根県が約二十万人多い。しかし、大学に工学部がある鳥取県の工業出荷額は八千億円であるのに対して、工学部のない島根県の工業出荷額は、人口が三〇%多いにもかかわらず七千七百億円、差は明らかであります。一刻も早く、こうした教育減反というものを実行していただきたいと思います。  最後の問題でございますけれども、地方の問題について四点申し上げたいと思います。  まず一つは、これからの地方の問題というのは、国会等移転あるいは東京一極集中という対策をとられても、とられたら解決するかという問題であります。私は、それにしてもまだ問題は残る。四点申し上げます。  一つは、地方への権限移譲あるいは大学の分散等々が整備されましても、残る一つの問題は、行政能力が低いということであります。これは、職員の一人一人の質が悪いということではなくて、三千三百という小さな市町村に分かれておる現状においては、行政規模が小さ過ぎて行政能力がどうしてもグレードアップしない。そうした点から、例えば出雲市、松江市等をとりますと、道がよくなれば、おかげさまで現に大変道はよくなってきておりますが、ますます出雲市を中心とする周りの市町村と一体的な経済圏、生活圏、利用圏が形成されております。  出雲市の夜の人口は八万三千、昼の人口は十万をはるかに超えております。出雲市へ勉強に来る人、仕事に来る人、遊びに来る人、買い物に来る人、昼の人口と夜の人口の乖離、これはミニ丸の内現象でありますけれども、この現象は地方の都市にもどんどん広がっております。それは、道がよくなれば、そして皆さんが車を持てば、この現象は当然、広い経済圏、生活圏、利用圏が形成されつつありますしかるに、行政能力は小さく小さく分断されたままであります。夜の人口のための行政能力しか持てない、行政権限しか持てない市庁、昼の出雲市、十万をはるかに超える、十二市町村が利用する、昼の行政能力を持たない、これは非常に問題であると思います。  そうした昼と夜の乖離を埋める、そして行政能力の向上を図るためには市町村合併が避けられないことだと思います。三千三百に分断するのではなくて、全国を約三百の経済ブロックに分けていく、そういう措置がなければ、広域行政を名実ともに実現しなければ地方の時代はやってこないと私は思います。こうした狭域行政、狭い地域の行政にいつまでもとどまる限り、地方行政能力というのは上がってこないと思います。  また、これは過疎対策にとっても必要なことであります。地方の若者が小さな町や村からなぜ出ていくか。それは小さな行政単位の中で、お祭りもいろいろな行事もすべて小さい村の単位、隣のあんちゃんはいつまでも隣のあんちゃんです。三十年、五十年たっても隣のあんちゃんはいつまでも変わることはない。若者はそういう閉鎖的な、固定的な人間関係を嫌って、そしてそのために出たくもない東京や大阪へ脱出します。そういう若い者の心理というものを酌むためには、小さな行政単位を広域化していくこと、広域化することによって固定的、閉鎖的な人間関係の風穴をあけてやることが、若者の地元定着にもプラスになるものと私は信じております。  二番目に、これは何度も言われていることでありますけれども、地方への権限の移譲であります。  三番目に、現在六省庁によって進められております地方拠点都市、こうしたものの重点的な整備が行われることを切望いたします。特に、十年間で四百三十兆円という公共投資計画、これの圧倒的な大半を地方拠点都市の整備のために充てていただくならば、必ず地方の時代、そして地方の活性化を、国会等移転をきっかけとして大きなうねりとなって進むものと信じております。  四番目、最後でありますけれども、東京一極集中と同じようなことが四十七都道府県それぞれにおいて、今残念ながら起きつつあります。この地方一極集中ということは、残念ながら地方の問題とはなりにくく、しかし、静かに静かにそうしたそれぞれの地方の県において県庁都市への一極集中が進んでおる、こういうことは大変問題であります。こうした地方の時代はあくまでもそうした県土全体をにらんだ、バランスのとれた、それぞれの都道府県の中で行われるべきではないかと思います。一刻も早くこうした地方における一極集中の実態調査が進められるべきではないかと思います。  以上、大変時間をオーバーいたしましたけれども、私の意見を述べさせていただきました。どうもありがとうございました。(拍手)
  6. 村田敬次郎

    村田委員長 ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。     —————————————
  7. 村田敬次郎

    村田委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。  御発言は、委員長の許可を得てお願いいたします。
  8. 山口鶴男

    ○山口(鶴)委員 どうも御苦労さまです。  岩國さんは行革審の豊かなくらし部会の専門委員もしていただいておるわけですが、今お話を聞きまして、国会移転する、行政組織も当然ついて移転をする、ただしその場合、現状の中央官庁が持っております職務権限、特に財源、それから許認可権限というものをそのままにして移転をするということであってはならない、国会移転する場合に、行政組織の中枢的な部分の三分の一が一緒に行くことは当然ではないか、しかし少なくとも三分の一は地方権限移譲すべきではないか、こうおっしゃられたわけです。今豊かなくらし部会でその問題についても御議論されていると思うのですが、私ども、この専門委員の方々の顔ぶれを見ますと、どうも岩國さんみたいな方ばかりではなくて、各官庁の事務次官などをやったOBの皆さん方が専門委員の半数以上を占めておられる。そういう中で、豊かなくらし部会で多分岩國さんなどは、地方権限移譲しようという御意見をお出しになっておられるのだろうと思うのですが、なかなかそれがスムーズに進行していないという点は非常に残念なことだ、私はこう思っております。私の認識のとおりであるのか、現在の豊かなくらし部会の状況について、特に今強調された地方への権限移譲の問題に関連してお考えがあるならば、この際、お示しいただければありがたいと存じます。  それから二つ目は、大学減反のことをおっしゃられたわけですが、確かに御卓見だと思って拝聴いたしました。ただ、大学の場合は、国立大学ばかりではなくて私立の大学というのが非常に多いわけですね。しかも、率直に言って、私立の大学の有力な大学東京集中しておられるという状況だと思うのです。私立大学だものですから、もちろん大学につきましては、私学助成で経費の三分の一近くをたしか国は出していると思います。だったら、そういう面から、ある程度減反について協力できないかという話はできると思うのですが、やはり国立大学と違ってなかなか難しい点があるのではないだろうかと思います。そういった国立大学があり、私立大学がありという状況の中で減反に取り組まれるとすれば、どういうところから手をつけたらいいのか、この点についてもお考えがあればお示しいただきたいと存じます。  以上、二点です。
  9. 岩國哲人

    岩國参考人 まず最初に、行革審の問題でありますけれども、私は今、世界の中の日本部会、いわゆる世界部会と豊かなくらし部会の二つに籍を置きまして、豊かなくらし部会の中では、地方への権限移譲に関する特別委員会の委員も務めさせていただいております。田舎の市長をしておりますと、必ず出席ということはなかなか難しくて、欠席も多うございまして、大変残念に思っております。  こうした地方への権限移譲そして縦割り行政是正、そういったものが常に世界部会でも、あるいは豊かなくらし部会でも出てきますと、山口先生の御指摘のとおり、既得権益を守ろうとされる立場、あるいはそれぞれの方が、意志的にというよりも自然にそういったものが備わっておられる方が非常に多いときには、やはり全体の空気としては、非常に慎重に、あるいは消極的になられるわけでありますから、したがって、国民皆さんから期待されているほどの積極的な、思い切った、改革の名にふさわしい案がなかなか出てきにくいのは、やはりそうした行革審の構成委員の点にも問題があると思います。失礼な言い方をすれば、行革審自体の行革が必要ではないかというふうな感じさえ持つことはございます。  次に、第二点に学校の問題でありますけれども——その第二点の前に、私は、そうした地方への権限移譲について先ほど申し述べました意見一つ忘れましたのは、やはり日本がこれからも民主主義の国家として発展していくのだということであれば、民主主義の根、民主主義の一番最適の学校は地方行政地方政治だと私は思います。地方政治こそ国民が、住民が、市民が一番身近に感じる場所であり、そして地方こそ自分たちが本当に行政に、政治に参画しているという実感を与えるところであります。にもかかわらず、昼と夜の乖離というものが、今、地方のそういう感覚というものを失わせつつあります。実際に目で見るのは大きな出雲市、しかし自分たちが実際に行政あるいは議会の選挙をやっているのは小さな出雲市。したがって、一刻も早く、そうした広域圏というものが実態として既に形成されているのであれば、私は、議会選挙も、それぞれの広域圏というのは、それぞれの議会が議員を広域組合に送り込むのではなくて、広域行政をやるための広域議会、住民一人一人が、そういう広域圏が今形成されておるんだという認識の上に立っての選挙が行われるならば、本当に住民と広域圏行政というのは結びついていく、そしてそこに地方自治のおもしろさがあり、やりがいが出てくるものだと思います。  次に御質問の大学の問題についてでありますけれども、確かに私学というものについては、文部省あるいは国というものには直接権限はない。しかし、三分の一のそういった助成金というのがあれば、その助成金というものを一つの武器にすることによって、例えばそうした大学に対して定員の地方分散計画というものを出させる、そしてそういう形でもって指導していくことが必要ではないかと思います。こうした一極集中是正ということが国にとって大変大事なテーマになっているときに、たとえ私学といえども、それに協力するのは当然であろうと私は思います。また、そういう協力の精神のないような大学で勉強する、育成されるような若い人は、将来、人材として必要でない人材だと私は思っております。  桂文珍という落語家の方がいらっしゃいます。私はあるところで対談をいたしました。そして同じようにこの大学減反の話をしておりましたら、桂文珍さんはこういうことを言われました。岩國さん、その案はすばらしい、それに最適の大学がある、どこですか、早稲田大学というところだと。字を書いてみると、確かに減反にふさわしいような名前だ。私はそんな失礼なことは一遍も言ったことはありません。しかし、桂文珍さんも冗談でおっしゃったわけでありますけれども、とにかく早稲田大学日本大学、慶応大学、そうした私学の優秀なところが一刻も早く、日本のそうした地方への分散、そして一極集中是正という大きなテーマに沿って、国の助言を得ながら、また財政的措置も受けながら地方への学生分散、分校という形でもいいし、最初の二年間を松江市で、そして後の二年間を東京でといったようなやり方もあり得ようと思います、そうした学生地方分散計画というものを一刻も早く策定すべきじゃないか、そのように思っております。  以上であります。
  10. 山口鶴男

    ○山口(鶴)委員 いま一つ、関連してですけれども、結局、今行革審でやっておられても、地方への権限移譲という問題が非常に難しい。御指摘のとおりだろうと思うのです。  私どもの考えは、やはり国会移転、そして行政機能移転というドラスチックなことをやれば、今なかなか難しい地方への権限移譲をそういった意味で促進するという一つのよさがあるのではないか。やはり何かそういった一つの、蛮勇を振るうということじゃありませんけれども、ドラスチックなことをある程度進めることがよりいい方向へ持っていく契機にもなるのじゃないかというような気持ちもあるわけですが、その点に対するお考えが一つ。  それから、三百ぐらいの広域地域ということをおっしゃいました。確かに昼間人口、夜間人口、そういう中で広域的なものを一つの自治体にしていった方が効果的ではないかというお考えはわからぬでもないのですが、ただ、そうなりました場合、今四十七あります府県というものを一体どうするのか。結局、全国に今三千三百の市町村があり、四十その都道府県があるということになっておりますが、基礎的自治体である市町村が三百というような方向に行きました場合、都道府県の役割というものをどうお考えか、その点を最後に承っておきたいと思います。
  11. 岩國哲人

    岩國参考人 まず最初の御質問でありますけれども、国会移転は確かにそうした国民意識を変え、そして行政権限あるいは政治機能移転あるいは分散といった動きを加速させる大きなきっかけになるという点については、私も全く同感であります。特に国会日本の大事な施策がいろいろと論じられておりますけれども、そうした中で国会自身が、国会議員みずからが隗より始めよという決意を示していただく、これは単なる経済的な効用ということではなくて、政治家としての姿勢を示していただくという点から、私は、大変意味のあることだと思います。  二番目に、県の役割についてでありますけれども、これはつい最近まで島根県知事をしておられました恒松教授はこういうことをおっしゃっておりました。私も大体同感でありますけれども。今後地方が充実し、そして広域行政が行われていった場合に、恐らく県の基礎的自治体としての役割は消滅する方向で行くのではないかと思います。そして県同士の、府県連合、道州制、いろんな考え方はありますけれども、中国地方なら中国地方五県全体をにらんだような広域行政日本全部が、八つあるいは十カ所ぐらいの大きな道州制なり広域圏が形成され、県の持っている機能の上半分はそういった広域、道州制の方に移管し、そして県が持っている下半分の方は基礎的自治体の方に移譲し、そうすることによって国、県、基礎的自治体という三層構造を二重構造に近づけていくことではないか、そのように思います、これは時間のかかることでありますけれども。私も十分勉強したわけではありませんけれども、例えば中国へ行きますと、県と市の関係というのは、市の方が大きくて県というのは周りの農村地帯、ちょうど日本の郡のような感じが県というふうに呼ばれております。  したがいまして、基礎的自治体、地方拠点都市が形成された暁は、恐らく県は限りなく、こうした基礎的自治体にすぐには入り切れないようなところを十分束ねて、そういうところを面倒見ていく、そういう形でもってまた役割が残るだろうと思います。あるいは将来的に道がよくなり、そして生活圏が完全に三百の基礎的自治体でもって全部埋まるという場合には、県はそうした府県連合あるいは道州制の方にその機能が移っていくべきではないか、そのように考えております。
  12. 原田昇左右

    ○原田(昇)委員 大変有益なお話をいただいて、大変ありがとうございます。私は、文化の果てる方の表日本でありますが、二、三御質問させていただきます。  まず、この前、企画庁でしたか、各県単位で生活のよさをあらわす指標を出したのがありましたが、東京とか大阪はうんと低くなって、山梨県とか、恐らく出雲のある島根県なんかはいい方に出ておるのではないか。実態として、確かに我々地方にいて感ずるのですが、水はいいし、空気はいいし、家も広いし、そして車も二台も三台もある、そして庭いじりもできるし、こういうところで住んだ方がいいに決まっていると思うんですね。東京で小さい家に住んで、高い家賃を払って、物すごい満員電車で通勤しな号やならない、それに比べれば確かにいい。  しかし、なぜいいにかかわらず東京にまだ依然として人口集中してくるのかというと、結局職がある。職の選択ができ、職場の選択ができる。それと、おっしゃるとおり、教育機会がある。そして、もう一つは、やっぱり遊びがあるとか、文化がある、こういうことだと思うんですね。やっぱり一番大事なのは、職場の選択ができるように地方にビジネスを持ってくるということは、大変大事じゃないかと思います。それからおっしゃるとおり、全く私も同感ですが、大学地方に分散する、これは大変大事なことだと思うのですが、この点について。  それから、文化とか遊びの問題ですね。最近は、学生大学へ行けば総合レジャーランドに行くような話だということになって、勉強するよりは、講義はほとんど聞きに行かなくて遊びに行っちゃうというのが主なんですが、こういうことで高等教育が本当にいいかどうかというのは確かに別問題としてありますけれども、やはりそれだけ遊ぶのにいい。  そして、最近の傾向として、個性化傾向というか、単身で生活する。独身貴族というか、女性も二十代後半でもほとんど結婚しないでいく人が都会ではかなり多いですね。そういうことが傾向として出てきておるところが出生率の低下につながるのじゃないかと思うのです。沖縄、島根が出生率が高いという。これから逆に言うと、最近の傾向からかなりおくれているという指標にもとられかねないわけですね。それでいいのかというと、やはりこの問題は、確かに出生率が低下している、そうするとどうしたらいいのかということがあるのではないかと思うんですね。まず、この点についてお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  13. 岩國哲人

    岩國参考人 ただいまの原田先生の御質問にお答えしたいと思います。  確かに島根県は、全国でたしか五番目か六番目だったと思います、島根県人さえ、あっと驚くようないい点がついておりました。地方におりますと、自分たちのよさというのはなかなか見えないということもございます。しかし、御指摘のとおり、そうしたいい点数がつきながら、島根島根へと東京人が向かってくるという気配は今のところまた見えてこないわけであります、大変残念なことでありますけれども。  確かに島根県へ行きますと、職業の選択の自由が非常に限られてくる。特に奥さんの働き先が非常に限られてくる。したがって、だんなさんは島根へ帰りたい。あるいは島根へ移ろうと思っても、奥さんの方が、島根なんかに行ったら自分のパート先がなかなかないんじゃないかと、そういう先入観があって、なかなかおいでいただけない。あわせて、要するに職業の選択の自由がないというのは御指摘のとおりであります。さらに子供のことを考えると、やはり東京に置いた方が東京大学へ行きやすいのではないか、こういう気持ちもおありだろうと思います。  三番目に御指摘いただきました遊び、文化。これは人口十万とか十三万ではこういう文化施設レジャー施設というのはなかなかつくりにくいものでありまして、どうしても人口が三十万ぐらいにならないと、少なくとも今東京にいる人たちの嗜好を満足させるような文化レジャー施設がつくりにくいと思います。ですから、こうした広域圏行政をやり、そして人口の集積を、二十万あるいは三十万の拠点都市というものをつくっていくことは、東京の人から見てもまあまあ合格点をいただけるような文化レジャー施設がつくれる最低単位として、私は、やはり三十万というのは考えられると思います。  もう一つ、御指摘はございませんでしたけれども、東京大学教授も学生もなかなか地方に行こうとしないのは、アルバイト先がないということなのです。大学の先生たちも、東京を離れるとアルバイト先がない。アルバイトのために大学教授というポストが必要である。島根県へ行けばアルバイト先がない。それは、東京の高い生活費を維持するためにはどうしてもアルバイトをしなきゃいかぬ。島根県へ行けばアルバイトをされなくてもいいわけでありますけれども、アルバイト先がない。片や学生もまた、東京にいるとアルバイト先があるから東京を離れないわけであります。何ということはない、先生も生徒もアルバイト口のために東京に残っている、こういう嘆かわしい現象はいつまでも残っているんじゃないかと思います。しかし、こういう若者におもねったような行政といいますか政治というのは、私はやめるべきだと思います。若者が東京に行きたがるから東京に施設をつくる、若者が東京に行きたがるから大学をつくってやる、大学をつくるからまた若者が地方からやってくる、これの繰り返しで日本はやってきたのじゃないか。今こそギアを入れかえる、若者におもねる行政というのはやめるんだ、これから若者にはしっかりと地方で勉強してももう、そういう姿勢を出すべきではないかと思います。  もう一つ、住宅環境という問題もあります。例えば長男夫婦がUターンをして田舎へ帰る。そのときに一つのためらいというのは、帰っていくと、おじいちゃん、おばあちゃんとまた一緒に住まなければいかぬ。決しておじいちゃん、おばあちゃんを嫌っているわけじゃないのですけれども、やはり年寄りの生活感覚と自分たちの生活感覚は違います。夜遅く帰ってくるとおばあちゃんが、おまえ、またきょうも飲んできたかと、こういうふうな質問をされる。だれと飲んでおったか、だれから電話がかかってきた、こういうことを年寄りから聞かれるのが嫌だから、どうしても別居したい。しかし別居すると地方では何か親不孝しているような目で見られる。だから、そういうためらいがあるのです。ですから出雲市の場合、自慢しているわけじゃありませんけれども、こうした若い人たちの気持ちをとらえてワンルームマンションというのを、出雲市が主体となって、農地を持っている人と企業との縁組みをやっております。ワンルームマンションというのは、社宅というとまた会社によって管理されますけれども、できるだけ異業種の会社同士でもってマンションを全部契約していただく、空き室が出ないように出雲市が全部責任を持って、建てた人には保証する、そういう形で実行しましたところ、大変反響がありました。企業の方からも、特に若い人の方からも非常に好感されました。つまり、目と鼻の先のあの辺で、自分の会社はワンルームマンションがあるから、お父ちゃん、あそこへ住むよと堂々と別居ができる。そして、東京へ行かなくても、大阪へ行かなくても、出雲にいながら都会的な生活、若者らしいプライバシーを持ちながら、女性から電話がかかってきてもだれからも文句が言われない、そういう若い者としての生活を楽しみながら、ある時期には恐らくまたおじいちゃん、おばあちゃんのところへ帰っていくでしょう。そういう、地方における若い人のためのきめの細かい住宅政策というものがあれば、地元の若者は残る。そしてUターンの人にも、都会生活の経験を持った人にはそれにふさわしいような住環境整備してやる。  そういうことさえあれば、御指摘の職業選択の自由というのは、時間はかかりますけれども、企業誘致というものは、これから道がよくなる、あるいは中央の諸官庁のいろいろな御指導、御援助をいただいて徐々に進んでまいりますから、いずれはそういう時期が来ると思います。  以上であります。
  14. 原田昇左右

    ○原田(昇)委員 今のお話にありましたのはまことにごもっともで、特に出雲市がおやりになったワンルームマンションというのは、非常におもしろい制度だと思うのです。これは、私は非常に参考になりました。特に、今お話にもありましたが、地方にいると、おばあちゃんおじいちゃんが孫の面倒を見てくれるというので、孫が健やかに育つというのは非常にいいのですけれども、反面、嫁としゅうとの関係があるとか、同じところで若者がいろいろな制約をされる。そういうようなことで、今、都会の若者たちはプライバシーが非常に守られて、ワンルームマンションとか個室でいけるのにというところが非常にあるのです。これはどっちがいいとかいうことじゃなくて、時代の推移からいうと、今まで育児を家庭でやっておったのが、最近は、育児休暇をとらなければどうも育児ができない。こういうことにだんだんコストがかかるように、家庭で占めておったコストが全部外生化してくるというような形に今都会ではなりつつあるのです。これが地方との違いだと思うのですけれども、この辺の解決を、今のような話を伺いまして、非常におもしろい、積極的な御提言だなと私は思います。  それからもう一つお伺いしたいのは、地方から見られて、国会移転し、行政機関移転する場合、初めにジョークでおっしゃったのですが、今の霞が関は大変便利だ、一・五平方キロの中で全部用事が済んでしまって、おまけに勉強に来ている息子たちとも話ができるということを言われましたけれども、移転した場合、そういうことについては逆に物すごく不便になるんですね。もちろん権限移譲とかいうこともやらなければなりませんが、地方から見られて、機能の面でいかがなものでしょうか。その辺はどういう解決をしていったらいいのか。
  15. 岩國哲人

    岩國参考人 一番最初に、私が、そういうジョークといいますか反語で申し上げたわけでありますけれども、今の制度は制度で確かにそういう効用もあるといったような感じで申し上げたわけであります。そうした東京文化に接したいという場合には、空も陸もいろいろございますから、家族ぐるみでまた別な観点から東京の生活に、あるいは息子さん、娘さんが大学におれば、この数もだんだんこれから減らすべきだということを私は申し上げているわけでありますけれども、そうした東京役割は依然として残るのではないかと思います。  ただ、諏訪の方へ行くか、あるいは大宮の方か、どこか私はわかりませんけれども、新しい移転先に行くということは、確かに今の交通体系からいうと不便になることは間違いないと思います。そしてまた、その不便さは必要な不便さではないかと思います。便利だからまた新しいところへ行くというのでは、東京の二の舞を繰り返させることでありますから、変な言い方でありますけれども、ある程度の必要な不便さというものは残すべきではないかな、今の東京と同じような便利さを新しい首都に持っていく必要は全くないのではないか、そのように思っております。
  16. 原田昇左右

    ○原田(昇)委員 最後にお伺いしたいのですが、岩國さんはアメリカで事業もおやりになって非常にお詳しいと思いますが、最近、ビジネスの本社がニューヨークから地方にどんどん移転しているという現象があるんですね。これは、東京からビジネスの本社を地方移転する上で私ども非常に参考になると思うのですが、アメリカの場合、かなり大きい企業、いろいろな業種がニューヨークからかなり撤退しておる原因はどういうところにあるのでしょうか。
  17. 岩國哲人

    岩國参考人 最近十年間の統計とりましても、世界の先進各国の中で、イギリス、フランス、アメリカいずれも、それぞれ首都と言われるところ、アメリカニューヨーク首都ではありませんけれども、ニューヨークをとらえた場合、行政中心都市から大企業が撤退の方向にあります。その中でだった一つ日本だけがこの十年間に逆に、むしろ東京に本社を置く会社がふえてきたという結果が出ております。  その原因としてはいろいろあろうかと思いますけれども、アメリカの場合には、ブラックマンデーと言われるあの四年前、その辺のころから端を発しまして、企業収益が非常に低下してきた。したがって、本社の維持コストというものにどうしても手をつけざるを得ない。そういったことから次々と日本企業に本社ビルを売って、そして郊外に移転する、そういう会社も出てまいりました。  二番目の理由は、アメリカの場合には、地方へ行っても職業選択の自由は十分にあるわけです。それは、行政がそれを保障しているということではなくて、一つの慣習として、風土として、会社をかわることに対して恥ずかしいとか、あるいは社会的制裁を受けるとか、そういうところはございません。社会的制裁というのは大変きつい言葉でございますけれども、日本はまだまだ、地方都市へ行きますと、別の会社へ移ろうと思ってもなかなか移れない。そういうことでもって社員が非常にそれを忌避する。東京にいるからこそ、万一のときには会社をかわろうと思えばかわれるのだ、そういうことが一つの大きな原因になっているのではないかと思います。  三番目には、日本人特有の一つの見えといいますか、東京に本社がないと何となく、この会社はおかしいのではないか、東京に本社も持てないような会社なのか、こういう感じがあります。私は最初に、ニューヨーク名刺を持ってくる人はいないということに非常にびっくりしたということを言いましたけれども、日本地方に行きますと、鹿児島県に行っても、島根県に行っても、名刺を見たときに、東京に本社があると何となく安心して、その会社の人のことは信用するという点がまだ日本人の間には残っておりまして、そういう点もなかなか一朝一夕には変わりにくい点ではないかと思います。  大変つたない答弁でございますけれども、以上であります。
  18. 渡辺嘉藏

    ○渡辺(嘉)委員 私は岐阜ですが、まず第一に承りたいのは、大学減反、これは、私は前から叫んでいるといいますか、考えているのですが、今聞いておりまして、私学から移せというのはむしろ逆だと思うのです。官学から移すべきだと思う。東京大学も、支配的な今の行財政における構造で、東京にあるから大事にするのであって、東京から移しちゃうんです。岐阜でもいいです、長野でも出雲でもいいから、東京から移しちゃうんですよ。私は、官学からまず移すべきだと思う。このことが必要です。それから、私学を移すときには一定の助成措置をやって移す。この大学移転というのは国会移転なんかより一番手っ取り早いことです。まずこのことが先決。すると仕送りも地方に行くわけです。  それから第二には、政治行政と経済とが分かれる、こういう構想についてもう少し明確に承っておきます。これは副産物もあると私は思うのです。なぜかというと、経済は東京に残る、行財政は地方に行ってしまいますと、企業との癒着が少なくなりますしょっちゅう会うというわけにはいきませんので、政界の汚職も防止できるのではないか、このようなことも考えている。そこで、じゃ経済だけ残った場合にどういうふうにやらせるのがいいか、政治、経済と密接な関係もありますから、これをどういうふうにやるべきか、いかにあるべきかということもお伺いしたい。  それから、これも私の持論なんですが、今の世界の三極構造、これはちょっと国会移転と離れますけれども、先生がおっしゃったことは、私も同感であります。この八時間体制で、三極構造で今地球は回っている。ただし、ここで問題は、ロンドンニューヨーク東京も北半球にあるということなんです。南にないのです。だから南北問題が起こる。だからアメリカは、南のアメリカの方にもっと力を入れる。そこで、経済、文化、環境を含めた一つの経済文化圏をつくる。日本アジアで、もっと南の方を含めて、そしてECは、今度ロシアも入るかもしれませんが、アフリカも含めて考えなければいけない。こういういわゆる世界の三極構造について、どういうふうな仕様書がいいのか。そして、南北問題を解決して、格差を解消していかなければならない。そういう点についてもついでにひとつ教えていただきたい。
  19. 岩國哲人

    岩國参考人 まず最初の御質問であります、私学よりも官学から始めるべきではないかということ、その点は、私もそのとおりだと思います。したがいまして、私が先ほど意見を申し上げましたときも、東京大学という名前も入れております。ただし、東京大学東京にあるから東京大学であって、岐阜へ行きますと名前を変えなければならない。そういう問題があるのではないかと思いますから、やはり東京大学も定員削減あるいは分校という形でもって、官も私学も共同して、どっちが先というよりも両方とも、とにかく一緒にできるところから、官だろうと私だろうとやるべきだ。何も、官学が先にやらないと私学はまだやりませんよという順序は問題ではなくて、とにかく大学という名のつくところは一斉に地方分散計画を出させる、そういう覚悟は必要ではないかと思います。  それから二番目の問題でありますけれども、政治行政機能新都に移り、経済が残った場合には、どういう問題が起きるだろうか。現在の東京の中に大企業が全部今と同じように残って、しっかりと経済機能あるいは国際的な役割も果たしていける、私は、それはできると思います。ただし、三つの条件があります。  一つは、新都への大企業転入制限。新しいところに本社を設けさせないということを二十年間ぐらい、床屋さんとかラーメン屋さんとか、これは必要なところはあれですけれども、必ずしも新都へ移す必要のない大企業については転入制限を設けるということ。二番目に、先ほど申し上げました行政情報官庁情報というのは大企業にとって非常に必要なものが多うございますから、新しいところに行かなくても、今の東京でも十分手に入る、そういう行政情報の公開を抜本的に向上するということ。三番目は、新都へ行かなくても許認可が得られる、あるいは得なくても済むという許認可権限を大幅に削減するということ。  この三つがそろえば、今の東京日本の大企業は十分にやっていけるはずであります。あるいは、東京からさえも移転することはこれから自由になるのではないか、そのように思います。  三番目に、地球的な観点からの御質問をいただきました。  確かに御指摘のとおり、ロンドンニューヨークそれから東京ロンドンの八時間、ロンドンの夕方はニューヨークの朝につながり、ニューヨークの夕方は東京の朝につながり、そして東京の八時間を行って東京の夕方はロンドンの朝につながる、こういう理想的なマネーシャトル、二十四時間体制というものができたわけであります。そして、恐らく当分は、この体制というものに対する、あるいはこの体制に脅威を与えるような新しい路線というのはつくられにくいというふうに私は思っております。  なぜかと申しますと、南半球の方でこうしたロンドンに相当し、東京に相当し、ニューヨークに相当するような人的資源が非常に乏しいということであります。南アメリカあるいはアフリカあるいは今の東南アジアにおきましては、今の情報化社会を支えていくだけの教育程度といいますか、決してそういう国を軽べつしたようなことになってはいけませんけれども、現実的に考えて、それだけの知的労働者が今現在ではまだ少ない。したがって、これからシンガポールあるいはアフリカのどこかの国がそういう高等教育を徹底的にやり、そして、そこへいろいろな金融機関が行っても十分化そういう社員をそこで採用できるということにならない限り、この北にある、北半球の三極体制というものにとってかわる南半球の三極体制というのは、各国の教育レベルがもっともっと上がっていかない限り、難しいことではないかというふうに私は思っております。
  20. 渡辺嘉藏

    ○渡辺(嘉)委員 そこで、一つだけ私の気持ちを申し上げます。  だから、北のこの三極構造になっておるのを南を包み込んでやるのには、これは本論と、首都移転とは関係ないかもしれませんけれども、これについて、何かこうあるべきじゃなかろうかというようなものを、知的、人的、経済的な、そういうものが不十分である、これは認める、しかし、だからといってそれを放置しておいていいはずはないのですから、それに対してどういうお考えがありますか。
  21. 岩國哲人

    岩國参考人 私は、こうした南北の問題というのは非常に複雑な原因から成っておるということをよく承知しておりますけれども、日本の場合には、同じアジア圏ということになりましょうか、あるいはアフリカに対しても、南アメリカに対しましても、これから日本の貢献は、持っている技術、資本、そうした経済力というものをできるだけこうした南半球の国に対して、環境の面と教育の面、今ここで問題になります教育の面でも積極的な貢献をしていく、そして、そういうところの教育を充実することによって、恐らく最も望ましい日本に対する安全保障というのは、それぞれの国の教育水準を上げることによって、誤解、偏見あるいはそういったことに基づく戦争、戦闘的な行為というものを防ぐのも、そして独裁者の出現を防ぐのも、やはり高度な教育があれば、世界の人はどういう目で自分たちの国を見ているのか、自分たちはどういうふうに地球の中で行動しなければならないのか、そういうことを十分判断し、あるいは教育できるような、そういう国になれば、私は、イラクのようなああいう問題もこれから起きにくくなると思います。世界の他国の教育日本は積極的に貢献し、そして、それを手助けすることは、ひいては、こうした世界の中で一番難しい立場にある日本に対する安全保障にもつながるものだ、そういう平和な時点における積極的な安全保障対策の一つは、環境問題に対する貢献であり、そしてもう一つは、教育に対する貢献であります。  私は、環境に対して緑の平和部隊ということを提案しておりますけれども、戦闘のときだけPKO、PKFで参加するというのではなくて、戦闘の時間よりも戦闘のない時間の方がはるかに長いわけです。そのはるかに長い平和な時点において汗をかき、顔を出し、そして日本が貢献しているということを実質的に世界じゅうの人に見てもらうためにも、そうした緑の平和部隊的なものを積極的に、環境庁も今考えていらっしゃるようでありますけれども、日本人というのはこういう問題で汗をかく民族なんだ、積極的に顔を出すのだという、同じことは教育の面でも言えると私は思います。  教育の面でも積極的に、寺子屋でも、あるいは小学校でも中学校でも、今、日本人の先生方はどんどん出かけて、アフリカの国、南アメリカの国、アジア教育程度のおくれた国に対して日本人が先生になって教えてくれる、そういう先生の顔を子供たちは大人になっても忘れることはないと私は思います。そういう教室の中で結ばれた師弟関係、そして日本人に対する思い出、こういう本当に平和な時代における教育の場におけるもの、これは何も貿易摩擦にもつながらない、だれからも反対されない、日本のできる最も理想的な貢献であると私は思っております。その結果として、五十年、六十年先には、この北の三極体制に脅威を与えるような南の三極路線というものが、経済の面で、あるいは文化の面で、別の面で恐らくそこにも生まれてくることになるのではないかと思っております。
  22. 渋谷修

    ○渋谷委員 渋谷と申します。  先ほど来お話がございまして、権限移譲あるいは分権化という問題については、与野党の中で一定のコンセンサスがあるというぐあいに思うのですけれども、しかし、そのことを具体化しようとすると、なかなかこれが難しいわけでございまして、特に霞が関の強い抵抗がございます。  今、これから審議が本格化するわけでございますけれども、実は、約二十年ぶりに都市計画法、都市計画制度についての見直しか行われまして、政府の方から法案も提案されてくるわけなのですが、昨年の十二月に都計審の最終答申がございまして、その中で都市計画決定の手続ということについて非常に明確に実は触れておったのですけれども、政府の方の案は、都市化の中でいろいろ起こっておる問題について、できる限り短く申し上げますと、メニューをふやして対応していこうということでありまして、そういう意味では、都市計画決定についてのそういう手続の問題については余り踏み込まない。つまり、何を言いたいかと申し上げますと、依然として国、都道府県、市町村というトップダウンのシステムを変えずに対応していこうというようなことでございまして、これでは約二十年ぶりの改正で、これから先、二十一世紀に向けた都市づくりをこういう手法でできるのかというような観点から、実は私どもの方で政府案に対する対案を準備しておりまして、多分来週中にも法案は準備できるのではないかというぐあいに思うのです。  その基本的な柱は、都市計画については市町村に固有の権限があるのだ、つまり権限移譲とか分権化といいますと、そもそも本来国に権限があって、その権限を分権化してあげる、あるいは国にある権限を少しずつ移譲してあげる。ですから、歴史的な経過の流れでいえば、少しずつは市町村に権限移譲しているのですけれども、都市計画ということについては、私は、そうではなくて、本来これは市町村固有の権限なのであって、国が少しずつ移譲してやるというような性格のものではないのだ。そういう観点に立ては、市町村に基本的に権限をゆだねる、と同時に、市町村の議会であるとかあるいは地域住民の参加のシステムを、日本の法律はその辺がどうも明確でないのですけれども、その参加のシステムをきちんと明記をしたり、そういう改正が必要だろうという観点から対案を準備しているわけです。そのことについての、つまり市町村の都市計画については固有の権限であるという考え方についてどういうお考えをお持ちか。そういう形での権限移譲という問題について、具体的にこれは都市計画の問題から私どもは取り組みたいというぐあいに考えておるのですが、そのことについてのお考え。  建設省と詰めて具体的にお話をいたしますと、市町村に権限を落としても、市町村にはそういう都市計画についての能力がまずないではないか、議会を関与させる、とんでもない、我田引水、あるいは利益誘導が横行してめちゃくちゃになってしまう、都市計画を大体実施できないじゃないか、基本的に市町村に対する国の不信があるのです。これは何もきのうきょう始まった話ではない、昔からある話です。このことについては、どのようにきちんとお答えすることができるか。  それから最後に、フランスの例ですが、一九八二年だと思いますが、あるいは八三年かもしれません。フランスも中央集権的な国でありまして、これを何とか変えていかなければならないということで、分権問題については、教育の問題、福祉の問題、そり他いろいろありますけれども、まずはこの都市計画問題から取り組もうということで、国と県と市町村の権限分配法という法律をつくって、これは保革が、与野党が一致してこれに取り組んだという歴史的な経過があります。もちろんそれで直ちに問題がすべて解決するというわけではありませんけれども、やはり霞が関の抵抗がある以上、立法府の中で、与野党のコンセンサスを得ながら議会が主導権を握って取り組むべきだというぐあいに考えるのですが、そのことについての御意見を伺いたいと思います。
  23. 岩國哲人

    岩國参考人 まず最初に、そうした権限というのは地方に固有のものではないかという認識についてでありますけれども、もともと民主主義というのは、それぞれ国民一人一人の権利があるのだという前提に成り立っておるわけでありますから、当然それの構成する市町村にまず第一次的な権限があって、そして県にあって、それが国にゆだねられているという筋が最も正しいわけであります。日本が民主主義でなくなればそういう考えは変えるべきであろうと思いますけれども、しかし、実際には中央権限があるもの、お涙ちょうだい、おこぼれで我々は何かいただいているような感じ、そういう錯覚に時々というよりもほとんど浸ってしまっておるというのが現状でありまして、アメリカのように、自分のおじいさん、ひいおじいさんがアメリカをつくったのだ、こういう意識がどこにもないわけです。つまり、まず日本という国があって、しかもその国は神様がおつくりになった、特に出雲なんというところは神話の土地でありますから、神様がつくった国の中に住まわせていただいている、こういう意識と、あるべき民主主義の感じとはなかなか整合性が出てこない。アメリカですと、市町村があって、そして州をつくり、それが国をたまたまつくっている、こういう感覚がありますけれども、日本の場合には、そういう感じが一般庶民の中に浸透するのにはなかなか時間がかかると思います。しかし、理論で言えば先生のおっしゃるとおりでありまして、地方の固有の権限をたまたま県あるいは国にお預けしておる、お預けしておったものを返していただくというのが筋道であるということはそのとおりであると思います。  次に、そうした中央行政に対して、都市計画一つをとらえましても、建設省あるいは国土庁、そういったところを中心にしていろいろな指導を確かに地方は受けております。指導だけではなくてお金もそういうものにつけていただく、そういう形によって日本の三千三百の市町村の都市計画というのは進んでおるわけでありますけれども、最近は農林省も厚生省も建設省も、いろいろな行政については一つの、商品と言うと大変失礼ですけれども、行政一つのサービスであり、サービスも商品を売るものだと考えますと、一つの商品を無理やりに三千三百に押しつけるということではなくて、いろいろバラエティーのあるもの、中華もあり、洋食もあり、和食もある、そういうメニュー化というのがこの二、三年非常に進んできております。これは大変好ましいことであり、私もそれは評価するにやぶさかではありません。そうしたいろいろなメニューの中から選びやすくする、そういう点で行政も変化していることは事実であります。確かに地方の方から自分たちでメニューをつくるというのは大変難しいことです。しかし、専門家の人がつくってくれたメニューを選ぶだけの能力ぐらいはだんだん備わってきている。したがって、このメニュー化ということは、これからもさらにさらに進めていただきたいことであります。  それから、三番目でありますけれども、建設省はそういうふうにおっしゃった、地方にそういう権限移譲する、そんなことはとんでもないことである、今の現状からいいますと、私は、その指摘は正しいと思っております。現に三年間、新米の市長でありますけれども、市長室に座っておりましても、出雲市のそうした都市計画というものについてどれだけ勉強したか、経験のある者がいるか、ほとんどゼロであります。そこで私は、助役を二人制にしました。建設省から都市計画専門家を派遣していただいて、きょうも随行しておりますけれども、平岡助役、これは国土庁時代首都移転を担当されたベテランの助役さんに来ていただきました。何も出雲市は国会移転を誘致しようと思って、三年前から平岡助役に来ていただいたわけではありませんけれども、私の勉強の足りないところ、建設行政の足りないところをこうして補完していただきながら建設省の指導をいただき、そしてなれない職員を指導していただいて、できるだけそういう予算をつけていただいたらそれを円滑に、そしてむだなく、むらなく、無理なくそういう都市計画が進められるように、これは必要なことであったし、また議会も当然それは必要だということを認めたわけであります。  なかなかそうした三千三百の市町村一つ一つ都市計画専門家を擁するという現状ではありませんので、私は、当分の間は少なくともそうしたメニュー化というやり方、そして都市計画については、できるだけ財源はそういった市町村、しかし権限は少しずつ少しずつおくれてくるというぐあいでないと、その権限を使い切るだけの行政能力は今の段階では、それを持っているところは非常に少ないと思います。残念なことでありますけれども、将来的には、先ほど申し上げましたように広域行政というものが可能になれば、恐らくそういうベテランの職員がこれから育ってくると思います。今のような小さく小さく分割されたようなところでは、都市計画らしいものに相当するのが出てくるのは二十年に一回か三十年に一回、自分が勤めている間に一回あるかないか、しかし広域圏になりますと、この地域で、今度はこちらの方で、次々とそういうものを自分で判断し、執行するという能力が必要になってきますから、そういう人材がいるからできるというよりも、そういう機会があるから人材が育つというのが行政の実態ではないかというふうに思っております。
  24. 平田米男

    ○平田(米)委員 大変有意義なお話をたくさんいただきまして、ありがとうございました。  若干、私の方から三点ないし四点お伺いをしたいと思いますが、これまでの議論は一極集中の問題解決のための国会移転という視点が非常に強調されてきたわけでございますが、私は、それも大事ではございますけれども、別の観点国会移転あるいは首都機能移転というものを考えなければいけないと思っておるわけでございますが、今、ボーダーレスの時代と言われておりまして、国家の概念というものが非常に大きな変動を起こしている、これからどうなっていくのかというのは非常に見きわめが難しいわけであります。新しい国家観の上での首都というものをもう一度考え直さなければいけないのではないかと思うのですが、その点についてお考えがありましたらお聞かせをいただきたいと思います。  同時に、もう一つは、アジアあるいは世界の中における日本首都というのは一体何だろうか。先ほどの問題と関連することかと思いますけれども、そういう視点もこれから極めて重要になってくるのではないか。日本も国際国家になっていかなければいけない、そういうふうに私は思うわけでございますが、そういう視点での御意見が何かあればぜひお聞かせをいただきたい、こういうふうに思います。  それから、先ほどから教育減反人口減反という大変すばらしい提案をいただいているわけでございますが、基本的に一極集中原因は、一つは、情報の発信源が東京集中してしまった。ですから、情報の発信源を全国に散らばせば一つ問題が解決するのではないか。もう一つは、中央集権の許認可行政、それによって行政権限東京集中をし、そしてそれに寄り添うように大企業の本社が集まっている、同時に人口集中をする。第一次産業、第二次産業は人がいなくても産業として成り立つわけでございますが、第三次産業というのは人がいないと成り立たないわけでございまして、人が集まれば集まるほど第三次産業は繁栄をする、そういうことから人口東京集中というのは起きたのではないかと思うのです。  こういう原因について一つ一つ取り除くということは大変な作業だと思うのですが、その作業のためには、具体的な提案、すばらしい提案がたくさんあるわけでございますが、先ほどの、異常な現象には異常な手段でといつ非常にドラスチックなことをやっていかなければいけない。そのためには、何といっても大変強い政治の力というものが必要になってくるのではないか。しかし、今日までこのような事態に至らしめてしまったのは、政治の力が弱かったからではないかということを考えますと、その改革のためには政治力を高める、政治改革をやっていくことが前提になるのではないか、このように私は思うわけでございますが、この点についてのお考えをもしお聞かせいただければと思います。  もう一つ、非常に小さな問題といえば小さな問題でございますが、先ほどの情報の発信源の移転、これをやるには、やはり今情報時代でございますので、情報の発信源を全国に散らばせても、情報のネットワークがきちっとできなければいけないわけでございます。日本は、郵便制度をつくったときは全国一律の料金にいたしまして、はがきもそれから封書も、隣に出すのも、あるいは沖縄から北海道の果てまで出すのでも均一料金になっているわけですが、しかし電話は地域別料金、国別料金になっているわけでありますが、この電話料金の全国均一料金化をぜひともしない限り、情報の発信源の全国分散というのは難しいのではないか、私はこんなふうに思うわけでありますが、それについての御意見を伺いたいと思います。
  25. 岩國哲人

    岩國参考人 たくさんの御質問をちょうだいいたしました。  確かに、こうしたボーダーレスの社会というのは、経済の面でもいろいろな面でも広がっております。お金世界でも物の世界でも人の世界でもどんどん国境がなくなり、あるいは低くなり、そして時の世界、いわ似る情報にも時差がなくなってくる。ニューヨークにいても東京にいても、同じ情報がどこでも手に入る。むしろ、ニューヨークにいる方が、あしたの新聞を前の日に読むことができる。私はずっとニューヨークでそういうのを続けておりましたが、日本に帰っできますと、あしたの新聞はあしたの朝まで待たないと読めない。ニューヨークにいるときは、午後二時になると私のところにはあしたの新聞がやってきておりました。朝日新聞日本経済新聞、読売新聞、あしたの野球の試合の結果まで書いてありました。そういう便利な時代がもう既にやってきております。どこにいても情報においては時差がなくなりました。もう国境というのはほとんどなくなったと言っていいと思う。  しかし、国家という概念、それから国の首都というのは、私はなくなることはないと思うのです。それは二百年、三百年先、とてもそんなことは、私は未来学者ではありませんからわかりませんけれども、やはり地球上に同じ人類として住みながらも、いろいろな歴史が違い、文化が違い、習慣が違い、そうしたものが寄り集まって一つの国家を形成し、そしてその中で安心して暮らしていける体制というのを国家であるとするならば、私は、国家の首都というのはまずなくなることはないだろうと思います。  次に、アジアの国との関係につきまして、私は先ほど、移転先一つとしてロマンのようなことを申し上げましたけれども、京都奈良、これは限りなく関西新空港に近いところであります。二十四時間使える空港があって、そしてそういう国際的な役割も果たせるという点からいえば、今考えられる、そしてよその国と自由に、大事なときにいつでもそういう行き来ができる、そういう点からいえば、私は、関西新空港に近い奈良とか京都の近辺が、そういう役割を十分に果たせる候補地一つではないかと思います。  次に、その情報発信源ということでありますけれども、これは官庁情報あるいは行政情報と言われるものは経済活動にとって非常に必要であり、特にサービス産業にとって、金融、証券、保険、こういうところにとっては非常に必要であります。それは、今までの許認可権限というのがこういうところに非常に多かったということの名残でありまして、これから許認可権限が非常に少なくなっていくという場合には相当違ってくるのではないかなと思います。  それから、先生御指摘の、今まで政治力が弱かったからではないか、こうしたいろいろな市町村が陳情に行かなければならない、そういうことも含めておっしゃったと思いますけれども、失礼な言い方でありますけれども、政治力は弱かったというよりも、政治力が全くなかったからではないかと私は思っております。そういう政治の指導性というものがこうしたことについては全く発揮されなかったことを非常に残念に思っております。そうした点で、政治改革そのものが、究極の行政改革は、私は政治改革だと思っております。恐らく先生もそういう意識を持って御質問いただいたと思いますけれども、そうした究極の行政改革、政治改革がどの方向で行われるのか、私も大変関心がありますし、そういう場でも幾つかの提言をしたことがあります。  その一つは、参議院の改革ではないかと思います。参議院と衆議院の二つがあるということを積極的に生かして、外交、防衛、教育、この三つについてはむしろ参議院の専権事項である。七百何十人の国会議員皆さんが、外交問題も防衛問題も教育問題も経済も、地域の問題、農業の問題、厚生の問題、福祉の問題全部に通暁するということは非常に難しいことではないか。結果として七百何十人のコンビニエンスストアのような国会議員皆さんがだんだん多くなってくるということは、非常に残念なことであります。やはり参議院のいろいろな委員会の議論というものを国民がテレビで、そういうところでやっていれば、これは最高の外交問題についての教育というのは、アメリカの上院の外交委員会を聞いているだけで、今アメリカがどっちへ行こうとしているのか、外交について勉強しようというときは、そういう上院の外交委員会を傍聴することだ、それぐらいのグレードの高い、参議院選挙に出る人は外交、防衛、教育について一家言を持った人でなければ当選することは難しい、参議院に当選するのは金ではなくて頭だ、例えばそういうふうなことも一つ政治改革ではないかと思います。  二番目は、総理大臣は、国民が直接投票で選ぶべきじゃないかと私は思います。サミット会議に行きましても、よその代表は必ず来年もやってくる、しかし日本の代表は来年やってこられるかどうかわからない、当然発言権も低くなる、影響力も低くなるのではないか。国民が自分たちの選んだ総理大臣だということであれば、総理大臣が国民に協力を求める、例えばブッシュ大統領の湾岸戦争への参加、ああいったことについても国民は聞く耳を持つと思います。自分たちの選んだ総理大臣であれば、その総理が国民にこういうことを訴える、当然そうした国民の世論も違ってくると思います。それでも、議院内閣制という枠がありますから、よその国と同じようなことはできませんけれども、しかし議院内閣制の枠の中で考えられるのは、自民党はこの人、社会党はこの人、国民の信にたえられるような候補者というのをお選びになって、それを国民投票にかける。そして、国民投票に敗れるような代表候補をお選びになった政党はもちろん政党としての見識を問われることになりますから、そうした方向へ持っていくことによって、国民をもう一回政治世界に参加意識を持たせるということが必要ではないかと思っております。  いろいろそういった政治倫理と金の問題についても討議されておりますけれども、一人一票だという制度はやめるべきだと思います。一人一票だから買収の対象になりやすい。私は、一人五票という提案をしております。一人五票持っていれば、一票時代と違ってなかなか買収しにくい。完全に無記名で、そして自由に投票できる。義理で一票、人情で一票、残り三票は本当に入れたいと思う人に入れる、あるいは五票全部この人に入れようと思えば入れられる。そうすることによって、皆さんが提案される各政党の政策を国民がよく読むようになると思います。今、一票しかないから、自分はこの人と思ったら、その政党の政策しかほとんどの人は読まないのです。先ほど、ちょうどメニュー化ということを言いました。これから政策が次々と出されるときに、五票あったら、どこの党に一票入れようか、どこの党に二票入れてみようか、三票入れてみようかと、国民が政策に関心を示し、政策本位の選挙をやるために、一人一票では制約は大き過ぎると思います。そうした一人五票になれば、買収するなんということはとても考えられない。恐らくそういう意欲もなくなるでしょう。だから政策本位の選挙というものができるには、私は、一人五票でやるべきじゃないかと思っております。  以上であります。
  26. 金子満広

    ○金子(満)委員 せっかく自治体の長である岩國さんの御出席を仰いだわけですから、私は、率直にきょうは幾つか聞きたいと思うのです。  国会移転という問題と自治体とのかかわりの問題をまずお聞きしたいと思うのです。  今、国会等移転の問題が議論されていますけれども、大事なことは、有力な当事者というのは東京都であり、そしてさらに縮めれば、国会が存在する千代田区になるわけですね。そういう点からいえば、実は東京都の意向の外で議論がされている。ある意味でいえば、意向を無視し軽視するというような格好が実際には出ていると思うんですね。私ども日本共産党としては、首都移転には反対ですけれども、東京都がどうだろう。違った立場から、東京都は、首都東京にあるべきだという前提に立って、首都移転には反対の立場を表明しているんですね。  これは、おととしの平成二年五月に「東京の新生—二十一世紀社会の東京都心—」、東京都が公にしているものですが、その中では、「遷都論をめぐって」の中の「遷都に必要な基本理念」という中で、「日本が今日世界的国家となり、東京世界都市になっている、おるいはなりつつある段階にあるとき、単なる過密論だけで首都移転するのは性急すぎるのではないだろうか。過密の解消や地価対策ということについては他になすべき手立てがあるからである。 さらに、遷都するか否かは国民の総意に基づいて決定すべき問題である。遷都の意義や目的、効果、影響など十分に検証のうえ、国民規模での議論を踏まえ、決定されなくてはならない。」それで、「東京における首都機能存置の意義」の中で、「東京は二十一世紀の日本世界の繁栄、安定のために必要な都市としてあり続けなければならない。」「その意味でも首都東京にあるべきである。」東京都はこう言っておるわけですね。  東京都の選出の国会議員はたくさんいるわけです。表向きの発言は別にして、それぞれの選挙区ではみんな微妙な状態に置かれて、余りしゃべれないような立場の人もなしとせずですね。  ところが、国土庁の首都機能移転問題懇談会というのが二月二十六日に「中間とりまとめ」を発表いたしました。これで参考人に来ていただいて、私も質問したのですが、東京都の意向というのは一人の副知事の意見を一度聞いたということだけであって、この懇談会のメンバーには入っていないわけですね。懇談会は全部賛成の立場で議論をしている。これは、先ほども岩國さんがおっしゃったように、権限移譲の問題で、権限はもちろん主権者個人にあるというあの論理からすると、空中論議という七語弊があるかもしらぬけれども、これは当事者の東京都、千代田区などの意見が十分反映されていないという問題は非常に重大な問題であると思います。こういう中でどんどん議論が進められている、また進めていくということについて、首都移転問題、国政の問題と当事者たる自治体との関係についてどうお考えになるか、これをまず最初にお伺いしたいと思います。     〔委員長退席、谷川委員長代理着席〕
  27. 岩國哲人

    岩國参考人 私は、この国会移転の問題に関しては、東京都の意見は無視しても差し支えないと思います。これだけ日本じゅうが東京一極集中是正ということに対して一生懸命に努力し、考えられる方策を次々とやろうとしているときに、東京都知事が、そうした一極集中是正に貢献すると思われる国会移転に対して反対するというのは、国策に対して反対しておるわけでございますから、そうした東京都のエゴというのは、私は、無視されるべき性格のものではないかと思います。  現に、昨年春の都知事選挙のときに今の知事は、臨海副都心という構想を持っておられました。なぜ自民党は、あるいは内閣はああいう政策を肯定されるのか、私には理解できないと思います。これだけ企業地方へ分散しよう、人を地方へ分散しようと言っているときに、これから企業をあそこの東京都の中にもっと取り込もう、そういう政策は、今まで自民党が、あるいは内閣が目標とされた政策に全く逆行するものであります。あれは島根県知事や鳥取県知事がやるべきことである。そういう過疎県の知事さんがやるのが企業誘致であり人口誘致なんです。東京都がやってはならないことを今やっておられる、私はそのように思います。
  28. 金子満広

    ○金子(満)委員 知事の意見でなくて、東京都議会とか千代田区議会では、この問題がまだ公式に議論されていないんですね。そういう中で調査研究会の報告としてこれが出ておる。これは東京各界のいろいろのデータに基づいてやっているわけですから、首都移転が決まったから反対は無視するということになると、今私もごり押しをしている一人で、これは反対意見もあって大いに議論してこそできるのだ、そういう点は明確にしておきたいと思います。  例えば、今の知事が選挙のときに副都心問題、これは私も反対ですよ、ああいうことは一極集中を加速させていることですから。しかも、平成元年六月、同じ調査研究会では、今の知事の鈴木さんがやっていることとは全然逆のことを決定しているんですね。決定というか、出しているのは「第一章 一極集中の実態と論点」という中で、一極集中になってきたのは何かという点でいうと、「規制緩和、民間活力、内需拡大、地価高騰、円高、国際化・情報化の進行といったところになる。」まあこれはキーワードとして並べればという前提のもとであります。ですから、この内容についてはいろいろ意見は分岐すると思うのです。しかし、こういう問題が六十年代に起こっていたことは事実です。そういう中でこの一極集中問題が出ている。  そして権限移譲というようなことが言われる中で、御指摘のように、東京湾岸の副都心にどんどん巨大な資本を東京都が導入しでやってくる、それはビルの林になりますよ。こういうようなことが進められているということについて、我々はやるべきでない。一極集中を生み出した原因については見直しをし、是正すべきは大胆に見直しをすべきだ、間違っていることは間違っているのですから。それは、建築基準法をどんどん緩和したから高層ビルになるのは当たり前なんです。ですから、そういう点も進めていくのは当然だと思うのです。この点についてが一つ。  それからもう一つは、国会移転の論議が進む中で、さかのぼってみると、竹下内閣のときに政府機関地方移転するという問題がかなり出ました。それをふるさと創生という言葉で集約しました。なかなか進まなかったけれども、この国会移転の議論が本格化したらなお進まなくなった、これは多くの方が指摘をされております。この点で、新聞なんかでもいろいろの論評がなされております。  これはことしの四月六日ですけれども、ある新聞は次のように言っているんですね。「今年二月にまとまった、「首都機能移転問題に関する懇談会」の中間報告が「移転推進に水を差した」と指摘する関係者もいる。「せっかく移転してもその後で国会が遠くに動くことにでもなれば、またその近くに移転しなければならなくなるでしょう。政府の方針がはっきりするまで待った方がいい」というのだ。」これは公団の幹部が言うわけですね。こうなってくると、国会移転の議論の中で何が進むかというと、御指摘の東京一極集中加速、それこそ臨海部の副都心の開発などというのがどんどん加速してしまう。見直すということなどほとんどないですね、再確認してまた進めているわけですから。こういう点こそ見直して、やめるべきところはやめて大いに削るべきだ、私はこういうふうに思うのですが、その点どうでしょう。
  29. 岩國哲人

    岩國参考人 大変難しい御質問をいただいておりますけれども、そうした東京都の考え方、それが十分に聴取されていないという点については私もよく承知しておらなかったことでありますけれども、東京都知事あるいは議会、そういうような区にしましても、今の東京をもっといい環境にするためにはどうするのか。それは、国会のための東京ではない、官庁のための東京ではないはずです。都民のための東京都であれば、そういう角度から国会移転あるいは官庁移転という、そういう一つの今の一極集中是正するという方向にプラスになると思えば、私は、積極的に協力すべきではないかと思います。  それから先ほど、官庁移転促進ということが竹下内閣のときに言われて、ほとんど実を上げなかった、そして今の国会移転という決議はむしろその移転促進に水を差すのではないか、私は、その議論はちょっとおかしいのではないかなと思うのです。大体、移転促進が今現実に進んでいるのであれば、それに水を差したと言えますけれども、移転促進は全然進んでいないのですから、促進に水を差すも湯を差すも何もないわけです。したがって、国会移転というのは新たなる一つのプレッシャーというか、あるいは官庁移転先というものをこれから新しく明示していこう、今まで、あのときの官庁移転というのはうまくいかなかっただろうと思います。それをもう一回仕切り直して、国会と一緒に行政官庁移転する方向をこれから検討し、そしてその計画を策定していこうということでありますから、私は、長い目で見て、移転促進に水を差したということにはならないのではないか、そのように思います。少し理解が不十分で、失礼なことを申し上げているかもしれませんけれども。
  30. 米沢隆

    ○米沢委員 先ほど来、有益なお話、ありがとうございました。二点だけ質問させていただきます。  御案内のとおり、国土の均衡ある発展という課題は言われて久しいわけでございますけれども、そのために各種の法律ができて、地方の方を発展させようといういろいろな誘導策等もできたのでございますが、残念ながら一極集中はますます進み、地方の中でも県庁所在地に逆に集中するという矛盾が出てきて、先ほどお話しいただいたような矛盾が全国に広がって、いろいろな問題を提起しておる、こういう状況だと思います。  そこで今回、地方拠点都市法ができて、こういう問題を受けて新しい開発を追うということなのでございますが、ぜひ自治体の首長として御指導をいただきたいことは、今までいろいろと法律ができて地方を何とかやろう何とかやろうと来たけれども、残念ながらそれが言うことを聞かない、成果も余り上がっていない、上がったかもしらぬけれども、それよりも先に経済の方が進んでしまったというような状況に対して、今日までの地方を発展させようという法案等に何か不備があったのではないか、その点について何かお考えがあるのか。  第二点は、今度この地方拠点都市法で、あしたから建設委員会で質問が始まるのでございますが、その際は、今度の特徴は、知事に指定の権限を与える、許可権を与える、同時にまた、地方情報発信みたいなものをちょっと取り入れられておるというのでございますが、かなり中途半端で、また地方拠点都市法も全国の皆さんがかなり関心を持って見ておられるけれども、実際はまた同じような轍を踏んでいくのではないか、何か欠けているというような感じがするのです。  まず、それは何かと言われれば、私は、やはりもう一つは、先ほどちょっと問題になっておりましたように、地方に人材が育っていない。幾ら地方情報発信などと言われても、今の段階では、残念ながら人づてで情報を集めておるというのが普通の自治体でございまして、そんなに簡単に情報が取り入れられない。あるいはまた、地方皆さん方が、今まで中央集権の中で苦手としていたこともあって育っていないがゆえに、地方情報発信で今から地方拠点を発展させるのだと言われても、ちょっと体制的についていけないような、その中で非常に私は心配なのですが、そのあたりで、人材を育成する方法等について、何か御見解があれば伺っておきたいと思うのでございます。
  31. 岩國哲人

    岩國参考人 米沢先生の御指摘のとおりで、今まで地方時代というかけ声は、二十年前に、十年前に、そして今度は三回目ではないかと思います。しかし、私は楽観的過ぎるかもしれませんけれども、今度の地方時代というかけ声は成功する公算が強い、またそうあってほしいと思っている首長の一人であります。  なぜなら、今までの地方時代という時代のかけ声と違って、東京の土地高、生活環境悪化というものが、結果的にはそういう地方を見直そうという、昨年末発表されました豊かさ指数ですか、環境、そうしたもので地方というものが大きく見直され、東京に住んでいる人たちが、できたら地方へ移りたいという人は、四〇%も潜在的な東京脱出者としているということは、かつてないことではないかと思います。  次に、情報化の進展に伴って、地方にいても十分、いろいろなテレビでも情報でも接することができるようになった、そういう文化とか情報に接する度合いというのは、格段の差で地方に今充実してきております。  三点目を挙げますと、交通手段、特に道路はよくなってきた。十年前、二十年前は、地方におりますと、東京に出てくる、あるいはどこか別の都市へ行くというのは不便でしたけれども、そうした道路が非常によくなったということも、二十年前、十年前とは違うことであります。  こうした三つのことから、今度の地方時代というかけ声、諸施策がうまく整合性を持って機動すれば、私は、成功するのではないかと思います。  しかし、その中に一つ問題が残りますのは、私も先ほど申し上げましたけれども、地方における行政能力行政を担う人に問題があると思います。そして民間にというよりも、むしろそれは役所の中で、今まで国に言われたことを県がやり、県に言われたことを市町村が孫請する、孫請行政、末端行政と言われるものです。したがって、地方の市町村にいる職員ほとんどは、出雲市役所に勤めれば三十年間、ほとんど頭を使わない人生がそこから始まるわけであります。余計な頭を使えば、それだけ県あるいは国とのあつれきが起きるだけですから、言われたことを忠実に実行する。したがって、自分たちでどうする、自分たちの市をどう変えるというのは余計なことだったのです。  しかし、これからは権限が、お金地方の方にも相当任される。そして一番大事なことは、広域行政をこれから拠点都市という一つの取っかかりをつかまえて、最終的には市町村合併にまで持っていくべきだと思います。そうした小さな自治体に働くのじゃなくて、三十万人のための町づくりをやるんだということになれば、今までよりもっと有能な人材が市役所にも入ってくると思うのです。やりがいのある仕事を与えられるのです。地方行政マンにそういう一つ機会を、やりがいを、そういう励みというものを与えることにつながるような施策が講じられるならば、私は、そういう質のいい、意欲のある行政マン地方に育ち、それが地方時代を支えると思います。もちろん、今の段階でも、決して全部だめということではない、そういう機会さえ与えられれば一生懸命仕事をし、意欲を燃やす職員がいるということも私はよく知っております。  なお、御指摘のように、こうした地方拠点都市はそのままで後にそのフォローがない、そういう広域行政をさらに充実させる、そして行政マンに励みのある、やりがいのある権限というものがちゃんと渡っていくということがなかったら、地方行政地方時代の担い手というのは育たない。したがって、幾ら権限を上げます、金を上げますと言っても、こなし切れないような行政がそこにずっといつまでも長く残って、そしていつまでも県とか国の主体の行政しか残らないということになろうかと思います。
  32. 米沢隆

    ○米沢委員 ありがとうございました。
  33. 谷川和穗

    ○谷川委員長代理 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人に一言お礼を申し上げます。  参考人には、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。
  34. 岩國哲人

    岩國参考人 いろいろ失礼な言葉遣いがあったかと思いますけれども、お許しをいただきたいと思います。どうもありがとうございました。
  35. 谷川和穗

    ○谷川委員長代理 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時五十九分散会