○田中(昭)
委員 責任の問題が今
大臣から言われたわけです。私もこういう問題の解決については、責任というものは非常に重要だと思っております。しかし、これだけ長期間、三十数年争われて、こじれにこじれた紛争問題をどう解決するか、そういう新しい発想の転換を図る時期だというふうに認識をすることが極めて必要ではないかな、私はこう思っているわけです。
私は、決してこの問題について国が何にもしなかった、県も何にもしなかった、そんなことを言うつもりはありません。それは、国も県もできる限りの
努力をしていただいたと思っております。公健法上の認定などというものもございまして、救われた患者さんもたくさんおられます。しかし、今ある既存の公健法上の認定にもいろいろ問題がございまして、そこから外れたボーダーライン層の多くの患者が苦しみながら救済を求めているわけでありまして、そういう意味では、責任の問題について、責任論と病像論という問題については、私は、お互い今の時点になりますときちんとした主張があるのは当然だと思います。私は、責任論についても病像論についても一定の見解を持っております。しかし、それを前面に出して、病像論の問題とか責任論の問題を頭から振りかぶって、いろいろと議論をして結論を出すということが可能であれば、
大臣言われるように、私は、この問題は三十数年決着ができないなんという状態にはならなかったのではないかと思います。
しかし、現実に環境庁は、先ほ
ども大臣言われるように、公健法上の認定患者でない、いわゆる国として水俣病ではないと思われる人についても、総合
対策で何とかしなければいけないという態度に踏み切らざるを得なかった。もちろん中公審の答申などがあったわけですけれ
ども、私はそれはそれなりに国の
努力として認めたいと思います。これを積極的にやってほしいと思います。しかし、それだけではこの紛争状態が解決をしないという現実的な問題にどう対応するのかという場合に、私はこの問題の解決についての、言葉はいいかどうかは別にしまして、調停役といいますか仲裁役といいますか、こうしなさいというそういうものがなければ、お互いが病像論、責任論、具体的な内容について一歩も退かないで全面対決をしていくということになれば、これは先ほど言ったようにもう患者さんはみんな死んでしまう、こういう
状況になるのではないかな。
その場合に調停役や仲裁役をだれがやるのか、こういう問題になった場合には、日本のこの国の中ではこれをやるのは裁判所だ、司法の側だ。これしかない。この司法なり裁判所の判断にやはりお互いが従う、これ以外に解決の道はないのではないかな、私はそう思います。この点は
大臣とも
意見の食い違いはないのではないかと思います。
しかし、残念ながら我が国における裁判の
あり方、時間がかかり過ぎるわけです。今御承知のように、六十二年に熊本地裁で判決が出された。これは国家賠償責任が国にある、県にもある、こういう判決になっておる。これは国が控訴をして、今福岡高裁で審理が続いておるという
状況になっておるわけです。今回の東京地裁の判決、私は納得しませんけれ
ども、その判決も控訴されて上級審で議論が今から開始される、こういう
状況になった場合には、この二つの地裁の判決が最高裁まで行って一定の決着がつけられるということになれば、先ほど言ったように患者さんはみんな死んでしまう。私は、これだけの公害、大きな問題が、世界的にも注目をされながら、とうとう未解決のまま患者はみんな死んでしまったということになれば、日本の政治の歴史上極めて大きな汚点を残すし、後世に問題点を残す、こういうふうに思うわけです。
そういう意味から、裁判所の方もあれだけの問題を
一つ一つ審理して、そして最高裁で判決をつける、これではもう解決はつかない。こういう立場から、これも御承知と思いますけれ
ども、東京、熊本、福岡、京都、各地方裁判所が和解勧告をしたわけです。それから福岡高等裁判所も和解勧告をしたわけです。この点は
大臣も御存じだろうと思うわけです。
なぜ裁判所が和解勧告をしたかということは、先ほど私も申し上げましたように、判決を待つという
状況になれば、膨大な時間を要して、その間に患者は全部死んでしまうだろう。そしてまた、判決を出しても控訴をしたり上告をする。そういう権利を妨げるわけにはいかない、こういうことを明確に裁判所は言っておるわけです。それから、国家賠償責任については、事実認定が法理論上も難しい問題である、こう言っておるわけです。三つ目には、先ほど申し上げましたように、病像論についての医学的議論というのは、これは幾らやっても永久に終わらない、こう言っているわけですね。それから四つ目に、公健法上による認定と補償協定による補償を前提とした既存の
制度では解決はもうできない。この四つの観点から裁判所が和解を勧告しているわけです。それに対して熊本県も、これしかないだろうということで和解協議に参加をしてきた。福岡高裁を中心にして和解はかなり進んでいるわけです。チッソも和解に参加をしている。国のみがこれを拒否している、こういう
状況になっているわけです。
そして、福岡高裁では病像論について一定の所見が出されております。これは
大臣御承知のとおりだろうと思います。責任論については、これは我々の立場からすれば極めて不鮮明であります。これは私は裁判所の心遣いだというふうに受けとめております。そういう
状況になっているわけでして、そういう意味では、私が今
考えるのは、今回の二月七日の東京地裁の判決によって、せっかく福岡高裁でここまで病像論、責任論を含めて所見が出されて、だんだんと
意見が狭まってきた。こういう
状況の中で、この東京地裁で国、県に国家賠償責任はないということによって、今までいろいろ苦労して福岡の高裁を中心にして和解協議をして狭められてきたことが、後退をするとか逆戻りをする、遠のいてしまう、こういう
状況になることを私は憂うるわけです。そうだとすれば、この問題は本当に解決はつかなくなってしまうのではないかな。
そこで、私は
大臣にお聞きをしたいわけですけれ
ども、今まで国は熊本の判決によって国家賠償責任を問われてきたわけです。控訴はしていますけれ
ども、負い目になった。しかし、今回の東京地裁は百八十度全く違う判決が出されているわけで、国や県に国家賠償責任はない、こういう判断になったわけです。そういう意味で、私は同等同列の立場、スタンスに立つことができるのではないか。そして、この時期を逃せばこの問題は解決がつかない。そういう和解協議ができ得る地盤というものが今でき上がったのではないかというふうにむしろとらえなければ、東京地裁の判決によってこの問題の解決は遠のいてしまう。こういう
状況に絶対にしてはいけない。それをさせないのは政治家である、こう認識をしなければならないと私は思っております。
後ほ
ども申し上げますけれ
ども、東京地裁でも政治的な責任がある、こう言っているわけです。国賠法上の責任はないけれ
ども政治的な責任はある。これは私、後ほど述べたいと思います。そして解決をする責任も国にある、こう言っておるわけですから、そういう意味で
お尋ねをしたいのは、国としてこの際、和解協議に参加をして解決に
努力をする、そういう立場に立てないのかどうなのかということであります。それから、そうでないとするならば、先ほど言ったように、非常に追い詰められているこの問題をどのような形で解決をしようとするそういう方途、道があるのか、あるならばそれを教えてほしいというふうに思います。
つけ加えておきますと、私は、これだけ紛争状態にある問題ですから、国がどんなに一方的に押しつけても、それは解決にはならない、こういうふうに思います。そういう意味では、私は和解による解決に国はもっと積極的に参加すべきではないかな、こういうふうに本当にそう思っているわけで、ぜひその点を含めまして
大臣の御見解を承りたいと思います。