○平田(米)
委員 文部
大臣が入っている、入ってないというのは形式だという
お話もございました。しかしいずれにしましても、先ほど私が御
説明しましたように、全国の三大
都市圏を除いた国立大学の学部の
状況は今申し上げたようなありさまでございまして、幾ら声をからして学だ、学だと言っても、それを支える国の体制はない、これが厳然たる事実でございます。今通産
大臣が、もうこれからは十八歳人口というのは減少していく、だからこれ以上大学をつくるわけにいかない、こういうこともおっしゃいました。確かにそういう
状況にあることは間違いございませんが、しかし同時に、やはり学というものは
地方に持たなければならないというのが同様にあるわけであります。
昨年の五月十七日に大学
審議会が答申を出しました。確かに今通産
大臣がおっしゃったような視点で、今後大学、短期大学の学部、学科等の新増設、定員増は原則として抑制する必要がある、こういう答申を出しました。しかし
地域社会の産業、文化の
発展の
観点から極めて必要性の高いものについては新増設、定員増を認めることが適当であるとも言っておるわけであります。だから、形式的につくってはいけないと言っておるわけじゃなくて、まさに職住遊学として機能を持った
地方拠点
都市をつくろうということならば、この大学
審議会の答申も、国立大学をそこにつくることに反対をした答申を出しているわけではありません。私は、実はもっと先に踏み込んだ御
答弁をそれぞれの
大臣からいただきたかったわけであります。答申がこのようにあるから大学ができる、できないということではありません。十八歳人口が減るから云々ではありません。今答申を読み上げたとおりでございます。
なぜ文部省が国立大学を新設できないのか、それは結局お金がないからであります。もう既に御承知のように、財政再建ということでシーリングというのをやってまいりました。その結果、文部省の予算というものはほとんど人件費が占めるようになってしまいました。人件費は文部省予算の八割を占めると言われております。今国会でも、文部省は幾つかの
法案をつくりました。共済費を一般財源化する、これは塩川
自治大臣の所管の問題でございますし、また国立学校財務センターというものをつくって、国立学校の敷地を売って一千億円ぐらい入ってきたら、これは大蔵省に返すのではなくて、文部省の中に
一つの財布をつくってそこで国立大学の
整備に充てよう、こういう
法案でございます。これは、いずれにしましても今のシーリングの中に、厳しい財政状態をいかに救うか、そういうことでシーリングにちょっとした穴をあけるためのまさにテクニックとしての
法案があるわけであります。
それで、その
法案が通ることによって、ではどれだけ大学の
施設の
整備ができるのかといいますと、平成三年では二十八万一千平米の
施設の
整備をやりましたが、平成四年度ではその制度が認められてもわずか五千平米広がるだけでございまして、二十八万六千平米しかありません。こういう
状況になっております。シーリングのなかった時代はどれだけ大学の
施設整備をやってきたかといいますと、シーリングは五十八年以降でございます。多いときは九十一万三千平米の
施設を
整備してまいりました。少ないときでも五十四万六千平米でございます。今の
施設整備は、シーリング以前の三分の一になっているわけであります。
いや、
施設の
整備だけではありません。例えば、大学の基礎的な研究費であります校費というのがございます。これは講座当たりに幾らという形で出されるわけでございますが、これが、シーリングが始まってから約十年になりますが、この十年間ほとんどと言っていいくらい名目金額は上がっておりません。ですから、物価上昇を考えますと実質半額ぐらいになっているのではないかと言われております。私もあちこちの大学に視察に参りましてそれぞれの
先生から
お話を伺いましたが、大学は確かに給料も安うございます、しかし研究を一生懸命やらせてくれれば、研究環境をきちっとやってくれればそんなことはどうでもいい、こういうふうにおっしゃいました。しかし、その研究費さえこのような
状況にある。確かに科学研究費というのはございまして、要するに当たりますと幾つかもらえるというのがあるわけであります。しかし本当に基礎的な研究、まして文科系の研究などには、なかなか高額な特別な研究費というのは回ってまいりません。やはり基盤的な研究費であるところの校費というものが大きな位置を占めるわけであります。今、文部省財政はそういう惨たんたるありさまにあるわけであります。私は、これはシーリングがなせるわざだと思うわけであります。
確かに財政再建ということは大変重要な
課題でございます。しかし財政再建の方法というのは、何もシーリングだけではないと思うわけであります。私は本来
政治の役割というのは、いろいろな政策
課題に
省庁間の壁を超えて優先順位をつけ、予算づけをすることがその
政治の
責任だろうと思うわけであります。今のシーリングというのは、
省庁間の壁はそのままにしておいて、
省庁内だけで政策の優先順位をつけなさい、これがシーリングの実態なわけでございます。一年、二年、三年は緊急事態としてこのような方法もいいかもしれませんが、しかし十年もの長きにわたってそのような施策を続けるということは、
政治の
責任の放棄ではないか、私はこんなふうに思うわけであります。
日本というのは、
国土は狭く山がちでございます。平地はそんなにございません。鉱物資源も大したものはございません。その日本が明治維新のときに植民地にもならず、また敗戦の焼け野原から今日まで立ち上がってこれたのは何の方なのか。学問の力、教育の力しかない、人間の力しかない、人材しかない、私はこんなふうに思うわけであります。確かに、これから公共投資四百三十兆円をやるとおっしゃいました。幾らどんなに立派な箱をつくり、どんなに立派な道路をつくりましても、しかしそこで活動をする有為な人材がいなければ、日本の将来は決して明るいとは言えないと私は思うわけであります。そういう
意味で私は、シーリングがある限りこの拠点
都市整備法も結局は学というところが充実できないままで、当初申し上げましたように時代おくれの対応になってしまって、この
一極集中の
東京の力には到底勝ち得るものにはなり得ない、こんなふうに思うわけであります。
確かに各
省庁、いろいろな優先
課題があるかもしれません。しかし一国の
政治家として、また内閣の構成員たる
大臣としては、どの
省庁のどういう政策をどの
省庁のほかの政策よりも優先すべきだ、自分の所管のものよりもこちらの方が優先しなくちゃいけないという判断は必要であろう、またしなければそれは
政治家としての義務を、また内閣の
責任を果たしたことにはなっていない、私はこのように思うわけであります。
そういう
意味で、それぞれの所管からお考えになれば、シーリングがあった方が波風も立ちません。
政治家に重い
責任も参りません。それは結構かもしれませんが、しかし、このままであったならば日本は大変な
状況になる、そういうことを私は思うわけでございますが、いかがでございましょうか。それぞれ御意見がありましたら、ぜひお聞かせをいただきたいと思うわけであります。