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渋谷委員 そういう
方向を向いて努力をしているというところで、そこのところだけは一応置いておきましょう。
いずれにせよ
大臣、
権限の移譲問題を
議論いたしますと、自民党席からも、そんなこと言ったって
地方の体制が整ってないじゃないか、
自治体がそんなことに対応できるか、あるいは
質問の
議論の中では、そういう
意味での
専門家がいない。マンパワーをどう育成するかというような
議論がずっと行われてきたのです。私は、どうもそこが終わりのない
議論、エンドレスの
議論をやっているようなぐあいに聞こえてしょうがないのです。つまり、先ほど来申し上げましたけれ
ども、二十年前から同じ
議論をやっている。同じ
議論をやりながら、なかなか
制度としては踏み込めない。そして
現実に、
市町村ではなかなか目に見える形での
マスタープランというのがつくれない。
これは一体どこに原因があるのだろうか。
自治体に能力がないということが原因なのか。私は、実はそうは思わない。これは
基本的に
制度に問題がある。だから、今度の我が方の案というのは、そこに
基本的に
認識を置きまして、それで
システム変更ということを入れたわけです。
例えばマンパワーがいないから、先ほど来、例えば
市町村の
マスタープランをつくるというのは、そこに住んでいる地域住民、
市民に
自分たちの町がどうなるかということを示したいというお話ですね。
言葉としては、それは大いに結構。しかし、例えば世田谷区のこういう事例を見ましても、
大臣、
自分たちの町がどうなるかなどというイメージができますか。世田谷区が一生懸命頑張っているのは、僕は大いに評価します。評価するけれ
ども、
都市問題の
専門家というのは何も、例えば
建設六法を頭の中に全部入れた人が
都市問題の
専門家じゃないでしょう。
今ドイツの話が出ましたけれ
ども、大分前の話になりますが、ミュンヘンのたしか百キロぐらい離れたところだと思いますが、インゴルシュタットという人口十万人ぐらいの
都市があります。現地へ行ってきまして、現地のインゴルシュタット市の「リージョナルプラン」ですから、地域
計画ですね、インゴルシュタットの町づくりの
計画です。これは
大臣にお渡ししますから、ぜひごらんいただきたいのですが、もちろんこれだけではない。たくさんの
図面がこういう形でついています。こういう
図面を見ましても、多分これは緑地の配置の
図面だというぐあいに思うのですが、こういう大きな
図面がたくさん実は入っていまして、そして先ほどBプランという話がありましたけれ
ども、Bプランという地域の詳細
計画は、この
図面だけでは
意味がわかりませんから、さらに地域におろしまして、こういう詳細な建物の位置、緑、木々の配置、空地の状態、こういうところまで実は
計画を落とすわけです。ですから、この地図、
図面というのはそれこそ膨大な量になるわけです。
さらに、この本をごらんいただきたいのですが、こういうぐあいにそれぞれ絵がある。
自分の町がどうなるか、この絵を見るとよくイメージができますでしょう。日本の
市町村でこんなことを言ったって、能力がないじゃないかという
議論で実はこれは済まない話なんです。私に言わせれば、まさに、
市民に見えるようにということは、先ほ
どもありましたでしょう、
都市計画に
市民のエネルギーが全然集中していない。
市民にとってみれば、
自治体に
権限がありませんから、
自分たちのところへ突然、私の板橋でもそうですけれ
ども、つい最近、ある工場の跡地に、
建設省がつくった総合設計
制度を使いまして百八十メーターの集合住宅が建つ。
計画が出てきて周りの人たちはびっくりしました。それから、これは一体どういうことだということで、あちこちに陳情に駆けずり回る。区に行ったって区には
権限ありません。これは
東京都がやる話です。
東京都に行く。つまり、
自分たちの身近なところに
権限がなければ町づくりのイメージというのはわかないのです。
また、
都市計画の
専門家、そちらに座っていらっしゃる方は、全部
都市計画の
専門家かもしれない。
都市計画の
専門家には、先ほど言った、文章で書いてあるもの、これがどの
法律にどう抵触するか、あるいはどの
法律にどうかかわるかということは知っておられて、確かに
専門家かもしれないけれ
ども、何にもわからない。そこの地域に住んでいる住民に町のイメージをどう伝えるかということは、多分大体理解できていないでしょう。
地域に住んでいる住民と直接生に話をして、
自分たちの町づくりをどうするんだという話をすれば、では少し絵を入れた方がいいか、こんな手がきの絵だったら、これはこれでまた
一つの味わいがありますけれ
ども、日本だったら今はコンピューターグラフィックですね。こういう町をつくったらこういう町並みになる、あるいは人の流れはこうなる、全部できますよ、そんなことは。何もこんなことに
専門家は必要ないのです。
私に言わせれば、
制度に欠陥があって、できればやはり
市町村、地域住民の身近なところに、例えば公聴会な
ども頻繁に開かれる。まさに時短で土曜日どうやって過ごすかなんという
議論になっているわけですから、
自分たちが住んでいる町づくりについて一生懸命参加して、
自分たちがいい発想で物を言ったらそれが
具体化する一これが町に対する
自分たちの自覚、責任が生ずるということだ。何も難しい
議論、私していませんでしょう。当たり前の話なんですよ。そういう地域住民が参加する
システムをつくるということが、ドイツだからできるという話じゃないのです。そういう
システムをつくればこれは日本でもできるのです。
建設六法を頭に入れる、
建設省のお役人は多分そうだと思います。多分、全部入っている人はあそこに並んでいる人にはいませんでしょうけれ
どもね。それぞれの専門の分野しかわからないはずです。これは
都市計画の
専門家でも何でもないのです。確かに、
法律技術論では
専門家かもしれませんけれ
ども、町づくりについての
専門家というぐあいに私は思えない。
ここにポートアイランドのやはり同じようなプランがあります。これも同じです。先ほどの世田谷のものと比較してみればわかるでしょう。世田谷区が人口どのくらいかわかりませんけれ
ども、多分
東京だったら八十万とか九十万とかという人口だろうと思いますが、このポートアイランドでも同じようにこういう絵を入れて、この中にもたくさん絵が出ています。
こういうぐあいに、私は何もヨーロッパが全部いいということを言っているわけじゃないのですよ。そういうことを言っているのじゃなくて、そういうのに近づけるためにはどうするかということは、
自治体にそういう
専門家がいないとかマンパワーがいないという話ではなくて、普通の地域住民にどうやってこの問題について関心を持たせ、参加をさせ、その人たちに行政マンがどうやって対応するか。そのときに、民間のプランナーだとか、あるいはこういうものを絵をかく、その地元に絵をかく人がいれば、そういうイメージの絵をかかせて、それで
自分たちの町づくりをイメージしていく、これで十分できるというぐあいに私は思うのですが、いかがですか。