○
秋葉委員 ありがとうございました。
PKOについても、私は国連のより大きな役割の一部として改めてPKOの役割も考え直した上で、日本がそういった面でも、いろいろ形は違いますけれども、例えばPKFへの参加はやはりよろしくないというふうに私は思いますが、ともかく大筋では国際
貢献が必要だという点では私も同じ考えでございます。突然の質問でしたけれども、粒答えいただいて大変ありがたいと思います。
実は、私は先日、
水俣病の訴訟の原告の方々それから弁護団の方々と一緒に
環境庁に陳情に参りました。残念ながらそのとき長官にお会いしていただけなかったわけですけれども、この
水俣病の問題についても、今申し上げた道義的な面といいますか倫理的な視点から質問させていただきたいと思います。
確かに法律的な責任あるいは政治的な責任ということも、私は国として非常に大事な責任だと思いますし、そういった視点からの質問は私の同僚議員あるいは
委員が各
委員会あるいはさまざまな場で質問をし、問題提起をしております。それで、私は倫理的、道義的な視点から国の責任といったことを考えていただきたいというふうに思います。
なぜこの倫理的、道義的な責任ということを改めてここで申し上げているか、実はその背景、ちょっと長くなるかもしれませんが、
説明をさせていただきたいと思います。そうでないと、何かこう突然空理空論、倫理という言葉だけが出てきてということになってしまうといけないと思いますので、その点を
説明させていただきたいと思います。
一つは、先ほど申し上げましたが、
環境の問題、倫理的あるいは道義的な側面が非常に強い問題なわけですけれども、これまでの
世界的な
環境の問題に対する
取り組み、それを考えてまいりますと、大体四段階ぐらいに分かれるのじゃないか、そういう気がいたします。
まず第一は、大きな意味での
自然保護。自然に
人間の手を加えないでそのまま
保護しよう、あるいは少しは加わって
もともかく自然を
保護しようという立場です。例えば
国立公園ですとかあるいは野生動物の
保護とか、そういったものがここに入るかと思います。
それが長い間
環境といった問題の中心だったわけですが、戦後の
経済成長の始まるころになって、
世界的にも同じ時期ですけれども、例えばDDTの毒性についての新しい知見が加わって、いわば有害物質あるいは有毒物質をどういうふうに我々の
環境から除いていくのか、あるいはその被害からどういうふうに我々自身を守るのかといった問題が提起されました。それが第二段階だというふうに思います。
その後、割に最近になって提起されてきた問題は、例えば
オゾン層の破壊あるいは温暖化といったようなことで、物質そのものは自然に存在する物質であって、必ずしも有毒、有害とは言えないのだけれども、その量が非常に問題になってきた、自然の再生能力以上の物質が出てくることによって非常に問題が大きくなってきたということです。先ほどの答弁の中で長官もおっしゃっていましたように、この
地球を次の世代によりよい形で残していくといった意味での問題提起がこの第三段階、今申し上げた物質そのものは有害ではないけれども、量によってその問題が生じてきた、それが第三段階だと思います。
ところが、ことしの六月の国連の
環境会議、
地球サミットにおいて中心的な問題になってきているのは、その
環境の問題と相まって公正さの問題、公平さの問題ということだと思います。特に南と北との間の公正さ、公平さ。実は、これは価値観によって非常に大きくその判断の分かれるところであって、まさにこれは倫理の問題であるということになってきているわけでありますし、道義の問題、つまり飢えている人が燃やす例えば一リットルの油と暖衣飽食している人が燃やす同じ量の油と同じに考えていいのかといったような、非常に根本的な
人間の生き方そのものにかかわる問題が一緒になって提起されているというふうに思います。そういった意味で、現在まさに
環境を考えるということは
人間の倫理を考えなくてはいけないという観点で、
水俣病の倫理的な責任、道義的な責任というところを問いたいと思います。
それともう一点、その倫理という言葉の裏には必ず
正義という概念があるわけですが、
正義というのは社会
正義、社会一般において何が正しいことなのかということを求めていかなくてはいけないわけですけれども、これは欧米の社会の中には、英語で言いますとレート・ジャスティス・イズ・ノー・ジャスティスという言葉があります。つまり、仮に
正義が実現されても、それが時期的におくれていたのではそれはもはや
正義ではないんだという概念です。有限の時間しか生きられない
人間にとって、やはり現実的にその
人間が生きている間に
正義が実現されるということが非常に大事である、こういう基本的な概念ももう一方にはございます。
そういった観点から考えると、やはり
環境の問題の大きな部分であるこの
水俣病の問題に対して国がより大きな意味での
正義を実現するために、しかもそれを現在の患者あるいは
水俣病によって被害を受けた、認定はされていない人たちも、たくさんいるわけですけれども、そういった多くの人たちの苦しみを救うために、その人たちが生きているうちに本当に
正義が
正義として感謝され、そしてそれが
世界にあまねく伝わって、日本の政府のとっている倫理的な立場というものがよく理解
できるような、そういった時期に和解のテーブルに着き、倫理的な立場から、より大きな立場からこういった
水俣病の
解決を図るということが今日本政府にとって非常に大切な
行動になるのではないか、私はそう信じておりますが、長官、いかがでしょうか。長官の英断で和解のテーブルに着いていただくわけにはいかないものでしょうか。