○藤田(高)
委員 全人代に出てまいりました言うところの民間賠償の問題ですね。これは私は、あってはならぬことですけれ
ども、これからだんだんと
日本も中国も世代が若返ってくる。そういう中で、これは感情的な問題を含めてでありますが、あれだけ中日戦争で多くの犠牲を受けた中国が全然賠償もとらなかった。
しかし、古い話でいえば、かつて日清戦争で遼東半島が、その賠償としてということで
領土までとられた。ところが、一九七二年の国交正常化では無賠償で国交正常化がなされた。
日本はもっともっと賠償に匹敵するような経済援助、なかんずく無償経済援助、こういうものについて、そういう気持ちを持っておる人が中国の一般の国民の中にこれからもふえてくるのじゃないかと思うのですね。
ところが、
日本の方も世代がかわってまいりますと、二十年、三十年前、百五十年前にやったことは我々の責任でないというようなことになってまいりますと、日中
関係は
考え方の上で必ずしもいい結果にはならないと私は思うわけです。そういう将来のことも
考えますと、ここで対中政策といいますか、経済援助の問題についてもいま少し特色のある
対応の仕方をやってみてはどうだろうか。
その
一つは、せっかく二十周年という歴史的な年を迎えておるわけですから、例の第三次円借款の問題が約一年半か二年近く凍結に近い形で推移しました。そういったことも
考え合わせ、
日本経済の景気の立て直しに公共事業の前倒しをやるようなこともあるわけでありますが、こういうおくれを取り返すという
意味において第三次円借款の前倒しというようなことを
考えて、経済援助に対する積極的な姿勢を見せてはどうだろうか。
そして、時間の
関係もありますので私の方から二つ三つ提案をしたいと思うわけでありますが、この二十年に当たって、日中間の大きな事業として将来残るようなものを少し
考えてみてはどうなんだろう。
その
一つは、東京から西安に向けて直行便、そして西安から中央
アジア、例えばギリシャでもトルコでもいいですが、そういった中継地点を求めてヨーロッパ、パリあたりに出ていく、そういう新しい国際航路を新設してはどうか。
と申しますのは、余り細かくは申し上げられませんが、私は毎年一回ないし二回、中国を
訪問しておる一人であります。西安は西の都ではありませんけれ
ども、今非常に都市が整備をされてきて、観光都市としてもその
条件を整備しつつあります。また
日本人の側も、観光的なものを含めてこの西安あたりに
渡航をしたいという希望者も非常にふえております。こういう
条件の中で、私は新しい航空路の新設ということは
現実的にやってもいいのではないか。
少しく調べてみますと、私が言っておるようなそのものずばりのコースではないけれ
ども、少しく運輸省の方においても
検討をされづつあるやに聞いておるわけであります。そのあたりの経緯をひとつお聞かせいただきたいのと、私が今言ったようなルートの設定について、ぜひ記念事業としてスタートをする、そういうイニシアチブを
日本政府が中国に対しても提起していくということがあってもいいのじゃないかと思うのですが、これは
大臣の所見を含めてお答えをいただきたいと思います。