○石田
政府委員 お答え申し上げます。
今御
質問の国際熱核融合実験炉、ITER
計画でございますけれども、これにつきましては昨年の五月七日、当
委員会におきまして「国際熱核融合実験炉プロジェクトに関する件」ということで御決議をいただきました。私どもは、その御決議の趣旨を十分踏まえまして、アメリカ、それからその当時はソ連であったわけでございますが、今や旧ソ連でございますが、ソ連と、それからECと
我が国の四極の交渉に臨んだわけでございまして、私もその交渉団の一員といたしまして、御決議の趣旨を踏まえてITERの協議に臨ませていただいたわけでございます。
御承知のとおりにITERは、一九八五年のアメリカとソ連の首脳会談、当時はアメリカの大統領はレーガン大統領であり、ソ連の首脳はゴルバチョフであったわけでございますけれども、レーガン、ゴルバチョフのジュネーブ会談、それに続くレイキャビクの会談ということに端を発しまして、核融合の実用化を目指しました技術開発を進めるという実験炉を
日本、アメリカ、それからEC、そして今やロシアの四極の国際協力で開発、
実現していこうというものでございまして、本
計画は、今
先生が御指摘になりましたように、資金、人材の効率的な活用にとどまらず、
人類究極の
エネルギー源を開発するという観点から、極めて有意義な国際プロジェクトであると認識しておるところでございます。
これまでに三年間をかけまして概念設計活動、コンセプチュアル・デザイン・アクティビティーズという三年間の
段階を終わりまして、これにつきましても我が
日本は、原研の有力な研究者でございました苫米地頭という方が中央の研究チームのリーダーとなりまして、全体を引っ張って立派な概念設計ができ上がったわけでございます。その概念設計を踏まえましていよいよ工学設計活動、協定の中ではエンジニアリング・デザイン・アクティビティーズといっておりますが、工学設計活動に入る
段階になったということでございまして、その工学設計活動をいかに展開するかという協議をやってきたところでございます。
この協議につきましては、まさに先ほどの御決議の趣旨を踏まえまして、昨年の十一月にモスクワで四極協議をいたしまして全体協定をまとめまして、私自身がイニシアルをしてきたところでございます。
この内容は、工学設計全体を行います共同設計チームをアメリカ・カリフォルニア州のサンディエゴ、それからドイツのミュンヘン郊外のガルヒンク、このガルヒンクと申しますのは概念設計活動
段階におきましてもチームが置かれた場所でございますが、このドイツの、ミュンヘン郊外のガルヒンク、さらに我が茨城県那珂町、これは
日本原子力研究所の那珂研究所があるところでございますが、この
三つのところに共同設計チームを同時に置きますという、そういうことになってございまして、さらにそれに加えまして、全体、所長とかあるいは意思決定機関であります評議会みたいなところのヘッド、あるいはそのコーチエアマン等々の主要大事につきましても
実質合意をしてきたところでございます。
これにつきましては、私どもの気持ちといたしましては、可及的速やかに実行に移りたい、こう思っておったところでございまして、一刻も早くイニシアル、仮署名ではなくて正式の署名にこぎつけたいということで
努力をしたところでございます。
ただ、その後の旧ソ連邦の変革に伴いまして、正式署名の時期が当初の予定より若干おくれぎみになっておるということでございます。思い出しますと、仮署名をしたときには、本署名はなるべく早く、でき得れば二カ月から三カ月内ぐらいにやりたいということを私も申し、
関係各当事者も大体そのようなことを言っておったわけでございますけれども、既にその時期は過ぎておるわけでございます。しかし、現在ロシアの方からも、ロシアはソ連のこのITERに関します協定の中身を実行するという、そういうことにつきましては完全に引き継いで本活動に参加する、こう言っておりますので、ロシアもソ連の後を継いでITERに参画してくるということでございまして、それを踏まえながら、本活動が速やかに開始されるよう最大限の
努力を払ってまいりたい、かように
考えておるところでございます。
今申しましたように、今から約六年ぐらいかかって行いますのは工学設計活動でございますけれども、この工学設計活動を踏まえまして、さらに、これはまだ全く各国ともコミットしておるわけではございませんけれども、建設ということになるわけでございます。これにはまたいろいろな
議論があろうかと思います。それで、実際設計の活動の様子を見ながら一歩一歩進めてまいりたい、かように
考えておるところでございます。