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仲村委員 この久米島の県立病院建設については、ぜひともひとつ県ともよく
調整をされて
離島振興という
立場から
実現を図っていただきたい、こういうふうに御要望を申し上げておきたいと思っております。
沖縄の米軍基地が日米安保条約上重要な
役割を果たしているということはもう申し上げるまでもないことでありますけれ
ども、同時に、
沖縄の基地が
振興開発の最大の阻害要因になっているということもまたこれは否めない事実でございます。第二次大戦が終わって米軍が占領して、そこに間もなく東西対決が始まって冷戦構造の
時代に入って、そのために極東最大の基地として建設をされた。その後
復帰のときに、核抜き
本土並みという条件で
沖縄の基地はそのまま存続されているわけであります。しかし、安保条約とは
関係なくつくられた基地を核抜き
本土並みにするなんということは、これはとてもじゃないが無理な話なんです。だからいつも安保条約の枠からはみ出て、地位協定の枠からはみ出て
地域住民に大変な迷惑をかけている、こういう
状況でございます。
しかし、もう世の中変わりました。冷戦構造も終わった。そしてその最大の対決の相手であったソビエト共産帝国も崩壊、消滅した。もう
沖縄の基地をそのまま存続する理由は私は全くないと思うのですよ。ただ、日米安保条約のために、
我が国の安全保障のために必要最小限の基地というのはこれは否定するものではございません。しかし
先ほど申し上げたように、その東西対決の頂点に達しているときにつくられた基地をそのまま存続しているというのは、これはとてもじゃないが私は納得のいく問題ではない。
したがいまして、これからアメリカの軍事
政策で極東における軍事力を削減するなどというようなこともよく言われますけれ
ども、私はその前に日本
政府から、日米安保条約上こんな基地は必要ないじゃないかというようなことでその整理縮小についての提案をすべきである、こういうふうに考えているわけでございます。
そこで私は具体的に申し上げますけれ
ども、那覇市のど真ん中に那覇軍港という
施設が五十七万平米あります。那覇市は日本一
人口密度の高い
地域なんです。そういうところに五十七万平米も米軍が居座っている。しかも、これが使われているならまだしも全く遊休状態なんです。ベトナム戦争のころは一万トン級の船が常時五、六隻もずらっと並んで、荷揚げ場もいつでもいっぱい軍需物資が積まれておった。しかし今はもう本当にいつ見てもあの岸壁はがらあきなんです。荷揚げ場もがらあきなんです。そういう那覇軍港が、
昭和四十九年の第十五回日米安保
協議委員会で移設条件つき返還を決めてもう十八年になります。一体その移設についてだれがその責任を果たすのか。地主がやるのか。これは私は
政府は余りにも無責任じゃないかな、こういうふうに思います。
昨年、親泊那覇市長が訪米をしてこの那覇軍港を返してくれと言いましたら、よくわかりました、
皆さんのお気持ちはよく理解できます。新聞報道ですからそう言ったかどうか私はわかりませんよ。しかし新聞報道を見る限りにおいてはとても色よい返事をした。最近は米軍が部分返還をしていいというようないろんな情報が乱れ飛んでおりますけれ
ども、それは一体どうなっているのか、
政府は本当にあの
昭和四十九年に決めた移設条件つきの返還をやらせるつもりがあるのかどうか。私は
政府は全くその誠意がないじゃないかという気がしてならないけれ
ども、それについてひとつ御
答弁をいただきたいと思います。