○
参考人(
恒松制治君) きょうは
国会移転と申しますか、
首都移転ということについて、私平素考えておりますことをお話し申し上げたいと思います。
国会では
国会の
決議として、
国会の
移転、いわゆる
東京からの
移転ということをもう既に
決議なさっているわけでございます。そうした
首都の
移転ということに関しましては、いろいろな形といいますか、
形式というものが言われておりますけれども、まず、なぜ
首都を
移転しなくてはならないのかということについて私の考え方を申し上げます。
一番大きな問題は、いわば
東京における
人口圧力ということでございます。
御存じのように、今
東京圏の
人口が約三千二百万、これは一九九〇年でございますけれども、国の総
人口の約二六%が、いわゆる一都三県と申しますか、
東京圏と言われている
地域に
集中しております。これをそのままほっておきますと、二〇一〇年には三千六百万になるであろう、こういうふうに言われております。これは総
人口の約二八%に相当するわけでございます。
この
人口の推計は、いわゆる
封鎖体系といいますか、
東京へ全然外から人が入らない、こういうふうに考えましてもなおかつこのぐらいの
人口になるわけでございます。それは申し上げるまでもございませんけれども、これまで
地方からどんどん
東京に集まってきた人、主として若い人々でございますので、したがって
東京の
人口はこれからは社会的に
増加をするということではなくて、
むしろ自然増という形で
増加をすると予想されるからでございます。したがって、
東京へは一人も外から人間を入れないというような極めてきつい想定をいたしましても、なおかつ
人口がふえる、こういった状態にあるわけでございます。したがって、これからの
東京というのは、
むしろ東京に今いる
人たちを外へ出すということをやっぱり考えないといけないという事態になっているということが
一つの問題でございます。
それから第二番目の問題は、今
交通網が大変よく
整備されてまいりまして、この一都三県という
東京圏の
範囲がずっと膨らんでまいりました。
例えば
東北新幹線の沿線で申しますと、今
栃木県の
西那須野の方にかなり
住宅が建ちつつあるわけでございます。少しかた苦しさから外れるんですけれども、なぜ
西那須野かということを
栃木県で聞きますと、
東北新幹線で
東京発の最終の列車が
西那須野でとまるんだそうであります。最近はどうなっているかわかりませんが、
西那須野が終着駅。そうなりますと、
東京で幾らお酒を飲んでも
西那須野以北へは行かない、しかも時間的には一時間半ぐらいで行けるということになりますということが
理由で、
西那須野に新しく
住宅団地ができている。こういうちょっといささか笑えないような話まで出ているわけでございます。
また、上越新幹線の場合には、
上毛高原駅というところがございますけれども、今その
上毛高原駅にまで
住宅団地が広がりつつあるということであります。また、東海道新幹線については、今静岡からかなりの
人口が
東京へ通勤をしている。こういうように
交通網の
整備されることは大変いいことなんですけれども、一都三県の
範囲が非常に広がってきて、そして
東京一極集中という
現象が、ますます大きな力で
国土問題を非常に難しくさせているというのが第二番目の問題でございます。
それから第三番目の問題は、
災害の危険というのが非常に大きいということでございます。かって関東大震災を経験いたしました
東京にとりましては、例えばマグニチュード七ぐらいの地震がありますとかなり大きな
混乱が生じ、
政治はもちろん、
行政や
経済の面に至るまで大きな
混乱が予想される、したがってどこか
首都を
移転しないと
災害のときに対応できなくなる、こういう
理由がございます。
それから第四番目には、
東京圏へ
人口が
集中する、あるいは
経済的な
機能が
集中するということは、片一方では
地方圏といいますか、いわば
山村とか漁村とを言われておりますような、そういう
地方圏の
人口が減って
活力が低下するということであります。
最近では、
山村地域においては六十五歳以上の
人口の比率、いわば
老齢化率がもう三〇%を超えているような町村も決してまれではないというのが現状でございます。こういう
地域では、
先ほど申し上げました
東京圏の
人口の
増加とは全く逆に、
むしろこれからは
人口の
自然減が生ずるわけで、言いかえれば、
東京とか大阪へ
人口が出ていくから
人口が減るのではなくて、
死亡者数よりは
出生数が少ないというような形の
自然減という
現象が生じているということでございます。今では多くの
地方で、工場が進出するとかあるいは
企業が進出するといいましても、もう既に
労働力が
不足をする、その定めに出たい
企業も出られないといったような
地域が、
日本全国の中で非常にたくさん見られるということでございます。
こういうふうな条件を考えますと、
東京の
人口やあるいはさまざまな
経済的な
機能、社会的な
機能というものを
地方へ分散して
東京における
人口圧力を弱めていくということが、私は、これから極めて緊急な問題であろうというふうに思っております。したがって、そういうときに
国会移転ということを
国会みずから
決議をされたということは
大変意義のあることですし、大変重要なことだと思っております。
しかし、若干勝手なことを申し上げますと、もう既に八十
機関の国の
省庁が、一
省庁一
機関と言われておりましたけれども、出ることが決まってから、閣議で決められましてからもう何年かたつんですけれども、一向にその気配が見えないというわけでございまして、あるいは
移転することが決まっているような
地域も、例えば埼玉県の
大宮というように、
首都圏の中での
移転ということにどうも問題が絞られているようで、こういうことは余り効果のないことであって、一都三県はもちろん、
東京圏の外へもっと出るということを思い切ってやらないと、
日本の
国土の均衡ある
発展ということは望めないのではないかというように私
自身は
危機感を持っております。したがって、そういう点から申しますと、甚だ失礼な言い方ではございますけれども、
国会で
国会移転を御
決議なさいましたけれども、一体本当におやりになる気があるのかな、大変失礼なことですけれども、そういうふうな疑問を抱かざるを得ないというのがもう正直な私の感想でございます。
そういう
意味から申しますと、ただ単に
国会が
移転するということではなくて、今
政府の
機能としてありますところの立法、
行政、
司法、こういった
政府の
機能が、やっぱり分散するということが必要なのではないかというふうに思っているわけでございます。しかし、
先ほどもちょっと申しましたように、どうもそういう方向に動いていないというふうに私には感ぜられるわけでございます。例えば
国会移転ということが
国会で
決議され
青がら、現在の
首相官邸のところへ新しい
官邸をつくるというふうなことが取りざたされているのは一体どういうことかなと、
矛盾も甚だしいのではないかとさえ思っております。そういうかなり緊急を要する課題であるという点では、どうも対応がいささかうまくいっていないのではないか、こういうふうな
感じがいたします。
そこで、今まででもお聞きになったと思いますけれども、
首都を
移転するという場合に、完全に
遷都という、都を移すということ、しかもそれは新しい
都市、いわゆる都をつくるというふうな
やり方もございますれば、あるいは
首都機能を分割して
移転する、例えば分都とかあるいは
拡都というふうなことが言われておりますけれども、そういうふうな
形式もございます。また、
東京圏内に少し分散をする、例えば展都というふうな言葉で呼ばれておりますけれども、
大宮とかあるいはつくばとか、そういうふうな形で
首都の
機能を
移転するということもいろんなその
一つでございます。あるいはもっと現実的な立場から申しますならば、
むしろ東京自身を改造して、そして
首都にふさわしいような
地域社会にするということも
一つの
方法だろうと思っております。
しかし、私がきょう申し上げたいと思っておりますのは、そうした
首都機能をいわゆる
遷都という形で分散するのではなくて、
中央政府が持っている
機能をもっと縮小するということが考えられていいのではないかというふうに思っております。それは、その根底には、
一つは
規制緩和と申しますか、
行政の
権限を非常に小さくしてできるだけ
民間の自由な
活動に任せるということをやりますと、
行政機能そのものが縮小するという
意味で
首都機能が縮小してくる場合も考えられると思っております。
それからもう
一つの
方法は、そうした
むしろ中央政府の
機能をもっと
地方へ分散する、言いかえれば、
政治や
行政の
機能を
東京に置かないようにするということによって
東京の
機能を縮小するということが可能ではないか、
むしろ一番望ましい姿ではないかと私
自身は思っております。
また話が余談になりますけれども、これはちょっと今名前を思い出せないんですけれども、慶応大学で歴史をなさっていらっしゃる
教授がいつか
新聞にこういうことを書いておられました。
それは、
江戸から
東京に、言いかえれば、
明治維新を境にいたしましたころに、
江戸の
人口は約百万あったと申します。百万ということは、その当時の
日本の
人口が三千万でございますから、やっぱりその当時としては
江戸の
人口集積というのは極めて大きかったと、こういうふうに言われております。しかも、百万の
人口を持つ
都市というのは、世界でも
江戸をおいてはほかになかったと言われております。なぜこれだけ
江戸へ
人口が
集中したかと申しますと、
一つは
徳川幕府があったということでございます。その
徳川幕府のいわば
集権体制といいますか、のために
江戸が非常に発達をした、こういうふうに言われております。
ところが、
御存じのように
明治維新が近くなりまして、いわば
徳川幕府の
権威が失墜をしてまいります。そして、
徳川幕府の
権威が失墜すると同時に、例えば
参勤交代というようなのが随分ルーズになって、やるところはやってもいいけれども、
参勤交代しないところはそれでも構わないと、こういうふうなことが
幕府から通達されます。それによって
参勤交代が非常にルーズになって、みんな
地方の
殿様方は
東京へ、
江戸へ出てこなくなった。そのことによって
江戸の
人口がどうなったかといいますと、それができてから三年ぐらいの間に
江戸の
人口は三割減ったと申します。
それはどういうことかというと、中央集権的といいますか、今までの
幕藩体制というものがなくなったものですから、したがって
地方が、それぞれ
自分たちのところでいろんな
政治や
行政をやっていくという
体制になったために、
江戸の
人口が三割減ったと、こういうふうに言われております。このことが事実かどうか、私、
自分が
専門家でありませんのでよくわかりませんけれども、大変あり得ることだと思っております。
そのことを考えますと、今
東京の
人口をどうやって分散させるかということよりは、
東京が持っておりますところの中央集権的な
機能、
政治も
行政も含めてでございますけれども、そういうものを
地方に分散する。言いかえれば、
中央集権体制というものをやめていくということによって、私は、
東京の
人口というのは格段に減らすことができるのではないかというふうに思っております。
それじゃ、これを一体どうやってやるかということになりますと、大きく分けまして二つございます。
一つは、
現行制度に比較的近い形での
改革でございます。それは、現在
全国に約十ぐらいの
ブロックがございますけれども、その
ブロックには
中央官庁の
地方支分局が存在しております。例えば私の
郷里の近くで申しますならば、広島には財務局があり通産局があり
陸運局があり、あそこは、
農政局だけは岡山にございますけれども、そういうふうな形で
支分局があります。その
支分局にすべての
権限を
集中する。言いかえれば移管すると申しますか、移管して、そしてそれを
中心にして
行政をやっていく。そうすれば私は、
東京へ集まる
圧力というものは非常に小さくなるのではないかというふうに思っております。これが
一つの
方法でございます。
それから、もう
一つの
方法は、抜本的に
中央政府の
権限をもう
地方へ全部移してしまう。これは、例えば
全国を十の
ブロックに分けまして
独立の州をつくる。例えば
アメリカの
州政府もそうでございますし、西ドイツもそうでございますし、あるいは
オーストラリアとか、
方々でそうしたいわば
州政府を
中心にした
政府がつくられております。そうした
独立の州をつくりまして、
東京にはその
連邦政府を置けばよろしい、こういうふうな
やり方も決していけないことではないというふうに私
自身は考えております。
私、昔、もう二十五年ぐらい前になりますけれども、中央公論に「
府県廃止論」という論文を書いたことがございます。それは、その当時私の頭にありましたのは、
地方自治体というのが都道
府県と
市町村という二つの、いわばよく二層制と申しますけれども、二層制になっているということが、
国民の
政治や
行政に対する
関心を非常に弱めているというふうに私には思えて仕方がなかったわけでございます。言いかえれば、
地方自治体というのは
一つであると、そういうことにしますと
府県と、いうのは
むしろなくてもいいじゃないか。その
府県をなくす
かわりに、
かわりと言っては語弊がありますけれども、なくした場合に、それでは
地方の
政治をどうするかというと、やっぱり道、州といったような、いわば
ブロック別の
単位の
行政に非常に力点を置いたそうした
行政をやっていく方が望ましいと、こういうふうに思いました。
しかし、私がそのときに提案をいたしましたのは、
中央政府は
中央政府としてあって、その
地方支分局が大きな
権限を持ってやればよろしい。したがって、
ブロック別の
単位というものは、例えばその長は
中央政府の任命によってそれを行う。
地方自治体は
市町村だけ、こういうふうな非常に簡素化した
行政体制が望ましいということを提案したことがございます。その趣旨は、できるだけ
政治や
行政というものを
国民の身近なところに置く、これが
日本のこれからの
民主化にとって非常に大事なことだということを発表したことがございます。
その後、いろんなことを勉強したり経験したりいたしまして、今ではそうではなくて、その
ブロック別の
単位を
一つの州というふうな形で、
独立国家と言うとおかしいんですけれども、
独立な
政治や
行政形態にしてしまう。そうなった場合には
中央政府というのはどうなるかというと、もう明らかに
アメリカとかそういうところにありますように
連邦制にするということでございます。
私は、そういうふうな
行政改革をやれば、
東京の
人口というのは
江戸のときと同じようにたちどころに三割ぐらいは減るのではなかろうかと思っております。そして、あらゆる政策が
東京を
中心にして行われるのではなくて、それぞれの
地方地方を
中心として行われることによって、私は、
地方の
活性化といいますか、あるいは
国土の均衡ある
発展というものが自然にできてくるのではないか、こういうふうに思っております。最近は、
むしろそういうふうに思い詰めていると言った方がいいかもしれませんけれども、そうでないと
東京が救えないばかりでなく
日本の国が救えない、こういう
感じを持っております。私は
法律学者じゃないものですから時それを裏づけるような
法体制とかそういうものはまだよく研究しておりませんけれども、おおむねそういうふうな
体制をつくれば
東京一極集中を、
首都を
移転するというふうなことをしなくても可能になってくるのではないだろうか、こういうふうな期待を持っているわけでございます。
大変、何というか、とっぴなようなことではございますけれども、こうした
連邦制度をとっているところの実態をごらんになればよくわかるわけでございまして、例えば
アメリカのワシントンの
人口は百万に足りません。
オーストラリアのキャンベラは
人口が三十万でございます。ドイツのボンも五十万そこそこでございます。こういうように
連邦制度をとっているところの
首都の
人口というのは比較的小さいということを考えてみますと、
東京にあるいろんな
機能の
集中ということを分散するためには、そうした
政治や
行政の
体制そのものを変えていくというところまでさかのぼらないと解決はできないのではないか、こういうふうに思っております。
そういたしますと、そこにできますところの
行政の仕組みというものも当然変わってまいります。例えば、
東京にある
連邦政府は国防と外交、
内政調整、それから
司法、大蔵あるいは
国土企画、こういった
全国に及ぶようなものさえあればいいことでありまして、あとの一般の
行政施策の
省庁は全部
ブロックにそれを移してしまうということが大切だと思っております。したがって、
行政の
権限をできるだけ
地方に移すということが極めて大事なことであって、その移すことによって私は
地方の主体性とか、
自主性とかあるいは
地方の
活力とかそういうものが結果として生まれてくるのではないか、こういうふうに考えております。
これは、私もちょっと関係したんですけれども、経団連で
首都問題委員会というのがございまして、そこで各社の
社長さん方に
アンケートをした結果が出ております。この
アンケートの結果を要約いたしますとなかなかおもしろい結果が出ております。
例えば、
一極集中というのは一体いいのか悪いのかということでは、ほとんどの
企業の
社長さん方が
一極集中はよくないと、こういうふうに言っておられます。そのよくないという答えの中の主な
理由は、地価が上昇し過ぎる、
交通が渋滞する、それから
住宅、宅地の
不足、こういった問題を取り上げておられる方が非常に多いわけであります。しかし、
東京への
一極集中のメリットとしてはどういうものがあるかというと、それは
情報収集が容易で業務の
効率性が高い、それからお客さんを獲得しやすい、そしてその
最後のところに、
許認可を受けるのに便利である、こういうことで
東京へ本社を立地させている
企業が非常に多いということであります。
こういうことから見ますと、例えば
先ほど私が申しましたように、
全国十
ブロックで、そこにいろんな
行政権限を移していきますと、
許認可を受けるのに便利だというのは
東京ばかりではなくて、
全国十カ所ぐらいに、
許認可を受けるのに便利だという形で、
企業が分散することは可能であるというふうに私は思っております。
そういう
意味で、
首都機能を
首都圏以外へ
移転した方がいいという
意見は、
地方分権の推進ということとあわせまして
支持する人が非常に多い、約四〇%が、
社長さんの中には、こいうことを
支持している、こういうふうにおっしゃっている方がいるわけでございます。こういうことを考えてみますと、多くの
国民は、あるいは
企業者自身もやはり
東京一極集中はよくないという
人たちが非常に多いということが言えるだろうと思います。
この中で、
遷都の形に対していろんな
意見が出ております。しかし、十分に理解されてないという点もあるんですけれども、もし
遷都するならば、分都とか
拡都とかいうことよりは、やっぱり
遷都という形の方が一番
意見が多い。言いかえれば、すべてどこかへ
移転するということが非常に多かったという結果が出ております。
これに伴ってちょっと
首都移転とは違うんですけれども、例えば
皇居の
移転ということにつきましては否定的な
意見が大部分でございました。約七〇%は
皇居は
移転しなくてもいいけれども
首都機能は
移転した方がいい、こういう
意見が圧倒的に大きかったということであります。
こういうふうな
民間企業の結果を見てまいりますと、やはりそれぞれの
企業者は、こうした
首都機能の
移転ということに対して大きな
関心を持っているということがわかります。
最後に、私が申しました
地方分権についてといいますか、言いかえれば、道州制といったようなものへの移行ということにつきましては、
企業者の
方々は約七六%、四分の三の
方々がこれに対して
支持をしておられます。言いかえれば、
自治体としても広域的な
自治体を設置して、そこにほとんどの
権限を委譲した方がいいと。それは道州制、これも
先ほど申しましたようにいろんな形の
ものがございますけれども、そういう道州制への
支持というのは非常に強かったということをここで
参考までに申し上げておきたいと思います。
ただ、大変おもしろい結果としては、それでは
遷都をしたときに、
首都が
移転をしたときにあなたの
企業は
東京に残りますかどうですかという質問をしたのに対しては、やっぱり六〇%以上の人が
東京に残る、こう言っておりますから、したがって、ちょっとそこのところ論理の
矛盾はあるんですけれども、やっぱり
経済活動は
東京で、そして
行政や
政治活動はどこかほかのところでと、こういうふうな
意見になるであろう、こういうふうに思っております。これは
一つの
参考意見でございます。
私が、こうした
連邦制論というのを大変強く
先ほども申し上げましたのは、やっぱりそうでもしないと
日本の
国土の均衡ある
発展ということはできないということでございます。しかも、
東京に
集中していることに伴うところの
経済的なマイナスの面というのはかなり私は大きいと思います。
私は、
郷里が
島根県でございまして、
東京とは違ってまさに過疎に悩んでいるところでございまして、この間もちょっと
新聞に資料が出ておりましたけれども、去年の
公共投資の額を見ますと、
島根県は一人
当たりの額にいたしまして
日本全国一でございます。これは
公共投資という面では相対的に非常に恵まれたと、こういうふうにとられかねない数字が出ておりましたけれども、私は、長年、我が郷土におりまして、一人
当たりの
公共投資額というのがいかに無
意味なものであるかということを痛切に
感じております。それは、ただ
人口が少ないから
投資額が相対的に大きいように見えますけれども、
社会資本の
整備をやってまいります場合にはある金額が必要なんであって、それは決して一人
当たりで割った金額ではないということを痛感してまいりました。
そういう点では、
東京は確かに一人
当たりにすれば
公共投資額はそんなに多くはないかもしれませんけれども、この
東京に投資せられている
社会資本の
整備の額の大きさというのは極めて私は大きいと思っております。逆に言えば、
人口の密度が大きいところではそれだけ
公共投資の効率が高いということも言えると思いますけれども、そういうのは
公共投資の額が問題なんであって、
人口一人
当たりの
公共投資額ではないということを先生方にも十分に御理解いただいて、こうした
地域に
むしろ率先して
社会資本の
整備を図っていただかないと、過疎
地域といいますか、
地方はますます意欲を失ってくるのではないか、こういうふうに思います。
きのうも
新聞で第二東名道路であるとか、あるいはそれをまた
東京へ結びつけるような道路構想が出ておりました。そういうのを見ますと、そのうちの何分の一かを山陰と山陽を結ぶあるいは南北を結ぶような高速道路の
整備に充てられれば、本当に
地方というのは
活性化するんだなというふうなことをつくづく思いました。また、昔悪口を言っていたんですけれども、例えば瀬戸内海の橋です、何といいましたか、橋が大体総
投資額一兆円なんですね。この一兆円の額を
日本海の方へ振り向けてもらえばずっと
日本海側はよくなるのじゃないかというような気が非常にしまして、あれも決して悪いごとではないと思いますけれども、そういう
感じをつくづく抱いたわけでございます。そういう点から申しますと、
東京集中がいろんな形でそうした
国土開発というか、
国土政策の面に
むしろ悪い影響をもたらしておるのではないかというふうに思えて仕方がないわけでございます。
これは、私もいつかどこかでそういう皮肉を言ったんですけれども、JRの時間表を見ますと、
東京行きは全部上りでございまして、
東京発で
地方へ行くのは全部下りです。ここは余り字句にとらわれるのもよくないかもしれませんけれども、
東京へ行くのは全部上り、
東京から出るのは全部下りという、そういう感覚
自身が、私は
日本の
国土を非常にいびつなものにすることになっているんじゃないかという気がいたします。そのためには、
中央政府が持っておりますところのあらゆる
権限は全部
地方へ移す。移して、そして
中央政府が持っている
機能というのは国防とか外交とか
内政調整とか、そういうふうなものに絞った方が、私はこれからの
政治や
行政というものがスムーズにいくのではないだろうか、こういうふうに思っております。
今私は行革審の豊かさ部会というところに所属して、一応答申をまとめたところでございますけれども、そこでもやっぱりできるだけ
地方へ
権限を移す、それが
国民全体を非常に豊かな
感じを持たせるようなことになるはずである、言いかえれば、
地方がそれぞれ
自分たちの
権限に基づいて、そして
自分たちの責任によって
政治や
行政を行うというところにこそ初めて
活力が期待できるのではないか、私はこういうふうに思っております。
そういう
意味では、そうした
首都の
機能とかあるいはもっと端的に申しますならば、
中央政府の
機能というものを
地方に分散することによって、より豊かなあるいは豊かさが実感できるような
国土というものをつくっていくことが、これから二十一世紀にわたって私は大変必要なことではないか、こういうふうに思っているわけでございます。
以上、大変何か雑駁なお話を申し上げましたけれども、あとはもしいろいろ御質問があればそれにお答えをすることにいたしまして、私の話はこれで一応終わります。(拍手)