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岡田(利)
委員 私は、この
法案を
審議する前提として二、三の問題について十分
議論をしておかなければならぬ問題があろうかと思います。
その第一点は、過去の戦争体験を通じて、いわば過去の歴史を我々はどう清算をするのか。いまだ戦後の未解決の諸問題が次々と提起をされておりますことは皆さんも御存じのとおりであります。したがって、この戦後の諸問題にまず我々はけじめをつけなければならないということが第一点であります。
第二点の問題は、
宮澤総理も
所信表明の中で述べられましたように、冷戦構造は終結をした、だが、この終わりは始まりである、新しい
時代の始まりである、こう述べられておるのであります。この新しい
時代の始まりが間違うと悔いを千載に残すことになるのであります。それだけにまたこのスタートは重要であると
認識をしなければならない、かように思います。なるがゆえに、私は、この新しい
時代に向けて
我が国が軍備管理について、軍縮についてどういう政策と姿勢をとるか、このことがやはりまず明らかにされなければならない問題ではないかなと思います。
そして第三には、自衛隊が警察予備隊として発足をして既に四十一年の歴史を経過をいたしておるのであります。その間、
我が国の憲法と自衛隊、
国会とのかかわり、そしてまた
国連という、
我が国の外交の
中心として
国連外交を展開するというそういう
立場に立って、今ロンドン・サミットでも問題が提起された
国連に対して一体我々はどういう寄与をするのか、これらの
議論がまず先行されなければならない、こう思うのであります。
そういう
議論の上に立って、当面するこれらの
法律案についてどう我々は
国民合意を形成するか、こういう姿勢が私は極めて基本的な姿勢でなければならない、こう思います。残念ながら、そういう前提について詳しく
議論する時間もなかったようでありますし、前
特別委員会でもそのような掘り下げた
議論は行われていないと議事録で承知をいたしておるのであります。
私は学校を出て初めて社会に出ましたが、当時、朝鮮半島から
強制連行されている労働者が炭鉱で働いておりました。私は炭鉱のエンジニアでありますから、私の現場には六十名の朝鮮人がおり、
日本人は十一名でありまして、私は七十一名の切り羽の担当係員をしたのが社会に出た始まりなのであります。そして昭和十九年、北海道の炭鉱の一部、石炭はもう輸送がきかない、したがって全員転換をせよという徴用指令を受けて、私は朝鮮人六十五名の引率小隊長として九州の大牟田の三池炭鉱に実は転換をしました。そのとき通産省で輸送隊の
責任を負っていたのが実は田中龍夫先生であったのであります。無事に朝鮮人労働者を連れていくことができました。
そして私の着いた三池炭鉱はそのときどういう
状況かというと、朝鮮人労働者だけではなくして、
中国山東省の捕虜の
人々が働いていました。また、オーストラリアの俘虜、オランダの人も含まれておったようでありますが、これらの方々も三池炭鉱の坑内で重労働に実はあえいでいたのであります。その後、私の与えられた現場の担当には、
中国人、山東省の捕虜の
人々と一緒に働くという経過になったのであります。私は、三池炭鉱からその後、旭川の第一師団の第三部隊に入隊をいたしました。
私の昭和二十年のときというのは、私の父親は、当時、アメリカ本土を爆撃する帰り切符のない長距離爆撃機を飛ばすその飛行場、計根別飛行場の建設に徴用になっておったのであります。私は長兄は当時アッツ島要員でありましたけれ
ども、急遽変更して、サハリン、樺太で、上敷香で終戦を迎えました。三年間の抑留生活を終えて帰ってまいりました。私の三兄は当時
中国の山東省に住んでおりまして、現地徴兵が行われて、そしてこれも
中国から無事に家族とも
ども帰ることができたわけであります。私のすぐの兄貴は、関東軍から南下しまして沖縄の戦線に参加をして、首里の戦闘から与座に後退をして、そこで実は戦死をいたしました。私は旭川で技術幹部候補生でおったのであります。私の弟は、当時満州の撫順炭鉱の養成所におったのであります。これが私の家族の昭和二十年の
状況であります。
これが私の政治家としての原点であるわけです。それは私の政治家としての原点のみならず、
我が国の新しい
日本を目指す、
我が国のいわゆる原点でもなければならない問題だ、こう思うのであります。そういう中から我々は平和憲法を採択をして、この四十六年、今日の
日本の繁栄を築いてきたのではないでしょうか。私は、四十一年間我が祖国を防衛するのみの
任務を与えた自衛隊が、今日海外にそれぞれあらゆる分野に
派遣をされる、こういう事態に当たって、そういう原点というものをもう一度見直すことが大事だと思うのであります。
私は、そういう意味で、まず
宮澤総理の言うなれば戦争体験と反省といいますか、それらについてもきょう率直に承りたいと思います。