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井上孝君 通告を申し上げた質問の順序をやや変えまして、雲仙・普賢岳噴火災害について御質問を申し上げたいと思います。
六月三日の雲仙・普賢岳噴火に伴う火砕流による犠牲者は四十二名に及びます。この方々に心から哀悼の意を表するとともに、十一名の負傷者の方々の一日も早い快癒をお祈りいたしたいと思います。
また、既に三カ月にわたってこの炎天下、不自由な避難生活をしておられる二千八百世帯、一万人以上の方々、また警戒や救護に日夜活躍を続けておられます多数の方々の御労苦に衷心よりお見舞いと激励を申し上げる次第であります。
〔
委員長退席、
理事井上吉夫君着席〕
今回の噴火災害は、実は、私も長い間災害対策というものに携わってまいりましたし、六月七日には現地に行ってまいりました。つくづく思いましたのは、従来の災害というものは台風とか洪水とか大体一過性の災害であります。今回の災害は、その点から見ますと極めて異例なものだと思っております。
先日の本
会議におきます
西田国土庁長官の御報告にもありましたが、六月三日の火砕流による人命、財産の被害、それから六月三十日に土石流によってまた被害が起きました。時々降灰、火山灰が降ってくることによる被害もあります。しかし、そういった被害以外は危険区域から立ち退きをさせられ、避難をさせられ、強制的にこれが行われているということによります多数の人々の肉体的、精神的な苦痛、しかも、これが既に三カ月の長期に及び、さらに、この
状況が一体いつまで続くのか全く見通しが立たないままに継続しておるわけであります。
もう一つは、長期にわたってこの地域に危険が続いておりますために、経済活動が全く停止をしておる。その経済活動が停止するという被害がいわゆる危険区域にとどまらず島原半島全体に及んでおる。小浜町の旅館、ホテルにもお客が全く来なくなってしまった、こういうことであります。
それからもう一つは、今立ち退きを命ぜられております危険区域、これは法律上は警戒区域と申しますが、この中に立ち入りができない。これは罰則があるわけであります。立ち入りができないために、一体自分の家が、自分の農地がどのくらい被害を受けているのかという被害の確認、特定ができない。もちろんそのための災害復旧事業もできませんし、自分の田畑や財産がどのくらい被害を受けているかわかりませんからそれぞれの世帯の生活再建策のめどがたたない。普通の一過性の災害とは著しく異なった、性格の特異な災害であります。
しかし、災害発生以来、
政府と県と市、町当局は既存のあらゆる制度を適用して、避難民の救済、危険の防止に当たってこられました。特に、既存の災害制度では、今私も申しましたように今回の災害が非常に特異である、たくさんの制度がありますが、こういう特異な場合を想定して制度ができておらない。したがって、制度を適用しようとしてもどこかで法律にひっかかるものもございました。政令、省令、あるいはいろいろときめ細かくつくっております基準が当てはまらないというようなものがたくさんありましたけれども、災害発生以来、
政府に災害対策本部をつくっていただきまして、各省がそれぞれ相談して支障になるような、今申しましたような政省令とか基準は思い切った弾力運用をしていただきまして今日まで対処していただきました。二十一分野八十三項目と言われておりますが、私は、日ごろ硬直した考えしかやらない
日本のお役所がよくもここまでやってくれたなと。私自身も役所の出身でありますからよくわかるのでありますが、大変思い切ったことをやってくれたなということを私自身高く
評価するわけであります。これはお世辞でも何でもありません。(「お世辞だ」と呼ぶ者あり)お世辞とおっしゃるなら、後ほど各省から少し細かく伺いたいと思います。
例えば、まだ災害が終わっていない、もっと大きな災害が来るかもしれない、しかも被害の
状況が
調査できない、したがって、法律では激甚災害というものは被害がわからなきゃ指定ができない。それなのに各省は激甚災害並みの手当てを既に各分野でやっていただいておる。これなんかもある意味じゃ法律違反かもしれませんけれども、思い切った措置を講じていただいております。そのほか応急仮設住宅の規格とか面積、クーラーもつけてくれたというような、いろいろな従来にない細かい措置もとってきていただいております。
私、こういうことをいろいろ調べておりまして、戦後から今日まで四十六年間、災害のなかった年は一年たりともありません。多いときは八回も九回も自然災害があったわけであります。毎年のように台風、集中豪雨、地震、津波、噴火、豪雪、寒波、いろいろあるわけでありますが、こういった自然災害を毎年のように受けておりますので、
政府も非常にきめ細かな制度を積み上げてきております。
私は、今回の災害で個人災害等に対する手当て等でいろいろと文献をひもといてみましたけれども、やはりこれには
政府の努力もありますが、政治家の努力もありました。個人のお名前を挙げて恐縮でございますけれども、自民党の前議員の天野光晴さんの名前があちこちで出てくる。この間お亡くなりになった
佐藤隆先生も、個人災害については大変な努力をして制度を既につくっていただいておる。また、野党では社会党の辻原弘市先生、公明党の
小川新一郎先生、災害に大変御熱心な先生方がいろいろなことに努力をされて、いろいろな制度をつくっていただいております。
この先輩の御努力に私は本当に頭の下がる思いをいたしておりますけれども、今申しましたように、今、災害だけのための法律が二十本近くあります。私が勘定したところ十七、八本あります。それぞれそれに伴うきめ細かな政令、省令というものができております。こういうものを駆使していただきまして、今、雲仙のあの気の毒な方々に
政府、県及び市、町当局が細かな対策を練っておられるわけでありますけれども、ただ一つ今回の災害で困ることがあります。
それは、冒頭申し上げましたように、今回の災害の特異性からいって、災害対策基本法の六十三条で言う警戒区域を設定する。先ほど申しましたけれども、危険だからといって公権力で立ち退かせた。そこへ入ると警察官が来て追い出してしまう。こういうような法律、公権力で立ち退きを命じておるわけであります。しかも、危険がもう既に三カ月にもなっておりますから長期間に及んでおる。この点に対する手当てだけは実は残念ながら諸先輩、過去の
政府の御努力にもかかわらず現在ございません。このことをまず指摘させていただきまして、私は後ほどこれに対する手当てをお願いしたいし、また、
政府の御見解を承りたいと思います。
その前に、今、この災害地がどういう
状況になっておるか、また各省がどんんな手を打っていただいたか、全部やりますと時間がとても大変でございますので、幾つかの省についてお伺いをいたしたいと思います。
まず国土庁に伺いますが、五月二十九日に災害救助法適用と同時に避難所を設置した、これは厚生省でございます。六月七日に警戒区域が設定されて避難住民が二千八百十四世帯一万三百四十九人に達した。避難所が島原市に八カ所、深江町に四カ所、主として体育館であります、約四千人の人が入る。また、旅館やホテル、それから客船まで持ってきて約千五百人を緊急に収容いたしました。しかし、これは体育館に雑居であります。これが長くなると家庭の世帯ごとのプライバシーも守られないということで一生懸命に応急仮設住宅をつくりました。今ほとんどの方が応急仮設住宅その他に収容されておりますが、この避難民の方々がどういうところに何人行っておられるか。大変恐縮ですが、もし何でしたら
政府委員でも結構ですが、国土庁から御報告を願いたいと思います。