○
山元委員 それでは、時間も余りありませんから、次の問題幾つかございますが、
一つは軍人恩給の欠格者問題についてお
伺いを総務庁にしたいと思います。
この問題については私
ども、我が党はその解決に大きな
努力を今までもしてきましたし、
政府もこの問題の重要性を
認識して頑張って
努力をしていただきました。平和祈念事業特別基金の四百億円への積み上げなど、そういう
努力がございました。そして、さきの
国会で私
どもの同僚の
北川委員やあるいは新盛
委員が詳しく皆さんに
お願いをいたしました。拡大の問題やあるいは不合理なところを直してもらいたいということを幾つか持っているわけです。きょうは時間がありませんから、つい先日もこの該当者の代表の方が強く申し出られました問題についてだけ申し上げたいと思います。
現在この恩欠者で平和祈念事業の事業を受けていらっしゃる方の年齢平均というのは七十歳を超えている、七十二歳になっていらっしゃる。これは終戦のときに三年以上のそういう経験がある、例えばその人が二十であったとしても今六十六歳、七歳になっていらっしゃるわけですね。三年あったとしたらもう七十歳に手が届く、一番若い人でももうそういうふうになっているわけです。けれ
ども、現にあるのは、慰労のための書状と銀杯と、慰労品をお渡ししますという事業になっているわけです。申請をすると、七十歳までだったら書状だけを送ります、七十歳になったら銀杯をまたお届けします、順番が来たら慰労の品をお届けします、こういうふうになっているわけです。七十歳前後の人に四十六年前に御苦労になりましたからといってお渡しする品、これは実態からいえば七十歳近い方が四十何年前のことを思い出しながら、どこから出発した。どういう部隊だった。そういうことを一々申請する。そういう
手続をするのは何だといったら、紙切れ一枚という言い方は悪いけれ
ども、書状一枚のために請求する、七十歳にならぬと銀杯はもらえぬのだ、そういう
制度に今なっているわけです。
平和祈念事業の魂というのはやはり幾つかあるわけですけれ
ども、あの戦争について御苦労になった方にお礼を言う、お慰めをする、二度と戦争が起こらないようにする、そういう幾つかの魂があるわけですが、こういうやり方では心がこもったやり方とはどうしても言えぬ。そのことは今まで何遍も私
どもは言ってきたわけです。
そこできようは、その範囲を、例えば三年以上となってあるのを一年以上にしてほしいとか、あるいは内地、外地を問わずにしてほしいというようなことについて幾つかの要求を持っていますけれ
ども、ただ一点だけ、七十歳という年齢制限、四十六年たって今なお七十歳ということで、もう二、三年というのに二回、三回というふうにチャンスを待たなければならない。その支給、贈呈は作業の都合でおくれてもやむを得ぬと思うのです。私にきのう事務所へ行ってきました。基金の事務所へ行ったら、七十何人のパートの人たちが一生懸命になって作業を進めていらっしゃる。大変だと思う。百八万人も該当者があって、今二十何万人が申し出がある。早くという気持ちで頑張っていらっしゃることはわかりますけれ
ども、それに乗せて七十歳制限というのを今もなおつけていることについては何とも
理解がしにくいです。そのことを強く要請しますし、なぜその七十歳制限というのが今もあるか、その理由についてお聞かせをいただきたいと思うのです。