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秋葉委員 社会党の
秋葉でございます。三十分いただいておりますので、その間に今回の
島前会長の
国会における
うそ答弁、それに関連した項目について何点か伺いたいと思います。
NHKは
公共放送、その報道の存在価値というのは、
放送法の三条にもありますように真実を伝えることにあるというふうに思います。その
会長であった人物が
国会で
うそをつくということは、まさに
NHKそのものの存在価値を否定しているような言動だというふうに私は考えていますけれ
ども、先ほどからの御
答弁を伺っていて、
川口新
会長の誠実な
答弁の
内容に関しては実は確かに好感を持ちましたけれ
ども、一つはそういった個人レベルの問題ではなくて構造的な問題であるということ。構造的な問題であるという観点から考えますと、本当に今回の
虚偽答弁の重みが
NHKの方に伝わっているのかどうか疑問に思いました。
これはどぎつい例かもしれませんが、例えば現在の金銭万能主義といったような社会の価値観の中で考えますと、これはあえてお金に例えた方が非常にわかりやすいのかもしれない、そんな気さえいたします。
そういたしますと、例えば日銀総裁がにせ札をつくって使った、それに匹敵するような大きな事件ではないかというふうに私は思います。現在の日銀がそういったことをするということを申しているわけではありません。仮に日銀がそういうことを行ったら、日銀の総裁が行ったら、それはとんでもない問題になる。私はそれと同じような重みを持った問題だというふうに思います。
その理由は、
放送法の第三条にあるのはただ単に事実を曲げないということですが、事実を曲げるということ、その逆の場合を考えると、少なくともそこにはまだ事実が存在しています。針金でもくぎでも考えていただければいいのですけれ
ども、ある真っすぐなものを曲げるということはいけない、そんなことでさえいけないと言っているのですが、今回の
虚偽発言の場合にはくぎ
そのものがなくなってしまって、あるいは針金
そのものがなくなってしまって、全く別のものをそこに持ってきた。しかも、それを再三行っている。
うそをつく場合に、非常に重要なのは、どのような意図を持って、どのような手段によって、どのような期間一貫してそれを通すかということが非常に重要になってくると私は思います。子供の
うそと今回のような
うそが本質的に違うのはその点だと思います。ただ、目の前にあるものを少し曲げるというのはまだ
うそとしては程度が軽い。全くないものを、しかも微に入り細に入り架空なものをつくって、さらにそれが
うそだとわかった上で今度は絵をつけてまで新しい
うそをつくり出していく、これは
うそとしては本当に悪質と言う以外私は言いようがないというふうに思います。ましてや、真実を売り物にする報道機関、しかも
公共放送として特別の地位にある
NHKの長が行ったということで、その
責任は非常に重いと私は思います。
NHK全体に関しても同じだというふうに思います。
しかるに、先ほどからの
答弁を聞いていますと、ただ一つだけ申し上げてあれなんですが、個人的に恨みがあるわけじゃないのですが、十一時から十一時十五分までの間に、Kという女性のロスに行く費用をだれが払ったかということで十五分間に三回
答弁が変わりました。最初は
NHKエンタープライズが払ったと言って、その次は
MICOが払ったと言い、三回目の
訂正では
ホテル代は
NHKが持った。たった十五分の間に何でこんな簡単なことが三回も変わるのか。結局、このような
うそ、そしてそれによって損われた
信頼を
回復するためには、私は非常に大きな努力が必要だと思います。にせの一万円札をつかまされた人は、恐らく何年にもわたって、一万円札を見るたびにこれは本当のお札なのか、にせ札なのかということを見る瞬間に考えると思います。全
国民は、全
視聴者は、
NHKの少なくとも幹部の方々の
発言を聞いて、そのたびにこれは本当なんだろうかという
気持ちで聞いていると思います。そういう状況の中で、
信頼感を
回復するためには、それこそ地道な、そして勇気ある事実の集積ということがどうしても必要だと思いますけれ
ども、少なくともさっき申し上げましたような十五分間に三回も
答弁が変わってしまうようなそういう対処の仕方では、
国民の
信頼感を容易に
回復することはできないというふうに私は思います。
それと同時に、今回の
島前会長の
虚偽発言事件で明確になったことは、少なくとも
国会においての
発言に関しても
NHKの
発言をそのままとってはいけない、
発言をそのまま信用するのではなくて、事実の集積によってその裏打ちをしてもらわない限り、我々はうっかり
NHKの言うことを信用してはいけないんだという原則を新たに
NHK側の
発言によって
国会の
審議の中へもたらしたというふうに私は考えております。したがって、これからの私の
質問も、言葉ではなくて、具体的に
NHKとしてどういう行動をとってきたのか、どういった事実があるのか、そのことに従ってお答えいただきたいというふうに思います。
実は、真実ということを、アメリカの裁判所では証人が宣誓をする際に次のような宣誓をいたします。それは、私は真実を述べます、真実のみ、そしてすべての真実を述べます、こういうことなんですけれ
ども、今、
島前会長発言で問題になっているのは真実のみの部分です。つまり、
うそを言ってはいけないということですが、この真実、もう一つ大事なところがあります。それはすべての真実というところです。例えばけんかをした場合に、相手を殴ったことにはまるっきり触れずに自分が殴られたことだけを真実として述べるというのは、それはすべての真実を述べたことにはならないということであります。その観点から考えますと、実は報道において非常に難しい問題は、ただ単に
うそをつかないという当たり前のこと以上に重要なのは、偏った報道をしない、公平な報道をするということだと思います。
そういった観点から、実は、以前のこの
委員会で私は湾岸戦争の報道について
質問いたしました。そのときの
島前会長の答えに私は非常に大きな不満を持っておりますので、そのフォローアップといいますか、その点について今回もう一度
質問させていただきたいと思います。
そのときの
島前会長の答えは、要するに私が公平だと感じたから
NHKの報道は公平なんだというのが最終的なお答えでした。その
島会長の考えられたその公平さ、私がそう思うからというところ、しかしながらそう言った御
本人が
うそをついているわけですから、島さんのおっしゃったことをもちろんそのまま信用するわけにはまいりません。
そこで私は、二月の最初の一週間、学生の協力を得て各
放送局の夕方のニュースの湾岸戦争に関する報道について、そのニュースソースを調べ上げました。そのデータを前回の
国会で申し上げました。その結果として、少なくともその時期はニュースソースに非常に大きな偏りがあったということを申し上げました。そして、偏りにはもちろんいろいろな偏りがありますけれ
ども、そういった偏りもニュースの偏りの一つであるということを申し上げたつもりでございます。その点について、
NHKの考え方をもう一度伺いたいと思います。
湾岸戦争報道の偏りについて現在
NHKはどういうことを考えているのか、手短で結構ですから、その考えの基礎となる具体的なデータ、それを示していただきたいと思います。