○福田
委員 湾岸紛争はこれ以外にも本当にいろいろな教訓を残してくれたのでありますけれ
ども、
政府、また公的な
立場の機関または人員がいろいろな形でこういう紛争またはそれにまつわる業務に携わり、また時には身命を賭すというふうなことをされたわけであります。これは公務でございますから、私は当然のことと言えば当然のことであろうと思うのでありますけれ
ども、片や民間の場合には、例えば民間企業やそれに属する民間人、こういう人たちの中にも、体を張ってそして危険を冒して企業を守り、またそれが国益につながるんだというふうなことで頑張った人はたくさんいるんだということ、そしてそういうふうな事実がなかなか表に出てこないということを私はこの際申し上げて、そして少しその実例を御
紹介申し上げましで皆様方の御理解を得たい、こういうふうに思っているわけであります。
これは実はサウジアラビアで操業いたしておりますアラビア石油の場合ですけれ
ども、紛争中は目立った行動をするとイラクからやられる、こういうふうな不安がありましたので、殊さら事実を隠して行動したというふうなことであります。最近そういうふうな
心配がなくなったものですから、同社の社長の小長氏が日経連の広報誌に「
湾岸戦争に学ぶ企業の危機
管理」というふうな特集の中で述べているものがありますので、それに沿って御説明をいたします。
アラビア石油は、御承知のとおり
日本の資本として初めて石油開発に中東で成功をし、そしてサウジアラビアの
政府と合弁で操業をしておる会社であります。油田と製油所がペルシャ湾に面しておりまして、カフジというところにございます。カフジはクウエート国境からわずか十数キロ南に位置するところであります。年間一千万キロぐらいの石油を生産し、そして
日本にそのほとんどを持ってくる。昭和三十六年に操業を開始しまして、現在まで三十年間、合計で三億キロ以上も石油を
日本にもたらしている、こういう
日本にとりまして大事な企業というふうに考えられます。従業員は現地人、
日本人合わせまして約二千人、こういう規模の企業でございます。
この小長社長の記録によりますと、八月二日に紛争が開始した、そしてイラク軍がクウエートに侵攻したわけであります。クウエート国境のイラク最前線からわずか十八キロのところにカフジの鉱業所があるのでありますけれ
ども、大変な危険な
状態に陥った、こういうことであります。
そして、八月九日にサウジにあります
日本大使館の退避勧奨というものが出まして、
日本の商社とかメーカーとか、そういうところの在留者はサウジの全土から一斉に引き揚げた。一部は帰国し、一部はほかの地域に逃げたということでしょうか、そしてアラビア石油も家族だけは帰国させました。しかしアラビア石油は、国籍を問わずすべての従業員にその鉱業所にとどまることを命令したわけであります。そしてあくまでも残留して操業を続けよう、こういう決意をしたのであります。
この決意は当然会社のトップがしたわけでありますけれ
ども、その理由は、従業員が二千名である、家族を含めると一万名の直接の
関係者がいる。カフジ地区は人口が三万ということでありますので、その約三分の一を占めるということになります。アラビア石油の操業をとめるというふうなことがあって、そしてこの地区から
日本人の社員を初めその従業員たちが離散するというふうなことになりますと、この地域の社会に対して背を向けるというふうなことを
意味するのではないか。そういうことによりまして社会的道義的な責任が果たせなくなる、こういう事情がありました。
それから次に、会社の創立当初からの目的というのが、
日本への石油供給の安定的な
確保、これを目指しておったわけでありますけれ
ども、これが
貢献できなくなる、こういうことになるわけであります。特にエネルギー情勢が、イラクそれからクウエートから原油供給がなくなるということでありますれば非常に逼迫するのではないかというふうな
状況の中で、サウジの
政府もそうでありますけれ
ども、
米国な
ども増産をぜひしてくれ、こういう要請が来ておりました。もしこの要請にこたえないで操業をとめるということになりますと、
日本は非
協力であると。アラビア石油が非
協力だけれ
ども、しかし
日本が非
協力である、こういうふうに判断される可能性が出てきたわけであります。そのような判断で、危険な
状態で操業を無理して続けたということでありました。
そういう
状態を見まして
日本のマスコミは、「アラビア石油は経営者が社員の生命の安全を非常に軽んじておる、企業の利益を優先している」というふうな批判もしたこともあったわけであります。
八月十日に緊急対策本部を発足させまして、危機
管理のメニューを作成したわけであります。しかし、当然のことながら社員の不安は増大し、また、社員の
日本に戻る家族から不安を訴える声が続出をした。こういう
状況になりまして、八月十五日に東京で留守家族大会というのを開きました。アラビア石油がなぜ操業をとめないのか、それはそういうふうな会社的そして国家的な使命があるのだということをよく説明し、また、同社の当時副社長でありました小長氏が現地に行って、自分でちゃんとよく見てくるということを約束して、そして
不満を和らげるという
努力をしたのであります。
そして小長副社長はカフジに飛びました。当時
日本人は百十七名カフジの鉱業所に残っておりましたけれ
ども、そういうふうな人に
状況を伝え、そしてまた、退避計画とか退避壕のシェルターをつくるとかいうふうな処置を講じて安心をさせたということであります。それから後は、当時社長でありました江口氏そして小長副社長、この二人が交代で毎月現地に赴いて、現地の人に安心してもらうというふうな方策を講じていたということであります。
緊急避難計画も子細につくりました。危機
管理でございますけれ
ども、千五百人分のシェルターの建設もした。それから船で脱出するようにボートも用意した、こういう準備をいたしました。
そして、いよいよ開戦をするかもしれぬという一月十二日に大使館から退避勧奨が出ました。しかし、そういう人たちは残ったわけでありますけれ
ども、その人数を減らそうということで、
日本人を五十人にまで減らしたわけであります。現地人も三百五十人最後まで残ったわけでありますけれ
ども、一月十七日、ロケット弾が着弾をしたということで、シェルターに一斉に退避をした。そして五時間シェルターで攻撃に耐えた。カフジの市当局からは全員の退避命令が出ておる、そういう
状況の中で五時間退避壕におったわけでありますけれ
ども、昼ごろになりまして、砲撃が少しやんだところで二十台の車に分乗して脱出を図った。最後の車には当時
責任者、専務がいたようでありますけれ
ども、その鉱業所の最高
責任者が乗った。そして脱出をしている。そして夕方、タンマン市のホテルで一同全員が無事を確認した、こういうふうな経緯でございました。
そういうふうな、最後の最後まで操業を頑張ったということで、このことについて、サウジの
政府はもちろんのこと
関係者から大変評価を得まして、そしてナセル石油
大臣が二月にはわざわざテレビで、「カフジのアラビア石油は極めて勇気ある行動をとった」というふうな激賞もし、そしてその結果、
日本も面目を保つことができた、こういうことであります。
私はなぜこういう話をするかといいますと、本当に
日本人は中東から帰っちゃったのですよ。例えば私はこの六月にアラブ首長国連邦、ア首連に参りました。そこでいろいろ話を聞いてきたのでありますけれ
ども、アラブ首長国連邦にも石油の操業会社がございまして、これは三社ございます。この三社は残りましたけれ
ども、三社以外の金融機関、商社とかメーカーの人、そういう人たちは一斉に八月二日以降
日本に帰ってしまった。こういうふうな事実がありまして、
日本人は
日本の銀行に行ったって決済ができないというふうなこともございましたし、また
日本人はどこ行ってもいなくなっちゃった、連絡もつかない、こういうふうなことでアラブ首長国連邦の人は大変寂しい思いをした、こういうことなんであります
その後どういうことが起こったかと申しますと、それを埋めるかのごとく
アメリカの軍隊とかその他ヨーロッパの軍隊がだあっと入ってきたということであります。それで、やはり
アメリカとかヨーロッパの国々は頼りになるな、心細い思いをしていたア首連にとりましては本当に力になるのは欧米だな、こういう
感じを受けたというのが後で聞いた話でございますけれ
ども、そういうふうなさなかでございますから、このアラビア石油が残った、また大勢の人が残って最後の最後まで頑張っだということは、これは大変なことであったのではないかなというふうに思います。
この社長、副社長がどういうふうな気持ちていたか。このことによって一人でも人命が損なわれるというふうなことがあった場合には、これはもう本当に償い切れない責任を負わなければいけないということは当然であっただろうと思いますし、またしかし、その反面、早々と撤退するというふうなことをしたならば、これは、
世界最大の石油の輸出国でありますサウジアラビア、そして埋蔵量もこれからもどんどんふえていくのじゃないかなというふうに言われておりますサウジアラビアとの
関係がどうにかなってしまうのじゃないか、アラビア石油だけじゃなくて
日本との
関係もおかしくなってくるのではないかというふうなことをこの両首脳の
立場で考えたのではないか、こう思っております。
そこで、私は教訓として、まず第一、危機
管理がしっかりできていて、そして現地のリーダーが権限を委譲されて、そして的確な判断をするということができれば民間人でも安全を図ることができるのではないかということ。第二に、民間人といえ
ども一身の安全のみを考えず、企業とか国家の目標を理解して使命感を持って行動することができるということであります。それから第三点、留守家族に対しては、夫や父が危険な
状態の中にいるのでありますけれ
ども、そういう人たちの父や夫の使命をよく理解して、また会社の方がコミニュケーションをよくして十分な連絡を毎日のようにするというふうなことをすれば決して、不安は不安かもしれぬけれ
ども、その不安を幾らかでも解消することができる、こういうことであります。それからもう一つは、社長とか副社長というトップが現地に赴くという、みずから行動するということが社員の信頼をから得た、こういうことであります。
この四つの教訓を、今
政府の議論しておりますPKOの安全性とか、そういうことに当てはめて考えてみたのでありますけれ
ども、私はやはり、そういうふうな使命感を持つということがあれば危険度というものをかなり軽減することはできるのではないかなというふうに思っております。ましてや公務のことでございます。民間人でもここまでやるのですから、公務の人が多少の危険があるからといって行かない方がいいなんという考えは、これはもう忘れた方がいいのじゃないかな、こういうふうに思っております。
そういうふうなことを私は教訓として得まして、また、こういうふうな民間企業のやったことというのはなかなか表面に出ません。ですから、せめてこの機会をいただいて、そういう事例を
紹介する次第でございます。
次に、湾岸
貢献の方はもうこの程度にいたしまして、外務
大臣が訪ソを予定されて、そして近く出発される、こういうことでございます。きのう、きょうの新聞報道によりますと、パンキン外相がテレビ会見をしまして、
中山外相が訪ソ時にゴルバチョフ、エリツィン両
大統領と会う、そして北方領土の返還、平和条約
交渉の枠組みをつくる、こういうふうな報道をされておりますけれ
ども、この辺の事実
関係は、もしくはそのような話がもう既にあるのか、またその見通しがどうなっているか、お聞かせいただきたいと思います。