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公述人(
前田哲男君)
前田でございます。
私は、
湾岸戦争後の国際問題について、主として
日本の
役割を
中心に陳述いたしたく存じます。
実は私、一月十七日、
湾岸危機が
戦争に転化したちょうどその瞬間、船に乗ってペルシャ湾の沖におりました。以後、紅海、
スエズ運河、地中海にかけておびただしい
アメリカを
中心とする多
国籍軍の艦船、航空機が海と空に蝟集し、力を
行使するありさまを見ながら、この
戦争は一体何なのであろうかということを考え続けてまいりました。また、アジア、アラビアの多くの港に寄港いたしましたので、そこにいる
人たちとこの問題に関して、あるいは
日本の
役割に関して話す機会もありました。そうした経験を踏まえながらお話ししてみたいというふうに思うんです。
湾岸戦争を振り返って、私、あの
戦争は目的と
手段との均衡を著しく欠いた不必要かつ過剰な力の
行使であって、正義とか国際的な新
秩序確立という名分によって正当化し得ないのではないか、そういうふうに考えております。
なるほど
クウェートは解放されました。しかし、正確に言うならば軍事的に奪回されたにすぎません。平和が戻ってきたわけではありません。平和が戻る条件が今
クウェートの大地にあると信じる人はほとんどいないだろうと思います。四十万になんなんとする米軍がなお無期限の状態で駐屯せざるを得ないだろうと思われます。そのような解放を果たして
クウェートの国民が望んでいたかどうか、甚だ疑問です。
環境の問題もあります。
クウェートが侵攻以前に生産していた原油の倍の量に当たるおびただしい油井が今も炎上し続けています。ペルシャ湾に流れ出した原油の勢いもまだとどまるところを知りません。局地的な環境異変が起こっています。これほど地球環境の破壊が叫ばれている今日、あのような
軍事力の
行使が必要であったかということを考えざるを得ない。ここにも目的と
手段との間に果たして正当的な整合性が存在するのだろうかという疑問がわいてきます。
また、この問題によって転化された感のあるパレスチナの問題に関しても、あれほど危機から
戦争にかけてリンケージという言葉によって重要性が論議されていたのですが、しかし軍事作戦以後、ほとんどこのリンケージという問題は表面から消えてしまったように思われます。ここにも南の、あるいはアラブの間にこういった力の
行使に対する不信が今後深まっていくのではないかという懸念が生じます。
こう考えてまいりますと、私はこの
軍事行動は目的と
手段との均衡から逸脱した不必要かつ過剰な力の
行使であったというふうに言わざるを得ない。したがって、今後の
日本の
役割、国際的な
共同行動に対する
役割を考える場合に、このケースを下敷きにしてはならない、これを前提にしてはならないだろうというふうに思うわけです。
私たちがこの
湾岸危機を契機に
日本の国際的な貢献のあり方を考える場合、まず直視し解きほぐしていくべきジレンマが
二つあると思います。
一つは、言うまでもなく憲法の要請と国際的
共同行動の間のジレンマであります。
憲法の平和
主義に籍口して我々が何もしないということになれば、それは国際的な非難を浴びてもいたし方ないでしょう。我々は、憲法の規定、
理念を何かしないための口実にではなしに、もっと積極的に打ち出していくべきであろうと思います。しかし、国際的な
共同行動をそのままの形でできるかどうかは別の問題であります。そこにやはりジレンマがあることを私たちは直視し、それを解きほぐす
努力をしていかなければならないと思うんです。
もう
一つのジレンマは、西側の一員という
日本の立場とアジアの一員という
日本の立場から生じるジレンマだと思います。
日本は、
経済力において、先端技術において西側の一員あるいは北側の一員としての先進国の立場、
理念を享有している。これは申すまでもありません。しかし同時に、地理的、文化的、
歴史的においてアジアの一員たることも、これも疑問の余地のないところであろうと思います。しかも、
日本はこのアジアにおいて、過去半世紀、二十世紀の前半、大きな被害を与えた、
侵略をしたという事実をアジアの
人たちが忘れていないということも事実なんです。
先ほど申しました今回の旅行の中で、アジアの
人たちと話し合って一番印象が強かったのは、我々が西側の一員としての応分の負担をしようとしているという形で九十億ドルの問題でありますとか
国連の平和協力法の問題を幾ら説明しても、しかしアジアの
人たちにとってそれ以上に、
日本の公式の謝罪がなかった、いまだない、あの
戦争の記憶の方が強いという、このことはいかんともしがたい。つまり、アジアに対して忠たらんと欲すれば西側に対して孝たり得ない、西側の協力を
中心に忠たらんと欲すればアジアに対して若干孝たり得ないという、このジレンマがあるということを直視しなければならないと思うんです。このジレンマを、かつてのアレクサンドロスがゴルディオンの結び目を解いた故事に倣って一刀両断するという手法もあり得ましょう。しかし、それでは真の解決にはならない。迂遠であれ面倒であれ、しかし丹念に解きほぐす。その中から、解きほぐすことを含めて、
日本の国際的な貢献とみなして示していくということが必要であろう。まずジレンマを直視し、それを解きほぐす
努力から我々は
湾岸戦争後の国際問題、
日本の責務を考えていかなければならないのではないだろうかと思うんです。
もう
一つ、国際貢献をするに当たって、今盛んに議論されております、昨秋以来
国連平和協力法における協力のあり方が論じられました。そこで論じられていることは大変重要なものではあるんですが、むしろ私はそれ以前に、我々は何をするのか、原則の確立あるいはガイドラインの提示の方が先行すべきではないのかというふうに考えます。つまり、自衛隊を出すのか出さないのか。ある勢力にとっては自衛隊を出すということがあたかも国際的協力の
中心になるように、そういうふうに映る議論がなされます。また、逆の立場からは、自衛隊を出さない、自衛隊抜きの組織をつくることこそ目的であるかのごとき議論が聞かれる。ともに不毛であるというふうに思います。自衛隊を出すか出さないかではなしに、
日本が何をするのかという大きな原則をまず確立する、そこから議論を始めるべきであろうと思うんです。
原則確立のために何が必要なのか、私なりの
意見を申し述べてみますと、まず第一に
日本の
役割、こういった国際
共同行動に関する
役割に関して原則として立てるべきは、
日本の場合、危機対処より危機回避に重点を置いた貢献がまず必要なのではないかということであります。短期に即応するタイプの貢献であるより、長期に何か誘導していくような、そういった貢献を
日本の国際貢献の柱として位置づけることこそ必要なのではないかというふうに思います。例えて言いますと、ODAによる援助を
効果的に使うことによって
紛争要因を未然に防ぐ。危機前対処と申しますが、危機対処の前の段階における
役割を重視する。あるいは海外青年協力隊のような既存の組織を使うことも、この危機前管理対処に非常に役に立つのではないかと思います。こういった短期即応型より中長期にわたる大きな国際的な貢献、協力のあり方を
日本の
役割にしていくという原則がまず必要なのではないか。
しかしながら、今回の
イラクによる
クウェートのような突発的な
事態も起こり得るわけでありますし、
紛争要因は事前にいろんな政策的な要因で芽を摘むという単純なものではありません。いろんな形での突発的な短期即応型の協力もまた完全に無視、
日本の
役割の外に除外することもできないと思います。
その際、
日本はこれまでのような避け方をしてはならない。より積極的にみずからの使命と
役割を見出してそこへ参加していくべきであろうと思います。その際は、先ほど
北岡公述人の
意見にもありましたように、
国連中心主義という原則がやはり大きな柱になろうと思います。
国連に、たとえある組織に自衛隊を参加させる、退職自衛官を参加させるということができたとしても、それを
国連の主権あるいは
国連の指揮のもとに差し出し部隊として提供するということになりますれば、国民の反応、アジアの反応は大きく変わってくると思います。
まず、国際
共同行動は
国連中心主義において行うという原則を立て、そこに提供さるべき組織は
日本の統帥権、指揮権の外に置くという決定をなすべきであろうと思います。そうしますならば、自衛隊の問題もほとんど解決するのではないでしょうか。
同時にもう
一つ、アジアの
日本に対する懸念を払拭する意味から、
国連に提供される組織は、アジアの旧戦場ないし旧植民地に出動する場合に限って、その際には身に寸鉄を帯びざる状態で出ていくという原則を立てることだと思います。今回のような、あるいはアフガニスタンのような場合は違います。アフリカにおいて、中南米においても違い得るでしょう。しかし、アジアの旧戦場ないし
日本が植民地として支配した国々に対する
国連主権のもとの
共同行動であっても、その際は
日本は身に寸鉄を帯びざる状態でしか
行動しないということを原則として掲げる、そのことによってアジアの不安と西側の一員としての義務の間のジレンマは解消することが考えられる。そのような原則を立てることがこの際必要なのではないか。
そのような原則を立てた上で、組織の問題、自衛隊は現役たるべきか予備自衛官なのか、あるいは出向すべきか、火器の携帯の範囲という具体的な問題が出てくるわけで、私は、昨秋以来の議論はその大きな原則を欠いた細かな問題が先に出てきた結果、自衛隊を出すのか出さないのか、一方で初めに自衛隊ありき、他方で自衛隊外しが目的というような議論になっていってしまったのではないか、残念でならない思いがするわけです。
これから新しい環境を得て
日本の国際的な
役割が論じられるに当たり、まず原則を立ててガイドラインを提示して、それを
世界からはっきり見えるような形で提示しつつ、その中で
日本の
役割を具体的に詰めていくという作業がとりわけ必要であろうと思います。
もう
一つ大きな原則の中に含まれるべきは、
軍縮、
紛争防止に対する
日本の貢献、協力の手続を確立していくことだと思います。御承知のように、今回の
湾岸戦争の中でも化学兵器の拡散の問題が大きく取り上げられました。あるいは核兵器の拡散の危機に関しても論じられました。
武器の輸出はとどまるところを知らず、東西の
冷戦解消が逆に南北間における
武器輸出の拡大につながるという非常におかしな
事態さえ生まれてきている。この状態において、私たち
日本は核兵器をつくる能力を持ちながらつくらないという自制の政策を堅持した国として、先端兵器をその気になれば大量生産する能力を持ちながら、しかし輸出はしないという原則を堅持した国として、
世界に対して核と
武器管理に関する具体的な提言をしていく。そうなりますれば、道義的な説得力を持った強い外交的な主導権を発揮し得るのではないか。これを国際貢献の
一つの柱に立てるべきであろうと思います。
武器輸出の規制に関しては、もう既にさまざまな提言がなされておりますが、しかし一方、
湾岸危機直後の現地の情勢を見ておりましても、
アメリカを初めフランス、もう既に戦火がおさまったばかりの
湾岸地帯に新たな
武器を輸出しようとしている、輸出しているという状態があるわけであります。戦火はおさまったけれども平和が回復しないという原因の
一つに、
武器輸出の問題があろうかと思います。
さらに、核の拡散も
かなり深刻です。化学兵器の拡散に関しても憂慮すべき状態が広がっている。こういったことに関して、
日本は核も化学兵器も
武器輸出も一切手を染めないという立場をもっと積極的に
軍縮提案の形で打ち出していく。それは
地域軍縮に関する貢献にもなると思います。
さらに、
軍縮面での貢献のもう
一つの要因として、
アメリカとソビエトとの間で結ばれた東西間で進んでいる
軍縮に関して、
日本がもっとその
軍縮を監視したり検証、査察する、技術的な面で貢献し得る余地が大いにあると思うんです。
軍縮産業と呼んでいいほど、これから東西間で進んでいく核
軍縮あるいは化学兵器
軍縮を実質的に進めるに当たって必要なさまざまな手続、とりわけ技術的な検証の中では、大きな先端技術と地球的なネットワークが必要になってくる。もう間違いないことだと思います。そして
軍縮が
効果的にお互いの信頼の中で進んでいくには、そうした検証
手段が張りめぐらされ、
効果的にかつ中立的に動いているということが前提であること、これまた言うまでもありません。そうした
役割をなすに当たり、
日本の持っている政治的な立場あるいは技術的な力量は大いに役立つと思うんです。
これまでの
軍縮、ヨーロッパで行われましたINF条約に関しては、
米ソの技術的な蓄積によって可能でした。しかし、今後、ただいま延びておりますが、
米ソの間で戦略兵器半減条約ということになりますと、これは十二の技術的な検証の手続が要求され、七年間にわたって、しかし半分は残し半分は廃絶するという極めて技術的に困難な
軍縮がスタートする。さらに、フランスのパリで開かれて原則的な
合意を得ました化学兵器の廃絶という条約がもし
合意され条約として
動き出すとしますれば、化学兵器は農薬と医薬品の境目の極めて困難な領域にまたがっている
関係上、しかも核兵器以上に多くの国々によって生産されている以上、これを廃絶する手続、監視というのは大変膨大な、かつ先端技術をもってしか可能でないような領域にわたります。こういったところにこそ、
日本の平和
主義、先端技術の蓄積が貢献さるべきではないかというふうに考えるわけです。
こうした
軍縮でありますとか
地域的な
武器の拡散に対する防止策に
日本が資金と技術と道義的な説得力をもって対応する、そのような原則を立てますれば、
日本の国際的貢献が足りないとかいうような
意見は払拭されるのではないか、そのように私は考えます。
したがって、今後の
日本の国際的な貢献のあり方、区々の問題で
日本の
役割を分担することより、まず大きな原則を立てて、その原則の立て方を
世界から見えるような形でぜひ御審議願いたいということ。その中で具体的な貢献策を詰めていけば、日米
関係においても、そのような破局的な将来を予測する必要はないのではないかというふうに思います。
以上で陳述を終わります。ありがとうございました。(拍手)