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瀬谷英行君 NHKの朝の
テレビドラマで「君の名は」というのをやっていますが、あれの
最初のシーンは
東京大
空襲なんですね。三月十日に
下町が
空襲を受けて焼け野原になった。その
下町の
東京大
空襲の生き残りの女性に私は戦後会ったんです。真っ黒だった
髪の毛が真っ白になっていたので、おばさん随分しらがになったねと言ったら、三月十日の大
空襲のときに火の壁の間を走り回って逃げて、身内の者は死んだけれ
ども自分はやっと助かった。そうしたら一晩でもって真っ黒だった
髪の毛が真っ白になっちゃった。私はびっくりしたんです、そんなものかなと思って。黒い髪が白くなるにはどなたもかなりの年数がかかるわけです。急に白くはならないですね。それが一遍に白くなっちゃった。これは大変なことだったなというふうに思いました。
しかし、あの時点では
日本軍は戦う力はもうなかったんです。私自身が感じましたよ、軍隊にいて。海軍といったって軍艦がない、空軍には飛行機がない。私は
戦車隊だったけれ
ども、
戦車隊にも弾薬はあって
戦車がなかったりするんです。これは困ったんですね。私は、我々の持っている軽
戦車じゃかないっこないじゃないかと言ったら、今にでかい
戦車が来る、その
戦車が来れば大丈夫だと。そうしたら、その
戦車の百五ミリの砲弾だけ来たんです。弾だけ来て、それで
戦車は来ないんです。
戦争が終わるまで来なかった。そしてその弾の方は、敵の銃撃によって焼失した場合には厳罰にするぞなんておどかされたんです。そんなこと言ったってたまらないと思ったですがね。そういう
経験をしたんです。
したがって、我々がそういう
経験をしていたときはもう既に
お手上げ寸前だったんです。だから、私はあの
原爆というのは
核兵器の
生体実験だと思うんですね。やらなくたって済んだんですよ、もう時間の問題だったんですから。済んだのに、
戦争が終わってから
原爆をおっことすというのはこれはできないから、
生体実験はできないから、
戦争が終わる前にまず
核兵器の
実験をやるということをやったんじゃないかと思うんですね。そう見られたってしようがないでしょう。だから、この種の問題については、過去の
過ちはやっぱり
過ちとして素直に認めて謝罪するのが私は道理だと思うんです。あれは当然だなんというような大きな顔されたんじゃ迷惑なんですね。その点、
外務大臣としても心得てもらいたいと思うんですが、どうでしょう。