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最高裁判所長官代理者(今井功君) 和解の運用の実情について申し上げたいと思います。
最近、
民事裁判につきましては、
裁判所の方では
民事訴訟の
運営改善ということで口頭弁論を活性化するということを試みております。具体的にどういうことかと申しますと、今までは五月雨式弁論と申しまして、一カ月に一回
程度法廷にあらわれまして法廷で書面の交換をするといった
程度で、なかなか口頭による議論というのがされなかったという嫌いがあったわけでございます。それにつきましては、やはり
民事訴訟法の原則から見るとおかしいのではないかというような批判もございまして、なるべく当事者双方が例えば書証等を目の前にしまして口頭で議論を闘わせる、このようなことをいたしまして争点をできるだけ早く明らかにしよう、こういうようなことをやっておるわけでございます。そのようなことをいたしますと、おのずから両当事者の間で
事件の帰趨というようなものが見えてくるという事例が多いわけでございます。このようなことも和解が最近多くなってきた
一つの原因ではないかと思います。
ただ、
裁判官が具体的な
事件を
処理するに当たりまして、まず第一に
考えますのは、その
事件がどのようなことで解決を見るのが最もこの
事件の解決にふさわしいのかということを
考えるわけでございます。そういたしますと、その事案に応じまして、例えば原告の言い分にもある
程度の理由があるけれ
ども、しかし被告の言い分にも全く無視できないところもあるという事案があるわけでございます。ただ、これを
判決で解決いたしますとしますと、これは
法律に従ってオール・オア・ナッシング、一〇〇かゼロかということでございます。ただ、そのようなことにいたしますと、具体的な事案について、その事案の具体的な妥当性という点からいきますと必ずしも妥当でないというような事案もかなりあるわけでございます。そのような事案につきましては、その事案にふさわしい解決を当事者に勧めるというのが
一つの
考え方でございます。和解を勧める理由としては、
一つはそのようなことがあろうかと思います。
また、
民事裁判でございますので、これは基本的には当事者の間におきます私的な権利の
争いでございますので、和解で当事者の間のお互いの合意による解決ということができますれば、それはそれとして
一つのいい解決の方法ではないかという
考えもございます。そのような理由から
裁判官は和解を勧めておるわけでございますが、ただ、当事者がどうしても
判決をしてほしいという
事件、これはもちろん
判決をしなければいけませんし、そういう
事件を強引に和解に持っていくということは決してあってはならないことであろうというふうに
考えておるわけでございます。
いろいろ申しましたが、結局のところは、具体的な事案に即しましてその
事件の具体的な解決を図るために和解をしておるということであります。決して
判決をするのが大変だから和解をするというようなことはないものだと
考えておるわけでございます。中には、和解をする方が
判決で
処理するよりも何倍も手間がかかるというような
事件もあるわけでございまして、そのような事情も御理解をいただきたいと思います。
もちろん、今
委員がおっしゃいましたように、和解につきましてもいろいろ批判があるということはいろいろな文献で私
どもも承知をしております。具体的な個々の
事件の
処理でございますから、それがどうこうということを私
どもが申し上げるわけにもいきませんけれ
ども、各現場の第一線でやっておられる
裁判官はそのような批判についても謙虚に耳を傾けて、どのようにすればいい
事件の解決ができるかということで日夜努力しておるというのが実情でございます。