○猪熊重二君 結局、さっきも申し上げたでしょう、要するに
場外馬券場ということについてこの二条に書いてあるのは、設置場所はどうだと言うから設置場所は何丁目何番地ですと。設備の概要はどうだと、テーブルがあってこうです、どうですと。本体たる
競馬場との連絡方法はどうなんだと、電話でやりますとか係員が走っていきますとか。設置の理由はどうなんだと、お客さんが
競馬場だけで買い切れないで人がいっぱいいるんでと、こういうことは書いている。電話なんてことは
一つも書いていない。要するにこの令二条が予想している
場外馬券場というのは、お客さんが歩いて来るか、自転車で来るか、自動車で来るか知らぬけれ
ども、ともかくそこへ出向いてきて券を買って、金を払い戻してもらってということなんです。それを電話なんということは
一つもないじゃないか。これは拡大解釈だ。今回やろうとしているパソコンも同じことなんだ。
こういうふうな重大な変更が農水省の役人の都合だけでできるということに非常に問題があるんです。電話だってまあこの設備の概要の変更だ、パソコンも設備の概要の変更だ、こんなところまでこの令二条を広げていったら、
法律が任せている趣旨と全く違ってくるじゃないですか。この
法律をつくったときにはそんなことは予想していないんだ。この間の海部内閣の自衛隊機の派遣と同じなんです。
法律の趣旨を全然変えて膨らまして変質してしまっている。この令二条で電話なんということはないんだ。みんなそこでお店を広げて皆さんが買いにきて、それで金と券とをこういうふうにして、当たっていれば逆になって、金を払ってこうと。こういうことの
場外設備なんです。電話で来るなんということは何もない。それをそういうふうに設備の概要を変えるというふうなことですりかえるということは非常に不適切であると思うんです。
私が何でこんな電話のことを申し上げるかというと、電話による購入、今度はパソコンによる購入というふうなことは、出向いていく手間すらやめて、ばくちそのものにずっと近づくということを申し上げたいんです。要するに、ちょっと能書きを言って申しわけありませんけれ
ども、先ほどから、やれ
ギャンブルというのはどうも気分がすっきりせぬというふうに
競馬会の
理事長が言っておられるけれ
ども、要するに
競馬が本当の
意味のスポーツだとしたら、そこには競走はなくてもいいんです。自分が馬に乗って、いい馬をどう走らせて、自分がどれだけ技術の向上をするか。これがスポーツのはずなんです。
今度は、そういう人が何人か集まって、駆けっこしようじゃないかということになってやったときに、初めて
競技の問題が出てくるんです。だから、自分で乗るということが前提で、スポーツかあるいは
競技か。これを見ている人は、これはもう単なる傍観者なんです。これを
ファンと呼ぶか何と呼ぶかは知らぬけれ
ども、これは見ている人です。
この
レースに銭をかけたときに初めて賭博になるんじゃありませんか。だから、この賭博に銭かけて、
刑法で言えば、偶然の輸贏に乗じて博戯もしくは賭事をなすことなんです。偶然の勝ち負けでもうかったり損したりするというこれがばくちなんです。これが
ギャンブルなんです。だから、
競馬というのはスポーツだとかあるいはゲームだとか
レジャーだとか言っているけれ
ども、銭かけて、それで券買って、もうかるか損するかになったとき、これはもうばくちそのものだということを前提に物を
考えなきゃならぬと思います。
それでも
競馬場へ行って実際に
競馬を見ている人は、まだ
レジャーとしての問題もある。それからその現場で銭かければギャンブラーだ。
レジャーを楽しみつつギャンブラーです。電話なんというのは影も形もないのに、ただ銭かけて、もうかったか損したかです。もうかったか損したかだけに関心があってやることだとしたらこれはばくちそのものだ。だから、電話の
馬券購入とか払い戻しは電話でするわけにいかぬから、結局どこかへ取りにいくんでしょうけれ
どもね。――銀行口座へ振り込むのか。私は
競馬のことは全然知りませんのであれだけれ
ども。これを今度またパソコンでやると。何でそんなにばくちを
国民にどんどん広げようとするのかということを私は
大臣に聞きたいんです。
要するに、物事の出来事には影の部分と光の部分があるはずなんです。それをどのように
考え、どのように評価するかはその人の人生観、世界観の問題です。ですから私は、私の申し上げていることが絶対に正しいなんていうことは
一つも言っているわけじゃないんです。私は私の
考えからして、こういう額に汗流さぬ銭を私はもらいたいとも思わぬし、
国民にもそういうふうな額に汗流さぬばくちの銭が欲しいというような
国民は、できるだけ少なくなってもらいたいというこれは私の人生観です。
だけど、そうじゃなくて、株でももうけるか、宝石でももうけるか、宝くじでももうけるか、ばくちでももうけるかと。しかし、一番大切なことは、
競馬会の
理事長に私は申し上げておきたいんです。
競馬場で動いた銭は、こっちの銭がこっちへ行って、あっちの銭がこっちへ来たとしても、銭の動きがあっただけであって、それによって米一粒が生産されるわけじゃないし、物がどれだけ動いたわけでもない。要するに、それが
ギャンブルじゃないですか。
大臣、こういう電話だとかパソコンだとかということで、どんどんもうかりさえすればいいというふうなことじゃなくて、
競馬の負の面を、影の面を
考えてもう少し自制するべきだと私は思うんですが、
大臣の所見はいかがでしょう。