○翫正敏君 それに関連して、次に
長官にお伺いしたいんですが、その前に私の意見を述べさせていただいた上で、
長官の御
見解を承りたいと思います。
そもそも、この許可認可等臨時
措置法は、近鉄の特急料金改定申請を許可した陸運
局長の処分、その許可の取り消し、国への損害賠償を通勤客らが求めた近鉄特急料金訴訟の一審判決において、判決の中で
憲法違反と、こういう判決も受けた法律であります。
さらに、戦前の
地方自治制度について見ましても、一八八八年、明治二十一年に市町村の自治制度を定めた市制町村制の立法の理由書には「
政府ノ事務ヲ
地方ニ分任シ、又人民ヲシテ之ニ参与セシメ以テ
政府ノ繁雑ヲ省キ併セテ人民ノ本務ヲ尽サシメントス」と、こうありまして、当時の
地方自治は臣民の権利というよりも国政に協力する義務、こういうふうにされていたわけです。大正デモクラシーの時代はかなり自治も進展したわけですが、元来
憲法に
地方自治の保障がなかったために、昭和の戦時
国家体制に入りますとたやすく改変をされてしまったわけです。許可認可等臨時
措置法が制定された昭和十八年といいますと、市制町村制改正によって市町村会の権限が小さくなり、逆に市町村長への国政事務の委任は法律、勅令に限らず省令でもできることとされ、この時点で
日本の
地方自治は法的にほとんどゼロと、こういうことになったと言われております。
新しい
日本国憲法第八章の「
地方自治」は、このような戦前の中央集権体制への
批判として、
反省として設けられたものであります。第九十二条には、「
地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、
地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」、こうありまして、この条文から「
地方自治の本旨に基いて」という語句を取り去ってこの第九十二条を読むなら、「
地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、」「法律でこれを定める。」となってしまい、
地方自治についても基本的なことは全国一律に、画一的に法律で物を決めてしまえることになってしまうわけであります。つまり「
地方自治の本旨」という
言葉の持つ重みがどれだけ重いかということを意見として申し上げたいわけであります。
この
言葉は法律学的には一種の不確定概念であり、内容がなかなかはっきりしないとも言われておりますが、大体、さまざまな
地方自治のあり方の選択において、住民自治、団体自治の強化、拡充の方向を命ずる傾向的概念ということと解されているようであります。いわば自治体の人権保障、こう言えるものでありましょう。ですから、
地方自治法二条十二項には、「
地方公共団体に関する法令の規定は、
地方自治の本旨に基いて、これを
解釈し、及び運用するようにしなければならない。」、こうあるわけです。たとえ国の法律であろうとも、
地方自治の本旨に合わぬものは排除されるべきである、こういう意見を申し上げながら、次に御
見解を承りたいんです。
行政事務の
合理化あるいは簡素化と申しましても、
合理化とか簡素化ということ自体が絶対的によいというわけではもちろんありませんで、民主主義という
立場からいいまして、往々にしてある地位の高い人のツルの一声で物が決まってしまうということがないような手続、これが必要であります。許可認可等臨時
措置法のごとく
戦争の遂行のための簡略化というようなものもあれば、さきの
裁判例のように、それを用いて通勤客、住民の不利になる値上げが
合理化されるというようなこともあるわけです。要は、その
合理化を推進する理念が
地方自治の本旨にかなうかどうかが大事なことであると思います。
この十年間の行政改革というものの本質を見ますと、自律、自助とか相互連帯とかの美名のもとに、実際は福祉、教育、農業など、
国民生活に密着した分野における行政施策の縮減、また西側諸国の一員としての外交、防衛、経済面でのより積極的な
貢献、こういう言い方をされまして、逆に教育とか福祉、農業などを削って軍事の方面を拡大していくという新しい形の中央集権化が見られる、こういうふうにも言うことができると思います。
行革は、さきに挙げたかつての市制町村制の立法理由にあるように、ただ
政府の煩雑を省くためにだけなされるのではよくないと思います。この法案が
地方自治の本旨にかなう行革となっているのかどうか、
長官の御所見を承りたいと思います。