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政府委員(鎭西
迪雄君) 過去三回の地価高騰の
経過を踏まえという
委員の御
指摘でございますので、簡潔に戦後三回の地価高騰の背景と要因につきましてまず述べさせていただきたいと
思います。
三十年代でございますけれ
ども、御
承知のように岩戸景気と言われた三十三年から三十六年にかけて見られた地価高騰でございまして、第二次産業が急速に発展いたしまして、旺盛な民間企業の設備投資が
製造業の工業用地需要を急速に拡大させたということで、工業用地の地価高騰が非常に大きかったというのが端的な特徴ではなかろうかと思っております。
それから第二回目が四十七、八年でございまして、企業の事業用地取得あるいは大都市等への人口集中等による
土地需要が生じまして、大都市圏の
住宅地を中心にして地価高騰が生じました。それが、たまたま当時、金融緩和等による過剰流動性という問題、あるいは列島改造ブームと言われたような
土地に対する投機的需要というものに増幅されまして、地価が全国的に高騰いたしまして、むしろ地方の方の地価高騰率が高かったというのが特徴ではなかろうかと
思います。
それから今回、六十年代からの地価高騰でございますが、五十九年ごろ東京都心部に端を発しました業務用地の需要の急激な
増大、あるいはその業務地化に伴います
住宅地の買いかえ需要の
増大というものを契機に生じたわけでございますけれ
ども、先ほど来いろいろ御
議論がございますように、金余り
状況のもとで将来の地価上昇を見込んだ仮需要の
増大が主たる原因となりまして、割安感のある大都市圏周辺地域あるいは地方の主要都市等へ順次波及していったというのが今回の地価高騰の特徴でございます。
それで、それぞれに対応いたしまして、
政府としては、例えば昭和三十年代につきましては新
住宅市街地開発法の制定によりますニュータウンの整備等、
住宅宅地の供給促進策というものを中心にやってまいりましたし、昭和四十七、八年の高騰におきましては、そのときの背景でございました金融緩和等による過剰流動性に対応いたしまして、総需要抑制のための金融引き締めあるいは
土地関連融資の量的規制の実施といったものもやってまいりましたし、
土地税制というものの活用というのもこのころ相当御
議論が行われまして、幾つかについては実施されてまいっております。それから四十九年には国土利用計画法の制定、国土庁の創設といったようなこともやられたわけでございます。
そして今回の地価高騰ということになるわけでございますが、その間実は、私
どもの地価公示法が始まりまして一回だけ、昭和四十九年の一年間だけ全国的に地価が下落を見ております。これは先ほど申しましたような対策というものがあずかっておるというように
認識しておりますけれ
ども、昭和五十年の地価公示、これは四十九年の一年間の低落率でございますけれ
ども、
住宅地の全国平均で八・九%、三大都市圏では一〇・四%の下落が見られたところであります。ただ、その後明確に全国規模では低落をせずに、せいぜい落ちついてきたのがしばらくたつとまた地価高騰になった、こういうようなことでございます。
そういう反省を踏まえまして
政府としては今回の地価高騰に対応いたしましていろんな手だて、対策を講じてまいりましたが、その集大成が
平成元年の十二月に成立を見ました
土地基本法だと、こういうように言えると
思います。その
土地基本法に基づきまして設立されました
土地政策審議会の答申、これを受けまして先般一月二十五日に
政府として閣議
決定いたしましたのが、ただいま
委員から大変御
評価をいただきました総合
土地政策推進要綱でございます。
私
どもは、
土地政策審議会の答申にもございますように、過去何回かの地価高騰についての反省、それに対応いたしまして
政府としてはそのときどき全力を挙げてやってきたわけでございますけれ
ども、ややもすれば施策の総合性あるいは整合性に欠ける嫌いがあったとか、あるいは若干対応のおくれというものがあったという
土地政策審議会の御
指摘等を踏まえまして、二度とこれからはこういった形での地価高騰を生じさせない、そういう
制度的枠組みをつくるというのが極めて重要である、こういう
認識に立ちまして十項目から成る個別
政策についての
基本的な方向というのを取りまとめたものでございまして、その中の重要な位置づけとして
土地税制というものも入っておるわけでございます。
政府といたしましては、この総合
土地政策推進要綱に書かれております各般の施策を総合的に精力的に推進するということで、二度とこれから地価高騰を生じさせないというかたい決意で取り組んでいこうということにしたところでございます。