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参考人(永山利和君) 永山でございます。
お手元に簡単なメモをお配りしておきましたので、それに沿う形で私の
意見を述べさせていただきます。
現在
審議されております大規模
店舗法の関連五
法案でございますが、私が問題にしたいと思っておりますのは、この
法律を取り扱う角度といいましょうか、その点を
一つの私の
意見の中心にしたいと思っております。
この問題を取り扱う角度の第一といたしまして、この大規模
店舗法が想定しております大規模
店舗というものの持つ
影響が大変これまでも大きかったと思いますし、現在までの、特にこの一、二年の
出店申請を見ましても、大変多数の申請がなされておりまして、ある
意味でラッシュ
状況が見られております。そういうことで、この問題を考える際に、まず第一に、その
影響というものをどう考えたらいいかということであります。
言うまでもなく、私
どもの消費生活に与える
影響が大変大きいわけでございますが、同時にそれにかかわりますさまざまな
商業、特に
小売業、卸売業に与える
影響はかなり大きいと考えられます。これまでも大規模
店舗のシェアというのはだんだん高まってまいりましたし、今後もそういう傾向が強まるものと予想されているわけであります。
しかも、その大規模
店舗の拡大に合わせまして、
商業部門ばかりでなくて、最近はオルガナイザー機能というものが改めて注目されている関係もございまして、卸売業あるいは生産分野に非常に大きなインパクトを与え、かつ開発輸入などに見られますように、海外に対してもかなり大きな
影響を与えてきておるわけでございますので、単に
商業の合理的な
発展あるいは公正な
競争の維持という、そういう角度の国内的な観点だけではどうも十分でない、そういった
状況が見られるわけであります。
そういう
意味で、純
商業部門あるいは流通部門というふうに考えているだけでも、もう少し広い作用を与えているように思われるわけです。したがいまして、かなり広い角度でこの問題を扱うという時代が来ているというふうに思います。
それから、大きな作用の第二点目といたしまして、この
大型店の今後の展開というものが可能にならしめている
幾つかの条件を見ますと、生産の方の技術革新というものが今後ともかなりのテンポで予想されるわけでありますけれ
ども、さらに流通の技術、
とりわけ情報化あるいは通信技術の
発展に伴いまして、業態もさまざまな展開を見せると考えられますし、それから何よりも、生活、消費と生産を結ぶところの流通の場の設定といいましょうか、特に居住環境の
整備でありますとかあるいは
都市計画、
町づくり、そういったものとの関係も非常に深いものがございます。
商業というのも
歴史的に見れば自然の成り行きで
発展してきているように見えますけれ
ども、さらにここに
大型店の大きな
影響が付加されるということになりますと、これは
商業ばかりではなくて、居住環境、つまり
消費者の側の直接間接を考えてみますと、生活上のいわば下部構造にも大きな変化を与えるというような性格を持ってきていると思います。
それだけではなくて、さらに
消費者自身というものをかなり変えてきているのじゃないかということが言えると思います。この
消費者を変えてきたという
意味合いは、必要なものあるいは求めているものが大量に供給されておりますから、その中から
消費者は選択すればよろしいというようなことになってまいります。これは非常に利便性が高まっていることでもございます。
ただし、生活というのは単に物を買って消費するというだけにとどまりませんで、当たり前なことですけれ
ども、そこにさまざまな生活上必要なものあるいは改善を求める部分あるいはより高次の利便性を求めるもの、さらには人間同士の潤いを持たせるとか、さまざまなニーズがあるわけであります。
そういうものが
商業活動あるいは
大型店の
影響のもとに次第に受け身になるといいますか、本来主体的な消費であるべきものが、非常に品ぞろえあるいはサービスが多様化するにつれまして、単なる消費といいましょうか、あるいは選んで使うだけという、その前後にかかわるさまざまな
社会的
影響、例えば後で申しますけれ
ども、公害の問題とか生活廃棄物の問題、こういうものにややもすると目が向かなくなるという、そういうまた弱点も生ずる
一つの要因になってくるのではないかというふうに思うわけです。
したがいまして、経済上の効率性だけでは律し切れない問題を私
ども多数抱えているのが今日の
状況でございます。無論、これを経済効率を追求しながら改善するということが
一つの方向であることは言うまでもありませんが、しかし効率だけよくなれば済むということでもないわけでありまして、そういう
意味では全体のバランスをどうとるかという、そういったことにもなりますけれ
ども、ここにある種の今日まで主張されてきております
大型店そのものの先駆性というものが持っているある一面性というのがあることを私
どもは見落としてはならないと思うわけであります。
それから、大きな第二番目の
大型店問題に関する
視点といたしまして、
消費者利益というものが最優先されているわけでございます。
もちろん、この
消費者利益という点につきましては、この
法律以外にも
幾つかこれを実現する
法律がございますけれ
ども、しかしこの
消費者利益というものの中身も、必ずしも単なる消費だけではございませんで、生
活用の消費のほかに企業がさまざまな消費も行いますので、そういう
意味では消費というのはかなり幅の広い領域をカバーしているわけであります。そういう中で、
大型店が持っているさまざまな作用も改めて考え直す時期ではないかと思っております。
その
一つは、まずこれは経済性に最も深くかかわっている点ですけれ
ども、
大型店は価格が安いという、そういうことが主張の多くの中に見られるように思うわけであります。しかし、少し事実を見てみますと、必ずしもそうとばかり言えない点がございます。例えば、生鮮食品というのが非常に
小売業の中でも大きなウエートを占めております。無論、食品の消費構造が変わってきておりますから、いわゆる物的な消費ばかりではなくて、外食等の拡大によりますサービス化というものが進行していることは、これは改めて言うまでもないかもしれません。
ともかく、そうした多様な消費が進行するということの中で、消費単位が小さくなる、あるいは多様化するということは、当然これに見合う消費あるいは流通のあり方、生産の仕方、こういうものを全体としてどう
調整していくかということが
社会的にも必要になってくるわけです。
調整というのは、強制をもって規制していくあるいは枠にはめていくという
趣旨では決してございませんで、当然変化に対応するという
意味で、何が一番効率的なのかということを考えますと、ある程度例えば生鮮食品の価格などにどう出ているかというのを見ますと、例えば東京ですと、東京都の生活文化局が販売
店舗形態別の価格調査をしておられます。これなどを見ますと、生鮮食品に関しましてはかなりの品目で一般小売店の価格が低いという結果がずっと出ております。そういう
意味では、小売店の持つ役割というのは注目されるわけです。
しばしば言われます内外価格差というものにつきましても、これはその原因については、単に流通構造だけではございませんで、我が国の寡占価格あるいは寡占企業の
行動パターン、こういうものについても注意を喚起する方が少なくないことも見落としてはならない点だろうと思います。
それから、商品の品質に関する議論というのが随分ございまして、これも
大型店の進出によって改善されてきたかといいますと、必ずしもその必然性があるとは思えない点がございます。無論、
大型店が悪い品物を売っているという主張をしているわけではございません。しかし、商品の品質向上あるいは安全性の確保というものを主張してまいりましたのは、
消費者運動あるいは公害の拡大というものを防止する、そういう
意見の集約がもたらしてきたものでありまして、それをむしろ後追いしてきたというのが実情ではないかというふうに思います。
むしろ、
大型店の目指してきたものは、主に
ブランド志向あるいは
消費者をいかに
一定の方向で効率よく消費させていくかという、そういったものが、技術的にもあるいはマスコミュニケーションなどの手段を用いまして、いわゆる非価格
競争といわれるものをかなり強く打ち出したことが、この品
質問題というものの問題の背後にのし上がってきたみたいなところがございます。そういう面からいたしますと、やはり大型化すること自体がそうした操作をしやすいという環境をつくってしまうおそれがあるわけであります。
それから三つ目に、この
大型店といいますのは多様な商品を取り扱う、
とりわけ食料品などを前提にいたしますと、包装や保管、配送
システムなどを支えるさまざまな技術的な工夫が必要になってまいります。そうしますと、
事前の加工あるいは包装、こん包、こういうものに非常に多額のコストと物量的な投資をしなければならない。したがいまして、その結果として多量の生活廃棄物が排出されてきまして、消費量以上のそうした廃棄物の拡大を見る。
こういう問題にどう対応していくのかという点を考えますと、従来の
日本の小口の消費というもの、あるいは計量の変更が可能な
商売、こういうものが非常に有効なものであったことを改めて見直す段階に来ているというふうに思いますし、それから品質の低下を防止するために加工をしたりする、例えば八百屋さんで漬物をつくるとか、あるいは魚屋さんで干物をつくるとか、こういうことはやはり大型化しますとやりにくくなってくるということがございます。そういう面で、小型店の持っている非常に重要な生産的な
側面、プロダクティブな
側面というものを無視してはならないというふうに思います。
それからもう
一つは、買い物というのは、単に
一定の貨幣でいかに多くのいいものを手に入れるかというだけではございませんで、そこに
社会生活、親と子の交流とか買い物への楽しみ、そしてその中で人間それ自体をもう一回取り戻すというような広い活動がございますので、これを経済効率の中に押し込めてしまうという発想を多少改めなければいけないというふうに思うわけであります。そういう点からいたしますと、現在の
大型店の効率ある営業の仕方というものだけで十分それをカバーできないという面があるように感じておるわけです。
それから、大きな三つ目として、小売店と
大型店との共存関係をどうつけるかという点であります。
日本の
都市というのは、非常に消費購買力が集中しておりますので、大
都市で大型消費というのを実現しやすく、またそのための交通等々の下部構造ができ上がっていたわけでありますけれ
ども、これ以上大
都市に集中するということは、さまざまなほかの点から考えましても、もう効率の限界というよりも、むしろ交通ラッシュに見ますように、もう人間性を超えた、人間性というものを失わせるような、そういう
状況があるわけでありまして、そういう面で、これ以上の過密あるいは交通渋滞というものをやはり規制する段階に来ているというふうに思うわけです。
そういう点では、
とりわけ従来の
商業集積というものをどう上手に
活用するか、こういう観点を強く見直す時期でもあろうというふうに思うわけであります。それは、もちろん
商業部門だけでは不可能でございますから、大
都市過密の弊害の除去あるいは過密の緩和、さらにはオフィスを中心にした最近の大東京の再開発というものが行われようとしておるわけではございますけれ
ども、そういう問題も改めて考え直す、そういう
意見も強まっているというふうに感じております。
それから、小規模
商業が非効率であるという暗黙の前提があるように感じておるわけでありますけれ
ども、先ほど申しましたように、価格の点でも、あるいは品質あるいは近隣性、それから対面販売というふうに言われますけれ
ども、その技術的な
意味以上に、人間と人間の触れ合い、あるいは顔見知りであるという、そういう
社会性というものを維持している大変重要な機能もございます。そういう面では、内容を改善することを通じてもう少し小規模
商業の位置というものを復活させる、そういう時期でもあろうかというふうに考えております。
それから、規制一般についての問題です。規制があることが何か経済進歩を妨げるような、そういう議論も一部にはあるように感じるわけではございますけれ
ども、規制というのは
一定のルールでございまして、その規制があることがむしろ
競争を
促進し、また新しい安定した営業活動をつくり上げていく、そういう
側面も有しておるわけであります。規制をなくすことは、むしろ世界的に見ますと、
大型店等の取り扱いにつきましてはそれぞれ手法や
考え方は異なっておりますけれ
ども、
大型店の立地あるいはその運営に関するさまざまな規制があるということは、決して
競争を全くとめてしまうというようなものではないことを改めて確認しておくことが重要だろうと思うんです。
むしろ、規制を外せば外すほど大型化していくということは必然的な面がございますから、そのことによってかえって真の
競争をそいでいってしまうという結果を招くこともあり得るわけであります。そういう
意味では、ある程度規制を与えていく、そして特にその広い観点から大規模店の規制をするということは、今日改めて再検討すべき時期であろうというふうに考えますので、規制の排除一般ということだけを最優先するということには余り賛成しかねるという、そういう
意見を持っております。
以上で私の
意見を終わります。