○会田長栄君 おはようございます。会田でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
まず第一点は、
経済企画庁の関係
局長にひとつよろしくお願いをいたしたい。こう思いますのは、経済白書の役割の問題について
お尋ねしたい、こう思っています。
その経済白書もそろそろ発行が間近だと思います。もう原案はできているんだと思います。各省庁との連絡、調整に入っているんだとこう思っていますが、経済白書のそもそもの役割とは何であるか、最近の白書はその役割にこたえていないのではないかということを考えて
質問するわけでございます。
言うまでもなく、経済白書がスタートしたのは
昭和二十二年でございます。戦争のつめ跡が広がっていました。家計も赤字、企業も赤字、国も赤字だったときに、その実情を
国民に訴えて戦後復興への
国民の
努力を呼びかけたのが経済白書の始まりでございました。至って明快でございました。その後、
昭和三十年にはもはや戦後は終わったということを呼びかけました。重化学工業化による経済成長をスタートさせ、また、その後も日本経済の潜在的成長力を引き出す精神的バックボーンの役割を果たしてきたことも事実であります。
国民に実情を示し、新しい
政策への
理解を求める、それが白書の原点だと
理解をしております。白書の目標であったはずでございます。
しかしその後、経済白書にはいろいろと批判の出ていることも事実であります。特に大きな過ちを犯した過去を持っているとまで
指摘されております。その筆頭に挙げられるのは円切り上げ、すなわち為替の三百六十円固定レート維持が困難になってきた時点において、それに全く触れない白書を出したことでございます。国内外、民間でその
必要性あるいは必然性が論議されていたにもかかわらず、為替当局の圧力に屈して
説明を放棄したのがこの年の白書でございました。
とりわけ、今日問題になっておりますところの証券業界との関連もこの時代にまず始まりました。時の大蔵大臣が、G7に出席するときに、幻のような言葉を残して証券業界に立ち去ったというのもこのときであります。まさしくこの大蔵大臣の発言を
見通して、証券業界が株式急騰に走って大分ぼろいもうけをしたと言われたのもここが始まりであります。ここからいわゆる証券業界と政界とのつながりというものが
指摘されたのであります。
現在、
昭和六十三
年度及び
平成元
年度の
決算を審議中ですが、その時点に書かれた経済白書もこれまた円切り上げに見送り三振、白書としては円切り上げ見送り三振白書だと、こう
指摘されているのであります。いわゆる時の政権に迎合する、
政策はなし、無
政策の白書であったと、このとき言われているわけであります。何となれば、この両年の白書は、だれもが御承知のとおり、まさにバブル経済の真っただ中にありました。
昭和六十三
年度白書は民間活力万々歳白書と、こう言っても過言ではないという代物でございました。
平成元
年度の白書は、ストック分析はあるものの、
政策お手上げ白書だと私は見ています。そういう批判もあります。時の総理大臣は中曽根さんでございました。
もちろん、それではそういうところだけかといえばそうではなくて、分析
技術への逃避と一面で言われたぐらい、これは微に入り細にわたり
指摘していることも事実であります。この点につきま
しては、同僚の千葉
委員の方から総括
質疑の際に
指摘したところであります。そういう
意味では、白書への批判というのは白書の問題把握の失敗ということに言い尽きるのではないか、こう思っているわけでありまして、白書の分析手法やわかりにくさへの疑問も残っているというのも事実であります。
そこで、もう一つ
お尋ねしたいのは、使用される用語も大変難しいということです。これは
国民に向かって呼びかける白書だということではない。例えばアウトソーシング(部品等の海外調達)、オブリゲーションネッティング(金融機関の重複した債権債務の清算またはその制度化)、モラルハザード(道義の退廃)などの横文字の乱用や、内需の持続的拡大に配慮しつつも物価動向に十分配慮した金融
政策運営の必要があろう、このように表現しているわけでありまして、私もこれは一体何を言わんとしているのかなというような疑問も感ずるわけでございます。
経済白書というにはやはり
国民に語りかけるものでなければならぬ、こう思っておるものでございますから、以上のような視点に立てば、最近の経済白書に対する批判にどう対応して本
年度の白書を発行しようとしているのか、その見解などをお聞きしたい。