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1991-04-12 第120回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成三年四月十二日(金曜日)    午後一時十分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         中西 一郎君     理 事                 大城 眞順君                 野沢 太三君                 久保田真苗君                 立木  洋君                 粟森  喬君                 猪木 寛至君     委 員                 井上 吉夫君                 尾辻 秀久君                 沓掛 哲男君                 木暮 山人君                 下稲葉耕吉君                 田村 秀昭君                 永野 茂門君                 林田悠紀夫君                 宮澤  弘君                 会田 長栄君                 一井 淳治君                 翫  正敏君                 喜岡  淳君                 野田  哲君                 三石 久江君                 和田 教美君                 上田耕一郎君    事務局側        第一特別調査室        長        荻本 雄三君    参考人        アジア経済研究        所主任調査研究        員        清水  学君        国際基督教大学        教授       功刀 達朗君        法政大学教授   鈴木 佑司君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○外交総合安全保障に関する調査  (「九〇年代の日本役割環境安全保障あり方―」のうち安全保障あり方について)     ─────────────
  2. 中西一郎

    会長中西一郎君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査会を開会いたします。  外交総合安全保障に関する調査を議題といたしす。  本調査会は、「九〇年代の日本役割環境安全保障あり方―」をテーマとして調査を進めてきておりますが、本日はこのうち、安全保障あり方について参考人の御出席をいただき、御意見をお伺いし、質疑を行うことといたしました。  本日御出席いただきました参考人を御紹介いたします。アジア経済研究所主任調査研究員清水学君。
  3. 清水学

    参考人清水学君) 清水でございます。
  4. 中西一郎

  5. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) どうぞよろしくお願いします。
  6. 中西一郎

  7. 鈴木佑司

    参考人鈴木佑司君) よろしくお願いします。
  8. 中西一郎

    会長中西一郎君) 以上のお三方でございます。  この際、参考人方々一言ごあいさつを申し上げます。  参考人方々におかれましては、お忙しい日程を割いていただきまして本調査会出席賜り、まことにありがとうございます。  本日は、忌憚のない御意見を伺いまして、今後の調査参考にいたしたいと存じます。よろしくお願いを申し上げます。  本日の議事の進め方でございますが、まず清水参考人功刀参考人鈴木参考人の順序で、それぞれ三十分程度意見をお伺いいたします。その後、午後四時過ぎまでの一時間三十分程度を予定いたしまして、本日は懇談形式で自由に委員質疑応答を行っていただきたいと存じます。  速記をとめてください。    〔速記中止
  9. 中西一郎

    会長中西一郎君) 速記を起こしてください。  それでは、清水参考人に御意見をお述べ願います。どうぞよろしく。
  10. 清水学

    参考人清水学君) それでは、座らせていただいてお話しさせていただきたいと思います。  私の課題でございますけれども、湾岸戦争後の中東長期的安定化ということを考える際にどういうポイントを押さえたらいいかということについて、私なりの考え方をお話しさせていただきたいと思います。  まず最初に、中長期的な問題以前に、現在緊急に処理しなければいけない問題が山積しているわけでございます。これは冒頭に私が書いておきましたけれども、まずイラクの敗戦後の事態で、国内で南のシーア派それから北のクルド族の反乱が起きまして、これに対してサダム・フセイン政権がかなり厳しい弾圧を加えた結果、特に北のクルド族難民流出が大きな問題になっているわけでございます。約三百万人と言われておりますイラククルド族人口の約六分の一でございますけれども、このうちの三分の一からあるいは場合によっては二分の一に近い数の難民がイラン及びトルコの国境の方に向かっている。これをどう緊急に支援するかという問題があるわけでございます。  それから二番目は、戦争のときにイラク側が一種の戦術として打ち出しました油田の火災、それから原油流出、この問題が相変わらず環境汚染の問題として続いておりまして、この対策は単に短期的な問題だけではなくて、長期的な環境汚染の問題として、今回一時期の環境汚染という問題が地球的なレベルでいかに深刻な問題を引き起こすかということを示したわけでございまして、この点についても我々の発想法というものを変えて、いわば環境破壊に対する犯罪というようなことを真剣に考えなくちゃいけないという事態に至っているのではないかと思います。  それから三番目に、イラク国内食糧不足、衛生問題というものも緊急に打開を要求されている課題であります。  それからもう一つイスラエル占領地でありますヨルダン川西岸ガザ地区パレスチナ人状況でございますけれども、パレスチナ人の主要な所得源が現在のところイスラエルへの出稼ぎ労働によってなされているということがございまして、今回の湾岸危機からもそうですけれども、湾岸戦争に入ってイスラエルが、治安上の理由ということなんですけれども、占領地での外出禁止令、それと同時にイスラエルへの出稼ぎ労働自身を事実上厳しくコントロールする、戦争が終わった後も引き続きイスラエルに入ってくるパレスチナ人についてはかなり厳しい条件を課して数を制限している。これは過去三年間、八七年十二月から続いておりましたイスラエル占領地におけるインティファーダ、いわゆる人民蜂起と申しますけれども、これによる経済的な打撃にさらに輪をかけた形になっておりまして、これについても何ら かの緊急的な対応をすることが迫られているというふうに思います。  次に、やや視点を変えまして、今後中長期的な視点からどういう問題が重要かという話をさせていただきたいと思います。  最初に、今回の湾岸戦争湾岸危機過程イラクが打ち出してきましたいわゆるリンケージ論というのがございますけれども、これが妥当か否かということは一応別にいたしまして、このリンケージ論が示したことは、中東のどこかで何らかの国際紛争なり緊張が起きた場合、直ちにパレスチナ問題に飛び火するというか、それと結びつく、そういう可能性を常時持っているということを示したというふうに考えられます。  それで、やはり中東安定化ということを考える場合に、イスラエルパレスチナ問題、特にパレスチナ人民族自決権保障という問題は原則的な問題として解決しないと、中東の長期的な安定というのは達成し得ないということが依然として明らかであるわけです。  ただし、今回の湾岸戦争の結果、ある意味では中東和平への主体的な条件というものがむしろ後退しておりまして、一つパレスチナ人の代表でありますPLOパレスチナ解放機構、この指導部イラク支持最後段階でかなり強く出したということもございまして、一つアラブの中で反イラク陣営に参加していたアラブ諸国、GCC、シリアエジプトでございますけれども、彼らからかなり厳しい批判ないし財政カットが行われている。それと同時に、イスラエルの中におきましてもさまざまな世論があるわけでございますけれども、今回の湾岸危機湾岸戦争過程PLO指導部のとった行動の反映として、今までPLOあるいはパレスチナ人共存する、つまり、占領地におけるパレスチナ独立国家の建設というものを認める、あるいは部分的であれ二つ国家を考えていくという考え方に賛同していたような人の一部がいわゆる反PLOに転換しておりまして、その点では、イスラエル内部においてもパレスチナ人との共存を受け入れるという条件が仮に一時的であるにしろ弱まっているという問題がございます。  それで、これに対して日本側としてどういうアプローチをすべきかということになると思いますけれども、二つ次元で考える必要があるように思います。  一つは政治的な次元でございますが、PLO指導部の今度とった行動がどうであるかということは一応それ自身批判をすることはありますけれども、それは別といたしまして、何よりもパレスチナ人の民族的な存在が脅かされていると。ある意味では湾岸危機の結果もっと厳しい状況になっているという状況を考慮した上で、もともとの原則的立場であるパレスチナ人民族自決権をはっきり再確認するとともに、八八年の十一月の段階PLOがいわば譲歩として出したイスラエルパレスチナの二国家共存というラインに沿った形の姿勢というものを打ち出す必要があるのではないかというふうに私は考えます。  その場合、イスラエルとの関係でございますけれども、イスラエルとの人的交流そのものを深めること、関係を持つこと自体はこれは決して否定されるべきことではないと思いますけれども、ただ、その場合日本としては、パレスチナ人民族自決権を承認してそれを実現していくということとあくまで矛盾しないんだという立場をはっきりしておくことが必要ではないかというふうに私は考えます。  それからもう一つ、異なった次元経済的次元がございますけれども、先ほど申し上げましたように、イスラエル占領地西岸ガザ、特にガザは大変ひどい状況なんですけれども、インフラはほとんど整備されておりませんし、雨が降れば泥の水が街路に流れ出るというような状況でございます。そこで将来のパレスチナ人の民族的な存在保障していくためには、常に彼らがそこで経済的な基盤をつくっていくというか、それを保障していくことが必要になるわけでございまして、その点につきましては、特に農業機械とか肥料を通じる農業の問題、それから雇用促進のための工業投資、それから職業訓練の問題についての日本側援助、これについてはUNRWA、国連難民救済機構を通じる方法及び日本では余りやっておりませんけれどもNGOを通じる援助ということの可能性を追求していく必要があるのではないかと思います。  それからもう一つ占領地が困っていることには、せっかくつくった農産物その他の輸出市場が十分確保されないということがございます。これについてはECが二、三年前から一定の量の農産物を受け入れるということで動いておりますけれども、何といってもイスラエル協力がないとそれが十分実現されませんので、その辺についてはやはり政治的な要請というか、それもセットにすることが必要ではないかと思われます。  それから次に、湾岸安全保障の問題なんですけれども、時間がございませんので二、三の点に絞ってお話しさせていただきますけれども、何よりも今回の戦争イラク行動が既定されていた背景には、世界主要国からの武器輸出の問題が一つあったわけでございますので、この反省の上に立って、中東紛争地域への武器輸出については大幅な制限を加える国際的なレベルでの一つの基準をつくる。それから、仮に日本ODAの問題を考える際にも、例えばGNPの五%以上を軍事費につぎ込んでいる国についてはもう援助対象国から外すというような、何らかのODAセットしたような武器輸出規制という問題を考える必要があるのではないかという感じがいたします。  それからもう一つは、それだけでは不十分でございまして、湾岸及び中東地域における軍縮の問題があるわけです。この場合どうしてもイスラエルを何らかの形で組み込まないといけないわけですが、これを進めるためにも、先ほど申し上げたパレスチナ問題をセットにする必要があるように思います。  それからもう一つ、先ほどちょっと言い忘れてしまいましたけれども、パレスチナ問題の解決に向けて今アメリカベーカー国務長官中東を訪問していろんな動きがあります。一つ注意させていただきたいのは、イスラエルアラブ関係イスラエルパレスチナ関係というものが同じようなレベルで見られておりますけれども、今までの脈絡から考えますと、イスラエルと現存のアラブの国との関係が改善されるということが直ちにイスラエルパレスチナ人との間の関係が改善されるということには結びつかない場合の方が多かったわけでございまして、その点をひとつ頭に置いていただきたいというふうに思います。  例えば、イスラエルの考えております方向としましては、既存アラブ諸国とは条件が整えばできるだけ関係を改善する。その関係を改善すること自身が逆にパレスチナ人既存アラブ諸国から孤立させるというか、そういうことで条件が悪化するということでございます。そういうことにならないようにするということが非常に難しいんですけれども、常に同時並行という形でそれを進めるということになると思います。  それでは最後に、経済的な課題ということで、今後の中東紛争を考えていく場合に幾つかのポイントがありますけれども、時間がないようでございますので一点だけに限定させていただきます。それは、今後中東紛争の重要な根となり得ると思われるのが実は水なんでございます。中東における今後の水不足の問題をどう解決するかということがこの地域の中期的、長期的な安定に著しく寄与するというふうに私は考えております。  具体的に申し上げますと、例えばナイル川でございますが、ナイル川は大体九カ国を流れて最後エジプトへ、そこから地中海に注ぐわけですけれども、今まで、特に数年前まではナイル川の水というのは事実上幾らでもあるんだという認識でもってエジプト政府あるいはエジプトの大衆は考えていたんですが、今やアスワン・ハイダムが十分必要な水量を得るということが必ずしも常態ではありませんで、非常に少ない年が多くなってお ります。それで、ナイル川におきましても水をめぐってエジプトと例えばスーダンあるいはほかの流域諸国の抗争ということが潜在的にあるわけでございます。それから、チグリスユーフラテスの問題を考えましても、これは昨年でございましたけれども、トルコでつくりましたアタチュルクダムに水をためる期間はチグリス川の水を流す量を減らす、これが実はイラクに大きな打撃を与えることになりまして、イラクが抗議いたしまして一時期大変険悪な事態になったことがございます。それからユーフラテス川につきましても、トルコからシリアそれからイラクを流れておりますけれども、これも明らかにトルコシリアイラクの間で水の分捕り合いという問題が出てまいります。それからイスラエルにつきましても、イスラエルヨルダン川西岸を手放せない理由一つは、イスラエルで使用している水の三分の一がヨルダン川西岸地下水を取水しているからです。  そういう点がありますので、私は技術者ではありませんのでなかなか具体的には申し上げられませんが、日本として何とかして中東地域における水問題について積極的な貢献ができないかということを私は考えているわけです。  それで、もちろんそれにつきましては水のリサイクルの技術、それから水をいかにして節約するか、節水の問題。それから、砂漠に非常に少ない量の雨が降るわけですけれども、それをどうやって保水するか。砂漠地下に例えば日本でおむつに使っております材料を敷いてそれで保水するとか、そんなこともあります。あと海水淡水化とか、こんなことも含めまして、ぜひその辺御検討を願いたい。これは単に一国レベルでは、つまり中東の一国レベルではできませんので、当然向こうの地域的な協力というのが前提になります。前提になりますけれども、地域的な協力を促進するということと水問題を解決するということ、逆に一緒に進めるということももう全く不可能ということにはなりませんので、その辺では何とか結びつけたいということがございます。  それから、当然水の問題は農業生産と重なっておりまして、今中東地域――北アフリカから東アラブとあります、イラクを含めましてですけれども、世界でも有数の人口増加率の高い地域でございます。人口増加率三%あるいは三・五%というところがたくさんございます。そういうところで食糧不足という問題が大きく浮かび上がっておりまして、かなり以前、二十年ぐらい前でしたらほぼ自給しておりましたエジプトなんかでも、現在は小麦の消費量の約六割を輸入に依存せざるを得ないという状況になっております。これは食糧安全保障という観点からいっても大変深刻な事態です。それからスーダンがございますけれども、スーダンは今から十数年前、ちょうど第一次石油ショック直後におきましては、あの地域を開拓すれば、単にスーダンだけではなくて中東地域、特にアラビア半島地域食糧基地となり得るというふうなビジョンが描かれたわけでございますけれども、それが実は技術的な問題、社会経済的な問題と重なりまして、結局大失敗になりまして、現在スーダンも大量の食糧輸入国に転換しているということでございます。その点で、私は水問題をこの場をかりて強調させていただきたい。  それから、もう一言だけ補足させていただきたいのは、中東日本に対するイメージの問題でございます。日本中東地域というのは、距離的にも南アジアとか東南アジアと比べますと随分遠いわけでございまして、ある意味では石油を通じる貿易関係、あるいは日本からトランジスタラジオとかテレビとかという一連の電気製品なんかを通じて相互のイメージがつくられていたというふうに思いますけれども、日本に対するイメージというのは、例えばアラブにしましてもイスラエルにいたしましてもトルコにいたしましても、ある意味では大変いいイメージだったことは否定できません。工業国であり、それからアジア先進国であり、しかも日本日露戦争とかで白人国をやっつけてくれたとか、あるいは日本が広島とか長崎で原爆で大変ひどい目に遭ったけれども、それでも立ち上がったとか、そういうようなある意味では非常にいいイメージがあったわけですが、今回の湾岸危機を通じまして中東人たち日本に対するイメージというのは、これは私が新聞で読んだりあるいは現地の人と話した感じなんですけれども、二つの点が指摘できるのではないかと思います。  一つは、今までのようなステレオタイプされた日本イメージから、かなり具体的な日本の事実を大勢の人が知るようになってきている。少なくともインテリレベルでは日本の憲法、例えば第九条の問題とか、これについては昨年の九月以前は知っている人自身が非常に珍しかったんですが、今ではほぼ常識になりつつある。それから、日本の政治の政策決定機構、例えば援助政策はどうやって決まってくるかというようなことについてもかなりの人が非常に詳しい知識を持ち始めているということで、急速に日本イメージが生々しく映っているということですね。これを一つ見ておかなくちゃいけないと思います。  それからもう一つは、それと関連いたしますけれども、その中で日本に対してかなり厳しい見方をする人たちも出始めている。これは当然、この間の戦争イラクに加担したかイラクに反対したかという国でもかなり違いますけれども、特にイラクを支持していたような国については非常に厳しい状況が出てきているということを申し上げておきます。  時間をちょっとオーバーしてしまったようですので、これでとりあえず終えさせていただきます。(拍手)
  11. 中西一郎

    会長中西一郎君) ありがとうございました。  次に、功刀参考人にお願いいたします。
  12. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) 私は、これまで十九年間は国際連合で勤め、八年間は外務省の在外勤務など、延べ三十三年間海外生活をしてまいりました。その経験から国際貢献についての考えの一端を述べさせていただきたいと思います。  世界は今、大変革の十年を迎えていると言われておりますが、その大変革なるものがいい方向に向かっているのか、あるいは非常な動乱の時期を再び迎えたのかということについてはいろいろと解釈が分かれると思います。最近の湾岸戦争とソ連邦内の非常に不気味な胎動は、民意の時代到来への期待というものを後退させたわけです。しかし、無辜の民の生命、財産、幸福を踏みにじる指導者に対する憤りというものは高まり、戦争への決別を求める意識というものは一般民衆の間に高まりつつあると言えます。  今回、アメリカ国突出型の指導のもとに他国籍軍のとった行動については、いずれは非常に厳しい歴史の審判というものが下されるのではないかと私は考えております。米国内では一週間、十日くらいの間はちょうちん行列的な騒ぎがあったわけですが、ニューヨーク・タイムズとかワシントン・ポストなどのシニアな論説委員などは最近になってから非常に反省的な論調を出しております。いろいろと批判すべき点があるのではないかと思いますが、今回の戦争は、もう少し経済制裁というものの効果を見てからやむを得ず戦争に入っていくということが望ましかったのではないかという大方の意見というものが最近アメリカでも出ています。  それから、もっと大事なことは、戦争に突入したとしても、その後の行動を考えてみますと、この戦争というものは非常に節度を欠いた戦争になってしまったということが非常に残念であるということです。国際法上プロポーショナリティーという言葉がございまして、物には節度がある、これは自衛権などの行使に関して適応性あるいは均衡を持った反応、措置をとる必要があるという原則があるわけですけれども、今回の場合には非常に過剰な行動に出たのではないかということが最近アメリカの中でも言われております。情報操作によってアメリカ市民全体には知らされていないことがかなり多かったわけですけれども、イラク側死者の数というものはいまだに知らされて はいませんが、現地方々片倉大使は今東京にちょっと帰られていますが、彼からも聞いたところでは非常に数が多い。アメリカのデータによっても死者の数というのは十万から十五万人くらいいるんではないか。そして死傷者を全部まぜると五十万人くらいになる。死傷者の数をアメリカのニューヨークの人口五千万くらいの数と比較してみますと約百四十万人という非常に大きな数になるわけですね。  私は、昭和一けたの昭和九年生まれで、一九三七年十二月の南京陥落のときのちょうちん行列をいまだに覚えております、私は三歳九カ月ぐらいだったと思いますが。その南京陥落というときに、我々日本国民南京で行われた大虐殺という事実は全く知らされないでいたわけですが、アメリカちょうちん行列的なものを私はテレビで見ていまして、そこには一つのパラレルがあるのではないか。我が国はどうも加害者意識がないということを言われますが、アメリカもどうも加害者意識というものが今回の戦争にはないのではないか。結果としてあらわれた環境破壊につきましても、これは戦争が起こればクウェートの油井を破壊するということはフセイン大統領は初めから言っていたわけでありますし、こういう結果についてはアメリカも責任をとらなければいけないのではないか。こういう論調を例えばニューヨーク・タイムズのトム・ウイッカーという人は、論説委員の一人でありますけれども、はっきりと述べています。  また、アメリカが使用した武器につきましても、ハイテク戦争だからピンポイントで、人命、一般市民には被害がいかないというようなことを書いている人もありますけれども、的中率は必ずしもよくなかったということは言われています。パトリオットミサイルについても的中率がそれほどよくなかったということは後でアメリカの方が認めているようであります。  いずれにしましても、このような戦争を行い、短期間で、多国籍軍の被害者の数は非常に少なかったわけでありますけれども、その後のクルド人の問題とか反乱軍に対する鎮圧その他に対しては何もしないというような事実に対してはアメリカ国内においてもかなりの強い批判があり、国内意見が今分かれているときであります。このような状況におきまして、果たして今回の戦争というものが中近東の恒久的な平和に寄与するであろうかということに対しては非常に疑問とせざるを得ないと私は考えます。  このような事態において、混迷と秩序のはざまのような時期に今いるわけですけれども、カオスへの逆流を押しとどめ、いかにして希望に満ちた新世紀を開いていくか、これについては世界全体としてのコンセンサスを形成し、多国間のマルチの政策協調を推進することが肝要であります。それにつきましては、世界全体を正しく導いていくために日本の国際社会への貢献というものが大いに期待されていると思います。私の出しましたアウトラインの第一番目なんですが、いろいろ我が国に対しては国際社会からの期待があるわけでありますが、期待されているのにかかわらず、その期待にこたえていないために国際社会からいろいろと不満が述べられているという点があるのではないかと思います。  幾つかここに挙げましたけれども、これについてそれぞれコメントはいたしません。ただ、今回の戦争のときに当たっても、また戦後処理の問題についても、我が国がもう少し独自の立場から自己の論理を通し、立場を明確にし、そして我が国ができることについて応分の貢献をするという態度が望まれると思います。  次に、国際貢献の理念についてでありますけれども、なぜ貢献ということをしなければいけないのか、そしてそれがなぜ重要かということにつきましては幾つか考えられますが、グローバルデザインの一環としてということ、また相互依存運営の一環として、また連帯責任、殊に地球社会の危機に対処するに当たってはどうしても連帯責任をとる必要が出てくる。それからもう一つは、国際分業の原理というような四つが考えられると思います。  まず、国際貢献というものはグローバルデザインの一環として考えられなければならないわけですが、軍縮とか環境問題に関してはグローバルデザインという座標軸というものを持ち、長期的展望からストラテジーを持つことが重要であると思います。  第二に、相互依存の深化、拡大する世界においては現実の問題となっているわけですが、アメリカ、EC、日本の三者が協力して相互依存の運営ということを正しい方向にリードしていくことが望まれると思います。  次に、環境問題や人口爆発、資源問題といった地球社会の危機については、国益をベースにしたアプローチではなく、グローバルな観点から連帯責任をとることが重要であります。また、そうしなければ問題に対処できないわけであります。問題の解決を導くことができないということであります。  国際分業の原理についてですが、これは各国が得意な分野について貢献すれば、貿易の国際分業と同じで、国際的な利益ということは最大になるわけであります。  そして最後に、ノーブレスオブリージということが言われますが、これは高い身分とか地位についている人たちにはそれに伴う義務というものがある、こういう一般的な常識的なルールがあるわけでありまして、日本は非常に急速に経済大国となり、その面が非常に重要視されていますけれども、それだけでなく、日本が伝統的に持っている歴史的な文化的な背景というもの、それが国際社会にどういうふうな貢献をし得るかということ、これはもう一度考え直してみる必要があるし、国際社会からの期待に対してその点十分にこたえられるものを日本は持っていると思います。  そういう分野がそれでは具体的にどういうものがあるかと申しますと、今申しました歴史的、文化的な面についていいますと、自然との共生、そういう東洋の生き方というものは、多元的な共生と国際社会のネットワークづくりというような今後の世界にとって非常に重要な行動形態、こういうものに日本はすばらしいものを持っていると思います。  また、日本式経営や日本が戦後とってきた混合経済のよさというものは、発展途上国のみならず先進国でも強い関心を集めています。従来、伝統的に混合経済というと、ミックストエコノミーというものは日本の場合はそうじゃないというふうに考えられていましたけれども、最近はジョン・ガルブレイスのような経済学者が、日本の場合は、実は戦後とってきた経済発展の方式というのは混合経済のよさを持っていたのではないか、そしてアメリカなんかは日本の方式からも学ばなければならないものがあるということを言っています。  さらに、日本は戦後起こった約百五十の戦争に全く参加せず、この百五十という数は国連が使っている数でありますが、また武器輸出にも節度を守って対処してきたわけです。憲法前文と九条の戦争放棄と世界のすべての国民の平和的生存権の尊重という平和主義というものは冷戦後ますます重要度を増しておりまして、これ自身を普遍的価値として各国に大いに唱道していくべきものであると考えます。また、平和憲法というものは我が国だけではなくて、我が国の憲法ほどはっきりと平和主義というものを唱道はしていないまでも、行動上非常にそれに似た形をとってきた国にはドイツとかスウェーデン、オーストリア、スイス、イタリア、ブラジル、ユーゴスラビア、コスタリカその他の国があるわけです。そしてこれらの国と一緒に平和主義の実践ということにつき共同歩調をとっていくことも望まれるのではないかと思います。  また、国連憲章というものは現在国連自身による武力行使の可能性を想定していますが、ポスト冷戦への適応の必要から、真の平和憲章に抜本的に改定していくときを迎えていると思います。平 和主義の日本は決して肩身の狭い思いをする必要はないわけで、本来、国連はすべての紛争を平和的に解決しなければいけないという大原則を持っているわけであります。国連憲章ができたときの経緯から、残念ながら国連自身が武力行使をするという可能性を残しているわけでありますが、これは常設国連軍というものができて初めて国連自身の軍事行動ということは可能になるわけでありまして、この間のものは多国籍軍によるものであり、国連の軍事行動、武力行使であったということではないわけです。  しかし、新時代においては、ポスト冷戦の時代においては国連憲章そのものを完全な平和憲章にし、国連自身は武力行使を全くしないという平和憲章にすることがまず大事なことだと思います。このような面から見ますと、日本世界に誇るべき国際貢献の能力と資格を持っていると言えると思います。  それでは、具体的貢献策としていかなる分野にその優先度を置き、プライオリティーですが、どういうストラテジーを持つべきかということを考えてみたいと思います。  まず、最も重要と考えられるのは、国際金融とか輸入マーケット、ソフトウエア、環境安全保障といった国際的な公共財の分野においてアメリカ、ECと責任分担というものを明確にして貢献していく必要があると思います。  国際金融に関しては、従来ポンドやドルが国際金融そのものに果たした役割を今後日本アメリカ、ECとともに十分に分担していかなければならないわけですし、また、輸入マーケットの提供ということは、一九八〇年代はマイナス成長であったアフリカとかラテンアメリカの発展途上国にとっては死活にかかわる問題と言えるわけです。さらに、日本の持っている優秀なソフトウエアの輸出については、テクノロジーだけではなくて、それを十分に使いこなせる運営、処理能力の研修と抱き合わせに提供する必要があると思います。次に、安全保障問題につきましては、単に軍事面だけではなくて、人類生存のための食糧、環境など広い意味での安全保障に対処する必要があると思います。日本は経済力、テクノロジー、情報を持ち、それらを賢明に使いこなせる知力というものを持っているので、安全保障の面では広い分野にわたって貢献すべきものと考えます。  次に考えられる具体的貢献策としては、地球再生計画といって、昨年のヒューストン・サミットのときに日本が出した計画などが考えられます。ヒューストン・サミットではほかの関心事が注目を集めたために余りまともに取り上げられなかったのは残念でありますけれども、これはさらに追求すべき提案であると思います。  地球の将来につきましては、持続可能な発展ということが常識となってきているわけでありますが、これを考えるに際しては、資源とテクノロジーそれから人口というこの三つのファクターというものの間にどういう関連性があるかということを考えることが一番重要なのではないかと思います。これは簡単に方程式のような形でいいますと、持続可能な発展というものは、資源にテクノロジーを掛けたものを人口で割ると、人口でシェアしなければならないわけですから。人口がふえすぎてしまっては成長が幾らあっても食いつぶしてしまうということになるわけです。またテクノロジーの発展次第では、今まで十使っていた資源をその十分の一あるいは百分の一で済ますこともできる、また公害をなくすこともできる。こういうような面から動態的なバランスが図れるならば、世界人口が今は五十三億五千万ぐらいだと思いますが、それが今の二倍ぐらいになっても繁栄は可能だと考えられます。この三つのファクターについて長期計画をつくり、リーダーシップをとることが我が国にとっては大事なのではないかと思います。  開発協力については、今清水さんが言われた点などについては私は大賛成でありまして今後はいろいろとODA政策についてはっきりとした政策を打ち出していくことが望まれると思います。しかもその中で重要なことは、従来等閑視されていた社会開発、具体的には人的資源の開発、教育、保健、人口問題、女性の地位向上、こういうところに従前に増して力を入れていくことが望まれると思います。一九八〇年代の発展の不成功ということは、発展途上国自身の間でも、どうしてこれまで工業化とか輸出セクターの発展に重点を置き過ぎてしまったのかということについて反省があります。今後は人づくりや教育、女性の開放など、一般の民衆の利益に直接つながる参加型の開発にしようという呼びかけを我が国は率先してやっていくべきであると考えます。  最後に、具体的貢献の一分野で、現在的な問題として国連平和協力に直接関係する平和と安全について若干申し述べたいと思います。  大事なことの第一は、安全保障理事会の常任理事国五大国による戦後の危機管理、安全保障の管理は失敗してきたということです。あるいは失敗したとは言わなくても、ポスト冷戦の五大国の集団覇権というものは適当でないということであります。  第二には、国連は抜本的改造の時期に来ており、これを言い出すのは日本のような資格を持った大国がやらなければならないことである。国連は、実際は積極的に参加貢献する国によって運営は改善されていくものであります。ところが、日本の国連での参加態度は非常に目立たたず、右に倣えであるわけです。殊に軍縮問題での日本の投票態度は驚くべきことにむしろネガティブと見られていることです。これについては、昨年の九月に出た朝日ジャーナルに河辺一郎さんの書いた資料が出されています。  国連改造のポイントとして私は三つ挙げたいと思います。第一は、主権国家の連合としての国連の限界というものが人権問題などであらわれている現在、国民主権を国連憲章の礎として入れることがまず第一であると思います。第二には、必要に応じ環境、食糧も含む資源、テクノロジーなどについても複数の安全保障理事会を設け、それぞれ問題解決に最も貢献する能力のある国をメンバーとし、勧告だけしかできない従来の国連機関のルールから卒業して、そして政策立案し、それについて政策決定を行い、勧告だけではなくてバインディングな効果を及ぼすような決定を行うことができるように。第三には、従来のような紛争の事後処理から、未然防止、予防外交ということにシフトすべきである。特に、国連の平和維持活動、PKOについてはこの点は非常に重要であるわけです。平和が崩れる前に武力を使わないで未然介入していくことにPKOの未来像を求めるべきであると思います。  私は、中近東の国連平和維持軍、平和監視団等で約五年間にわたり法律顧問の職を務めてまいりましたが、平和維持機能としては、従来のような事件が起こった後の対症療法ではなくて根本的解決への役割ということが期待されるわけです。そして、多岐にわたる活動の強化のためには、平和保障基金の創設とか日本の積極的な拠出ということが望まれるわけです。従来のPKO活動だけではなくて、情報の収集、通常兵器の生産などのコントロールによる平和構築など、広範な活動には非常に経費もかかるわけでありますから、そういうような平和構築への努力を支えるための平和保障基金というようなものを国連につくることが望ましいのではないかと思います。  我が国のPKOへの参加態度につきましては三党合意というものがあることを了知しておりますが、昨年の秋できた三党合意では私は踏み込みが足りないと思います。ただ単に監視団とか選挙監視のための要員を送るというのではなくして、やはりPKOには軍事的なトレーニング、手段的なディシプリンを発揮できるようなトレーニングを持った軍事要員の活動ということもエッセンシャルであると思います。したがって、平和維持機構については、私は全面的に国連のそういうものに参加することが望まれると思います。  私個人の意見としては、憲法にいう国権の発動としての武力行使というものには国連の平和維持 活動の行動というものは全く該当しないと思います。また、このような参加を通じて、人、物のみならず知的貢献ということ、これを我が国はやっていくことが重要と思います。  知的貢献というのはいろいろなアイデアを提案するわけでありますけれども、我が国のように経済的にも裏づけがあり、文化的にも政治的にもステーブルな国の発言については各国がますます注目するわけであります。我が国は知的貢献ということが従来非常に少ないわけでありますけれども、この面で、人的貢献よりはさらに重要な知的貢献ということに期待をしたいと思います。  PKOは危険だという話もありますが、PKOは過去四十三年ぐらいにわたって約五十数万人の兵力が出動したわけですけれども、経費の上からいうとわずかに五十億ドルにすぎないわけです。それから、この平和維持活動で殉死した方々の数は七百七十何名で、数としては非常に少ないわけです。ただ、危険が伴わないということは言えません。  時間もなくなりましたので、終わりに、我が国はポスト冷戦期のこれからの世界においては、従来の冷戦期の対米依存型の、あるいは対米追従型の思考から脱して、世界的視野から将来の世代のことをおもんぱかり、平和主義路線ということを積極的かつ堂々とした姿勢を持って実践していくことが望ましいと思います。そして、これこそが世界の平和の構築と安全保障を確保する道であると信じます。  どうもありがとうございました。(拍手)
  13. 中西一郎

    会長中西一郎君) ありがとうございました。  次に、鈴木参考人にお願いします。
  14. 鈴木佑司

    参考人鈴木佑司君) 一年後には湾岸戦争アメリカで忘れ去られ、再び日本アメリカアジアの問題が世界政治の中心になるであろうという予測がぼつぼつとアメリカで出てまいりました。  では、日米はどういうふうに変化するであろうか。  二年ほど前、アメリカの財務長官ニコラス・ブレイディがロンドンで、アメリカは現在お金がないけれども頭脳がある、日本はお金はあっても頭脳がないということを言いました。これは、一九四六年にケインズという経済学者が、アメリカは金があるけれども頭がない、イギリスは金はないけれども頭があると言ったことをもじったものであります。  私は、この機会に先生方に日本アジアアメリカ関係がどのように展開するかについて若干意見を述べさせていただきます。  ピッツバーグ大学国際関係研究所長のデービス・ボブロウ教授は、湾岸戦争後の国際政治が創造性と厳しい選択を求めているとした上で、軍事面での日本役割について次のように述べています。  まず第一に、最近の歴史において日本のとった安全保障政策はコストとべネフィット、費用対効果の点から見ると最も成功した例の一つである。つまり、ここ四十年間に軍事的損害がゼロである。沖縄に見るように領土を回復した。東西冷戦に絡む地域紛争に一切巻き込まれなかった。他方、経済面ではいかなる市場にも参入でき、問題が生ずれば自主規制によって未然に紛争化することを防止し、軍事利用可能な産業技術においてアメリカに匹敵ないし凌駕する成長をおさめ、さらにNATOより以上のスピードで防衛費の増加を実現し、長期的な防衛計画を体系化することに成功、今や世界で第三位の防衛予算を持ち、地域における一大対潜能力を持つばかりか、パトリオット等の対空防衛能力においてもすぐれ、要するに防衛という言葉の積極面を伸ばし、その消極面を極小化するのに見事に成功した例であると教授は言っています。事実、周辺諸国のいずれを見ても、日本に対抗することを目的とした軍拡を行っている国はありません。まさにそうした成功ゆえにこそ、アメリカ政府の圧力があったかなかったかを問わず、これまでの防衛政策に重大な変更を伴うような大きな政策的転換を選択しなかったというわけです。  私は、ボブロウ教授を含めたこうしたアメリカの冷めた目、つまり一時の感情に走るのではなく、長期的な歴史の視点に立った見方には学ぶべき点がたくさんあると思います。このような歴史的視点をやや広げ、九〇年代のアジア・太平洋という地域安全保障あり方、それに対する日本役割という問題について幾つか論じさせていただきます。ちなみに、八〇年代末から二年間、ワシントンDCにありますジョンズホプキンス大学の高等国際問題研究院の客員としまして私はアメリカをつぶさに見ました。その一端はきょうお配りしました資料にございます。  当時、アメリカ世論を揺さぶった見方は巨視的な歴史論でした。ポール・ケネディ教授の「大国の興亡」という本はその一例です。またローゼクランスの「通商国家」、つまりこれからは軍事国家にかわって通商国家の時代であるということを説いた作品ですが、これがアメリカ議会でしばしば論議を呼びました。さらに、御承知のごとく日系三世のフランシス・フクヤマという俊英が「歴史の終焉」という論文で、冷戦後の国際政治は敵か味方かといった熱気に満ち満ちた政治ではなく、計算と分配というまことに退屈な飽き飽きするやりようのない政治の時代、キッシンジャーの言うローポリティックスの優越の時代が来ていることを鋭く指摘したものであります。変化の時代がアメリカにも来ているということを示しています。  では、九〇年代の我々が直面する問題は何でありましょうか。ここでは以下の三点に絞って考えてみたいと思います。  第一は、冷戦が終わり、そして湾岸戦争があっという間に終わった。しかし、冷戦の後遺症は依然として残っている。では、これからどういう新しい世界の安定した秩序をつくるか、これが第一の点です。  第二に、そうした世界全体の行方と関連し、アジア・太平洋はどう対応しようとしているか、アジア・太平洋の世界全体とのかかわり合いはいかなるものであるべきか、これが二点目です。  第三点は、こうした世界アジア・太平洋の変化の一つの重要な機軸は、言うまでもなく二国だけで世界のGNPの四割を占める日米の関係であり、殊に安全保障面でどのような政策が求められているか、日本はどう対応すべきかという問題です。  以下に述べますように、これまでの日本の平和政策は、既に冒頭に触れた防衛の積極面を極大化し、消極面を極小化、つまり何もしない、不作為の作為でした。こうした対応は限界に達しているというふうに言ってよろしいかと思います。いわば戦争がない状態という意味での平和、これを消極的平和と申します。これからは、戦争を必要としない状態、つまり、安全保障のみならず環境、人権保護等を含めた広い意味での積極的平和というものを、受け身ではなくむしろ能動的につくり出していくということが求められている。  では、なぜ日本に積極的平和を能動的につくり出すことが求められているのでしょうか。簡単には説明できません。その理由一つとして、紛争の原因が大きく変わってきていることを挙げたいと思います。  では、どう変わったか。第一に、十九世紀末から二十世紀前半において、何といっても欧米列強による植民地争奪と世界の覇権をめぐる争いが重なって激しい戦争の時代が続きました。お手元の図の1のIでございますが、英仏米と日独伊という対立が世界大で繰り広げられたことを示しています。無論、この英仏も、こうした先発資本主義国家群として連合を形成する以前には相互に激しい争いをしたことが知られております。そして第二のグループ、つまりドイツ、イタリア、日本等の後発資本主義国家群が追い上げを始めた一九一〇年代からは第一グループは協調に向かいます。この二つ先進国グループの争いは二度にわたる世界大戦に帰結しました。と同時に、その結果、争いの中心の一つであった植民地はすべて独立しました。領土争い、つまり一方がとれば他方が失うというゼロサムゲームだったわけですが、全体 として勝った人も負けた人も植民地を失いました。戦争はペイしないということがわかったわけです。    〔会長退席、理事大城眞順君着席〕  こうした反省から、一九四五年以降この二つの資本主義国家群は互いに戦争をぴたりとやめました。むしろ新たな世界システムを築き、相互に得をする新しい国際政治を展開します。その制度が世銀、IMF、ガットを中心とするブレトンウッズ体制であり、これによりすべての国がそれなりに利益を得るプラスサムというゲームが始まりました。日米も独仏も、天敵である関係から味方ないしは同じゲームのプレイヤーに変わりました。相互の戦争は一度もありません。  この新しい世界システムに挑戦しましたのが、東欧、ソ連から成る東側陣営でした。西側となった資本主義国に比べれば経済的におくれた国々であったことは言うまでもありません。この国家群と国家群の争いこそ東西対立であり、冷戦の原因です。この関係を示しましたのが、先ほどの図の1のIIの真ん中の表であります。ただ、一点注意していただきたいのは、東西対立はそれぞれの陣営にとっても新たに独立を遂げた第三世界との南北問題を抱えていたという点です。ちなみに、第三世界は西でも東でもない、今日で言うと世界人口の七五%、国家の数で八割を占める一大地域であります。それだけにどちらにとっても無視のできない国でした。ちなみに、一九六〇年代からは第三世界への援助が競争の対象になりました。その際おもしろいことに、「国連開発の十年」に見られるように大きな役割を果たしました。国連は節目節目に大きな役割を果たすという点で注目されます。  さて、一昨年秋よりの東欧革命を経て、ソ連の改革も含め、今日では東西を含むようなもう一つ新しい世界システムが生まれようとしています。米ソ協調はその始まりです。また、東欧がヨーロッパ化し、幾つかの東欧諸国がIMF、世銀、ガットに加入するようになりました。こうして巨大システムが生まれていると思います。まさにこの時点で起こったのがイラクのクウェート侵攻でした。図の1のIII、右端に示しましたように、巨大システムに挑戦するのは、第三世界で比較的近代化や追いつき追い越せに成功している国です。これには三つあります。アジアではNIES、ASEAN、ラテンアメリカではブラジル、アルゼンチン、メキシコ、中東では湾岸諸国です。  問題は、こうした国々の世界システムへの挑戦を、戦争という形ではなく、組み込み、吸収という形で平和的に解決することができるかどうかであります。    〔理事大城眞順君退席、会長着席〕 そして、アジアでは可能でした。日本役割が大きかったことは言うまでもありません。アメリカがメキシコをこういう形で取り込もうとしていることは北米自由貿易・経済圏構想に見ても明らかであります。ただ、メキシコの取り込みに日本が一役買っていることを見落とすわけにはまいりません。他方、アメリカは南米諸国の取り込みに失敗し、その結果膨大な累積債務問題を起こしていることは御承知のとおりであります。ところが中東は、経済的には石油のおかげで異常に豊かな国が含まれますが、産業的には大体NIES諸国の水準にあると見て間違いないと思います。  問題は、どの先進国も、特にヨーロッパがこの中東諸国の取り込みに失敗している点です。まさに湾岸戦争はこの取り込みの失敗が原因だったと考えられます。ただ、イラクがクウェート領土の併合という古いパターン、それを戦争の正当化の根拠とし、他方、すべての先進国世界システムに取り込もうとするプラスサムのゲームを戦争の根拠としたこと、つまり戦争の根拠が全く違っていたことに我々は注目をする必要があると思います。  こうして見てくると、世界史の教えるところは次の三点です。第一は、戦争は常に取り込みを実現し、その結果、より大きくてよりプラスサムゲームを基盤とする世界システムを生むこと。第二は、紛争原因は先進国システムとそれを追いかける先進国以外では最も成功している国々の挑戦から生じること。第三は、軍事力がこうした世界システムの形成にとってますます小さな役割しか果たさず、コストの低い別の手段を必要としていること。こうして見てきますと、冒頭に引用しましたボブロウ教授が言う日本の成功が何ゆえであったかということがわかるだろうと思います。  では、再びテーマに戻りまして、一体何が今課題か。  第一は、脱冷戦を本当の冷戦の終わりに導くことであると思います。アジア・太平洋は、ヨーロッパと違い、劇的というよりも緩やかな脱冷戦を経験してきました。そして、そのスタートはヨーロッパより早かったと言えます。一九六〇年に中ソ対立、東側に分裂が生じる。六九年、ニクソン・ドクトリン、脱アメリカ化が始まります。そして、七一年米中和解。七二年日中国交回復。つまり、脱冷戦には長い歴史がアジアにあります。日ソ関係が今焦点になるのもこうした歴史の流れから見れば当然であり、日ソという二国間のみならず、地域全体の冷戦の終結にとって極めて重要なポイントであると思います。  第二は、この脱冷戦と軌を一にしてアジアが著しい経済成長を遂げたこと。この成長がヨーロッパの場合と異なり、東も西も北も南も参加し、全体として底上げをやってきたこと。つまり、それぞれがばらばらな政治経済体制にありながら、体制の違いを超えて相互に依存し合う多国的成長を実現してきた。こうした全く歴史に例を見ない多国型発展の形成に最も大きな貢献をしたのは日本です。幾つかの統計数字をもって詳しく御説明することができますが、時間の関係で割愛いたします。  一つだけ。お手元に配りました資料の①を見ていただければありがたいと思います。特に、一ページ目の真ん中あたりに「熱電子管 トランジスタ等」というところがあります。これはアメリカ市場における日本、NICS、具体的には韓国、台湾、香港、シンガポール、それからASEANはインドネシア、マレーシア、フィリピン、タイの四カ国ですが、これのアメリカ市場における輸出のシェアを示したものです。一九七〇年に日本だけが一三・八%のシェアを持っていた。しかし、七五年には日本は八・七%にダウン。かわりにNICSが四二・六%、ASEANが二〇・七%。五年間でこの変化です。これは、日米テレビ摩擦で日本企業が自主規制をし、他方大量にNICS、ASEANに資本進出をし、そこからアメリカに輸出をするという迂回作戦をとった結果であります。分業であります。ただ、こうした分業体制は、日本が長期的視点、戦略、指導をもってやったのでないことが注目されます。個々の企業が日米摩擦ということからやむを得ずばらばらに営々と積み重ねた結果であります。だれも指導しなかった。つまり、ここにはするという決断がなかった。リーダーシップがなかった。ただ、なるという自然があった。このことは、アメリカはおまえがやったんだろうと言いますが、これは日本から言うとなってしまった結果です。  第三は、こうした日本の成功、アジアの成功は、アメリカ、ヨーロッパに急速な進出をすることでもたらされただけに、激しい持続的な摩擦問題を生じました。かつ、欧米諸国の保護主義の傾向を強め、回り回って日本という残された最大の市場にどっと戻ってきております。これが二ページ目の上にある資料でございます。詳しくは申しません。ただ、できてしまった分業、つまりつくろうとしたわけではなくて、できてしまった分業だけに、日本の息がかかっておりますから、アジアからの攻勢を我々は防ぐことができません。次々に摩擦が、インドネシアと日本、韓国と日本という形で起こっております。  もう一つ、こうしたアジアの分業体制は、各国において貧富の格差を拡大しました。経済的成功をもたらしましたが、同時に強権的な政治体制を持続させました。政治的な問題、経済格差の問題、環境の破壊といった新たな問題を生んでおります。  では、こういう問題はどう解決できるか。日本役割は何でしょうか。  第一は、軍縮・軍備管理を制度化することであります。アジアにはヘルシンキ・プロセスがありません。東西、南北が複雑に絡むアジアではそう簡単ではありません。多様性に富むアジアでは、脅威観もばらばら、原因もまちまちであります。ただ、軍拡だけが共通している。やはり、せめて国防相会議や情報交換など信頼醸成を何よりも早くスタートすることが必要だと思います。  第二は、アジアでは、日本がそうであるように軍事力だけで解決できない問題が多く、多面的で総合的な安全保障を求めざるを得ません。まさに積極的平和を実現することが問われているというふうに言っていいかと思います。  三番目は、覇権的なやり方が通用しない。つまり、小さな国、大きな国、強い国、弱い国、豊かな国、貧しい国、伝統のある国、新しい国がばらばらに存在している。したがって、それぞれがそれぞれに応じて貢献できる仕方や方法がどうしても必要であり、そのために日本は一国で何でも引き受けることをやめるべきであります。お互いにできるところを結びつけるリンケージをどうしてもここではつくるべきであろうかと思います。  既に時間を超過いたしました。三点だけ提言をさせていただきます。  第一は、過去との決別であります。信頼されることが何より大事である以上、まず新しい日本イメージづけるために過去と決別をすることです。これなしに国連の敵国条項を取ってもらうこともできません。  第二は、なるなるなるの一点張りではなくて、我々は何をするか、アメリカに対して何を言うか、このことが極めて大事であります。  最後に、問題の焦点は南北問題であろうと思います。それも一国だけでやらずに、アメリカもソ連も、いやアジアの友人たちをありとあらゆる機会をつかまえて取り込むこと、そのためにはぜひともここにいらっしゃる先生方のリーダーシップで国会が国際化することが必要ではなかろうかと思います。各国のリーダーとの交渉、これは議会がやるべきものであります。常に内向きで、上の方ばかり向いて下を見ない、外を見ないという態度をまず国会から改めていただきたい。協力基本法もなく安全保障原則法もなく、現有の法制度の苦しいこじつけや解釈論は、国内的に通用しても国際的には通用しません。先生方の努力が大いに求められていると思います。国権の最高機関が国際化しないでどうして日本が国際化するのでしょうか。まず隗より始めよ、これを私はぜひとも申し上げたいと思います。  ありがとうございました。(拍手)
  15. 中西一郎

    会長中西一郎君) ありがとうございました。  以上で参考人方々からの意見の聴取は終わります。  これより質疑を行います。  先ほど申し上げましたが、初めの三十分間は功刀参考人ということで進めさせていただきたいと思います。一人一問、往復で三、四分で終わるように、質問の方もお答えの方も要点だけお願い申し上げます。  質疑のある方は順次御発言願います。
  16. 野沢太三

    ○野沢太三君 野沢でございます。参考人の皆々様、本当にありがとうございました。  功刀参考人にお伺いしたいんですが、先ほどのお話の中で、「平和と安全」の項目でございますが、「危機管理に責任を果たせなかった安保理五大国」という御指摘がございました。そして、これまでの危機管理に失敗をしてきたという御指摘でございますが、今回の湾岸戦争の処理を見てみますと、久しぶりに国連決議というものがあの問題を比較的早期に解決させたのではないかというふうに見られる面もあろうかと思います。そして、いわゆる東西バランスということから、地域の力のバランスを保って世界秩序を構築するという意味で、国連の果たす役割というものが一層重いものではないか、期待が高まっているように思うわけでございます。  そこで、これからの国連がさらなる平和維持機能を強化するために今の安保理をどうしたらいいか。御提言としては国民主権とか複数の安保理というまことにユニークな御指摘をいただいておりますが、この辺につきましてもう少しお話がいただけたらありがたいと思いますが、よろしくお願い申し上げます。
  17. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) 先生の御指摘の一つの点については、早期解決が確かに導かれたわけですが、果たして早期解決の必要があったのかということを私はまず疑問として出したいと思います。  経済制裁の効果というものを見て、そして武力行使の必要となる面を極力避けることが望ましかったのではないか。ただ、アメリカの国益というものが余りにも前面に出てしまって、それに同調したイギリス、ついにはフランスも同調したわけでありますが、ソ連及び中国は踏み切るのに非常にちゅうちょしたという形跡があります。中国などの場合には、十一月二十九日に採択されました六百七十八号の決議には最終的には棄権をしたわけですが、あるいは拒否権を行使するかもしれないという形勢にあったわけであります。私はひそかに拒否権を行使することを期待していたわけでございます。というのは、本来武力行使をしないでいかにして平和的に解決するかということが国連の大原則であるということで、その方向で解決する可能性はまだあったと思います。先生の御指摘のとおり、確かに五大国は一致した行動をもって今回は戦争に当たったわけですが、これは国連の行動ではなくて、国連が多国籍軍の武力行使を容認したにすぎないという点を私は強調したいと思います。  五大国による危機管理が従来必ずしも不成功に終わったとは言えないかもしれませんが、現在、例えばカンボジア問題というものは五大国が主導権を持っている安保理事会においてそれがなされているわけでありますけれども、カンボジア自身の大変広範なる平和への希望、もう一回国民的統合をしたいという希望にもかかわらず、紛争の背後にある五大国の思惑によってもう十年以上も解決が延ばされてきているということ。  それからまた、戦争の直接原因でなかったとしても、戦後武器を供与した量からいいますと世界のうちで五大国が一番多いということ、そういうような責任も考える必要があると思います。五大国を中心とした安保理によってこれからの世界危機管理を行うということは、私は誤った期待でありアナクロニズムであると思います。今後の世界においては、いかに武器を使わずして平和を構築し紛争を未然に防いでいくかというところに努力がなされる必要があると思います。
  18. 木暮山人

    ○木暮山人君 きょうはまことにありがたい御高説を拝聴しまして、どうもありがとうございました。  功刀先生に質問したいと思うのでございますが、最後に申されたカンボジアの問題、それともう一つは、歴史的な審判が今から下るんではないかと。中東においては歴史的な審判とはこれは開闢以来六千年の歴史の流れの中にあって、今の時点での断面的判断に立っていわゆる国連安保理事会で結論を出した。そのようなやり方自体がイスラエルの問題にしましても不透明なところがあるんじゃないか。やはりこれが正義か大義かという問題ですね。今先生のおっしゃるところの歴史的な審判というのはそんなことを含んでおいでになるのか、これが一点でございます。  それともう一つ、カンボジアの問題につきましては、これはチャム族それからクメール族、それとモン族、ミャオ族、ヤオ族、ここら辺の動きと、この五大理事国の考え方、俗に言うフランスの植民地時代のモイ族、モイの政策下においてのヤオ族とかミャオ族、ここら辺の歴史的な動きというものを踏まえてか、それとも五大国の戦略的な意図で方向づけているのか。それともう一つは、経済的にいいますと、カンボジアの問題は今までは各国の援助等によって償われていたのが、今は赤いルビーのような宝石に変わってきている。ですから、無償の武器援助じゃなくて、武 器を得るだけの資金が実際問題各四派にはあるわけですね。四派のほかにまだ民族、種族的な派閥がふえている。ここらあたりはどんなになっておるものか、第二点として御説明願いたい。  第三点は、歴史的な流れを踏まえて物を解決して九〇年代の安保というものは対応していくのか、それともここのところで切って、それで正邪善悪はこの十年間で決めていくのか。ここら辺を第三点として御指導ちょうだいできればと、こんなふうに思うのでございますが、よろしくお願いします。
  19. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) 第三番目の問題は、例えば正義の戦争というものがあり得るかというようなところにもかかわる問題で大変難しい問題でありまして、私などでは簡単にお答えできないのではないかと心配でございます。  まず、第一の歴史の審判の問題でありますけれども、国連はなるべくならば首尾一貫した決定を行う必要があり、またそれによってメンバーカントリーズ、メンバーステートは行動しなければいけないわけでありますけれども、中東の問題につきましては必ずしも首尾一貫した行動が行われていないのではないか。国連自身の決定ということは首尾一貫していますが、イスラエルのとっている行動については首尾一貫していない。ダブルスタンダードが適用されている。そして、それに関連するアメリカその他の国のその問題に対処する仕方に首尾一貫しないものがあるというおそれがあると思います。  カンボジアの問題につきましては、先生御指摘のとおりにいろいろと歴史的な背景もあり、種族的な対立というようなものも昔からあるわけでございますが、私は三年間にわたってカンボジアに対する人道援助を担当いたしまして、事務総長の特別代表を務め、カンボジア国内にも九回にわたり入り、プノンペン政権の指導層とも何遍も会いました。しかし、タイとカンボジアの方に逃げている難民人たち、それからシアヌーク殿下を初めとする指導層と何遍もあった印象、それから一般民衆に会ったときの印象からいいますと、彼らはもう一度国民的に統一した国をつくりたい、自分たちは歴史とか文化について誇りを持っているんだということを何遍も言っていました。そして、それをとどめているのは、五大国のうち中国、アメリカ、ソ連が足を引っ張っている。フランスのこの問題に関する関与は決してネガティブなものではなく、むしろフランスは建設的な方向に進もうとしてパリなんかで仲裁の労をとっているわけであります。しかし、ASEANの中でも歩調が合わないということもあり、まだまだ進まないということがございます。それが非常に残念な点だと思います。  最後の点につきましては多少難しい問題でありまして、何が正義の戦争であるかというようなことは実はもう歴史的に我々は卒業しなければいけないのではないか。例えば自衛の権利の行使については、先ほど申し上げたプロポーショナリティーの限度内でそれを行うことが最大限に認められるので、それがリミットとすべきものと考えます。
  20. 和田教美

    ○和田教美君 先ほどの御意見で、私は国連の活性化、国連の機能強化という問題に限定して質問します、先生は長年国連で仕事をされたわけですから。  先ほどおっしゃったことで、すべての紛争を平和的に解決する、つまり事後処理でなくて事前にとにかく紛争を解決してしまうというようなお考えに基づく、徹底的な平和主義に基づく国連の抜本的改造という構想は、先生のものを二、三読ませていただいて非常にユニークだと思います。私がこれから質問するのは、そういう高いレベルの問題よりも、現在政治家のレベルやあるいは外交当局などで話題になっているいわゆる国連の強化と国連の外交あり方というふうな問題でございます。  まず、旧敵国条項ですね、これをやめてもらうということで外務大臣が各国に働きかけを始めておるわけですけれども、当然やめるべきだと私も思いますけれども、そういうことは簡単にできるのかどうかということが第一点でございます。  それから第二点は、先生の御意見によれば、国連憲章第七章のいわゆる国連の集団安全保障の規定ですね。武力行使による安全保障的なシステムというものはやめるべきだという考え方のようですけれども、一方、宮澤さんなんかの要するに国連の常設軍をつくって対処すべきだという議論も出ておるわけですね。それがなければ、結局今度のような米軍を中心とする多国籍軍というような形になるわけですけれども、そういう考え方、暫定的なもの、中間的なものであってもそういうことを認めるべきかどうかということが一つ。  それからもう一つは、安保理事会の問題ですね。安保理事会の常任理事国五大国の拒否権という問題をどうお考えになっているのか。これはやめるべきだというふうにお考えなのか。それから、安全保障理事会を複数にしろというようなことを先生はおっしゃったけれども、複数にするというお考えとともに、日本もそれじゃ安保理事会に入っていくというふうに努力すべきなのかどうか。この幾つかの点についてひとつ御見解をお聞かせ願いたいと思います。
  21. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) 最初の質問は、先ほど鈴木参考人が言われた点にも関連するのですが、平和というものはただ単に消極的に暴力がないということではなくて、構造的なバイオレンスがないという状況をつくることである。こういう点からいいますと、平和の構築というものは多面的にアプローチする必要があり、ただ単に事件が起こったときにどうするか、それを処理する、押さえ込むというだけではない。そういう点から安保理事会の活動もただ単に軍隊をどう使ってどうやって押さえ込むかということではなくて、未然防止とかあるいは紛争が起こらない状況ということで多面的に対処していくということであると思います。  それで、先ほど申し上げました安保理事会を三つつくるというのは、例えば軍事面と軍縮面に関する安全保障のセキュリティーカウンシル。第二には、例えば環境とか人口とか科学技術の問題、開発の問題を担当するセキュリティーカウンシル、しかも、ただ単に勧告をするだけではなくて、地球的な見地から限られたリソーセスをどういうふうにみんなにシェアしていくかという決定さえも行われるようなものにしなければいけないのではないか。それからまた第三番目には、科学技術とか情報とかコミュニケーションというようなソフトの面だけを扱う、決定をする。これは国連のスペシャライズエージェンシーズで、例えばラジオフリークエンシーのシェアの問題、アロケーションの問題なんかでかなり、ただ単なる勧告以上のものをやることもございますけれども、そういう例にかんがみできないわけではないわけですね。  ですから、国際社会は相互依存を深化、拡大するということはみんなが認めるわけですけれども、そういう状況におきましては中枢的な頭脳のような働きをする機関、インターナショナル・パブリック・セクターというものが必要なわけです。それが現在ないことによって、てんでんばらばらにいろんなことが行われることによって世の中がうまくいかないということがある。それがまた平和の問題にもつながるという状況にあるわけです。アミーバは頭脳というものはないわけですし、それが多少進化した動物、ミミズぐらいになると頭脳というものはあるわけです。ところが、脊椎動物が持つような機関とか組織というものを中枢的にコントロールする頭脳というものが国際社会には今欠けているわけであります。ですから、実態を握っているアクターというものを、必ずしも政府だけに限らずほかの多国籍企業とか市民団体とか、実態を握り、処理に責任をとれるアクターというものをセキュリティーカウンシルの代表として十分に参加せしめることがまず大事である。そのためには、第一原則として国民主権を確立し、そして政府が行き過ぎる場合にはそれについて是正を行える機関にすることが必要である と思います。  それから、先生の御質問の敵国条項の問題でありますが、これはソ連、イギリス、アメリカなんかにも打診している状況にあると思いますが、この条項はもう意味がないんだ、アナクロニスティックな条項なんだということをみんな言っているわけで、これは心理的な問題にすぎないわけであります。国際法上こういうような歴史的なクローズというものはいろんな協定には入るわけでありまして、エグゼキューテッドクローズと称してその効果はもう既に全くないと私は見ております。この心理的な問題を扱うために何か交渉の材料をとられるということがないように、私はこのような問題は扱う必要は全くない。むしろ、先ほど先生がおっしゃったような安保理事会の拒否権というものをなくしたり、それから重要な安保理事会には日本が当然参加する方向に持っていく。往々にして日本社会では、ステータスシーカーといって、格好、地位というようなものを重んじる傾向がありますけれども、日本は実力からいって、実践からいって責任をとれるという立場を堅持することによって、どうしても日本が参加しなければいけないという方向に持っていけばこのような大きな憲章改正ということはできると思います。  非現実的と先ほどおっしゃいましたけれども……
  22. 和田教美

    ○和田教美君 いやいや、非現実的ではございません。非常にレベルの高いというか。
  23. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) レベルが高いということと非現実的なこととは関係あるかもしれません。国連を離れるときに私は事務総長とも話をする機会がございまして、戦後そろそろ五十年たつわけで、第二世代の世界機構としての国連というものが完全に脱皮して第三世代の国連というものに切りかわるいい時期が来ているのではないかと私が申し上げましたところ、事務総長もうなずかれて、アイデアがあったら紙を送ってくれということでございました。
  24. 和田教美

    ○和田教美君 ありがとうございました。
  25. 中西一郎

    会長中西一郎君) 今まで手が挙がった方が六名、あと木暮さんが二回目になっています。そこで、二十分ほど、もうちょっと時間がありますから一人当たり往復で三分かそこらということで順次御発言願います。
  26. 久保田真苗

    久保田真苗君 さっき先生はPKOに大変高い評価をお与えになって、七章型の国連軍は否定なさって、そして五十一条型の多国籍軍についても批判をお持ちのように承ったんですけれども、私も、今回湾岸戦争と国連の関係を考えてみますと、たまたま懐から出すUN御紋の印籠は歓迎されたけれども、青い国連旗が翻ることは否定されたと思っているんですね。そうしますと、この二つを否定するとしますとPKOだけが残る。その場合、私はPKOに若干の批判を持っている者なんです。それは、政治交渉と並行して、政治交渉の方に七分の力が与えられない限り、PKOとして入った平和維持軍等は結局占領した国の占領を定着させる、そしてそれが十年も二十年も続いているという現実をどう見るか。  そうすると、第一に、政治解決を確実にやっていくにはどんな手段がとられるのか。事務総長なのかそれともほかの有力な国が集まってやるのか。それから第二点に、そうであるならば、PKOの形もあるいは質もまた変わらなければならない。さっき先生は予防ということをおっしゃいました。私どもも予防が大事であり、かつ民生分野を含み、そして文民参加をうんと強化するような形が中心になっていくべきだというふうには考えているんですが、PKOの今後は国連でも討議されているところですから、PKOの今後について、将来のあり方について承れれば幸いでございます。
  27. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) 政治交渉にゆだねられなければならない面というのは確かにございますし、PKOが失敗した例というのは確かにあると思います。先生おっしゃったように、侵略したときの事件のままにそれを凍結してしまったというような例もないわけではございません。ただ、それはむしろ限られていて、大きな戦争の終わった後で、例えばシナイ半島でできましたUNEFIIという第二番目の国連緊急軍でございますけれども、これは任務を果たして解消することができましたし、シナイ半島はエジプトに返還されたわけであります。その間三年くらいにわたってUNEFIIがシナイ半島の管理をやっていたわけでございます。ですから、必ずしも先生のおっしゃったような例ではなくて、他のいい例というものもあります。  それから、大事な点は、PKOというものはただ単にミリタリーオブザーバーあるいは兵士が行ってそこに座っているわけではなくて、敵対する国との間にあってコミュニケーションのチャネルを提供するし、非常に微妙な事態が突発しそうなときにはそれをディフューズする、和らげてそれを未然に防ぐとか、そのような政治的、外交的な手腕を発揮することがあります。そのガイダンスは事務総長の政治的な判断にかなり任されていますけれども、事態が急変し、危ない状況が起こるようなときには、現地において国連平和維持軍あるいは監視団のヘッドである将軍はリーガルアドバイザー、法律顧問とか軍事顧問、政治顧問と協議をして即座に行動に移す必要があるわけです。そういう成功例というものは数多くございます。事務総長の果たす役割というのは確かに非常に大事なものでありまして、ハマーショルドのときそれが全盛期であったかもしれませんけれども、政治的な判断によってかなり現地の国、対峙している国の間の問題を処理する方向に行くことは可能であると思います。  それから、最後に先生が提示された問題は、質も変える必要があるかということなんですけれども、従来のような事後処理的なものから紛争防止的なものにするというアイデアは、既にパルメ委員会というのが一九八五年ぐらいに勧告したことがございます。ですから、今回の場合でもアメリカがすぐにサウジアラビアに派兵する、あのような時期に、紛争が起こる前にPKOをクウェートとサウジアラビアの国境地帯に送るということは可能であったと思います。また、あれほどまでの事件が起こるかもしれない、クウェート侵攻が起こるかもしれないというような状況があったときには、従来は行われなかったわけでありますけれども、クウェートの要請があった場合には、イラク側がたとえ反対していたとしても、そこにPKOを置くということは可能であったと私は考えます。
  28. 永野茂門

    ○永野茂門君 先生が国連の機能強化、特に紛争戦争の未然防止に有用な機能を国連に持たせなきゃいけない、そちらの方にウエートをシフトすべきであるという御定見をお述べになりましたことに対しては、全くそのとおりに私も思います。ただ、武力を使わずに未然介入によって防ぐということで、先生から事前にいただいた資料によりますと、国連旗のもとに国際世論と中立性という特異な威力を用いて、その力を行使するな、こういうことでございますが、そもそも暴力が発生しそうというときに、その暴力の行使を思いとどまらせるということになると、ちょうど国の中で警察があるのと同じでありまして、やはり最終的には軍事力を行使しなくても……
  29. 中西一郎

    会長中西一郎君) 簡単にやってください。
  30. 永野茂門

    ○永野茂門君 抑止力というものは作用させなきゃいけないんじゃないか、こういうふうに考えますが、これについてどういうような見解をお持ちでございましょうか。
  31. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) 抑止力というものは確かに必要なときもあると思いますが、警察を例えにしますと、スコットランドヤードというロンドンの警察は武装を全然していないわけですね。こん棒しか持っていないわけでありまして、必ずしも必要ではないと思うし、自分と関係のないところに出ていく世界のPKOの要員に対して発砲したり、例えばフセインが毒ガスを使えるかと。私は使えないと思います。もちろん、フセイン大統領というのはかなり異常性格の人でありますから何 をやるかわからないかもしれませんけれども、やはりPKOのエッセンシャルエレメントの一つとしてあることは関係諸国でないところから人が来るということです、中立な立場をとっている。そして、それが国際良心のシンボルである国連旗を掲げて事務総長のもとに行動するわけでありますから、危険が全くないというわけではありませんけれども、あるときにはやはり平和というものは命がけで守るべきものであると私は考えます。
  32. 立木洋

    ○立木洋君 参考人が先ほどお述べになった点で、日本の憲法の平和原則といいますか、平和主義というお言葉を使われましたけれども、これは今後とも重要度が増していくということを述べられた点、私も注目しているわけです。その点と関連してお尋ねしたいんですが、国連の当初のイラク問題に関する対応の仕方というのは国連憲章に基づいて対応していったと思うんですね。それが十一月二十九日の六七八でああいう事態になって、私たちもこの点については批判的な見地を持っているわけですが、国連の動向の中で、大国の特に力の政策に依拠した覇権的な行動というものは、これはソ連においてもバルト三国に対する問題などもありますし、アメリカのグレナダとかパナマとかいう問題がありますし、いわゆる国際的な秩序を考えていく上で大国の覇権的な行為というのはやはり重視していかなければならないんじゃないか、そういう問題をきちっと見る必要があるんじゃないかということ、その点についての見解をお伺いしたいのが一点。  それから、先日海部総理がアメリカに行かれて、今、世界的に警察官の役割を果たし得るのはアメリカをおいてほかにないというふうな発言をされているんですね。こういうふうな形ではよくないんじゃないかという点。特に、この間のイラクの問題に関しての日本の対応はどうだったかという国内での世論調査について、よくないと答えたのが六四%あって、とりわけその中で最も重視されているのがアメリカに対する追従の姿勢だということが毎日新聞の世論調査でも出ておりましたが、そういう問題はやはりきちっと改める必要があるんじゃないか、それは平和原則という見地から見ても。  この二つの点、国際的に存在している覇権主義的な大国の行動についてどういうふうな見解をお持ちなのか、もう一つは、今日本アメリカに対する追随的なあり方の問題を本当の意味安全保障という見地から見てどういうふうにお考えになるのか、その二点について。
  33. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) 大国の行動というものについては、やはり一目どころか二目ぐらい置かなければいけないというのが現実主義者の議論であると思いますが、私は、せっかく民意の時代に向けての潮のごとき流れが始まった以上、勇気を持って大国に対しても批判すべき点は批判していく必要があると思います。  我が国は平和主義憲法を持ち、また唯一の被爆国として、例えば原爆をアメリカが使うかもしれないというようなうわさがあったときには真っ先にアメリカに対してそういうことはしないようにという意見を述べるべきであるし、それがまた兄弟分の弟分としてやるべき行動であると思います。バルト三国の問題についても、我が国は北方四島の問題の方にむしろ頭があるわけで、何も発言しないような感じがしますけれども、こういうような大原則にかかわる問題についてはやはり国民主権の観点からはっきりとした態度をとっていくことが望ましいと私は考えます。
  34. 喜岡淳

    喜岡淳君 長い間国連で活躍されてこられたということで、内部の落ちついた意見ということを今聞かしていただきまして非常に参考になりました。  具体的には、日本の平和貢献という意味では先生は、日本が昨年のヒューストン・サミットの際に提出した地球再生計画というものを今後我が国が率先して国際協力をやっていく上での具体的な一つの例として評価されておるようでありますが、このことについて少し教えていただきたいと思います。
  35. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) これは余り注目を引かなかったのが残念だということを申し上げたのでありまして、内容的には、通産省を中心にやったと私は聞いておりますけれども、最初の五十年間にいろんなテクノロジーをまず研究して、例えばどういうガスが温暖化にかかわっているかとか、それをなくすための技術開発ということをやっていく。その後の五十年間で、現在のようなそういうものをとどめるだけではなくて改善していくという案だと思います。  ただし、内容的には非常に慎重な提案であって、最近の資料なんかによりますと、もう研究だけに五十年間も時間をかけているわけにはいかないんだと、既に我々すべての人類が行動に移さなければいけない、いろんなものを浪費しないように、自然との調和を図るというような生き方の問題、文化の問題に戻ってやり直さなければいけないということで非常に大きな資金も使い、そして長期的な計画を出したところで非常に注目すべきものであったと思いますけれども、内容的にはもっと野心的なものにすることが望ましいと私は考えます。
  36. 三石久江

    ○三石久江君 功刀先生にお願いしたいのですけれども、先ほど地球の人口動態のお話をなさいましたと思いますけれども、人口分の資源掛けるテクノロジーというお話ですが、五十何億とかいうお話を聞いていて、日本人口動態を今見ますと一・五七%と出ておりますけれども、二十一世紀に向けてこれをどう考えられるかということと、それから日本の現在の女性の地位というものを国際的に見てどうごらんになっていらっしゃるか、お聞きしたいと思います。
  37. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) ここに国連の人口基金が開発した人口カードというものがございます。これは一分ごとに変わる人口が、世界全体の百六十五カ国についてボタンを押しますと出てくるわけです。  現在三時七分ですか八分ですか、人口は五十三億六千四百十九万八千二百六十八という数字が出ておりますけれども、一分間に百七十七ずつふえているわけです。そして日本の場合には、日本を押しますと現在の数字は一億二千三百八十八万三千九百六十四、一分間に一人ずつふえる計算になっています。アメリカの場合は二人ぐらいずつ。それから一番速くふえているのはインドでございまして、八億六千万ぐらいが三十六名か七名ずつふえる。その次にふえるのが速いのは中国でございまして十二億ぐらいに近づいていますけれども、その伸び率はインドより遅くて三十一名ぐらいずつ毎分ふえています。  先ほど申し上げたのは、適正な成長率というものは人類全体としてはまだまだふえる可能性というのはあり得ると思います。人口基金が計算している推計では、今のままでいけば二十一世紀の真ん中くらいにこの倍くらいになってしまうかもしれない、そして、そうなると非常に危ないんではないかと。殊にディストリビューションがおかしいわけですね。ふえている量が南の方に余りにも多過ぎるということで、今申し上げた現在ふえている一分間に百七十七人のうち九四%までが南の発展途上国でふえているわけです。そして資源も乏しいアフリカのような国で一番速くふえているわけでありまして、やはり人口プレッシャーから北に移りたいという希望が出るわけです。その前にもちろん都市集中化のために非常に問題が起きて環境破壊なんかも起こるわけですけれども、そういうような状況が予想されているわけで、南に対する協力というのは、人口問題に対する援助とか協力というものがもっともっとなされなければいけないということが最近OECDのDACでも認識されてきております。日本はUNポピュレーションファンドのナンバーワンの国でありますが、まだまだODAのうちの四%ぐらいしかいっていないわけです。これはほかの国に比べると非常に少ない量になっております。  我が国は、女性問題につきましては戦後目覚ましい進展があったと思いますが、まだまだ私は十分でない点がいろいろとあると思います。雇用の 条件の問題とか、女性の社会に対するコントリビューションというものが経済的な観点からも十分に評価されていない、そういうような見地から、世界に模範として出すにはまだあれでありますけれども、人口基金の職員として世界各国を回って歩きましたところ、発展途上国では最もおくれているのは女性の地位に関する問題であって、こういう点からも人口問題の視点というものは今後の開発問題の一つのキーエリア、重要な点として取り上げられていかなければいけない問題だと思います。
  38. 翫正敏

    ○翫正敏君 先ほど和田委員の御質問の中に、宮澤衆議院議員の、月刊アサヒの国連常設軍ですか、そのことについてお答えになりませんでしたので、差しさわりがあるのかもしれませんが、問題がなければどう思われているかお答えください。
  39. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) 私も国連におりましたとき、あるいは外務省の外交官を務めていたときは発言できませんでしたが、今は大学の教授で完全な言論の自由を持っており、お答えしなかったことをおわび申し上げます。  私は、国連常設軍というものは従来できたことがないし、今後もできない方がいいと思います。先ほど申し上げた第一原則というのは、武力を使わないでやるということで、スコットランドヤードの例もございますが、未然防止のための国連平和維持というものはまだ平和が崩れる前の維持ということも含め、私は大量な武器、軍事力を必要としない方法でやるべきであると考えます。
  40. 木暮山人

    ○木暮山人君 関連しまして一つ簡単に質問したいと思うのは、北方領土の問題でございます。  先生は長年国連に関与なされておりまして、本当の意味で北方の問題、サハリンの問題、シベリアのいわゆる捕虜の問題、死亡者の問題、これらの問題について、今度ゴルバチョフさんがお見えになるそうでございますけれども、それに対応する日本の国会議員の考え方というものが必要なときじゃないか。きょうはちょうどいい機会でございますから、ここが一番大切なところだ、言うならば、北方領土ですと下田条約の時代からずっと歴史的な背景があるわけです。この背景を踏まえて考えなければならないし、それと終戦のときの九月二日、これはもう日露戦争のときの汚名を挽回したんだ、力で取ったものは力で取り返してみろということを言っているわけです。  ところが、そういう情報は日本には全然流れておりませんで、もう何か話して、お金さえ出せば買える、それもたくさん要らないから半分ぐらい返してくれ、こんな了見で一体秩序というものは今後保っていけるのか。最初に、今歴史的ないろんな審判が下るとおっしゃいましたから、それに照らして、今からこういう問題にどう対処して判断していったらいいのか、そこら辺の御識見をお聞かせいただきたいと思うのでございます。
  41. 功刀達朗

    参考人功刀達朗君) 四島返還問題に関しましては、私は外務省におりましたときも携わったことがございませんし、余り深く検討したことがございません。ただ、当然主張すべき権利があるならばはっきり主張すべきであり、ソ連は既に戦争中に起こったことについてはかなり責任ということを明確にし始めておりますので、シベリア抑留者の日本人捕虜の問題なんかに関しては、かなりはっきりとした責任を容認する形で事が処理されるというふうに私は了解しております。  カチンの森で行われた大虐殺、ポーランド精鋭軍将校の大虐殺をやったということについて、ソ連はおととしそれをはっきりと認め、責任をとるということを表明しています。  私は、四島返還問題については専門知識も非常に欠けておりますが、主張すべきことは当然主張すべきでございまして、経済問題で島を買うというような議論は私は実は損をする議論ではないかと思います。
  42. 中西一郎

    会長中西一郎君) 功刀参考人には御多忙の中御無理を申し上げまして、本当にありがとうございました。いただきました御意見参考にさせていただきまして、さらに勉強を深めたい思います。厚く御礼申し上げます。(拍手)  それでは質疑を続けます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  43. 久保田真苗

    久保田真苗君 清水先生に伺いたいんですが、パレスチナの問題、いろいろ伺ったんですが、それと同時に今クルド人の難民の問題が大変な騒ぎになっております。  それで、お伺いしたいのは、今ECから出ておりますクルド人保護区の問題なんですけれども、私はその保護区がどういうプロポーザルなのか十分にわかりませんからまだ何とも言えないとは思うんですが、しかし私の目に浮かぶのは、例えばインディアンの居留地ですとか、それから幾つかのキャンプの状況なんです。それよりももっと広いものであったとしてもクルド自治州よりは小さいものではないか。そういうふうになったときに、それは緊急的な避難のためのものとしては必要だとは思いますけれども、それ以上に保護区というようなものを設定するのが本当にクルド人にとって望ましいことなのかどうか。その辺どういうふうにお考えになりますでしょうか。
  44. 清水学

    参考人清水学君) ただいま御質問の、クルド族のいわば保護区を設定しようというECサイドのお話なんですけれども、私自身も実はまだ具体的にECサイドでどういうことを考えているのかはっきりしたものを得ておりませんので、責任あるお答えになるかどうかわかりませんけれども、私が少なくとも新聞の文面から想像するところでは、先ほどおっしゃったようなインディアンの居留地というよりも、その地域に対してイラク軍がいわゆる武力的な意味での威嚇なり攻撃ができないような形で保護するというか、そういうことを一応考えているように思います。それは別の言い方をすれば、おっしゃったように緊急避難として、ある意味では民族的なジェノサイドにもつながるような感じの現在のイラク側の攻撃に対して、それを一応ストップするということが趣旨だろうとは思います。  それで、あくまでやっぱり緊急事態である、緊急性であるということ自身をきちんと押さえておかないと、もともと緊急性で押さえておいたことがかなり恒常的なものになってきますと、イラクにおけるクルド地域をある意味では切断するというような形になりますので、これはイラクに住んでいるクルド族の掲げている本来の要求からしても異なったものになっていく可能性があります。  御存じのように、イラクにいるクルド族は、非常に少数のグループを除きましてあくまでイラクの中における自治ということを要求しておりますので、その点では、これは言葉で言ってしまうと空虚な議論になってしまうかもしれませんけれども、基本的にイラクの中におけるいわゆる民主化というものが保障されていく過程というか、そういうことを同時に伴わない限りは、保護区という設定だけでは本来意図している問題から大変ずれた危険な方向にいくという側面を見ざるを得ないのではないかというふうに思います。
  45. 大城眞順

    ○大城眞順君 イスラエルアラブパレスチナ、この三者間における、あるいは相互における関係というものは必ずしも一致したものではなくいろいろ違った形の思惑がある、こういうふうなお話であったわけですね。  それで、アラブ諸国の対外的ないろんな問題の対応を見てみると、アラブ諸国は必ず大義名分を振りかざさないと話が始まらないというのがいわゆるパレスチナ問題、これを必ず出すんですよ。しかしながら、中ではパレスチナ問題をそんなに真剣に考えていないという論説が多いのですけれども、これについてどうお考えか。  そして二点目は、去る湾岸戦争アメリカ側から言うと正義の戦いである、私は少なくともライトウォーでなくともジャストウォーと思っていますけれども、アラブ側から言うとアラブの大義で戦った戦争だと、こうフセインは言いましたね。しかし、あれだけアラブ諸国が真っ二つに割れて、一体アラブの大義というものは、どなたか先生おっしゃっておりましたけれども、日本から見る中東というものは何か遠い国でちょっとイメー ジがはっきりしないわけですけれども、あんなに真っ二つに割れて、コンセンサスのとれたアラブの大義というものは一体何なのか、これを日本人にわかりやすいようにもし説明いただければ幸いだと思います。  次に鈴木先生にですけれども、最後にいみじくも申されました隗より始めよ、恥ずかしい次第ですけれども、まず国会から国際化せよ、こういうことでございました。どういったことを国際化すればいいのか。国際化と申しましてもたくさんあるんですけれども、二、三点はっきりしたものがあれば御提示願いまして、我々はそれに従うようにまた一生懸命頑張っていきたいと思います。  もう一つ最後に、南北問題の中でいわゆるバードンシェアリング、「負担の分担」という言葉をお使いになっておりますけれども、これは単に南北問題のみならず、アメリカとの関係もしょっちゅう、あるいはまた世界の構造の中におけるUNを通してのバードンシェアリング、やはり日本という経済のステータスでいろいろと割り振りをされまして相当の負担をしております。これをバードンシェアリングというならば、これは功刀先生に質問すべきかと思っていたのですけれども、時間がなくて残念です。いわゆるバードンシェアリングもいいんですけれども、日本がこれだけ世界貢献しているのに余りアプリーシエートされていないということは、パワーを持たない、リーダーシップを持たないからだと思います。  国連の中における改革の問題にしましても、敵国条項ももちろん解決しなくちゃなりませんけれども、国連の改革の中に、それだけシェアリングするならば、単なるバードンシェアリングでなくて、バードンシェアリングすることによって単にアメリカの権力を補完するだけの日本であってはならないと私は思います。したがって、パワーシェアリングあるいはリーダーシップシェアリングもそろそろ考えてしかるべき時期ではないかと思いますが、先生の御見解を承りたいと思います。
  46. 清水学

    参考人清水学君) それでは、二つ関連する御質問がございましたので、二つの御質問に対して一緒にお答えするようになるかと思いますけれども、答えさせていただきたいと思います。  まず最初に、アラブの大義とは何かということでございますけれども、一般的にアラブの大義というのは、今日においてイスラエルに占領されているパレスチナを解放するということになりますけれども、その前提となる考え方にいわゆるアラブ民族主義というものがございます。これはイラク、クウェートあたりから始まりまして、西はモロッコまで広がった二十カ国一地域が基本的に同じ民族から成り立っているという想定に立っているわけでございますけれども、実際問題としましては、その二十カ国が、表向きの論理としてはアラブ一つであるという論理は否定はできないのですが、実際の行動としてはほかの諸国家と同じように一つの独立した国家として動いているというふうに見てしかるべきではないかと思います。  それはずっとそうであったというよりは、細かいことは省略させていただきますけれども、大体一九六〇年代末くらいでアラブ諸国、特にイラクシリア、レバノン、ヨルダンあたりを中心といたしまして、一つの国として、私は一国主義という言葉を使いますけれども、一国主義という形で考えていい時代に入ったというふうに考えております。その結果、アラブ各国がアラブの大義と言った場合は、本当にパレスチナ人の解放のために動くということもありますけれども、往々にして自国の国益をむしろ追求するというスローガンに転化しやすい。今回のイラクの場合も実はそういう側面が非常に強かったというふうに考えます。  それからもう一つアラブ諸国パレスチナの解放とアラブの大義ということを申しているわけですけれども、実際に国内にいるパレスチナ人に対する対応と国際的な場で政府が発言することは一般的に大幅な乖離がございます。例えばクウェートもそうですし、それからアルジェリアもそうなんですけれども、それぞれの国で居住しているパレスチナ人が実際にパレスチナの問題で自主的なデモを仮に組織しようとすることがあった場合は、その政府はほとんど容赦なくそれを弾圧するというのが実態でございます。そういう意味では、アラブの各国政府が口でアラブの大義ということを言っているからそれはアラブの大義を追求しているんだということではなくて、具体的な局面でどういう意味を持っているかということで理解する必要があるように思います。  現在の局面に立ち戻りまして補足させていただきますと、現在アメリカが追求している中東和平構想というものは、必ずしもパレスチナ問題の解決に結びつく方向に向かってはいないというのが私の理解です。具体的に申しますと、アメリカイスラエルアラブ諸国の間の関係正常化という方向を追求している、これは事実なんですけれども、これは先ほど申し上げたように、それぞれのアラブ諸国イスラエルとの関係を改善するということは、逆に言いますと、例えばシリアにしてもパレスチナの解放を支持するという戦線からむしろ脱落していくという側面が強いわけでございまして、その点では、アラブイスラエル関係改善は往々にしてイスラエルパレスチナ問題の解決にマイナスに働いていくという側面を実は持っている。その点では、イスラエルアラブ諸国関係が改善すること自身は非常に望ましいことなんですけれども、それが自動的にパレスチナ人の解放に結びつかないということを考えながら国際的な枠をはめていくという働きかけが日本を含む国際社会の重要な役割ではないかというふうに私は考えております。
  47. 鈴木佑司

    参考人鈴木佑司君) 国際化の問題につきましては、私がアメリカのワシントンにいるときに、議会でアフロメーエフというソ連の参謀総長が参考人として証言をしたことが大変衝撃的でありました。国際化というのは、知りたい相手から意見の聴取を直接する工夫をすべきである。ジャーナリストや官僚だけがとってきたものをアメリカで議論することがどんなに大きい間違いをするかという意味で言うと、アメリカを体積で持ってくるべきで、点で持ってくる努力で事足れりとするのは大いなる間違いである。したがいまして、議事運営あるいは情報収集や議論という場に担当している人たちを直接呼んでくるという努力を大いにしていただきたいというのが一点でございます。  もう一つは、実は日本のことは全部日本が決めていくという責任が当然あるわけですけれども、それを支えるスタッフあるいは協力者にさまざまな国の人を抱え込んでいくことはとても大事で、アメリカでは国会議員のためのインターンシップというものがございます。これは国務省がお金を出して、世界じゅうの政治学を勉強した若い人たちに一年間もしくは三年間インターンとしてアメリカの議会のいわばアシスタントをしていただく。こういうところから有力な議院スタッフが育っているということを考えますと、率直に言って、そういう担い手をいかに上手に育てていくか、あるいは日本の国会の議事運営やさまざまな議論を持ち帰っていただく人たちを育てるということが大変重要かと思います。  三番目は、ここで議論されていることを、例えばアメリカはC―SPANというもので、イギリスの議会もすべて見ることができるようになりました。つまり、こういう情報をいかに早く国民やさらには隣の国々や関心のある人たちに届けていくかという、いわば議論の手段というものも国際化すべきではないかという三点を考えております。  簡単に南北問題を申しますと、先生の問題の立て方は実は私とかなり違っていると思います。つまり、覇権という政治的な側面で言う限り、おっしゃるとおり負担の分担が責任分担に動いていくということは避けることができない。これが歴史的な経験であります。しかし、こういう形で覇権を維持するためには大変大きいコストを伴います。そのコストを支え切れなくなったのがアメリカであり、ソ連であったという意味で言います と、この百年ぐらいで地域の問題を国際化してしまった覇権のあり方についての反省がアメリカには出てきている。したがって、地域の問題は地域で解くという工夫をすべきであり、そのためのさまざまな援助を周りがする。  私が考えているのは、朝鮮半島の平和的統一問題についてできることは、世界化しない、地域化する、それぞれのイニシアチブが発揮しやすいような国際関係をつくるということにリーダーシップを発揮すべきであって、パワーシェアリングというのは実は必ずしもいい方向での議論ではなかろうと思います。この議論をすればアメリカとは相当激しい厄介な問題も起こるに違いない。  ちなみに私、昨年あるテレビの番組で六〇年の日米安保条約改定についての資料を担当いたしまして、「こうして安保は改定された」という番組の資料を見ましたけれども、あれは相互安全保障条約であって防衛条約ではありません。つまり片務条約だという認識が非常にはっきり国務省にある。これを相互防衛条約にするというのは大変な問題が実は起こる。そういう意味で歴史的に覇権問題で議論すべきではないというのが率直な意見であります。  今最もすぐれてコストの低いのは、地域化をいかにするか。その関連で言うと、地域というものを考え、それにグローバルに取り組む最大の課題が南北問題でありまして、担い手は国際機関、それぞれの国家国家群、そして国家以外のサブナショナルなさまざまな団体、これはNGOといいますけれども、さまざまなグループがそれぞれリンケージを持つ。やりにくいところは別の主体がやるという一種のシステムをつくっていくことが重要で、日本は既にそういうインフラを随分たくさんつくってきている国でありまして、何もしていないのではなく、我々が何をしてきたかということをほとんど認識していない。ほかの国の方は、先生今アプリーシエートされていないとおっしゃいましたけれども、一体だれのことをおっしゃっているのか。いろんなレポートを見ますと、日本のやってきたことに対するアプリーシエーションは非常に高いものがたくさんございます。  そういう意味で言うと、一体どういうアプリーシエーションが必要なのかということを私は若干疑問に思っておりまして、先生がおっしゃるように、主として五大国体制の中で一極から多極に動いていくそういう貢献をしていないじゃないかとおっしゃいますけれども、非五大国体制が国連の中心に動いてきているのはもう既に否定できない。しかも地域がグローバルな役割を果たす。例えばASEANがそうでありますし、日本と東南アジアの国の経済関係がそうであります。しかも、非国家的主体は日本で続々と生まれてきている。確かにヨーロッパに比べれば非常に小さいのですけれども、議員が個人で動いたり小さいグループで動いたりあるいはNGOと一緒に動くということがどれぐらい威力があるか。ここにもその代表的な人が一人いらっしゃいますけれども、個人でも実は国家国家関係にかなり貢献できることがある。だとしますと、南北問題というのはそういうふうに人間のレベルで取り組む、つまり地域で人間的に取り組む最も重要な問題であるとすると、日本が一番力が発揮できる領域ではないか。  そういう意味で言うと、非覇権的で、かつ緩やかだけれどもアプリーシエーションが得られ、二十年ぐらいしてみたらいつの間にか戦争を必要としない、秩序をつくる能力を我々はこの四十年で証明した。そのノーハウを国際化すべきではないかということを申し上げたかったわけです。
  48. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 清水参考人鈴木参考人に一問ずつお伺いしたいのですが、パレスチナ問題で二国家論、我々もこの立場は賛成なんですが、国連決議二百四十二号が決議され、さらに再確認されてからもう二十何年たっているわけですね。その間、イスラエル占領地から撤去しない。私はフセインのリンケージ論にもちろん賛成じゃないんですけれども、そういう事態をどう解決するかというと、非常に難しい問題が幾つも今生まれているように思うのですね。あの二百四十二号決議の後、国連総会でパレスチナ国家創建の決議が採択されたときアメリカは反対して、日本は棄権しました。この間私が何で棄権したのかと質問しましたら、中山外務大臣は、バランスが悪かったんだ、アンバランスだったからだと、こう答えたのですが、今ではパレスチナ国家創建論は賛成なんだという立場ですね。  ここで僕はソ連の問題が一つ生まれていると思うのです。昨年「世界」で岡倉教授の論文を読んだら、米ソ首脳会談の際にイスラエルアメリカ、ソ連の間でソ連在住のユダヤ人の出国問題で密約が結ばれた。マルタ会談を経て、ソ連のアメリカでの最恵国待遇と引きかえにソ連は法律をつくってユダヤ人の出国が始まった。それでソ連のユダヤ人はかなりヨルダン川西岸ガザ地区占領地に送り込まれているという報道があるんですね。  清水参考人のインタビューを読むと、イスラエル側は今後ソ連からのユダヤ人が百万から二百万になるだろうということを述べているようですね。そうしますと、やっぱりソ連とアメリカという大国が………
  49. 中西一郎

    会長中西一郎君) 上田先生、簡単にやってください。
  50. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 パレスチナ問題で、ガザ地区ヨルダン川西岸からの撤退並びにパレスチナ国家創建という二つ国家論にどうも反対の態度をとり続けているようで、そうなるとこの問題の解決はなかなか困難が多いように思うんですが、特にソ連の二国家論に対する態度、現在のことをお伺いしたいと思うのです。これが清水参考人に対する質問です。  鈴木参考人には、日本アジアの問題で言うと日本戦争責任の問題がやはり問題になるわけで、自衛隊の派遣問題でアジア諸国がこぞって非常に警戒的ということが常に今問題にされてきているわけです。  先日、私どもの委員が、日本の敵国条項を取り去ってもらうためには侵略戦争の反省が必要じゃないかという質問をしたら、海部首相もはっきり侵略戦争だったと言わないのですね。侵略的事実はあったという程度でおさめてしまう。外務省の柳井条約局長は、例の朝鮮との併合条約さえ合法的だという答弁をする。そういうことがどこから生まれるか。これは異常だと思うのですね、いまだに第二次大戦の戦争責任をはっきり反省しないというのは。  一九八五年五月八日に西ドイツのワイツゼッカー大統領は非常にすばらしい演説をやったのだが、同じ八月十五日に中曽根首相は靖国神社参拝というようなことをやっているわけです。だから、そういうことの根源には、戦後のアメリカの対日支配における戦犯解除等々の問題がずっとあるんですよ。そうなってくると、本当に日本が自主的な態度をとるためには、日米関係の追従関係から脱却しないとアジア諸国からの信頼もかち取れないし、侵略戦争の反省もいまだにしないという異常な状況が続くわけなんで、やっぱり私たちは、日米安保条約のかわりに日米対等の新しい条約を結ぶというような方向へ進んで、本当に日本が自主的、独立的な国家にならなければ、幾らアジア日本役割のビジョンを描いてもどうにもならぬのじゃないかと思うんですけれども、そういう問題についてお考えをお伺いしたいと思います。
  51. 清水学

    参考人清水学君) 今の御質問で、パレスチナ問題に対するソ連の対応はどうかという御趣旨なんですけれども、御存じのように、マルタ会談と前後してかつてなかったような規模のソ連からのユダヤ人の流人というのがイスラエルで始まっているわけですね。これと対応して、アメリカが今度は逆にユダヤ人のアメリカへの流人の上限を設定して、年間五万人以上はもう受け入れないというふうにしました。ちょうどソ連からたくさん出てくる、しかしアメリカは受け入れないということで、必然的にイスラエルに流れていくというシ ステムがむしろ確立したというのがマルタ会談以降の事態だと思います。そういう意味では、ソ連は依然としてPLOに対する支持を表明し、それから二国家による解決ということを主張しておりますけれども、実際に起きている事態パレスチナ問題の解決を非常に困難にしていく条件が進んできているというふうに考えざるを得ないわけですね。  もう少し具体的に言いますと、どういうことが本当に問題かということですけれども、ソ連から入ってきたユダヤ人たちは一昨年ですと十数万だと思いますし、昨年ですと恐らく二十数万、ことしは恐らくもっと多くなると思います。その場合、ソ連から来ているユダヤ人はある程度技能を持っているということを言われていますけれども、イスラエルの失業率は決して低くありませんで、今六%、七%ぐらいの失業率でございまして、技能を持っているといっても当然生活をしなければいけませんので、だんだん余り技能の要らない未熟練労働の市場に入ってきているわけです。  ところが、未熟練労働市場というのは、イスラエル占領地であります西岸、ガザからパレスチナ人が来て働いている分野であるわけですね。建設現場の労働者とか繊維工場の労働者とか、キブツの農業労働者、その辺で労働市場をめぐる抗争というか、ユダヤ人とパレスチナ人という問題が一つ出てきている。それから、ユダヤ人の中の極右派の人たちが、ユダヤ人の雇用主に対してユダヤ人が失業しているのに何でパレスチナ人を雇うんだという攻撃をかけておりまして、そうしたユダヤ人雇用主に対するテロ活動が現在見られます。そういう点からいっても、労働市場をめぐる激しい状況、これが一つあるだろう。  それからもう一つは、住宅事情でございます。ソ連も、ソ連から行くユダヤ人は絶対に占領地には行かせるなということをイスラエル政府に要求しているわけですけれども、これは一つの玉突きの論理と同じでございまして、イスラエル自身が住宅事情に今大変苦しんでおりますので、仮にイスラエル本体の中にソ連系のユダヤ人が定着するにしても、今まで住んでいたユダヤ人が今度は占領地へ行けば全く同じことでございまして、そういう事態がある程度起こっております。  それから、一つだけ補足させていただきますと、実はイスラエル占領地にユダヤ人の入植地をつくっておることが大変大きな問題になっておりまして、現在占領地に大体八万人ぐらいのイスラエル人、つまり大体百六十万人の人口のところへ八万人ぐらい入っております。その中で今マジョリティー、多数派になりつつあるのが、従来のように宗教的な信念でもってイスラエル国家のために入っていく、先兵として入っていくという人たちではなくて、むしろイスラエル本体では住宅が高くて家なんか買えない。ところが、占領地へ行きますとイスラエル政府が補助金をたくさん出して住宅をつくっておりますので、大体同じ面積の家を買うのに三分の一の値段で買えるということで入っていっているわけです。そうしますと、そこに入っている人たちは、別に宗教的な情熱で入っているんではなくて安いから人っている。ところが、一たん占領地返還というような問題が起きたときに、恐らく彼らが最も頑強に反対する勢力になるだろう、そういうことを逆に見込みながらやっているという危険な動きがございます。  それで、パレスチナ問題の解決の展望というのは、実は私は決して明るくはないという悲観的な見方を言わざるを得ないんですけれども、その中で、これは十年ぐらい前になりますけれども、キッシンジャー氏が、パレスチナ問題というのはいずれクルド問題化するんだという言い方をしたことがあります。これはどういうことかと言いますと、いろいろ民族的な要求でぶつぶつ言うけれども、それはぶつぶつ言う不平の段階にとどまる。それ以上の力にはならない状況、そういう形にしていけばいいんだと。つまり、二世代三世代四世代になっていったらだんだん彼らの要求というのは弱まっていくだろうということを言ったことがあります。  現在、イスラエルあるいはアメリカの追求している路線というのは、いわばそういう路線に近いと私は思うんです。つまり、パレスチナ人の代表としてPLOではない別の組織をどうしてもつくりたい。それはいわゆる穏健派のパレスチナ人であって、その穏健派という具体的な内容というのは、独立要求というところまではいかない、あくまで限定的な自治の範囲で満足する、そういうパレスチナ人の団体。その動きが基本的に今進んでいるというふうに思います。その点でソ連ということを結びつければ、ソ連としてはそれを積極的にチェックするという方向では少なくとも動いていないということではないかと思います。
  52. 鈴木佑司

    参考人鈴木佑司君) 先生がおっしゃったアジアとの関係での戦争責任の問題はなかなか簡単にはいかない多くの問題を持っているかと思いますので、一点だけに絞って申し上げたいと思います。  多くのアジアの人の世代交代にもかかわらず、戦争責任を求める声が非常に強い一つ理由は、日本アメリカ戦争で負けたけれどもアジアに負けたという認識が非常に弱い、我々は一体どういうふうに見られているんだと。あなた方は中国でも負け、東南アジアでも負けたではないかと。アメリカに負けただけではない、なぜアメリカだけに負けたというふうに考えるのかと。アジアの目から見ると、どうも日本は西ばかり向いていて本当のアジアを見ていないではないかといういわば一種の過剰な期待と裏切られ方ということが一つございます。  なぜかと申しますと、私も調べたんですが、インドネシアにおいては四一年にオランダの支配を解放してくれる神兵来るという新聞すら出た。そういう歴史を持って期待をしていたわけです。さて、じゃ戦争について謝っていないか、謝り続けているんです。しかし、ちっともそれが評価されていないし、伝わっていない。なぜか。これはやっぱり言葉だけだからです。つまり、ドイツとポーランドにおいては相互に教科書をつくって、戦争というものをお互いに学んでいくという教科書会議をつくっております。ようやく韓国と日本において一緒に歴史の教科書をつくろうという運動が出てまいりました。これは金沢大の先生がやっているんです。そういう相互の信頼関係を末々の代までつくっていくという小さな努力の積み重ね以外に、実は幾ら言葉で謝ってもむだであるというのが率直な私のアジアから見た場合の一点です。  もう一つございます。実は、アジアの側で、警戒心だけではなくて日本に対してむしろ積極的に安全保障役割を果たしてほしいという現実的な対応が既に幾つか出てまいりました。これは、米ソ冷戦後以降この真空地帯をどうやって維持していったらいいかというかなり現実主義だろうと思うんです。しかも対ソ不信もあります。それからアメリカに対する不信を持っている国はかなりございます。例えばインドネシアは非同盟のリーダーであります。そうしますと、どうしても冷戦が緩やかにしか終わらない。依然としてそこに米ソ中国がかかわっているという現実からいって、脅威感がばらばらでありながら一体どうして共通に安全を維持するかという意味で言うと、日本に対する期待が恐らくぼつぼつと出てきておる。これに対してどう対応するかがむしろ今本当に問われているのではないか。  その際に、アメリカを除く形でそういうシステムをつくることが望ましいかどうかについて私は若干疑義がございます。というのは、例えばAPECができたときに、アメリカでまことしやかに流れたうわさ、これは事実ではございませんでしたが、通産省はアメリカを含まない格好で、ようやく外務省が後でアメリカを入れてくれてAPECができたという一種のアメリカの被害意識がございます。今後マレーシアが、アメリカを除いた形で経済協力機構をつくろうという提案をしており、アメリカ日本が裏でイエスと言わない限りはそんなことを言うはずがないと思っているわけです。日本の側ではそういうふうに認識しており ませんけれども。そうすると、アメリカがどうもアジアから排除されるかもしれぬという一種の誤解を生み出している段階であえてこれをやることが本当にいいんだろうか。  実は、それにかかわって非常に重要なのは、アメリカでは日本をイエスを言ってきた国と全然みなしていない。石原慎太郎さんの本がたまたまそうなりましたが、日本はずっとノーと言ってきたではないかと。最後に資料につけましたけれども、これまでの経済交渉において日本はイエスを言ったことは一回もない、全部ノーと言ってきた、すさまじいノーを言う国であったということを非常に正確に認識しておりまして、したがって、アジアの国々との間でアメリカを排除する形になった場合に非常に警戒心を持つ。逆に、外圧を利用して何か国内的なことをやろうというのはどうもアジアに共通しているやり口ですけれども、日本を利用してそれぞれの政権がそれぞれの利益を実現しようという流れがあるとしますと、戦争責任のとり方についても相当慎重に行うべきであって、そういう意味で言うと、むしろ草の根レベルで相互の信頼感を獲得するための教科書会議を一緒にやっていくとか、あるいは経済交流を意味ある格好で実現していくという功徳を積むことが今は非常に重要ではないかというように思います。
  53. 粟森喬

    粟森喬君 清水参考人にお尋ねします。  私は、イスラエルパレスチナ問題は二国間で現実的に解決するしか方法はないと思うんです。特に中東だけではなく、アフリカもアジアもそうですが、民族問題というのは、すべての国家一つの支配体制があって独立しましたから、民族自決と国家あり方というのはかなり複雑にますます多様化していくのではないか。そのときに、国益のあるものがそこに何らかの格好で介入するということを、例えば今度のイラク問題もアメリカの国益と無関係に動いたというふうには私は思わない。そういうことから考えると、やっぱり民族問題というのはアジアの問題を含めて、それ以外の国家が余り介入しないという原則をかなり明確にしていかないと問題が起きるのではないかというふうに思いますが、この点について一つ。  それから、鈴木先生にお尋ねしたいのは、日本が東南アジアにおける安全保障というふうにおっしゃいましたが、私どもの安全保障というイメージは、さっき日米安保条約のときにもちょっと解説されましたが、何となく軍事的な秩序を確立するという側面がどうも強いというか、そういう懸念がございます。アジアといったときには、アジアにおけるいわゆる大きな国家といえば日本であり中国でございます。中国と日本のバランスが明確にアジアの中で貫徹できないと、日本のリーダーシップにおける安全保障というのはこれからに大きな問題を残すのではないか、こういう懸念を持っていますので、ちょっと御意見を聞かしていただければ、こういうふうに思います。
  54. 清水学

    参考人清水学君) ただいま先生が御指摘されたとおり、アジア、アフリカ、中東がそうだと思いますけれども、それぞれの国境がそこに住んでいる人たちのある意味では自然な領域によって線引きされたのではなく、かつてのイギリス、フランスなどの帝国主義国がそれぞれの利益に基づいて線引きをしたという事情があることはおっしゃるとおりです。ただし、勝手に惹かれた線引きに対してどういう対応をするかということにつきましては、地域によって若干の差異がございまして、例えばアフリカ統一機構、OAUの憲章では、仮にその線引きが勝手なものであったにしてもこれは相互に尊重すると言うことを明示しております。  ところが、アラブ諸国アラブ連盟になりますとそこをはっきり明言していないわけです。それは先ほど申し上げましたように、あくまでアラブ一つだという考え方がそこにありますので、はっきり言いにくいというところがありまして、そこが例えばアフリカと中東の違いとなっております。ただし、北アフリカの国、アルジェリアとかチュニジアとかモロッコというのは、ちょうど両方に、アラブ連盟にも入っておりますし、それからOAUにも入っておりますので、基本的には北アフリカの国々の考え方はきちっと守るということになると思います。ただし、これはかなり無理があるということは否定できませんので、それぞれの当事国が何らかの形で対応して、いわゆる話し合いを通じて解決するという道をもちろん妨げるべきではない。事実、例えばサウジアラビアとヨルダンにおいては、かつて文字どおり話し合いによってかなりの領土をヨルダンに譲り渡しているというケースがございます。  御質問になりました、当面、そういう問題を解決する場合に、その地域自身で解決して諸外国が介入すべきではないということでございましたけれども、おっしゃるとおり、基本的な原則としましては外の大国がそれぞれの地域の問題に介入すべきでないということは確かに事実でございます。ただ、外からの勢力が介入すべきでないということを主張する論理が、場合によってはその地域地域的な大国が自分の権益をその周辺に及ぼしていくためによその国は入るべきでないというふうに使う場合があると思うんですね。例えばこの間のイラクのクウェート侵攻に際して、いわゆるアラブ的解決ということの中にはそういう側面がなかったとは言えないと私は思います。その点の兼ね合いについて、私は今明確な考え方を持っておりませんけれども、無条件地域の問題はその地域でということは必ずしも言えない、そういう側面も見ておかなくちゃならない。ただし、原則として周辺の関係のない国が介入すべきではない、この原則については全くそのとおりだろうと思います。
  55. 鈴木佑司

    参考人鈴木佑司君) 御質問は、軍事的秩序の確立のイメージが非常に強いとおっしゃったんですが、私が申し上げたかったのは、東南アジアにおいて軍事的な秩序ということは実は放棄されて、しかもうまくやってきた。例えばASEAN方式はまさしくそうでありまして、集団安全保障体制ではございません。しかも、非核、中立を原則としている極めておもしろいタイプの地域安全保障の枠組みでございます。これに対して、外から日本が軍事的な介入をするということは到底考えられないし、受け入れられるとも思えない。むしろここで非常におもしろかったのは、例えばシンガポールが日本のいわゆる市民警察、ポリスボックスですけれども、これを導入することによって非常に治安をよくした。つまり軍事的警察や政治的警察ではなくて市民警察、自転車でとことこ行くあのポリスボックスの思想というのは実に効いたわけです。そういう意味で言うと、治安という意味の受け取り方は全く違っておりまして、そういう貢献は別にしているということを一点指摘しておきたい。したがって、恐らく軍事的な秩序の再編成として期待もされていないし、我々はすべきでないというのが一点でございます。  もう一つは、これまでの安全保障上の最大の問題は四つございました。領土、少数民族問題、指導者間の不和、そして経済格差であります。これはちょう清水先生がおっしゃったように、領土も、例えばフィリピンというのはフェリペ二世に贈られた土地だからフィリップランド、フィリピンと言われた。インドネシアはギリシャ語でございます。つまり、それぞれの言葉で自分の国を呼んでいる国はまだありません。マレーシアは英語であります。ようやく最近ビルマがミャンマーというビルマ語で呼ぶ国をつくりました。つまり、まだ領土、国民と国家というものがきちっと一致していない。現在、南タイ、これはマレー系の人、イスラム系が住んでいる地域でございまして、これはタイ領でありますが、マレーシアと若干問題がございます。フィリピンの南にまだフィリピンとマレーシアのどっちへ行くかわからない地域があります。それからベトナム、フィリピン、タイ、インドネシア、中国がかかわっているスプラトリー島というのがございます。だれが一体所有するかわからないところが非常にたくさんございます。そういう意味で言うと、領土問題は 依然として重要でありますが、この解決の仕方に、戦争ではなくてASEAN方式が出たというのは大変重要です。  二番目に、少数民族問題はソ連でも起こるでしょう。どこでも起こるはずでありますが、実は日本みたいな国は非常に珍しくて、たくさんの民族でできている国の方がはるかに世界では普通です。共存のためのシステムとして国家というものが実は機能してきたはずであって、ある面で言うと、一民族一国家という考え方の方が私はおかしいと思うんです。こういういわば内なる民主主義というものをさまざまな形で努力をしてつくっていくプロセスが今ではなかろうか。そのプロセスをいわば外から不可能にしてしまう経験をしたのが植民地支配であったし、冷戦であったし、ひょっとすると覇権というのはそうであったかもしれない。そういう意味で言うと、外の介入をいかに防いでいくかと。  三番目は、指導者間の不和でございまして、これは本当に現実問題でありまして、指導者間の不和というのは実は戦争紛争の大きい原因でありましたし、その最大の理由はソ連向きかアメリカ向きかでこういうことが起こった。これはなくなりましたので、指導者間の不和で簡単には起こりにくくなった。  残るのは経済格差であります。経済格差が東南アジアにおける非常に重要な紛争原因であるとすると、ここを解決していくことが実は安全保障に対する貢献であると申し上げたかったわけです。
  56. 中西一郎

    会長中西一郎君) 質疑を希望される方がまだ大分いらっしゃいますので、参考人の御了解をいただきました。もうしばらく質疑を続けたいと思います。  では田村さん、簡潔にどうぞ。
  57. 田村秀昭

    ○田村秀昭君 十日のワシントン・ポストに、ロバート・サミュエルソン氏が、日本に対して穏健な客観的な論評をしていた方ですが、今回の湾岸戦争でよくわかったことは、日本危機に対して真に頼れる同盟相手ではないということで、日本には米国とソ連を区別する道徳基準もなく、利益になるとなれば米国を喜んで裏切るだろう、こういうことで日本を切り捨てるような主張の打ち出しをされております。  こういう状況で、鈴木先生が一番初めにおっしゃいました「九十年代のアジア・太平洋と日本」のところで、「日米関係の展開と新たな安全保障の模索」ということが書いてございますが、その辺のところをもうちょっと具体的におっしゃっていただきたいと思います。
  58. 鈴木佑司

    参考人鈴木佑司君) 日本切り捨て論は、別に今日に始まったことではございませんで、アメリカの歴史を見ますと実に長い歴史がございます。正義を掲げて戦争をしたのはアメリカはわずかにこの百年でありまして、しかも御承知のように、第一次世界大戦以後国際連盟をつくって国際貢献をしようとしたその大統領の案をけ飛ばしたのもアメリカの議会でございましたし、一九三〇年代すら実は今のように、アメリカはまことに頼りにならない国だとイギリスにさんざん言われた経験があります。したがって、我々の経験は特殊なわけでも何でもないというのがまず第一点押さえておきたいことでございます。  次に、日本切り捨て論の背景に、日本との利益の調整をどうしたらいいか、これは冷戦の論理では解けない問題でございました。なぜかというと、同盟国日本が経済的に豊かになることは対ソ戦略においてまことに望ましい。ちょうどドイツに対しても、ドイツが経済的に豊かになり強くなること、アメリカを脅かしてもそれは体制の利益である。つまり、体制の利益と国益というものがぶつかるというのが覇権国の基本的矛盾でございました。この体制の利益を取っ払ってしまったときに国益でどうするかということで出てまいりましたのが、この三年ぐらいアメリカの国務省が中心にしていた対アジア政策をどう展開するかというさまざまな議論でございます。ところが、私が見る限りでは、アメリカアジア政策を持っていないし、持ちにくいし、恐らく将来も持つのが非常に困難であろう。アジアであるという認識をアメリカはまだ自分で持っていない。太平洋国家だという認識はありますし、経済的には既に十年間近く大西洋よりも太平洋の方が経済的に重要になっております。したがって、アメリカアジアを向いているわけですが、アジアの方がアメリカ地域国家だとは見ていない。したがって、ここには非常にアイデンティティーの難しい問題があってアメリカにとって政策を立てにくい。  二番目に、アメリカにとって依然としてここは草刈り場というんでしょうか、ある面で言うとアメリカにとって非常に重要なフロンティアなわけです。ところが、フロンティアの方が大変力をつけてアメリカに攻め込んでくるという認識があって、しかもみんな壁を高くして攻めてくる。つまり、アメリカの商品は入らないけれどもそっちの方はどんどん入ってくる。このフェアネス・アンフェアネスをどうするかということについての議論がまとまっていないこと。  三番目は、予算で見ますと、軍事予算の半分近くはヨーロッパへ行っておりますが、アジアに来ているのは十何%です。明らかに差別をしている。そういう意味で言うと、アメリカは常にヨーロッパを中心に物を考え、世界を考えてきた。つまり、アジアを見て物を考えてきたわけではないわけです。ところが、実際に向こうとしてもなかなか向けない。そこでいらいら、感情論その他がさまざま出てくるということは非常に短期的にあり得る。  ただ、先ほどちょっと紹介しましたけれども、多くの政権に近い方、ブッシュ政権の最初のころは、政権の中枢に反日派がいると一時期言われました。したがって、非常に厳しいだろうと言われましたが、二年たち三年たってみると実はそうではない、やはり日本アメリカはもう相互に生きていく以外にないという認識が固まってきているんではないかと思います。こういう世論の呼び戻しはしばらくあるにしても、そう簡単にはアメリカ日本を切り捨てるということはできないし、我々もできない。そういう意味で身動きのとれない事態であり、しかも国家だけで解決できない。これは交渉を見ましても、政府同士で解決できる範囲が非常に狭くなりまして、ある面で言うとボ,ダーレス化が最も進んでいるのは日米でございますので、そういう意味で言うと社会と社会の共存あり方を求めていく以外にない。  したがって、ヨーロッパの学者はSIIを、ECのインテグレーションと同じ水準で考えるべきである、もめながら結局は経済統合を遂げていく、そういうプロセスであると。したがって、切り捨て論が出てきたり他者論が出てきたり異質論が出てきたりすることはしばしばございますでしょう。しかし、はっきりした対日政策が出てくるというふうには予測をしにくい。したがって、我々も感情的に反発することは決していいことではないように思います。
  59. 猪木寛至

    ○猪木寛至君 清水先生にお聞きします。  先ほど水の問題が出てきましたが、これは中西会長も前言われていたんですが、やっぱり緑化という問題ですね、なぜあそこで紛争が絶えないかという部分、自然環境との関係があるんじゃないかということで。  もう一つは、湾岸戦争の後に起きた人類にとっての大きなツケは、水処理に関しては私どももいろんな研究をしていまして解決できるというところまで来ているんですが、今、水の問題というものはいろんな計画があると思いますが、もう一つはやはり農産物の問題ですね。  それから、もう一つ鈴木先生にお聞きしたいんですが、今回米州開発銀行の会議がありましたけれども、中南米問題、これはアマゾンも含めてやっぱり債務国の問題なんですが、アメリカが抱え切れないという問題に来ていると思うんです。それを日本に肩がわりをさせようという。ですから、米ソの関係というのは、最初に歩み寄っていったのは必ずしも平和が目的じゃなくて、お互いの抱えている経済情勢というか、そこから一つは大義名分という部分で平和というものが掲げら れていっていた。その辺が、世界情勢を見ていくと、今回の中南米も要するに何か肩がわりというか、自分のところで面倒見切れないものをね。そしてもう一つは、アメリカから見たとき今アジアがわかりにくいという。それからアジアのブロック化という部分の、中国に寄っていくアメリカの気分という部分があるんじゃないかなと思うんですが、その辺をちょっとお聞かせください。
  60. 清水学

    参考人清水学君) 今御質問、コメントがございましたけれども、先ほど述べさせていただいたんですが、やはりあの地域における自然環境、特に自然環境というよりもこれから急速に予想される水不足という問題、これがそれぞれの地域の生活水準に影響を及ぼすだけではなくて、あの地域国家間の紛争というものを引き起こしかねないと、もう既にそういう兆候が見えているということですね。これにつきましては、単に農業用水だけではなくて、どこの国もやはり工業開発というものを進めておりますので、工業開発そのものについての水も、工業用水そのものも実は水不足を加速化させている要因になっております。  それから、これは先ほどのパレスチナイスラエル問題と関係するんですけれども、イスラエル人の生活水準とパレスチナ人の生活水準の大きな差というのが、例えばイスラエル人の一人当たり使う水の量とパレスチナ人の使う量というのは十対一とかいうくらいの極端な差が出てくるわけです。占領地においてはパレスチナ人の農民が今井戸を掘ることを原則として禁止しているわけですけれども、他方そこに進出しているユダヤ人、イスラエル人の入植地の家には、場合によってはプールが備えつけられてそこで泳いでいるというような極端なケースもあります。  そういう意味では、この水問題を解決するためには幾つかの原則があると思うんですけれども、一つは、もう一国レベルではできない、ですから地域的な協力をやらなくちゃいけない。そのためにはその地域における平和の条件ということとセットになっている。逆に言うと、平和の条件をつくる過程と水の問題を解決する過程が場合によってはパラレルにいくということが一番望ましいわけで、そのための技術的なアドバイスとか、そういうことで例えば日本協力できる余地があるのではないかということを再度申し上げさせていただきます。  それからあと、農業に関しましては、先ほど申し上げたように中東というのは人口増加率が非常に高いところでございまして、そういう点で食糧不足の問題も非常に深刻になっている。  それからもう一つ、今回の湾岸戦争だけではないんですけれども、あの地域でのいわゆる軍備あるいは武器の調達、それのために必要とするお金が文字どおりあの地域の経済発展を抑制し、それから国民の生活水準を押し下げるという、本当にトレードオフという関係になっていることが非常にはっきり出てきていると思うんですね。そういう意味では、あの地域における軍縮を進めるということとあの地域の国民の生活水準を上げるということは必然的にそれだけ平和の条件を拡大するということになりますので、その意味で軍縮を通じる平和というある意味ではいい循環を何とかつくり上げていく、そのための教訓として今回の戦争が生かされればというふうに私は考えております。
  61. 鈴木佑司

    参考人鈴木佑司君) 米州開発銀行について、非常に私は適切な御質問だったと思うんですけれども、実は米州開発銀行だけではなくて欧州開発銀行にも日本は要求されておりますし、アジア開発銀行のアメリカと匹敵する最大の出資者でありますし、さまざまなところから要請が来ていることは御承知の通りであります。その背景として、若干先ほど申しましたけれども、やはり先進国というのは途上国や発展途上国を取り込んでいく努力、そのコストを払うというのが歴史的な責任であったかと思います。その意味で言うと、アメリカは裏庭であるラテンアメリカにおいて見事な失敗をしたというふうに私は思います。メキシコ、これはアメリカの経済学博士号を持っている人が一番多いところですが、ここで見事な失敗をした。つまりアメリカ経済学が失敗したと言われているわけですけれども、同時にラテンアメリカにおいてもそのとおりであります。それに比べて、日本が入ったときに突然メキシコがよくなった。先生がいらっしゃったあの大国ブラジルは、メキシコに負けたというんですごく悔しい思いをした。  それから、御承知のように、一九九三年の一月一日からブラジルの人はポルトガルに移民できません。つまり、ラテンアメリカにとってヨーロッパが最大だった、これが閉じられる。アメリカは閉じている。御承知のように、ブラジルから世界最大のオレンジ輸出をしている輸出先は日本であります。ポテトを一番たくさん輸出しているのは日本です。アメリカに一粒も入らない。アメリカは、我々に米一粒も入れていないじゃないかと言うけれども、ブラジルの人に言わせるとリンゴ一個も入れてはいないじゃないかと言う。それほどアメリカは国益に徹しますと非常に厳しい保護貿易主義の国であります。そういう意味で言うと、奇妙な肩がわりをここで我々はしている。つまり、汚い、つらい、厄介なこと、いわゆる三Kは全部日本が任されている。その一つがこの米州開発銀行であります。にもかかわらず、これまでの経験でいくと日本はその汚い仕事を見事にやってのける奇妙な国、能力のある国であります。これはちょうど、アメリカがイギリスからどうやって世界秩序を維持するかを学習した時期があります。ディーン・アティソンという方が日記に書いておりますけれども、我々はちょうどその学習をしている。しかも肩がわりは、汚ない、厄介な、難しい仕事を見事にやってのける。この点で私は肩がわりを大いにすべきだと思います。  しかし他方で、ブロック化の問題が一つ挙げられましたのでこれを紹介いたします。  アメリカのワシントンにアトランティックカウンシル、大西洋評議会というのがございますが、その中で韓国の方から、日本と韓国と中国の経済ブロックをつくりたい、それをアメリカは支持してくれという提案をされました。これを日本が提案したら一発でけ飛ばす、それから中国が提案したら物すごく警戒する、しかし韓国が提案した、つまり最小の国が提案したために非常に断りにくかった。この日韓中の経済関係ができてくると、もうこれはアメリカは本当に排除されて手が出せないという恐怖感を持った最初だと言われております。実は、アメリカはNATOをつくるときにカナダの意見を利用し、CSCE、全欧安保協力会議は実はハンガリーのリーダーシップでできた。大国がこういうアイデアを出すのではなくて、小国がアイデアを出してできてくるということがこれまでの世界の秩序でございますから、小国が言い始めたときは本当にできるかもしれないという意味で非常に警戒し、ブロック化しないようにいかにグローバルな地域協力機構にするかということで必死になってアメリカは今日本を説得しよう、中国を説得しようとしている。そういう意味で言いますと、アジアはグローバルに強くなった。アジアアジア化して強くなったのではない。ヨーロッパはヨーロッパ化することで民主主義を獲得し、米ソの支配から脱却することができた。日本あるいはアジアは、グローバルになることで米ソの支配に対抗する経済力を身につけている。そういう意味で、ブロック化というのは全く歴史に逆行する最もまずい選択ではないか。もし中国がそういうブロック化を要求するとしたら我々は敢然とこれに立ち向かう必要があり、その限りで言うとアメリカとの協力は非常に重要なカードだというふうに思います。
  62. 和田教美

    ○和田教美君 簡単に、お二人に一問ずつ質問いたします。  まず、清水参考人に対してですけれども、クルド族を中心とする難民問題にお触れになりました。湾岸戦争が決定的にフセインの敗北という形になったときに、クルド族の反乱とそれから東南部でシーア派勢力の反乱というふうな動きがござ いましたけれども、結局、湾岸戦争が撃ち方やめになった後で全部フセインの巻き返しで鎮圧されたという状況になっているわけですね。その間に、アメリカはフセイン打倒と言っているのに、シーア派だとかあるいはクルド族の反乱をなぜ支援しないのだという声がアメリカ国内にもその他の国々にも起こったわけですけれども、それにもかかわらずアメリカはやらなかったわけです、要するに基本的には不介入主義をとった。  その問題について、この間いただきました先生がお書きになった世界週報の「「シーア派の反乱」に揺れるイラク」という論文を拝見しましたところ、先生は、結局アメリカはフセインにかわって西側に受け入れやすい人間に政権はかえるけれども、基本的にはバース党の現在の組織を温存するんだ、シーア派だとかあるいはクルド族に任せる、それが支配するというようなことは好まないんだという判断をされているわけですね。今でもそういうことは変わらないのか。そうだとすればなぜそうなのかということについて簡単にお触れいただきたいということが一つ。  それからもう一つは、鈴木先生にお尋ねしたいんです。時間がなくてアジア・太平洋における軍縮・軍備管理の制度化という問題について余り詳しく触れられなかったわけですけれども、今度ゴルバチョフが参りますね。新聞報道によると、太平洋安保で新しい構想を出すということが報道されておって、このアジア新安保という構想についてアメリカもとにかく参加できるような呼びかけをするという報道もあるわけで、私は非常に期待しているんですね。  なぜかと言うと、今までアメリカアジアの軍縮・軍備管理という問題について非常に消極的であった。つまり、海軍軍縮についてアメリカは全く乗ってこなかったということがあるわけで、それを受けて日本の外務省も、いや、要するにアジアのあれはNATOとワルシャワ条約が対抗しているような簡単な二極構造ではなくて非常に複雑な構造であるとか、いろいろ理由を挙げてこの問題に全く消極的であったわけです。これがゴルバチョフの提案を受けて多少変わってくるのかなというふうにも思っておるんですけれども、基本的に先生は、緩やかな緊張緩和といいますか、緩やかな脱冷戦という状況がこれから進むというふうにお考えのようですが、その場合にどういう組織づくりというか、例えばヨーロッパのような、つまり全欧安保というふうな形の一つの機構をつくってそれで交渉していくということになるのか。それはアジア状況から見て余り適当でないというお考えなのか。これからどういうふうな形で進めるべきであるかということ。  それと、非対称性の問題、ソ連は陸軍が多い、アメリカは圧倒的に海軍で対抗している、こういうふうな問題についての軍縮交渉というものは非常に難しいのではないかという議論もあるわけですが、そういう一連の問題についてひとつ御見解をお聞かせ願いたい。  以上でございます。
  63. 清水学

    参考人清水学君) それでは、簡単に答えさせていただきたいと思います。  結論的に申しますと、私がこの論文で書きましたように、アメリカとしてはバース党支配体制を維持するということに現段階においてはメリットを感じていて、それを守ろうとしているということに尽きるわけですけれども、一言で言いますと、アメリカ戦争中あるいはその後でもフセイン体制というのは絶対認めないんだということを言ってきたわけです。しかし同時に、その後だれがサダム・フセインにかわるかということについての青写真は具体的な形では持っていなかったというふうに私は思います。  その中で、クルド、シーア派の反乱が起きてきたわけですけれども、このクルドにしてもシーア派にしてもあるいはイラク共産党とかその他いろいろありますが、これがもし勢力を持ってしまった場合はイラク自体が一種の解体現象、一種のレバノン化ということにつながっていく。これはアメリカの戦後のあの地域における湾岸構想においては、安全保障交渉にとっては大変不安定な要因を組み入れることでありまして、特にこのことはトルコ、イラン、シリアの内政の不安定化にも必然的につながっていくということで、既存国家関係、特にイラクの保全ということを大前提としてアメリカとしては追求せざるを得ない、それが一種のジレンマであります。  もう少し具体的に言いますと、イラクを解体させないということは、バース党の支配体制以外に今イラクをまとめ上げていく組織というものは存在しないわけです。それで、今アメリカが考えているのは、恐らくバース党の組織は一応国家をまとめ上げていくものとしては残しておく、しかし上だけはかわってほしいということなんですけれども、今度サダム・フセインの方は、結局自分にかわる者はいないじゃないか、やはり自分以外にイラクをまとめ上げていく者はいないじゃないかということを現段階においてはむしろアメリカに向けて主張し続けることによって地位を維持しよう、そういう綱引きが今行われている。時間がたてばたつほど、結果としてはサダム・フセインに有利になっていく、少なくとも当面は。ただし、アメリカとしては国内向けの世論の関係上、サダム・フセインの打倒ということは言わなくちゃいけないんですけれども、これはもう時間がたてばたつほど次第に弱くなっていくということにならざるを得ないという、時間がどっちに有利になっていくかという局面にあるのではないかと思います。  ただし、私はサダム・フセイン体制がそのまま非常に安泰というふうに申し上げているわけでなくて、むしろサダム・フセインに対する不満とか批判というものはすぐ出てくるのではなくて、かなり時間をかけて、一年とかあるいは二年とかそういう単位で今度はイラク国民の間でいわば醸成されてきて、これがもしかすると本当にサダム・フセイン体制にとっては危機となってくる、そういうようになるかもしれません。短期的には意外に根強く生き延びるのではないか、そういう可能性が高いのではないかというふうに私は見ております。
  64. 鈴木佑司

    参考人鈴木佑司君) 恐らくアジアの軍備管理・軍縮にとってゴルバチョフが提案する中身は、確実に三つのものが入っているだろうというふうに予測されております。  一つは、核の問題を一体どうするか。これは米ソのほかに中国、インド、ひょっとするとパキスタン、そして朝鮮民主主義人民共和国という核を持っているかもしれない国を含めてかなりの保有国がある。一体、この核拡散をどうやって押しとどめ、核兵器の廃絶を実現していくか。そういう場合の戦略核というのは、これは米ソの交渉でございますし、その関連で中国の問題が出てくるかと思うんですが、厄介なのは、核の問題のいわば非拡散をどう実現するかということです。その一つは、非常にアンバランスな海の核兵器でございまして、これはアメリカがなかなか受けないだろうというふうに思いますので、受けられる範囲での地上核について若干の進歩があるかもしれない。とすると、これは戦略核ではなくて通常兵器との中間にある戦域兵器だろうというふうに言われていると思うんです。この点では、既にINF全廃条約がアジアを含めた格好で実現しておりますから、残っておるところをどうするか。  問題は、その通常兵器における管理並びに軍縮をどう実現するかでありまして、武器輸出国が既にこの地域にはかなりございます。中国がその代表例でございますし、朝鮮民主主義人民共和国も、そして韓国も実は武器輸出国であります。こういう、世界的に武器を輸出しないようにするには一体どうしたらいいかということが恐らく問題になるだろう。いわば新たな包括的軍縮・軍備管理という構想、一体これをどう実現していくかというのが恐らく新たなテーマになろうかと思います。ただその場合に、ヨーロッパと違って、今先生御指摘のとおり非常に非対称である、あるいはさまざまなファクターがあるということで、同じようにはいかないとしますと、制度や組織を構想 するよりはプロセスを考えよう。つまり、どう始めるかということ自体が非常に重要である。  そうすると、最終的にCSCAのような、全アジア安全保障協力会議のようなものができるにしても、これは組織として全体としてどんと出てくるのではなくて、テーマ別にばらばらにそれぞれのできるところで進んでいく。つまり、非常にアジア的な進み方をとるのではないか。その場合には、恐らく非常に狭い意味での国防相会議あるいは二国問、多国間の国防相会議から環境に至るまでのさまざまなテーマ別の地域的なプロセスを始めていくということが考えられるし、望ましいのではなかろうか。  ちなみに、一つだけ申しますと、イラクとマレーシアというのはまことにそっくりでございまして、人口のスケール、GNP・パー・キャピタル、石油産出国、その他全く同じなんですが、こういうスケールの国を世界化してしまう、世界問題にしてしまうという大国の政治のあり方を変えていこうというのが、恐らく今回極めて重要なアジアにおける議論の中心課題になろうかというふうに思います。
  65. 喜岡淳

    喜岡淳君 鈴木先生にお尋ねいたしますが、いよいよ冷戦後のアジア外交の問題ですけれども、日本がこれからのアジア外交を考える際に、とりわけ先生が強調しておきたい点ということはどういう点があるでしょうか。
  66. 鈴木佑司

    参考人鈴木佑司君) まず一点は、今まで我々はアジア外交を本当に持ったのであろうか、私はなかったと思います。場当たり的であった。問題が起こればそれに対応する。これは政経分離、つまり、どこに対しても出ていくけれども、政治に対しては余りかかわらない。ましてや軍事においてはかかわらない。そういう意味で抑制のきいた比較的すぐれた選択肢であった。しかし、ただ戦争責任について明快な答えを出さなかったということが今ツケとして問われておる。  二点目は、一国ですべて何かをやるということが最も難しい地域だと思います。これは東西もあれば南北もある。したがって、例えば湾岸について言うと、今石油について最大の輸入地域はこのアジアです。アメリカでもなければヨーロッパでもない。中東石油と最も深い関係を持ち始めたのは日本であり、NICSであり、ASEANであるわけです。こういう最大の受益国家群が何らかの協力をすべき時期に来ていると思うんですが、これに呼びかけをしなかった。韓国が防衛医隊を出すときになぜ日本が資金援助をしなかったのか。あるいはさまざまな医官その他を送る場合に。ここにはイスラムの国があります。インドネシアは世界最大のイスラム国です。マレーシアもイスラム国です。シーア派もおります。スンニーもおります。さまざまなことを理解している人も非常にたくさんいる。英語のできる国もあります。アジア全体で協力すれば、その費用を我々が払ったとしてもかなり効果のある協力ができたに違いない。同じアジア地域、第三世界として共通の問題を抱えておるところがたくさんあります。我々は点で攻めるのではなくて、線で攻めるのではなくて、面で対応すべきであったのではないか。  つまり、私どもが考えるべきは、突出して何か日本だけがここで派遣をしょわなければいけないというふうに思うのがそもそも間違いで、それぞれの国々と協力しながら地域紛争地域的に対応していく、そういう枠組みをつくっていくべきでなかったか。そういう構想をぜひ育てていただくということがアジア外交の中心になろうかと思います。
  67. 中西一郎

    会長中西一郎君) 参考人に対する質疑はこの程度にとどめます。  清水参考人及び鈴木参考人一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙の中、長時間の御出席をいただき、貴重な御意見を賜りましてまことにありがとうございました。本調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時三十一分散会