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参考人(
功刀達朗君) 私は、これまで十九年間は
国際連合で勤め、八年間は外務省の
在外勤務など、延べ三十三年間
海外生活をしてまいりました。その経験から
国際貢献についての考えの一端を述べさせていただきたいと思います。
世界は今、大変革の十年を迎えていると言われておりますが、その大変革なるものがいい
方向に向かっているのか、あるいは非常な動乱の時期を再び迎えたのかということについてはいろいろと解釈が分かれると思います。最近の
湾岸戦争とソ連邦内の非常に不気味な胎動は、民意の
時代到来への期待というものを後退させたわけです。しかし、無辜の民の生命、財産、幸福を踏みにじる
指導者に対する憤りというものは高まり、
戦争への決別を求める
意識というものは
一般民衆の間に高まりつつあると言えます。
今回、
アメリカ一
国突出型の
指導のもとに他
国籍軍のとった
行動については、いずれは非常に厳しい歴史の審判というものが下されるのではないかと私は考えております。米
国内では一週間、十日くらいの間は
ちょうちん行列的な騒ぎがあったわけですが、
ニューヨーク・タイムズとかワシントン・ポストなどのシニアな
論説委員などは最近になってから非常に反省的な
論調を出しております。いろいろと
批判すべき点があるのではないかと思いますが、今回の
戦争は、もう少し
経済制裁というものの効果を見てからやむを得ず
戦争に入っていくということが望ましかったのではないかという大方の
意見というものが最近
アメリカでも出ています。
それから、もっと大事なことは、
戦争に突入したとしても、その後の
行動を考えてみますと、この
戦争というものは非常に
節度を欠いた
戦争になってしまったということが非常に残念であるということです。
国際法上プロポーショナリティーという言葉がございまして、物には
節度がある、これは
自衛権などの行使に関して
適応性あるいは均衡を持った反応、措置をとる必要があるという
原則があるわけですけれども、今回の場合には非常に過剰な
行動に出たのではないかということが最近
アメリカの中でも言われております。
情報操作によって
アメリカ市民全体には知らされていないことがかなり多かったわけですけれども、
イラク側の
死者の数というものはいまだに知らされて
はいませんが、
現地の
方々、
片倉大使は今東京にちょっと帰られていますが、彼からも聞いたところでは非常に数が多い。
アメリカのデータによっても
死者の数というのは十万から十五万人くらいいるんではないか。そして
死傷者を全部まぜると五十万人くらいになる。
死傷者の数を
アメリカのニューヨークの
人口五千万くらいの数と比較してみますと約百四十万人という非常に大きな数になるわけですね。
私は、
昭和一けたの
昭和九年生まれで、一九三七年十二月の
南京陥落のときの
ちょうちん行列をいまだに覚えております、私は三歳九カ月ぐらいだったと思いますが。その
南京陥落というときに、我々
日本国民は
南京で行われた大虐殺という事実は全く知らされないでいたわけですが、
アメリカの
ちょうちん行列的なものを私は
テレビで見ていまして、そこには
一つのパラレルがあるのではないか。我が国はどうも
加害者意識がないということを言われますが、
アメリカもどうも
加害者意識というものが今回の
戦争にはないのではないか。結果としてあらわれた
環境破壊につきましても、これは
戦争が起こればクウェートの油井を破壊するということは
フセイン大統領は初めから言っていたわけでありますし、こういう結果については
アメリカも責任をとらなければいけないのではないか。こういう
論調を例えば
ニューヨーク・タイムズのトム・ウイッカーという人は、
論説委員の一人でありますけれども、はっきりと述べています。
また、
アメリカが使用した
武器につきましても、ハイテク
戦争だからピン
ポイントで、人命、一般市民には被害がいかないというようなことを書いている人もありますけれども、的中率は必ずしもよくなかったということは言われています。パトリオットミサイルについても的中率がそれほどよくなかったということは後で
アメリカの方が認めているようであります。
いずれにしましても、このような
戦争を行い、短期間で、多
国籍軍の被害者の数は非常に少なかったわけでありますけれども、その後のクルド人の問題とか反乱軍に対する鎮圧その他に対しては何もしないというような事実に対しては
アメリカ国内においてもかなりの強い
批判があり、
国内で
意見が今分かれているときであります。このような
状況におきまして、果たして今回の
戦争というものが中近東の恒久的な平和に寄与するであろうかということに対しては非常に疑問とせざるを得ないと私は考えます。
このような
事態において、混迷と秩序のはざまのような時期に今いるわけですけれども、カオスへの逆流を押しとどめ、いかにして希望に満ちた新世紀を開いていくか、これについては
世界全体としてのコンセンサスを形成し、多国間のマルチの
政策協調を推進することが肝要であります。それにつきましては、
世界全体を正しく導いていくために
日本の国際社会への
貢献というものが大いに期待されていると思います。私の出しましたアウトラインの第一番目なんですが、いろいろ我が国に対しては国際社会からの期待があるわけでありますが、期待されているのにかかわらず、その期待にこたえていないために国際社会からいろいろと不満が述べられているという点があるのではないかと思います。
幾つかここに挙げましたけれども、これについてそれぞれコメントはいたしません。ただ、今回の
戦争のときに当たっても、また戦後処理の問題についても、我が国がもう少し独自の
立場から自己の論理を通し、
立場を明確にし、そして我が国ができることについて応分の
貢献をするという態度が望まれると思います。
次に、
国際貢献の理念についてでありますけれども、なぜ
貢献ということをしなければいけないのか、そしてそれがなぜ重要かということにつきましては幾つか考えられますが、グローバルデザインの一環としてということ、また相互依存運営の一環として、また連帯責任、殊に地球社会の
危機に対処するに当たってはどうしても連帯責任をとる必要が出てくる。それからもう
一つは、国際分業の原理というような四つが考えられると思います。
まず、
国際貢献というものはグローバルデザインの一環として考えられなければならないわけですが、軍縮とか
環境問題に関してはグローバルデザインという座標軸というものを持ち、長期的展望からストラテジーを持つことが重要であると思います。
第二に、相互依存の深化、拡大する
世界においては現実の問題となっているわけですが、
アメリカ、EC、
日本の三者が
協力して相互依存の運営ということを正しい
方向にリードしていくことが望まれると思います。
次に、
環境問題や
人口爆発、資源問題といった地球社会の
危機については、国益をベースにしたアプローチではなく、グローバルな観点から連帯責任をとることが重要であります。また、そうしなければ問題に対処できないわけであります。問題の解決を導くことができないということであります。
国際分業の原理についてですが、これは各国が得意な分野について
貢献すれば、貿易の国際分業と同じで、国際的な利益ということは最大になるわけであります。
そして
最後に、ノーブレスオブリージということが言われますが、これは高い身分とか地位についている
人たちにはそれに伴う義務というものがある、こういう一般的な常識的なルールがあるわけでありまして、
日本は非常に急速に経済大国となり、その面が非常に重要視されていますけれども、それだけでなく、
日本が伝統的に持っている歴史的な文化的な背景というもの、それが国際社会にどういうふうな
貢献をし得るかということ、これはもう一度考え直してみる必要があるし、国際社会からの期待に対してその点十分にこたえられるものを
日本は持っていると思います。
そういう分野がそれでは具体的にどういうものがあるかと申しますと、今申しました歴史的、文化的な面についていいますと、自然との共生、そういう東洋の生き方というものは、多元的な共生と国際社会のネットワークづくりというような今後の
世界にとって非常に重要な
行動形態、こういうものに
日本はすばらしいものを持っていると思います。
また、
日本式経営や
日本が戦後とってきた混合経済のよさというものは、発展途上国のみならず
先進国でも強い関心を集めています。従来、伝統的に混合経済というと、ミックストエコノミーというものは
日本の場合はそうじゃないというふうに考えられていましたけれども、最近はジョン・ガルブレイスのような経済学者が、
日本の場合は、実は戦後とってきた経済発展の方式というのは混合経済のよさを持っていたのではないか、そして
アメリカなんかは
日本の方式からも学ばなければならないものがあるということを言っています。
さらに、
日本は戦後起こった約百五十の
戦争に全く参加せず、この百五十という数は国連が使っている数でありますが、また
武器輸出にも
節度を守って対処してきたわけです。憲法前文と九条の
戦争放棄と
世界のすべての国民の平和的生存権の尊重という平和主義というものは冷戦後ますます重要度を増しておりまして、これ
自身を普遍的価値として各国に大いに唱道していくべきものであると考えます。また、平和憲法というものは我が国だけではなくて、我が国の憲法ほどはっきりと平和主義というものを唱道はしていないまでも、
行動上非常にそれに似た形をとってきた国にはドイツとかスウェーデン、オーストリア、スイス、イタリア、ブラジル、ユーゴスラビア、コスタリカその他の国があるわけです。そしてこれらの国と一緒に平和主義の実践ということにつき共同歩調をとっていくことも望まれるのではないかと思います。
また、国連憲章というものは現在国連
自身による武力行使の
可能性を想定していますが、ポスト冷戦への適応の必要から、真の平和憲章に抜本的に改定していくときを迎えていると思います。平
和主義の
日本は決して肩身の狭い思いをする必要はないわけで、本来、国連はすべての
紛争を平和的に解決しなければいけないという大
原則を持っているわけであります。国連憲章ができたときの経緯から、残念ながら国連
自身が武力行使をするという
可能性を残しているわけでありますが、これは常設国連軍というものができて初めて国連
自身の軍事
行動ということは可能になるわけでありまして、この間のものは多
国籍軍によるものであり、国連の軍事
行動、武力行使であったということではないわけです。
しかし、新時代においては、ポスト冷戦の時代においては国連憲章そのものを完全な平和憲章にし、国連
自身は武力行使を全くしないという平和憲章にすることがまず大事なことだと思います。このような面から見ますと、
日本は
世界に誇るべき
国際貢献の能力と資格を持っていると言えると思います。
それでは、具体的
貢献策としていかなる分野にその優先度を置き、プライオリティーですが、どういうストラテジーを持つべきかということを考えてみたいと思います。
まず、最も重要と考えられるのは、国際金融とか
輸入マーケット、ソフトウエア、
環境、
安全保障といった国際的な公共財の分野において
アメリカ、ECと責任分担というものを明確にして
貢献していく必要があると思います。
国際金融に関しては、従来ポンドやドルが国際金融そのものに果たした
役割を今後
日本は
アメリカ、ECとともに十分に分担していかなければならないわけですし、また、
輸入マーケットの提供ということは、一九八〇年代はマイナス成長であったアフリカとかラテン
アメリカの発展途上国にとっては死活にかかわる問題と言えるわけです。さらに、
日本の持っている優秀なソフトウエアの輸出については、テクノロジーだけではなくて、それを十分に使いこなせる運営、処理能力の研修と抱き合わせに提供する必要があると思います。次に、
安全保障問題につきましては、単に軍事面だけではなくて、人類生存のための食糧、
環境など広い
意味での
安全保障に対処する必要があると思います。
日本は経済力、テクノロジー、情報を持ち、それらを賢明に使いこなせる知力というものを持っているので、
安全保障の面では広い分野にわたって
貢献すべきものと考えます。
次に考えられる具体的
貢献策としては、地球再生計画といって、昨年のヒューストン・サミットのときに
日本が出した計画などが考えられます。ヒューストン・サミットではほかの関心事が注目を集めたために余りまともに取り上げられなかったのは残念でありますけれども、これはさらに追求すべき提案であると思います。
地球の将来につきましては、持続可能な発展ということが常識となってきているわけでありますが、これを考えるに際しては、資源とテクノロジーそれから
人口というこの三つのファクターというものの間にどういう関連性があるかということを考えることが一番重要なのではないかと思います。これは簡単に方程式のような形でいいますと、持続可能な発展というものは、資源にテクノロジーを掛けたものを
人口で割ると、
人口でシェアしなければならないわけですから。
人口がふえすぎてしまっては成長が幾らあっても食いつぶしてしまうということになるわけです。またテクノロジーの発展次第では、今まで十使っていた資源をその十分の一あるいは百分の一で済ますこともできる、また公害をなくすこともできる。こういうような面から動態的なバランスが図れるならば、
世界人口が今は五十三億五千万ぐらいだと思いますが、それが今の二倍ぐらいになっても繁栄は可能だと考えられます。この三つのファクターについて長期計画をつくり、リーダーシップをとることが我が国にとっては大事なのではないかと思います。
開発
協力については、今
清水さんが言われた点などについては私は大賛成でありまして今後はいろいろと
ODAの
政策についてはっきりとした
政策を打ち出していくことが望まれると思います。しかもその中で重要なことは、従来等閑視されていた社会開発、具体的には人的資源の開発、教育、保健、
人口問題、女性の地位向上、こういうところに従前に増して力を入れていくことが望まれると思います。一九八〇年代の発展の不成功ということは、発展途上国
自身の間でも、どうしてこれまで工業化とか輸出セクターの発展に重点を置き過ぎてしまったのかということについて反省があります。今後は人づくりや教育、女性の開放など、一般の民衆の利益に直接つながる参加型の開発にしようという呼びかけを我が国は率先してやっていくべきであると考えます。
最後に、具体的
貢献の一分野で、現在的な問題として国連平和
協力に直接
関係する平和と安全について若干申し述べたいと思います。
大事なことの第一は、
安全保障理事会の常任理事国五大国による戦後の
危機管理、
安全保障の管理は失敗してきたということです。あるいは失敗したとは言わなくても、ポスト冷戦の五大国の集団覇権というものは適当でないということであります。
第二には、国連は抜本的改造の時期に来ており、これを言い出すのは
日本のような資格を持った大国がやらなければならないことである。国連は、実際は積極的に参加
貢献する国によって運営は改善されていくものであります。ところが、
日本の国連での参加態度は非常に目立たたず、右に倣えであるわけです。殊に軍縮問題での
日本の投票態度は驚くべきことにむしろネガティブと見られていることです。これについては、昨年の九月に出た朝日ジャーナルに河辺
一郎さんの書いた資料が出されています。
国連改造の
ポイントとして私は三つ挙げたいと思います。第一は、主権
国家の連合としての国連の限界というものが人権問題などであらわれている現在、国民主権を国連憲章の礎として入れることがまず第一であると思います。第二には、必要に応じ
環境、食糧も含む資源、テクノロジーなどについても複数の
安全保障理事会を設け、それぞれ問題解決に最も
貢献する能力のある国をメンバーとし、勧告だけしかできない従来の国連機関のルールから卒業して、そして
政策立案し、それについて
政策決定を行い、勧告だけではなくてバインディングな効果を及ぼすような決定を行うことができるように。第三には、従来のような
紛争の事後処理から、未然防止、予防
外交ということにシフトすべきである。特に、国連の平和維持活動、PKOについてはこの点は非常に重要であるわけです。平和が崩れる前に武力を使わないで未然介入していくことにPKOの未来像を求めるべきであると思います。
私は、中近東の国連平和維持軍、平和監視団等で約五年間にわたり法律顧問の職を務めてまいりましたが、平和維持機能としては、従来のような事件が起こった後の対症療法ではなくて根本的解決への
役割ということが期待されるわけです。そして、多岐にわたる活動の強化のためには、平和
保障基金の創設とか
日本の積極的な拠出ということが望まれるわけです。従来のPKO活動だけではなくて、情報の収集、通常兵器の生産などのコントロールによる平和構築など、広範な活動には非常に経費もかかるわけでありますから、そういうような平和構築への努力を支えるための平和
保障基金というようなものを国連につくることが望ましいのではないかと思います。
我が国のPKOへの参加態度につきましては三党合意というものがあることを了知しておりますが、昨年の秋できた三党合意では私は踏み込みが足りないと思います。ただ単に監視団とか選挙監視のための要員を送るというのではなくして、やはりPKOには軍事的なトレーニング、手段的なディシプリンを発揮できるようなトレーニングを持った軍事要員の活動ということもエッセンシャルであると思います。したがって、平和維持機構については、私は全面的に国連のそういうものに参加することが望まれると思います。
私個人の
意見としては、憲法にいう国権の発動としての武力行使というものには国連の平和維持
活動の
行動というものは全く該当しないと思います。また、このような参加を通じて、人、物のみならず知的
貢献ということ、これを我が国はやっていくことが重要と思います。
知的
貢献というのはいろいろなアイデアを提案するわけでありますけれども、我が国のように経済的にも裏づけがあり、文化的にも政治的にもステーブルな国の発言については各国がますます注目するわけであります。我が国は知的
貢献ということが従来非常に少ないわけでありますけれども、この面で、人的
貢献よりはさらに重要な知的
貢献ということに期待をしたいと思います。
PKOは危険だという話もありますが、PKOは過去四十三年ぐらいにわたって約五十数万人の兵力が出動したわけですけれども、経費の上からいうとわずかに五十億ドルにすぎないわけです。それから、この平和維持活動で殉死した
方々の数は七百七十何名で、数としては非常に少ないわけです。ただ、危険が伴わないということは言えません。
時間もなくなりましたので、終わりに、我が国はポスト冷戦期のこれからの
世界においては、従来の冷戦期の対米依存型の、あるいは対米追従型の思考から脱して、
世界的視野から将来の世代のことをおもんぱかり、平和主義路線ということを積極的かつ堂々とした姿勢を持って実践していくことが望ましいと思います。そして、これこそが
世界の平和の構築と
安全保障を確保する道であると信じます。
どうもありがとうございました。(拍手)