○
松浦(昭)
分科員 私は、本
予算委員会の第二
分科会におきまして、
目下激動を続けますソ連邦の動向及び特に
極東地域を中心とした援助問題に関しまして若干の
質問をさせていただきたいと思う次第でございます。
私は昨年の九月から十月にかけまして
訪ソ団の
一員といたしましてモスクワ、レニングラードを
訪問させていただき、また昨二月十一日から十三日までの間に
サハリン友好議員連盟の
一員といたしまして
サハリンに行ってまいりました。かつて私は
水産庁に奉職をいたしておりましたが、日ソの漁業
交渉も担当させていただいた次第でございますけれ
ども、十数回訪ソをその際にいたしておりましたけれ
ども、今回見ましたものは、かつてと比べ物にならないほど悪化した経済事情であり、また同時に庶民のペレストロイカに対しますところの不信の気持ちでございました。
その状況をつまびらかにここで述べたり、あるいはその原因を論ずるいとまはありませんけれ
ども、私は、やはりソ連がペレストロイカあるいは情報公開ということを推進しまして、共産党一党独裁の体制を排除しまして、できるだけ民主的な政治形態を取り入れると同時に、その経済も我々がとる市場経済に近づいてくることが望ましいと考えている一人でございます。したがいまして、その方向を進めるためには、ペレストロイカ援助とでも申しましょうか、ソ連に対する西側の援助を強化いたしましてその経済を再建せしめて、ペレストロイカの円滑な進展に
協力しなければならないという
立場に立つものでございます。
しかし、このような
考え方をとる者にとりまして、昨年末のシェワルナゼ外相の
辞任、バルト三国における流血の惨事というのは、私にとっても大きな衝撃であった次第でございます。軍部あるいは保守派の台頭を予想した同外相の予言が次第に
現実性を帯びてまいってきております。また一方、ソ連邦は、自主独立を要求する各共和国との間に民族問題を含んだ大きなきしみを生じておりまして、中央
政府と地方政権との間の亀裂も拡大いたしまして、その中で来る十七日この問題に関する
国民投票を迎えようとしている次第でございます。昨日のテレビを見ておりましても、急進改革派の五十万人に及ぶ赤の広場を埋め尽くした群衆の姿は、このソビエトの苦悩というものを物語っていると思って拝見をいたしておりました。
このような激動する政情の中にありまして、私は
サハリンにおいて、地域経済の独立を追求し、また民主主義と市場経済を求めて努力を続ける地方政権の姿に接してまいりました。また、その目標の実現のために我々の援助を
要請するという非常に真剣な声も聞いてきたわけでございます。私は、この
二つの貴重な視察を通じまして得られた現在の私の考えを私なりにまとめてみますと、次の三点に要約できると思います。
その第一は、
サハリンを含む
極東地域こそは、その地理的あるいは経済的な立地の条件から考えましても、
我が国が援助の力点を置くべき地域であるということであります。また同地域におきましては、ペレストロイカを推進しようとしている勢力の強い地域であります。したがって、この地域に
我が国の援助を集中することは、ソ連邦全体が保守化する傾向を牽制し、また
我が国が隣接する地域に我々と類似した政治経済の形態を持つ地域を保持することによりまして、
我が国の平和と安全を確保することができるというふうに考えておるのでございます。この趣旨から、我々はこの
極東地域こそ我々の援助を集中すべき地域であると考えてまいりました。
第二は、北方四島問題との関連であります。私は、もとよりこれらの島々が
我が国の固有の領土であるという信念にいささかの揺らぎも持つておりませんし、また、その返還のためには政経不可分の原則というものは
基本的にはこれを堅持しなければならないという
立場をとっているものであります。またしかしながら、同時に、ただ返還のみを大きな声で繰り返しているだけではその実現は困難ではないかとも危惧をいたしている次第でございます。特にソ連側の
考え方に立ってこの四島の地域を見ますると、これは
サハリン州
政府の管轄区域に属していると言われているわけであります。現にそこに住む人々の直接の利害を反映する
政府でもあります。したがいまして、この人々が四島についての
我が国の
主張を容認してくれる以外には、四島返還という糸口はなかなかつかめないのではないかというふうに思うのであります。それゆえ、私はこの極東、とりわけ
サハリンの地域に重点的な経済援助を行うことを示しつつ、一方
我が国の四島の
主張というものに十分耳を傾けさせるように努めていくことが北方領土問題の
解決にとって最も有効な手だてであると考えたのであります。
さらに、第三点といたしまして、これはやや我田引水になるわけでございますけれ
ども、この地方への援助、
協力を誘い水といたしまして、今後経済の交流あるいは人的な交流が進むことになりますれば、このことは、いまだ経済社会の発展が本州に比しておくれをとっております北海道の発展にとりまして、貴重な貢献をしてくれるものと考えるものであります。
今や
日本海の時代が到来すると言われているのでありますが、例えば北海道の小樽は、かつて
サハリン、沿海州の貿易で栄えた港であり、その貿易の沈滞とともに地盤沈下を生じた町でもあります。現体制のもとにおいては、今後の貿易の伸長はなかなか望むべくもないと思うわけでありますが、
政府の援助をてこにして北海道とこの
極東地域の物的、人的交流を図っていくならば、地域間格差に苦しむ北海道にとって大きな福音となるでありましょう。
私の考えは以上のとおりでございますが、しかし、このような
考え方には、
現実の情勢の変化の中で克服すべき幾多の複雑な要因をはらんでいることは否定できないと思っております。しかし、こらの困難は乗り越えるべき困難であると思います。特にこの四月、ゴルバチョフ大統領の来日を控えまして、日ソ
関係が大きな転機を迎えようとするときに、以下の諸点につきまして
政府がいかなるお考えをお持ちになるか、ぜひお伺いいたしたいと思っておる次第でございます。
その第一は、
政府はかねてから総計十億円の食糧援助、そしてまた医薬品援助、さらには一億ドルの食糧支援のための輸出入銀行の融資を御決定なさっておられるわけでございますけれ
ども、現下の情勢のもとで、これらの援助
措置の実施をどうお考えになっておられるのか、また、一般的に申しまして、こういった種類の援助は、その地理的
関係なりあるいは経済的
関係から見ましても、先ほど申しましたように、
極東地域に集中的に実施することが効果的であると考えるわけでございますが、どのようなお考えをお持ちになるか、
大臣にお伺いをいたしたいと思います。