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新村分科員 そこで、その事情はわかりましたが、
湾岸戦争が、最善の
方法ではないけれ
ども、次善、三善の
方法ではあったけれ
ども、決着をして、その間において一つの印象的なことは、やはり何といっても国連が機能した、冷戦後の
世界において初めて国連が本当の意味で機能したということ。これは
湾岸戦争がよくも悪くも、あの事態の中から浮かび上がってくる一つの印象的なことだと思います。
そこで、あの事件を評価をする価値判断についてはいろいろあるでしょうけれ
ども、とにかく早く決着をしてよかったというのが
世界の印象でしょうし、あの事件の中から、将来の、
世界の人々は
世界の政治あるいはすべてのことをやっていく上において何らかのものをあそこから学ばなければいけないということは言えると思うのですね。連合軍が数百名の人命を失い、また無辜の
イラクの数万の人命を失った。その事態の中から、やはりあの戦争がよくとも悪くともそこから何らかのものを学んで、将来の人類の福祉に役立てていかなければいけないということは、これは言えると思うのです。そういう点でやはり国連の権威が回復したということ。それからまた、
世界の諸国民が生きていく上において、やはりいかにして戦争をなくしていくかということが今悲願であると思います。
十九世紀から二十世紀の初めにかけては、
世界各国とも政治目的のためには兵力を使うことは、これは普通のこととしてやられていたと思うのです。戦争は普通の日常茶飯事のこととして
世界じゅうやられていたし、それが政治目的を達成する一番有力な手段というふうに考えられていたと思うのですが、それが科学の進歩によって第一次大戦におけるあの惨たんたる
状況を見て、初めて
世界じゅうが、これは何とかしなければいけない、戦争を何とか抑止をしなければいけない、そういうことに気がついたのではないかと思います。
そこで、ウィルソンが提唱した
国際連盟が初めて、主権国家が乱立をしてお互いに力によって覇権を争っていたその
世界に、初めて
国際間に一つのルールをつくろうとする働きが出たのではないかと思います。しかし、それは全く無力であって、
日本の侵略を防ぐこともできなければナチスを抑えることもできなかったわけでありますけれ
ども、それがさらに、その
国際連盟の失敗によって第二次大戦が発生をし、第二次大戦がさらに第一次大戦に数倍する惨禍を
世界じゅうに引き起こした。そこから
国際連合というものが
国際連盟の反省を踏まえながら再びつくられたけれ
ども、東西冷戦によって機能しなかった。それがようやく今回、冷戦の終局によって機能するようになった。
ところが、その途端にあの問題が起こったということですが、あの問題の処理の
方法についてはいろいろ評価はあるにしても、あの事件を通じてやはり国連の権威がというか国連の存在が、あるいは国連の機能が回復したということは、これは将来の
世界政治に対して一縷の望みを与えたという感じはするわけですね。何といっても
国際間のアナーキーな
状況の中に一つの戦争を抑止するルールをつくっていく、
国際間のルールをつくっていくということが、
世界の人たちの願いであり悲願であるわけでありましょうから、そういう点からすればやはりあの問題から
世界が学び、さらにあの問題を契機として一層国連の
強化、国連の機能の
強化に向かって
世界じゅうが
努力をしなければいけないという気がするわけであります。
そうして、
世界じゅうの強い国も弱い国を絶対に侵略することはない、また弱い国であっても侵略をされる心配はないという
状況の中で生きていかれる
世界でなければいけないわけでありますから、そういう点ではあの
湾岸の不幸を将来の戒めとしてあの中から学んでいくことが必要であろうと思います。
そういう中にあって、これからの
国際政治の中で、平和国家としての
日本、
日本は兵力を出すこともできなかった、しなかった。あの事件に対する
貢献についての
世界の評価はどうであるにしても、平和憲法を守って、平和を国是として
国際社会に生きていこうとする
日本の今後の行き方、あ
の事件を契機として一層
世界から評価をされるような
外交をこれから展開する、そういう今後の
国際社会における行き方をとっていかなければいけないという気がするわけであります。そういう点から国連の
強化、その中で
日本が何をすることができるかということについても、言ってみれば
日本の平和戦略というか
日本の
外交戦略というか、そういったものをこの際一層確立をして、
国際社会のためにというか平和の維持のために
日本が一層
努力をしていかなければならないと思うわけでありますけれ
ども、
外務大臣の御決意を伺いたいと思います。