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竹村分科員 今の答弁は非常に不満であるし、そういう考え方自身が私は間違っているというふうに思うわけであります。
先ほ
ども指摘をいたしましたとおり、七十年にわたって運動し、そして京都市では四十年間かかって改良事業に取り組んできたにもかかわらず、まだ半分しかできていない。そのことは認めていただけると思うのです。京都の七条部落ですね、まだ五三%しか進捗していないじゃないか。だから、一般行政ではだめなんだから
特別措置法をつくり、いろいろ名称は変わりましたけれ
ども、そういう法律を特別につくって対処してきた。しかも、対処してきたにもかかわらずまだ五〇%、半分しかできていないじゃないか。こういう状態の中で、一般行政に移行してできるはずがない、私はそう思うわけであります。
そういうことではできないことをあたかもできるように、さらにはそこそこできたと言いますけれ
ども、先ほ
ども言いましたけれ
ども、統計的には進学率だけとらまえてみますと、そこだけ見ますと、なるほど七条地区は九五・八%ある。一般進学率は九五・三%、それだけ見ますと、なるほどこれもきちっと成功しているじゃないかということでありますけれ
ども、
内容は六六・六対八七・八、これだけ格差がある。しかも、今改良住宅
一つとりましても、二十二年前にわずか二間の小さい小さい改良住宅ができたときには、その時点では非常に立派な改良住宅だなということになったわけですけれ
ども、二十二年たった今、やはりそのこと自身が住民のニーズに合っていない、いろいろな問題が起こっていることは御存じだと思うわけです。
例えば市営住宅にいたしましても、最初に建てた市営住宅を今京都ではつぶして、新しく今の市民の要求、住民ニーズに応じたところの市営住宅に建てかえているわけです。事同和地区の改良住宅だけは二十二年前に建てたそのまま。そこそこ事業は進捗してきたというふうにとること自体が非常な誤りがある。やはり今、二十二年前に建てたその改良住宅がどういう問題になっているか、どういうふうな状態になっているか、今住民にはどういうふうに受けとられているか、そういうことをきちっと調べなければ具体的に差別を解消することにはならぬというふうに私は強く要請をしておきたいと思います。
さらに、先ほど言いませんでしたけれ
ども、大学になりますとさらに格差が開いてくるわけでございまして、大学の進学率になりますと、もう半分ぐらいしか部落の子供たちは行っていない。こういう実態もまた御存じだと思いますけれ
ども、そういう問題をずっと
一つ一つ取り上げてみましたときに、一般施策の中でやれっこない。やれっこないことをやると言っているというふうに私としてはとっているわけでございますので、その辺については十分にひとつ考慮をいただきたいというふうに思います。
特に、今度心理的差別の問題でありますけれ
ども、結婚差別が最も深刻な差別であることはもう御存じのことでございます。私もいろいろな運動の中で、青年運動を通じ、やはり市
会議員の活動やあるいは政党の責任者、また今国
会議員の活動を通じてそういうことは認識はしておったわけでありますけれ
ども、そういうことを認識しておる私でも非常にショックを受けたわけでございます。
かつて私の友人に、息子が結婚するので仲人になってくれと頼まれたわけであります。私は心安く、長いつき合いでありますからその青年も知っており、なかなか優秀な青年で、よろしい、仲人になりましょうと。それで、理由を聞きますと、実は好きな彼女ができて結婚したい、こういうふうに言って、二人はそういう気持ちであったけれ
ども、向こうの親が、正式に仲人から申し出てくれぬとそんなものは話にならぬ、こういうことで頼みに来たわけでございまして、私は気軽に、なかなか立派な青年であるし、よしそれなら仲人をしようということで、青年と一緒にその彼女の家に打ち合わせに行ったわけであります。
そしたら、仲人を立ててくれというのは口実で、実はその青年が部落の青年であったから結婚はさせない、こういうことで何回も足を運び、しまいには玄関払い、ずっと居留守を使われて、そうした中でやっと判明をしてきたわけでございます。一体どうするんだということでその青年と彼女に聞いたわけでありますけれ
ども、親が何ぼ反対してもどうしても結婚したい、しかも、そうした部落の青年だから、どさくさに紛れて結婚式も挙げぬと結婚したと言われるのはかなわぬ、だから結婚式も挙げたい、こういうことでございましたので、私は急遽仲人をやめまして親がわりに、その女性の親は、それだったら勘当すると言うものですから、私は親がわりになって結婚式を挙げさせることにいたしました。私は仲人から親がわりになって、私ら夫婦が親になる、そして新郎新婦の結婚式を迎えたわけであります。
そこで困ったのは、御存じのように、神式でやりますと、片や新郎側、片や新婦側と並ぶわけでございまして、新郎側は親戚が全部来ますからずっとこう並ぶのですけれ
ども、新婦側は親がわりの我々二人ということではこれは格好がつかぬ。それで、キリスト教でやらなければしようがないなとか、いろいろ苦労しながら、それでも立派に結婚式を挙げさせようということで、私の友人や知人に頼んでにわかに親戚になってもらった。格好はそれで、両方新郎新婦側に並んで結婚式を挙げるということになったのですけれ
ども、そのときに、私と運動なんかやっておりましたから、昔青年運動の仲間であった人に全部頼んで新婦側の親戚ということで並んでもらったわけです。
そのときに、私の友人の母親がちょっと話があるというので私は行って、あなたの言うことだから何でも聞きたいけれ
ども、結婚式に息子が、部落の青年と結婚する新婦側の親類として出席するという話だが、本当は出さぬようにしてほしいけれ
ども、もう出ることになっているのだからこれはしようがない、しかし、出ても、済まぬけれ
ども親類の集合写真の中にだけはどうぞ息子を入れぬといてくれ、こういう要求があったわけであります。なぜか、そういう親戚が全部そろって、部落の青年と、そして片や我々がつくったこの結婚式を挙げるためのにわかな親類とで一緒の写真を撮ってもらったのでは、どこかでこの写真が出てだれかに見られたときに、後々その母親や、妹とかあるいは孫とかが結婚するときに差しさわりがある、これだけは絶対言うことを聞いてほしいというこわ談判を受けたときに、私は初めて、自分はわかっておるつもりでも、結婚差別というのが、そこまで深刻なのかということで改めて愕然とした経験があるわけであります。
そうした
意味で私
どもは、これは大変だ、こういう差別を何とか解決するために
努力をしなければいかぬ、そういうこともあって今一生懸命頑張っておるわけでありますけれ
ども、そうした本当に目に見えぬところの、最初はきれいごとを言って、親戚になってもらいますよ、ああどうぞと言っても、写真だけは困る、それがぎりぎりの話し合いの中で、写真を撮ってもらったのではやはり親戚になるじゃないか、親戚の写真になると。そんな写真がよそで万一見られたときに、私の友人の子供なり孫なり、あるいはまたおいっ子なんかが結婚するときに差しさわりがあるということでその母親にきつく言われたことがあって、その経験上、大変だなということを今改めて私は考えるわけでございまして、そうした
意味での差別というのは本当に深刻な差別があるということをひとつ御認識をいただきたい。
ここにこういうビラを持ってまいりました。ここのところに紙が張ってありますけれ
ども、こういうビラがことしの正月以来、大原地区といいますから、御存じのように大原地区は今京都では有名な観光地でございまして、三千院とか寂光院とかあるところでございますけれ
ども、そこにこういうビラがまかれたわけでございます。このビラは、ここにだれだれと何か書いてあるわけです。これは特定できるわけです。屋号か何かで書いてある。大原の人なら全部わかるわけであります。こういうビラがまかれて、「〇〇〇の嫁は部落出身。デカイ面をスルナ!!大原を汚スナ!ダマサレナイゾ」こういうビラがまかれる。これが今現在の実態だということもひとつ認識をいただきたいというふうに思うわけであります。
さらには、今問題になっております京都市の消防局の差別事件であるわけです。これはもっと悪質で、十二月十八日にいろいろ交渉をやり、そういう中で、これはことしに入って一月の二日といいますから正月休みの最中でありますけれ
ども、消防局の便所の中にこういう落書きがしてあるわけであります。これは一月の二日ですから一般の人は入れないだろうというふうに私は思います。だれが書いたかわかりませんけれ
ども、ここのところに「エッタコロせ」と書いてあるわけです。こういう悪質な落書きが今現在なお行われているということ、「エッタコロせ」というのは、部落の人の生存権までも奪おうとする最も悪質な差別が今現実に行われているということを、今の時間にでも行われているということをひとつ長官の方もよく認識をしていただきたいと思います。
その他いろいろ、水道局の便所に落書きしてあったとかそういう問題はまだたくさんあるわけでございまして、そうした点についてどのように考えておられるか、ひとつ答弁願います。