○嶋崎
委員 私の手元にあるのは
日本政府の国勢調査、内務省警保局人口調査、一九四六年は今の連合国の司令部の指令による調査の記録、そして一九四七年から一九八〇年までの間の資料は外国人登録による法務省の統計、これだけを整理してみますと大枠が出てまいります、正確かどうかは別として。非常に明快なのは、これは必要ならばそちらに今後のためにコピーを渡しますが、
昭和十四年、一九三九年という年を境にしまして、前の年までは増加が六万ぐらい、増加人口の数だけでいきますと十三年は六万四千百七十六と出ていますが、これが一九三九年、
昭和十四年になりますと途端に十六万一千七百二十六になります。そして、それから後は二十二万、二十七万、二十六万というふうにふえていって、終戦の年までこれがふえ続けていますから、この間の人口、この間の移動、入ってきたのを、今までの明治三十八年からのずっと全体の中で、
昭和十三年までのやつを全部引いてしまいます。引いてしまいますと、ほぼこの時期に、つまり国家総動員法の当時に来た
我が国への徴用者ないしは朝鮮の
方々は百十三万六千ぐらいになりますから、今の米軍の出した六十万よりはもっと、まあ百万台にはなっているなというのが大体の常識と判断してよろしいと
思います。
そこで、労働省が去年おやりになった数字は八万なんです。八万ですね。このときは南への
報告ですから、そのときは北が含んでいるのかどうか、この辺も含んでいるはずです。八万ですから、古い資料を全部を集めてお届けすることは、これは四十五年、五十年、あの歴史のことですから難しいとは
思いますけれども、
我が国としては
最大限これに対する誠意ある回答をしなければなりません。八万という韓国への届いた数は少な過ぎると言わなければならぬと
思います。
そこで、労働省からの指示「いわゆる朝鮮人徴用者に係る名簿の調査について」で調査指示をしています。この指示に基づき、簡単に言いますと、労働省の縦割りの所管を軸にして、県段階の職業安定課などを通じてやった。それで精いっぱい努力されて八万という数字が出た、こう理解していいと
思います。福島県の一番、数は私が調査した分をどかんと足しましたから、恐らく一万ぐらいふえたのであります。
そこで、改めて政府に、こういうふうに今後、日朝、日韓含めまして、
我が国として
最大限の努力をした結果を出すためにはどうしたらいいかとうことについての私の知恵と資料を御提起いたします。ここにこれだけ資料を持ってきました、典型的なのを。これは、一番上にあるのは寄留日記であります。つまり向こうからいらっしゃるときには、
日本に寄留の届けが出ます。そうすると、各村役場や市でもって、この寄留のこれができ上がってきますから、これが入手できるとなれば、
昭和十五年、この時期さえ調べればその時期に寄留した人たちをつかむことができます。
そして問題は、今度は労働省でも出しております職業、どんな企業、どんなところで仕事をしていたかということは、いろんな調査で調べれば出てまいりますけれども、内閣の統計局でやっておりますかつての調査表というのには、こういう職種ごとの、例えば古河炭鉱にはいついつ、だれだれ、何人というやつが、こういう表、ちゃんとあります。ですから、こういうものを見れば、こちらに移ってこられて、そしてどういうところで仕事をなさったかというやつがわかります。同時に、民間企業だけじゃなくて、今度は集団で置いておくというのは治安上も問題がありましたということから分散をさせました。そうすると、今度は国の事業をやります。国有林野事業それから県の河川の事業それから市町村の事業などにその人たちを分散をさせております。しかしこれは県の方のデータとして、そういうものはみんな書類がありさえすれば過去のものはございます。
もう一つ重要なのは、特高関係の警察資料であります。ここに、特高がどういう指示をして、そして各県の警察署にどういう
報告が行われたかということに基づいて外国人の調査が特別行われておりますから、よかったか悪かったかは別として、名簿を捜そう、そしてどんな人たちが
日本に来てどんな仕事をしていたかということは、これもまた重要な材料になります。
それで、事業所ごとのその調べは、これは
日本鉱山協会、これは鉱山関係だけですけれども、
日本鉱山協会が出しました昔のものに「半島人労務者に関する調査
報告」というものがございまして、全国の炭鉱地域でどういう形で働いていて、どんなふうになったかというデータは今日でもございます。同時に、亡くなられた方については、常磐炭鉱の場合を私は調査してまいりましたが、殉職者の名簿が朝鮮総連でつくられております。こういう努力をすれば
かなりの数字が出てくるし、名簿をつかむことができます。
特にもう一つだけ御注意を申し上げておきますと、戦前の
日本の、
我が国の歴史資料という意味で、国立大学の研究所に資料として相当あちこちに分散しております。例えば福島大学とか、私が昔いました九州大学産業労働科学研究所、ここにも北九州関係のその他資料があるはずであります。そういうふうにして、各大学の中にも
調査研究の名目で資料が集積しております。
こういうふうな一連のものを後で必要なら政府の側に皆見て目を通していただきたいと私は
思いますが、こういうものを見ますと、労働省の側からお出しになって各市町村にこういう調査をしてくださいと言ったのでは出てこないわけであります。したがって、内閣を挙げて、官房
長官のもとで、昨年さあどうしようかという話で各省が御
検討いただいた結果、労働省の所管を
中心にということになったわけでありますが、そこの縦割りの今までの調査の延長線上では恐らくそう事実を的確につかみ得ないと、今日までの調査の結果について私は判断せざるを得ないように
思います。
そこで、これを官房
長官にお聞きしていいのか、総理がおれば一番いいのですけれども、いま一度日朝の中でも新たにいわゆる強制連行問題が国交の一つの三十六年問題として提起されてきている。韓国からも提起されている。そして
我が国に出てきている資料は、概算でも百万を超える人たちがそれと関係があった。現に亡くなられた人についても、いろいろな殉職者の名簿やなんかは出ていますし、役場に行きますと死亡届が出ます。死亡届には必ず診断書というものがついています。我々もみんなそうですね。診断書というものがついておりますから、その死亡届というもので一定程度戸籍をめくっていきますと来られた方がどこで亡くなられたかというのもわかります。この診断書を見ますと、当時
我が国が大変残酷なことをしたなというのが出ていないわけではありませんから、それはここでは申しませんが、しかし大事な資料として、死亡届というものとそれに関連する診断書というものも重要なものであります。
こう見ますと、私はここで政府を追及するという立場ではなくて、朝鮮半島に与えた
我が国の戦前支配というものを
考えてみて、改めて四十五年の戦後総括をするということで日朝、日韓が始まるとすれば、もう一度誠意を持って対応していくために政府として窓口をどうするのか。そしてこのような資料収集の、全省にまたがりますから、自治省とも関係すれば警察庁とも関係すれば、人口調査ですから総務庁、まあ昔のことですけれども総務庁とも関係すれば、それから職業ですから労働省とも関係する。そして今度は企業ということになりますと、その当時あった企業でつぶれて現在継承されている企業という問題になると、通産が役割を果たさなければなりません。全省にわたって誠意ある対応というものを改めてなさる必要があると
思いますので、この点についてどのように今後
検討していただくか。今すぐ、じゃ、こうしましょうということにならないにせよ、今までの総括の上に立って、官房
長官のところで改めて全体をこういう観点ででき得るようにするためには何をなすべきかということについて御
検討をいただきたい。これがこの問題の締めくくりでございますが、いかがですか。