○中山国務大臣 軍備のない世界というのは人類の夢と言っても過言ではないと思います。しかし、現実の
国際政治において、長い人類の歴史においても、国との
戦争というものはずっと行われてきた、また、
地域紛争も現在起こっております。
こういう中で、ヨーロッパでは、全欧安保
会議というものが開催されて、しかもこの
地域はいわゆる大陸でございました。そして、この
地域の
考え方というものは二つのいわゆる戦後の安全保障条約、ワルシャワ条約機構と北大西洋条約機構というものが対峙しながらそれぞれのグループに分かれて、均衡ある抑止力を持ちながら平和を維持してきた。その背景にあったものが
アメリカ合衆国でありソビエト連邦であったと私は思います。
しかし、
米ソの超大国が、膨大な軍備競争の中で
国民の税金を使っていく。さらに、新しい
兵器体系を開発していく中で、両国とも膨大な軍事費の財政にかかわる負担というものが増大をしてきた歴史がございます。そういう中で、核弾頭つきの大陸間弾道弾をそれぞれ一万発ずつ持つというような異常な事態にまで到達する中で、それぞれの国の指導者が、これ以上の
兵器体系を整備することは無
意味に近いという
考え方な持ち出したと私は認識をいたしております。そのようなことで、一九六〇年代から七〇年代の初頭にかけて極めて激しい対立があり、冷戦がございましたけれ
ども、七〇年代からはそろそろと対話をする時代が始まる。そして、八〇年代になって協調をする、あるいは現在は
協力をするという
一つの歴史の流れの中に我々はその日々を送ってきたわけでありますが、一昨年の十二月三日、マルタにおける
米ソ首脳会談において、冷戦の終わりの始まりという言葉が述べられて、世界じゅうはこれで
米ソの対立が終わり、世界は平和が来るというふうにみんなが拍手を送ったと思います。
一方、
ソ連においては、新思考
外交というものがゴルバチョフ
大統領のもとで積極的に進められた結果、ヨーロッパにおいては戦後の大きな問題であったいわゆる二つの軍事条約の対決の中で、ドイツ、東ドイツと西ドイツと分かれてきた両独が合併をするという、統一をするという歴史的な事実が起こりました。こうしてヨーロッパは平和の中に日々を送ることが可能な時代がやってきたと思いますけれ
ども、しかし、その時点においても、このワルシャワ条約機構と北大西洋条約機構の間に属するそれぞれの国においては、それぞれが軍備の削減を抑止力を持ちながら行っているという現実を見忘れるわけにはいきません。
一方、
米ソにおいては、SALT交渉等も進んで、それぞれ一万発ずつの核弾頭つきミサイルを持っておった両国が話し合いをしながら、これを六千発ずつの水準にまで落として均衡させるという
外交戦略を現在展開していることはよく御案内のとおりであります。しかし、私
どもの位置するアジアにおいては、このヨーロッパに起こってきた全欧安保
会議、また昨年の十一月に行われたパリ宣言、このようなことで平和の構築がなされる中で、アジアとヨーロッパというものが果たしてどうだろうかということを考えてみると、私は、アジアとヨーロッパを同一に考えるわけにはいかないというのが
日本の
外交の
考え方であります。
御案内のように、地理学的にも地政学的にも、ヨーロッパとアジアは異なっております。またキリスト教を信奉するヨーロッパの人たちとアジアにおける
各国の宗教の違い、またそれぞれの民族の違い、しかも海洋を抱えたこの巨大な
地域において、安全保障に関する面を見ますと、ヨーロッパの二極対立の軍事条約に対抗して、アジアでは二国間の軍事条約が多数存在をしているという複雑な軍事機構を持った
地域でもあります。また、ヨーロッパのような二極だけの対立ではない、
中国という存在を無視してアジアを考えるわけにはしかないのでありまして、こういう中で朝鮮半島における南北の対立、カンボジアにおける内戦あるいは北方領土問題を抱えた日ソの
関係、こういうものを考えてまいりますと、ヨーロッパで起こってきた総合的な安全保障政策と、アジア・太平洋における安全保障政策とは根底からその
考え方の発想の原点が違っているわけでありまして、こういう中では私
どもは、アジアの
国々がヨーロッパに比べて一体どこに大きな差があるかといえば、一番ヨーロッパとの違いは、いわゆるその国その国の一人当たりの
国民の所得が極めて大きなハンディキャップがあるということではなかろうかと思います。そういう
意味で、この
地域の安全保障を推進していく基本となるものは、
各国の経済力を高めることによってそれぞれの
国民所得を豊かにし、そして民族間の対立を和らげて、その
地域紛争を少なくしていくという
外交努力というものがこの
地域には必要だと私は考えております。
しかし、一方におきまして、我々海洋国家としての
日本は、貿易を行わないと、この一億二千万人の
国民は今日のような高水準の生活を維持するわけにはまいりません。しかし、専守防衛の
日本の安全保障政策の中では、アジア・太平洋の
地域の海洋の安全性というものを確保する方途というものは極めて難しいのでございまして、そういう
意味で、専守防衛の
日本の安全保障政策を裏づけているものが日米安全保障条約というこの抑止力でありまして、これは単なる
日本の平和のみならず、極東全域の平和と繁栄に大きな貢献をしてきたことは、この三十年間の安保の歴史を振り返ってみても明白であろうと考えております。
そういう
意味で考えてまいりますと、私は今回の
イラクの
クウェートの侵攻、
侵略、一夜にして国土が占領された、こういうことをもし
日本に当てはめたときにどうなるのか、これだけの豊かな国が、どこかの国が突然
侵略を起こしてきたときに一体この国の防衛をだれが責任を持つかといえば、言わずもがな、それは我々の国の自衛隊であります。しかし、自衛隊だけでは巨大な国家の
侵略を防御するわけにはまいりません。そこで日米安全保障条約がその機能を発揮してくる。一国に与えられた攻撃は日米両国に対する攻撃と同じような条約が結ばれているのでございまして、
アメリカの青年は、
日本がもし他国からの
侵略を受けたときに、この国の国土の安全と
国民の生命と財産を守るために、この国土の中で、あるいは周辺でみずからの血を流してでもこの
日本を守るという条約を整備してあるわけでございますから、そういう
意味で我々のこの国家というものの安全性というものは今日極めて安定しておりますけれ
ども、これから先の新しい人類の歴史の中でだんだんと軍備を削減し、均衡のとれた少ない軍備の中で
お互いの国家が安全を保障し合うという姿がアジア・太平洋に構築されてくることを私
どもは心から念ずるものでございます。