○
鈴木参考人 早稲田
大学の
鈴木と申します。私、今お二人の
意見を聞いていまして、私の
意見の方は初めから
受験生を送り出すサイドの、どっちかといえば生々しいというよりか痛々しいのを話す予定でいたのですけれ
ども、
司法政策とか余り技術的だとか言われますし、
大学も大分悪口を言われましたので少し変えようかと思ったのでありますけれ
ども、時間は厳格に守らなければいけないということなので、大体予定どおり話させてい
ただきます。
結論から申しますと、この
法案に賛成でありまして、賛成というよりもむしろ待望していたということでございます。というのは、今お二人の
参考人から話が出ましたように、これは大変過酷な
状況にあるということ。これは恐らく
法務省から数字を挙げて説明されたと思いますし、私、
経験的にもっと具体的に申し上げるつもりでおりますが、何とかして今変えなければいけないということは、
日本全国大体一致していたのですね。しかし、今度どう変えるかというときに、初め三回くらいで出たものですから、私
どもかなり緊張していました。しかも、
大学の方はほとんどそれに賛成なんですね。むしろ反対の方が極めて少数というよりも微々たる
感じでしたので、この辺が最大限延びても五回だということになりますと、どのようにして対策を考えたらいいかということで、私
どもかなり緊張していましたけれ
ども、今回の五百人プラス二百人という、出べそのような二百人があることで、かえって大変救われたという
感じがいたしております。
これから話をいたしますけれ
ども、結論としまして、まず二百人の部分については在学生は大変喜んでおります。本当に歓声を上げて喜んでおります。それに対しまして、長年やっている、私
どもベテランと称している
受験生でありますけれ
ども、これは五百人が全然侵食されなかったものですから、これまた大変、まあ喜んではおりませんけれ
ども、安心しているという
状況です。ですから、これを送り出す私
ども、
受験生として
試験に向かわせる
立場からしますと、よかったなという
感じで、少々緊張が解けたかなという
感じでございます。しかし、よくやってくれたということもあって、本当のところ、感謝しているところです。
まず、
司法試験が過酷だとか異常だとか言われるのは、本当に私
ども身にしみて
感じているのでありますけれ
ども、何といっても五年も六年も
受験勉強しなければ受からないということが、ひどいということよりも、私
どもとしますと、本当にできる連中がかなり大勢いまして、それが横道にそれていかざるを得ないというところの方が一番深刻だったのです。
だんだん申し上げますけれ
ども、初めは
試験問題の
改革で何とかできないかということで
司法試験管理
委員会から私
ども言われまして、本当はそれを言われるまでもなく私
ども常々
感じていましたから、何とか
改善できないかということで、出題を、必ずしも知識の有無とか量によって左右されるような問題でなく、また採点結果もそれによって左右されないような問題をやったのですけれ
ども、これは先生方ちょっとお考えい
ただけばわかるのですけれ
ども、例えば三年生と四年生がいましてどっちがよくできるかといえば、これはもう四年生の方ができるに決まっているのです。今度は四年生と三年も浪人した者とどっちができるかといえば、こっちの方ができるに決まっているのです。ですから、逆に言いますと、在学生でも十分な解答ができると思うような問題を一生懸命つくりましても、そうすると、それはその上の方の連中ができるに決まっておる。しかも、単にできるのじゃなくて、公平に見ましても緻密で大変行き届いた答案をつくり上げます。表現も的確です。ですから、これはどう考えても初めから軍配が決まっていた
感じはするのです。
ところが、それでは問題が特別そういうふうに難しいのかと申しますと、これははっきり申し上げますけれ
ども、確かにそういう難しいという批判はございます。例えば
裁判官でもあるいは
弁護士でも、二度とおれ
たちはあの
試験は受からぬよ、こう言うのですけれ
ども、それはもう大分たたれたからそういうことなんでありまして、現役の学生、現場の受けている学生にとりましては、そんな無理のないスタンダードの問題なんですね。どのくらいスタンダードかと申し上げますと、例えば、まだことしは始まっておりませんけれ
ども、ことし問題が出ます。そうしますと、ある
科目の
試験問題、大体二問でできておりますから、二問持たせまして、そして基本参考書一冊持たせます。学校で三年、四年ぐらいの、二年間ぐらい終わった連中に基本参考書一冊持たせて、そして一室に閉じ込めて解答してみろとやります。そうすると、ほぼ正解というか、合格答案がほとんど書ける
状況なんです。ですから、私
ども決して問題が特別難しいとは思っていないわけでありますけれ
ども、やはり長年やっていた学生、いわゆるベテランの
受験生はそこのところは大変心得ておりまして、合格できるような答案を物の見事につくり上げるのです。
その秘密は、見てみますと、大体長年、五年でも六年でもやっている連中は、もちろんうちにいるだけじゃなくて、さっきから何遍も言っておりますように、
予備校へ参ります。そうしますと、模擬
試験とか答案練習という会がございます。そ
こで、私
どもがどんなに工夫しても、その問題と同じ、あるいは類似の問題を既に練習しているのですね。例えば五年、六年
たちました
合格者で、模擬
試験で書かなかった問題がないと言われるくらい既に書いているわけです。ですから、これはよくできるのは当たり前。しかも、それは解説つきで添削もしてもらっていますから。ところが、そうすると現役の方はどうかといいますと、それほど
経験も知識もありませんから、
試験場で初めてその問題と直面して、そもそも乏しい知識を全知全能を絞ってやるわけですけれ
ども、やはりこれは知れているものです。差が出てくるという、初めから勝負が決まっているという
感じがします。
こういうところから、私
ども何とかできないか、
試験の出題とか採点でできないかと思ったのでありますけれ
ども、どうもそれには限界があるということがだんだんわかってきました。時には私
どもちょっと絶望していた時期もありますけれ
ども、何とかならないかということで、
試験問題もだめ、それから採点の方もうまくいかないということで、そこで実際の
試験改革の案が出てきましたときには、本当にこれは何とかなるかな、そこでまた
希望を持ったのでありますけれ
ども、しかし、その間にどんどん社会の情勢が変わりまして、売り手市場になってきます。売り手市場になってきますと、今の学生のメンタルからしますと、合格できる保証がない
司法試験を何年も続けるよりも、気楽に企業の方へ行きます。これもやはり黙って見ていなければならない。これは大変つろうございましたけれ
ども、かといって、引きとめて合格させることができる保証がありませんので、それもできないというのが長いこと続いていたわけです。だから、せめて言葉だけでもいいから何か保証でもしてやりますと、また引きとめることができるのであります。
しかし、よく見ておりますと、売り手市場だけじゃなくて、企業の人事部というのは大変見る目を持っておりまして、これがいいなと私
ども思っている何人かは、何人かというよりもかなりおりますけれ
ども、それを根こそぎ持っていってしまうのです。そして本当に後へちゃんときれいに残してくれる。このきれいに残してくれるのが
司法試験でも受けようかと思いますがと言うから、ちょっと待てちょっと待てと。まあやってみたらどうだというふうに言いますけれ
ども、どうも企業の方が一枚上手なんですね。
実は去年ですか、国家公務員
試験というのは、先生方は上級と言った方がわかりやすいかもしれませんけれ
ども、今I種と言うのですけれ
ども、上級というのは一次
試験と二次
試験、三次
試験もあるのですが、一次
試験が発表になるころは七月の終わりなんですね。八月の初めに二次
試験を受けます。ところが、七月の終わりですから、時期的にはまさに企業は採用の真っ最中なんです。ですから、国家公務員のI種、しかも一次
試験受かった、一次
試験というのは
教養試験、択一ですから、あとは
法律試験がちょぼちょぼにあるわけですけれ
ども、しかしこういうのに目をつけまして、だあっと持っていったらしいのです。ですから、二次
試験の
受験生が少なかった。欠席者が多かったのですね。さすがに人事院がこれにクレームをつけました。私
ども、同級生なり教え子がそういう企業の人事部にいますから、人事院からクレームがついたろうと言ったら、あれは、やったと思っているのです、こう言うのです。悪いことをやったと思っているのかと言いますと、そうじゃなくて、人事院がクレームをつけるということは、それほど私
どもがいい
人材を引っこ抜いたというふうにいよいよ確信を深めました、こう言うのですね。これでは話にならぬなというふうに思いました。
しかし考えてみますと、人ごとじゃなくて、
司法試験の方も、択一が受かっ
ただけでわりかし優遇するような傾向があるのですね。これでは、私
どもとしますとますます心細いのです。どういうふうに心細いかと申しますと、
司法のメカニズムというのは、私
ども見ておりますと、どんなによくてもつまるところはそれを運用する人に尽きるのです。ですから、その人がどういうものであるかということは、私
ども嫌というほど身にしみて
感じております。私、専攻が民事訴訟法なんでありますけれ
ども、
司法試験問題とかあるいは
大学のカリキュラムの問題に関与するのが、不思議に民事訴訟法なんですね。どこに行っても民事訴訟法とかち合うのです。どこに行っても民事訴訟法なものですから、また民事訴訟法かと言われるぐらいなんですけれ
ども、これは理由がありまして、民事訴訟法というメカニズムを見ておりますと、どうしても限界があるのです。最後は、つまるところはそのメカニズムを運用する人になるのだということが嫌というほど身にしみますから、やはり人間が大事だということを身にしみて
感じているわけです。そうなりますと、そういうふうに企業なり方々へ学生が、元来これならばいい
法曹になるだろうと思うのが散らばっていきますと、私
ども、将来が不安だなという
感じはひとしお持つわけです。
そこでこの
改革に至っているわけですけれ
ども、
ただ、私
ども見ておりますと、若年
合格者ならばおまえ
たちはいいのかということをしばしば言われます。確かに、先ほどのように異常な事態、長年の浪人の
経験者によって若年
合格者が締め出されてしまう
状況があります。その連中がかなりいいのがいて方々へ散ってしまうということを私
ども憂えているわけですから、そういうふうなことを私
どもが話し合いますと、それじゃおまえ
たちは若年
合格者だけを採用しようとしているのかと必ず言われます。これは決してそうじゃないのです。若年
合格者、若ければいいというふうに私
どもも思ってないわけです。いわんや、それが全部若ければそれだけでいいというふうにも
経験上決して思ってないのです。
先ほどから話が出ておりますように、若年
合格者、早い話が三年で受かったり四年で受かったりするのですね。去年も朝日新聞に出ておりましたけれ
ども、四人、二十一歳、三年で受かったというのです。この
人たちは、いろいろな週刊誌がインタビューをやっておりますが、それを見ておりますと、必ず、入学早々あるいは入学の前から
司法試験の勉強を意識してやっているのですね。もちろん入学した途端に
予備校へ通いますよ。そこで何をやるかというと、
試験科目だけを熱心にやります。けれ
ども、御存知のように
大学のカリキュラムというのは、わずか
司法試験の
法律六
科目だけじゃございませんで、三十
科目も四十
科目もあるわけですよ。それは余り出席してこない。むしろそれをやると
司法試験の合格はおくれます。そしてまた、
司法試験はその
法律六
科目、
教養一
科目さえやっていれば必ず受かるわけですから、法哲学とか
英米法なんてなまじっかやるとおくれるというところで、そうなるわけです。ですから、どうしてもそこへ通ってくる。だから知識が偏っています。
しかし、私
どももそれを頭からだめだとも言い切れないものがあるのです。なぜかというと、それをしないで何年も何年もいるよりも、一応受かってその後の勉強をしてくれればいいなという気持ちもありますので。ですから、
予備校へ行くままに、一年生から行くのはよくないとかなんとか言いながら、連れてこないのです。
しかし一方、それと全く正反対の連中がいるわけです。大変要領が悪くて頑固ですけれ
ども、学校の授業のカリキュラムは大変好奇心を持って、意欲を持って履修しています。そういうことですからどうしても合格はおくれますね。でも私
どもが見ていますと、それがかなりおくれるのですけれ
ども──卒業後始めるのがかなりいるのです。その中に、ともかく頑固で融通がきかなくて、要領が悪くてどうしようもない
感じなのですけれ
ども、私
ども人間的に見まして、こいつなら信用できるのだけれ
どもというのがかなりいるわけです。ですから、もし若い人だけを採るという仕組みになりましてこの連中がはじかれますと、これも私
ども、
日本の
司法にとっては大変憂うべきことだというふうに考えます。
ところが今度の
改正の骨子は、五百人というのが今までどおりに何年たっても受けさせるということで、これはこれで私
ども大変安心していました。それから、それプラス出べそのように三回だけの連中を勝負させる。これは一番初めに申しましたように、これはしゃべっていいかどうかわからなかったのですが、
法務省から甲案、乙案、
丙案のパンフレットが来ましたので、この時点で私
ども、いいだろうというので学生に話しました。本当に低学年は喜びました。つまり
希望を持ったわけですね。三回の連中だけで勝負できる、それも二百人も採用されるということで
希望を持ちました。けれ
ども、そうはいってもわずか二百人ですから、本当を言うと現実は厳しいですよ。連中に
希望を持たせたのが本当はよかったかどうか、多少反省しないわけではないのですけれ
ども。連中が考えるほど甘くはないですよ、わずか二百人ですから。しかし、少なくとも二百人の
可能性があるということだけは、連中にとりまして
希望だったのです。そういう形でこの
法案ができましたので、私
どもこれは大変歓迎したいと考えているわけです。
ただ、先生によりましては、五百人を無制限に何回も受けさせるよりも、かえって五回でびしっと切った方が本当は本人のためにもいい、つまり、本人はそのつもりで覚悟してやりますし、その後はそれなりの
方向転換を図りますからその方がいいのじゃないかという
意見もありますけれ
ども、しかし現場はそんなものじゃなくて、やはりもうあの泥沼、受かって出ていくしかないのですね。朝から晩まで連中はやっています。それだけじゃなくて、もう本当に
大学の
受験と同じような
受験戦争が家族も巻き込んで行われていますので、五年で打ち切られるということは、私
どもに大変苦痛でした。しかし、それならそれで私も覚悟しようと思ったのですが、それが取っ払われたことで、本当を言うとこの
法案に大変感謝しているところなのです。
それから、ふえますけれ
ども、増加すると質が低下しないかとよく言われるのですが、そういうことは決してないです。かつて二百三十人の合格の時代があったのですね。それが五百人になっていますけれ
ども、決して質は低下しない、むしろ質は上がったぐらいですから。広げまして、そうするといいのが志願してきますので、決してそれで質が低下することはないだろう。
それからもう一つ、ボーダーのところがよく問題になりますけれ
ども、これは何遍も、先ほ
ども参考人から話がありましたように、もともと
司法研修所のキャパシティーから出てくるのですね。五百人というのは、私
ども見てとても少ないなと思いますけれ
ども、
裁判長研修などに行きまして、その研修を見ますと、君は八百人とかなんとか言うけれ
ども、この教室でどう思うと言うので、なるほど小さな教室はびしっと詰まっているのです。五十人でぎりぎりいっぱいですよ。なるほどこれでは二十人ふえるのはちょっと無理かなと思うぐらいですけれ
ども、なぜもうちょっとそれがふえないのかなという
感じはしなくはないのです。この機会に、ここの国会の先生方にいろいろ
お願いしまして、ずっとふえるような方法がもう少し考えられないものか。
ついでにもう一つ
お願いしておきますけれ
ども、先ほど
佐柄木さんが言っていましたけれ
ども、あの時期に五百人欠けている時期があるじゃないか。私も思うのですよ、あれは、私も
司法試験の
試験委員になりたてで、何で減らすのかなと大変疑問に思ったのですけれ
ども、
ただ、頭にちらほらするのは
行政改革でした。ですから、あのときに五百人よりもっとずっと出っ張っていれば今よりはよかったのじゃないかなという
感じがしますけれ
ども、あのとき四百七十七とかなんとかという厳しい時代がありました。
そうなりますと、これからも財政事情がちょっとでも悪化するとしわ寄せがあそこに行きはしないかと、少々心配なのです。九十億ドルの寄附も結構ですけれ
ども、そのあげくこちらへ回るとちょっとつらいかなという
感じがしますので、少々財政事情が悪くなっても
司法の方だけは、これは
日本の
国民全体の問題ですから、そこだけは減らさないで、むしろ何とかしてふやすようにしてい
ただきまして、拡充するような方法でお考えい
ただければと思います。
しかし、これで
法案は終わったわけではなくて、いろいろな問題がまだあります。
司法研修所はあれでいいのか、つまり二年間やらなければいけないのか。もうちょっと実務庁が
協力してもらえないのか、そうするともっとふえるのじゃないか。あるいは私
どもの
大学の方にも問題があります。今ちょうど
大学審で
一般教育
科目と語学と専門
科目の枠が取っ払われますので、そうなりますと、もうちょっと自在に専門
科目の教育がかなり強化できますので、それを利用しながら、この
法曹養成と結びつけるように私
どもぜひ工夫してみたいと思っています。
大学自身の方に大変問題を抱えておりますけれ
ども、とりあえず私の
意見はそういうことでございます。どうもありがとうございました。(拍手)