○鍛冶
委員 新しい創設ですからやむを得なかったかなという気はしますが、ぜひそういう方向でお考えをしていただきたいし、機構の充実も図っていただきたい。これは各
大学でも、今は大体、課程を経て、それぞれ
授与機関に申請するという形になるというお
答えでしたが、それはそうであろうと思うのですけれ
ども、いろいろお話を聞いておりますと、こういう例があったと聞きました。
某
国立大学の助
教授が、四十歳代になる力のある方ですが、論文を書いて出したというのですね。自分の
大学で、自分が教わったところを通じて出しちゃった。そうしたら、教わった
先生がもういらっしゃらないわけですよ。退官されたか異動されたかわかりませんが、いらっしゃらなかった。それで担当の
教授はほかの
先生がなっていた。その論文を見て、私はこれは関心がないと言って突き返されたというのですね。ところがほかの博士を持っている
先生が読んでみたら立派な論文だというわけですよ。
だから、今の
大学の中での
授与するという、
制度は確かにあって、
局長がおっしゃったような形で出てくることが多いんだと思いますが、そういう中でやっていて、課程を経て人で、しかも
国立大学で助
教授までなっている方が博士号の取得ということで出しちゃったら、そんなことで一遍ではねられちゃった。だから、
内容によってそういうものを受け付けるか受け付けぬか、審査しようかしまいかというのを判定するのではなくて、口の悪い言い方をしますと、担当の
先生方の好みによってそんなことをやられたんじゃ大変なことになるのじゃないか。案外そういう
先生方が随分数多くいらっしゃるというふうに私はお聞きするわけです。
だから、そういう
意味を含めて、この
授与機構というものがむしろ第三者的
機関として、教わったところで出すよりも、新しいこういうところで第三者に公平に認定をしてもらう、そういう道を開いて、ここで認定を受けると高い
評価を得る、こういうものが出てくると、私がさっき申し上げたような、今
大学の
教員の中で悪い
意味での徒弟
制度、親分子分の関係を突き破って新しい芽が出てくるのではないか、こういう
意味で私は先ほどから実は申し上げておるわけです。そういう
意味で、論文博士の問題も含めてぜひ前向きに取り組んでいただきたい。
さらには、もう
一つ、私ができると聞いたときに頭にぽっと思い浮かべたのは、独学で来る人ですね。要するに、
大学へは行かれない、行かなかったけれ
ども非常に勉強した。それは、いろいろなところで単位を取られるという方法もあるのでしょうけれ
ども、主として独学で頑張って、仮に審査の対象とした場合に、人格識見ともに、また出てきた
内容も、試験など仮に行った場合も非常にいい形で、博士として
授与するに全く適格な人であるというような人にもぜひこの機構において受け付けをして審査をしていただきたい。これをすることによって、やはり今創造力の
養成、
日本にはそれが足りないとかいろいろ言われておりますけれ
ども。それから、この方面では非常にすばらしい能力を持っているというような人が、そこに門戸を開くことによって自分自身のやる道について非常に自信を持つ、希望を持つ、そして、よし、あの機構でおれはひとつ審査を受けよう、自分の力量を試してみよう、また、それから後の人生を開く一里塚としたい、こういうようなことを考えてやれるような形で開いておるのかなと思ったら、それは全然、全くだめなようですね。確かに事務的とかいろいろな機構とか運営とか体制とかの中でそこまで一気に行くのは、いろいろお聞きしていて難しいのかなという気もしておりますけれ
ども、私は将来、これがきちんと創設された場合に、そういうものも
一つの
目標にして、この機構というものを生かしていただきたい。それがまた受験競争の緩和にもなるのじゃないか。無理に
大学に行かぬでも、これでやったら認めてくれるぞ、おれの嫌いなものを無理やり勉強して受験戦争でやらなくても、積み重ねていけばちゃんとしたものがここにできてきたぞというのがあると、また違った形でいろいろな今の激しい受験競争の中で新しい一石を投じて、いろいろな方に希望を持たせることができるのではないか。
そういう
意味で、この
授与機構というものをぜひそういう方向に持っていっていただきたい。これは切なる私のお願いでありますが、これについてはいかがでございましょうか。