○
伊藤(忠)
委員 関連質問をさせていただきます。
私の方からは、多国籍企業の問題について以下質問をさせていただきますが、主に
労働省、通産省になろうかと思います。
近年、我が国におきまして、受け入れ国ということになりますが、多国籍企業が非常にふえていると思います。日本もまた、アメリカを中心にしまして企業が我が国から外国へ進出をしておるのは御
承知のとおりでございまして、このように経済の国際化が非常な勢いで進む中でこの種のケースがふえることは、むしろ当然でございます。しかし、その場合、両国間にとってバランスのある経済活動が展開されなければいけないということもこれは当然のことでございます。そういうようなことで、経済の国際化がますますこれからも進展を見るであろうということについて大きな関心を払っているわけでございます。
そういう
状況の中で私が問題を提起いたしますのは、日本に来られております多国籍企業も数々ございますが、その中で労使紛争がたびたび起こるわけです。この労使紛争が現実に起こっております特定のケースを取り上げまして、問題提起を含めながら具体的な問題に対する一日も早い解決を我々としては期待をしたい、こういう
立場に立って、以下質問なり問題提起をいたしまして、
関係省庁の的確な態度表明なり答弁をいただきたい、こう思うわけでございます。
問題の企業はP&G・ファー・イースト社という企業でございますが、これは本店は大阪なんです。P&Gは御
承知のようにプロクター・アンド・ギャンブル。どういう製品をつくっている会社なのか、これは御
承知のとおり。テレビコマーシャルでも有名ですが、紙おむつのパンパース、あれは非常に人気があります。
子供が出てきまして、見ているだけでほほ笑ましくなる、あの製品買おうかというので、非常に宣伝がうまいのです。さらに洗剤ではモノゲン・ユニ、それからウルトラアリエール、こういうものを宣伝するコマーシャルがテレビの画面をにぎわしております。ナプキンの世界ではウィスパーというのが有名なんですが、このように洗剤だとか紙おむつだとかナプキンだとかいうのがコマーシャルでは非常に出ているわけです。
これの本社といいますのはアメリカのオハイオ州シンシナティにございまして、多国籍企業ですから世界各国に工場がございます。もちろんそれぞれの国では何々本店という格好にしているのです。香港にもございますし、フィリピンにもありますし、タイにもありますし、イギリスにもありますということで、日本にももちろん来てもらっているわけですが、売上高が二百四十一億ドル、相当大きな規模でございます。従業員が全体で九万二千五百人。日本にも本店がございまして、これが大阪にございます。日本の会社はP&G・ファー・イースト、極東株式会社、こう言うのでしょうか、国内におきます業種別の売り上げランキングが第三位、
平成二年六月現在の売上高一千二百六十億円でございます。かなり大きな企業ですね。従業員は一千九百名。国内に
幾つか工場を持っています。高崎、これが今申し上げた製品の主に洗剤部門を扱っています。富士が石けん
関係、明石にも工場がございますが、これが紙製品、栃木にも新工場建設中でございます。鈴鹿に、鈴鹿といいますと本田技研、いわゆるサーキットで有名ですが、あそこには製薬工場を持っております。
この鈴鹿工場で、実は問題の労使紛争が今起こっているわけであります。鈴鹿工場は、かつてアメリカ資本、米国の株式会社ヴイックスという会社、これも御
承知のとおりです、いわゆるのど薬ヴイックスドロップで有名でございますが、このヴイックスの工場として誕生したわけです。一九六四年に設立されました。そういう工場だったのですが、このヴイックスを生産しておりました鈴鹿工場が八五年にP&Gに買収されたわけであります。現在はP&G・ヘルスケアというふうに名前を変えまして、つくっている製品はほとんど変わりません。むしろメニューをふやしているわけです。対応します
労働組合の方は、もともとヴイックスの会社でしたからヴイックス
労働組合と名のったわけですが、今日まで組合の方は名前を変更せずにヴイックスのままで来ているわけです。会社の方は買収されまして、ヴイックスという会社からP&G・ヘルスケアに名前が変わっているわけです。こういうふうに変化をしてまいりました。
この鈴鹿工場の従業員は百十六名でございます。そのうち組合員の数が、管理職などを除きますと六十五名。年間売上高が百三十億円、経常が
平成二年で九億円、非常に健全な経営をしているところでございます。
このP&G・ヘルスケアから当該
労働組合に対しまして、というよりもむしろ組合員に対して、三月三十一日に突然工場閉鎖が通告されました。工場はロックアウトというような格好で閉鎖しまして出入りできないわけですが、従業員は工場外に出ていきなさいということで、作業所を別の場所、離れたところにつくりまして、その建屋の中で今度はサンプルの袋詰め作業をやりなさい、一方的にこう通告してきたわけです。
組合員にはそのように通告をして、入れないようにしておいて、工場内の生産設備──ここは薬品の製品生産工場ですから、医療機械なんかの設備がございます。どうでしょうか皆さん、イメージとして、アメリカなんかに行きますと、広大な敷地にごく一部、隅っこの方に工場が大体平屋で建っていますね、あのままなんです。あのような工場がつくられていますから、ローカルでいいますと、何とすばらしい工場かというイメージですね。芝生がだっと一面植えられていまして、ほとんど立ち木なんか立っていないわけです。 道路から通りがかりの人に中の工場が見えるようにネットのフェンスが張ってありまして、青々とした、そこでゴルフの練習でもやったら非常に楽しいだろうなというぐらい空き地が広いわけですね。向こうの方にしょうしゃな建屋、工場がずっと一階建てで建っているというふうなところなんです。
その工場内の生産設備、機械類というのは、四月九日に皆搬出、持ち出すわけですね。撤去するわけです。工場を閉めておいて、だれも入れないようにしておいて、中の生産設備を一方的に運び出す。こういうふうなやり方というのは、ちょっと日本の経営者では
考えられないことですね。何というか、思い立ったら一瀉千里という格好で実行に移すというのは、さすがアメリカの資本主義を目の当たりに見るような思いかするわけですが、そういうところまで今来ているわけです。
次に私がちょっと説明さしていただきますのは、その工場閉鎖に至る経過でございます。時間の
関係がございますので余りゆっくりも言えませんが、問題点だけ絞って申し上げます。
今申し上げました広大な敷地、約二万数千坪ございますけれ
ども、これは別にこの会社が自分である日思い立って日本の鈴鹿へ飛んできて、そこで自分で土地が買収できたわけじゃないのです。御
承知のとおり、これは地元の市長さん初め市に陳情もいたしまして、市の方も、アメリカの工場が来るらしい、これは御
承知のように、一九六四年に設立しているわけですから、あの当時、つまり外資系の工場が来るということになれば、これは市としても大変な関心を示したと思うのです。来てくれれば雇用の確保、拡大になる、町のイメージにもつながるというようなことで、工場誘致に積極的に走りまして、敷地が今言いました二万坪を超えるわけですが、当時あっせんしました価格というのが一平方メートル一千三百六十一円、ただみたいな話です。それで、きちっとそろえて、どうぞお越しくださいというふうに市はサービスしたわけですね。
地元はどうだったかと言いますと、アメリカからヴイックスという有名な会社が来るらしい。市の方がこのあたりに建てたいと言いますと、売りたくないけれ
ども市長さんに言われたらやむを得ないし、自分のところの息子だとかこの村落の人の雇用確保ということになるのだったらというので、後ろ髪を引かれる思いで先祖伝来の田畑も手放そうかという気になったという経過がございます。やっと
宅地造成も市の指導によって行われて、しかも鈴鹿市は三年間誘致条例をつくりまして減免措置を行うという手厚い受け入れ態勢でもってヴイックス株式会社をそこに誘致した、こういうことであります。
その当時、もちろん
労働組合がございまして、労使
関係ほうまくいっていたわけです。七九年の一月現在、私調べたのですが、労使の間に
労働協約がございまして、その中の配置転換協約の中身をめくってみますと、労使協議
決定になっているわけですね。これは
労働協約としては非常に進んだレベルだろうと私は判断をしております。日本の
労働組合も数ありますが、労使協議
決定をきちっと
労働協約にうたっているパーセンテージというのは、日本の
労働界を調べましても半数超えるでしょうか、私はそんな感じがしているわけですが、非常に良好な労使
関係で、しかも協約の中身も非常に充実したものを持ちまして労使がヴイックスの会社の運営に当たってきたわけです。
ところが、八五年に買収されまして、ヘルスケアに言うならば経営権が移りまして、その後すぐ協約改定がヘルスケアから申し入れがございました。そういう労使協議
決定というのはもう不都合だ、全面的に協約を見直すという一方的な改定の申し入れがございました。 労使間で協議が行われましたけれ
ども、そういうふうなやり方ですから、当然協議が不成立になりまして、その後、無協約状態で今日を迎えているわけですね。この
一つをとらえてみても、なかなかやり方が厳しい、非常にラジカルなやり方で組合に対応してきているといることがおわかりいただけると思います。
八八年の五月でございますが、今度は第二弾としまして、チェックオフ、組合費を天引きするという制度ですが、チェックオフの拒否を一方的に打ち出してきました。これはもう当然労使間でどうしても議論が激しくなるわけでございます。何ぼ言いましても会社側は聞かないということで、これは大阪の地労委に申し立てをいたしまして、地労委の方もそれはちょっと不自然だ、会社のやり方がきつ過ぎるというので、八九年の五月に会社側が譲歩いたしまして、チェックオフ協定は締結できたわけですね。これも
一つの大きな出来事であろうと思っております。
そうこうしておりますと、ちょうど二年過ぎたところで、九〇年の四月ですが、工場の縮小案、まあ
合理化案ですが、これが提案されてまいりました。こうなりますと組合の方も会社に対してかなり不信感が募っておりますから、何だまた第三弾のやり方かということになりまして、団体交渉がお互い合意点を見出すために
努力をするというよりも物別れになったり不調に終わって、どうしてもそういう
関係が続くということになっているわけです。
それで、ヴイックス
労働組合というのは、今申し上げました工場の縮小案が提案をされますまでは、ほかの共闘
会議というのですか、地域の協議体に全然入っていなかったわけですよ、全く単独の組合で来ているのですね。このことをとらえてみても、言うならばよく
民間にある中小のケースですね、もう自分たちの組合と会社との間でうまくやっていこうという
姿勢で臨んできたわけで、地域でも立派な会社があそこにあるということはわかっていましたけれ
ども、そこに
労働組合があるというのは余り皆知っていなかったというような感じなんですね。ところが、労使
関係というのがそのように非常に厳しい状態に組合も追い込まれてきましたので、この工場縮小案が提案をされたときに、これは自分たちだけではとても守れないということに気がつかれたのではないでしょうか、真相のほどは私もわかりません、推測の域を出ませんが、全国一般という
労働組合がございます、これは今連合にも入っておりますが、ちょうどそのときにその組合に初めて加盟しているわけです。そして、ここまで来たらひとつ力をかしてくれないかということで、不当
労働行為の救済申し立てを九〇年の六月に行ったわけです。
一方、断続的に交渉は続いているわけです。お互いもう余り信頼
関係が存在しないというような感じなんですが、九〇年の十二月に会社の方から縮小案の見直しを約束するというところに来たのですね。これはどちらを向いて見直すのか、ベクトルが問題なんですが、そういうことになりました。
しかし、組合の方は、それは中身を部分的に修正するということになっても、今もお話し申し上げたように、従業員がほとんど地元の人でございますし、配転をせよと迫られても、転勤をしなさいと迫られても、全国に散らばっている工場でありますから、行けるところというのは余りない。しかも、非常に奥さんが多いわけですね、三分の二ぐらいは婦人の方がおみえでございますから、それはとても乗れない相談だということになるということがありまして、部分修正にはどうしても応じられない。それはもう生活権そのものまで脅かされることになるということだったと思うのです。
そういうふうな労使間の断続的な交渉といえば交渉もやりながら、一方、並行して地労委に救済の申請をやりまして、九一年の三月に地労委から実効確保の措置
勧告というのが出されました。中身といいますのは、いずれにしても、計画縮小案がのめなければ工場閉鎖するぞというふうな非常に高圧的な会社側の態度が労使
関係をこのように紛糾させている、だから経営者側はそういう点を
考えなさい、組合の方も問題解決に向けて、円満解決に向けて双方が一日も早く
努力をすべきである、一口で言えばそういう内容の措置
勧告を
地方労働委員会が結論したわけでございます。
この年の三月五日に地元の市長さん、それから同じく三月の下旬に県の知事さんが、これは大変問題である、地域社会に与える影響も大きい、行政も工場誘致には一連かかわってきておりますから、円満解決を図っていただきたいという要請を正式にやっているわけです。それぞれの議会でもこの問題が取り上げられまして、ちょっとこれは会社の方が行き過ぎじゃないかということで、そういう議会の声を踏まえて地元の市なりあるいは当該の県なりが要請行動に動いたわけでございます。
それで、私たち国
会議員団を編成しまして、三月二十九日に現地
調査に入りましたら、何とその日に工場閉鎖通告ということになるわけです。私たちを待ち受けていて出したような格好でして、何という会社だというふうに実感をしたわけでございます。
これではたまらぬというので、四月の二日に当該組合は、閉鎖停止と配転命令の効力停止を求める仮処分申請を行いまして今日に至っているというのがざっとした経過でございまして、この多国籍企業の労使紛争問題というのはそのようにひとつ御
理解をいただきたい、こう思っているわけでございます。
それで、連合の本部は、この種のケースというのは余り見たことがないと非常に驚きまして、全面的支援に乗り出すことになりました。その文書を私きょうも持ってきたのですが、これも連合としては非常に珍しいケースでございます。四月の八日付で連合本部が三重県の連合と大阪の連合に対して、ヘルスケアの本社が大阪なものですから、この二つの経営当事者に対して行動を起こすことを傘下の
関係組合に通達を出しました。これも非常に珍しいケースでございます。
それで、連合が分析といいますか、今回紛争の性格をこのように位置づけております。それは、多国籍企業の横暴さを典型的にあらわすものだ、こういう位置づけをしております。
それで、具体的には、もちろんこれは今紛争が起こっております鈴鹿の現地と本社の大阪に対して支援行動を組むのがまず第一でございますが、二点目には、ICEF、これは国際化学エネルギー労組連盟、六百万の組織でございますが、それから米国日本商工
会議所、こういうところに向けて国際的にも要請行動を行うということを決めまして、早急に行動が開始されることになりました。
連合の話を承っておりますと、P&Gという多国籍企業は、出ていっている国あちらこちらで似たような紛争を起こしているそうです。それをよく知っているんですね。ですから、ICEFですか、ここにも問い合わせるというか、ここに要請行動を起こしまして、こんなことが起こっているからひとつ助けてくれないかというようなことで連合が早速連絡をとりましたら、ああP&Gか、また起こしているかというような格好で、国際的にも非常に有名な企業でございます。パンパースも有名ですけれ
ども、労使紛争でも必ず一役買う有名な企業でございまして、これはほっておけないなという国際問題に今
労働界では広がってきているということも報告をさせていただきますので、その辺もひとつ御認識をいただいて、以下の点について、労使紛争を、一日も早く問題解決を図っていくために
政府としても格段の指導をいただきたい、これが私の質問の
趣旨でございます。
そこで、
労働省にお伺いをいたしますが、ILOの三者宣言は御
承知だろうと思います。一九七七年のILOの
理事会で
決定されたわけですが、これに照らしましてもこの紛争は、企業側の対応には大変問題があるのではないかと私は
考えるわけです。
その中身というのは膨大なものでございますが、三者宣言の中の、特に「雇用の安定」という章がございまして、この中の二十六項ですね、ナンバー二十六で、こういう
表現が三者宣言で
決定されているわけです。「多国籍企業は、雇用に重大な影響を及ぼすような事業活動の変更を検討するに当っては、悪影響を
最大限に緩和するために、共同して検討を行いうるよう、適当な
政府当局、当該企業が雇用する
労働者及びその団体の代表に対して、かかる変更についての合理的な予告を行うべきである。」とりわけ「事業閉鎖の場合特に重要である。」こういうふうに三者宣言でほうたっているわけでございます。これはガイドラインということになるわけです。そして「労使
関係」の章の四十
項目目には「多国籍企業は、
関係国において類似の企業が遵守している労使
関係の基準よりも低くない基準を遵守すべきである。」だから、受け入れ国の労使
関係を最低にして、積極的にもっと労使
関係をつくっていくべきであるというのがこの
趣旨であらうと思いますし、しかも、受け入れ国の法令,そういうものを遵守するということはもう言うまでもないことでございます。
このようなILOの三者宣言を踏まえて
考えますときに、P&Gのやり方というのはどうもそぐわない、非常にきついやり方だ、こういうふうに思わざるを得ませんので、その点について
労働省は、いやいやそうじゃない、P&Gのやり方は非常に真っ当なんだというふうにお
考えなのか、三者宣言のこれに照らしてみてどうもこれは行き過ぎだとお思いなのか、まずその点の認識について
お答えをいただきたいと思います。