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藤井(治)
政府委員 お答えいたします。
私が申し上げたことを読んで御
質問いただいて、まことに面映ゆいわけでございますが、先ほ
ども先生おっしゃいましたように、鉄道が、東海道本線ができたのが明治二十二年、新幹線ができたのが
昭和三十九年、それなのに
道路は、東海道の国道一号ができたのが
昭和三十六年でございます。明治二十二年から
昭和三十六年に至って初めて一号線、一番早くできた国道の一号が
昭和三十六年、そして
東名、名神がつながったのが
昭和四十四年、言ってみれば
昭和三十年代から我が国の車、
道路の幕あけがまず始まりました。その間、二十年前に一千万台、
昭和三十年代には三百九十万台、こういう中で、今は五千七百万台の
車社会、そして車の
免許保有者も、
昭和三十年は多分三百七十万人ぐらいだったと思います。それが今は六千万人。
なぜこのように変わったかと考えれば、人は自由に動くことによって幸せを得ようとし、また幸せになる権利を
確保しながら、その中で
車社会が成長し、その結果現在の
道路事情のいろいろな問題が派生した、こういう
認識をいたしております。そして、このたった三十五年の中で、
昭和二十年に舗装の延長が一万キロしかなかった我が国が、現在五〇%半ばに近い一応の
状況に来た。その中にはやはりかなりいろいろな意味の無理、しかしその無理をせざるを得なかった
道路整備の
現状が、歴史的な意味であったと思います。
そこで現在、私
どもはそういう過程の中で、残念ながら
道路から、お祭りをしたくともみこしが担げない道も生まれ、あるいは縁日も消え、そして大道芸人も存在しない。歩道で、あるいは
道路で楽しい
お話ができない。
高齢化社会になりますと、
高齢者の
人たちがまず何が大事かといえば、道に出て人と
お話をする、これがまず
高齢化社会の第一歩だと思います。そういうような時代にもう一度戻さなければいけない。そのためには、おくれてきて何にもなかった時代から現在やっと落ちついてきたけれ
ども、これからの
道路整備は、生活というものが経済でもなければ狭い意味の生活でもない、そのすべてを含んで、
道路が本来幸せをつくる、あるいは幸せになるための生きた社会資本だという
認識のもとにどうしていったらいいか、こういう視点からの見解を述べたものでございまして、
交通安全対策という言葉があること自体が
道路がおくれている証左だと私は思っております。本来は
交通安全対策なんという言葉自体があってはならないのですが、そのことが
道路の
整備のおくれだ。
そういうことでございますから、先ほ
どもある
先生に申し上げましたが、諸外国が豊かだというのは、通るための
道路、車がなければ、物が動かなければ人は御飯も食べられません、安心した生活もできませんが、それが至るところで混在してしまったらお祭りもできなくなるから、きちっとそういう経済のための
ネットワークあるいは人のための
ネットワーク、こういったものをうまく使いながら考えていく、そういうことが許される時期にそろそろ来たのではなかろうか。
こういう意味で、これからの
道路整備、これから四百三十兆円を使い、その中で
道路整備をやらしていただく中で、人が安全をまず重視し、そして選択ができる世の中になり、そしてその中で人の感性を大事にできる、そういう意味の
道路整備をどういうふうにしていったらいいか。その中には
高速道路もあるでしょう。あるいは区道、市町村道、家の前の
道路もあるでしょう。いろいろなものを、二者択一、三者択一ではなくてそれぞれがみんな必要であるけれ
ども、新しい目でもって見ていく、そういう新しいこれからの、みんなに役立つといいますか、受け入れられる
道路整備を考えさしていただくことができる時期が来たのではなかろうか、これが申し上げた趣旨でございます。
失礼いたしました。