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1991-04-24 第120回国会 衆議院 外務委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成三年四月二十四日(水曜日)     午前九時五十三分開議  出席委員    委員長 牧野 隆守君    理事 新井 将敬君 理事 園田 博之君    理事 中村喜四郎君 理事 原田昇左右君    理事 上原 康助君 理事 高沢 寅男君    理事 遠藤 乙彦君       麻生 太郎君    伊東 正義君       岩屋  毅君    奥田 敬和君       唐沢俊二郎君    佐藤 敬夫君       田名部匡省君    福田 康夫君       柳本 卓治君    井上 一成君       岡田 利春君    川崎 寛治君       川島  實君    松原 脩雄君       神崎 武法君    玉城 栄一君       古堅 実吉君    柳田  稔君  出席国務大臣         外 務 大 臣 中山 太郎君  出席政府委員         外務大臣官房審         議官      野村 一成君         外務省アジア局         長       谷野作太郎君         外務省北米局長 松浦晃一郎君         外務省欧亜局長 兵藤 長雄君         外務省中近東ア         フリカ局長   渡辺  允君         外務省条約局長 柳井 俊二君  委員外出席者         文化庁文化財保         護部長     加藤 孝治君         外務委員会調査         室長      市岡 克博君     ───────────── 委員の異動 四月二十四日  辞任         補欠選任   伊東 正義君     岩屋  毅君   田名部匡省君     佐藤 敬夫君   山口 敏夫君     柳本 卓治君   和田 一仁君     柳田  稔君 同日  辞任         補欠選任   岩屋  毅君     伊東 正義君   佐藤 敬夫君     田名部匡省君   柳本 卓治君     山口 敏夫君   柳田  稔君     和田 一仁君     ───────────── 四月二十二日  麻薬及び向精神薬不正取引防止に関する国際連合条約締結について承認求めるの件(条約第一四号) 同日  子ども権利条約早期批准に関する請願網岡雄紹介)(第二九一九号)  子ども権利条約批准等に関する請願井上一成紹介)(第二九四四号)  同(伊東秀子紹介)(第二九四五号)  同外三件(伊藤茂紹介)(第二九四六号)  同(伊藤忠治紹介)(第二九四七号)  同(池端清一紹介)(第二九四八号)  同(石井智紹介)(第二九四九号)  同外一件(岩垂寿喜男紹介)(第二九五〇号)  同(宇都宮真由美紹介)(第二九五一号)  同(上田哲紹介)(第二九五二号)  同(上原康助紹介)(第二九五三号)  同(小川国彦紹介)(第二九五四号)  同外一件(緒方克陽紹介)(第二九五五号)  同(大出俊紹介)(第二九五六号)  同(大木正吾紹介)(第二九五七号)  同(大畠章宏紹介)(第二九五八号)  同(岡崎トミ子紹介)(第二九五九号)  同外一件(加藤繁秋紹介)(第二九六〇号)  同(川崎寛治紹介)(第二九六一号)  同(木間章紹介)(第二九六二号)  同(北川昌典紹介)(第二九六三号)  同(北沢清功紹介)(第二九六四号)  同外三件(小森龍邦紹介)(第二九六五号)  同外二件(輿石東紹介)(第二九六六号)  同(佐藤敬治紹介)(第二九六七号)  同(佐藤泰介紹介)(第二九六八号)  同(佐藤徳雄紹介)(第二九六九号)  同(斉藤一雄紹介)(第二九七〇号)  同(沢藤礼次郎紹介)(第二九七一号)  同外三件(志賀一夫紹介)(第二九七二号)  同(渋沢利久紹介)(第二九七三号)  同(嶋崎譲紹介)(第二九七四号)  同(関晴正紹介)(第二九七五号)  同(関山信之紹介)(第二九七六号)  同(仙谷由人紹介)(第二九七七号)  同外三件(田邊誠紹介)(第二九七八号)  同外一件(田並胤明君紹介)(第二九七九号)  同外十一件(谷村啓介紹介)(第二九八〇号)  同(時崎雄司紹介)(第二九八一号)  同(中西績介紹介)(第二九八二号)  同(馬場昇紹介)(第二九八三号)  同(早川勝紹介)(第二九八四号)  同(藤田高敏紹介)(第二九八五号)  同外一件(細川律夫紹介)(第二九八六号)  同(堀込征雄紹介)(第二九八七号)  同(前島秀行紹介)(第二九八八号)  同(松浦利尚君紹介)(第二九八九号)  同(松原脩雄紹介)(第二九九〇号)  同(三野優美紹介)(第二九九一号)  同(水田稔紹介)(第二九九二号)  同(武藤山治紹介)(第二九九三号)  同(村山富市紹介)(第二九九四号)  同(元信堯君紹介)(第二九九五号)  同(安田修三紹介)(第二九九六号)  同外三件(山口鶴男紹介)(第二九九七号)  同(山中邦紀紹介)(第二九九八号)  同(山花貞夫紹介)(第二九九九号)  同(山元勉紹介)(第三〇〇〇号)  同(吉田正雄紹介)(第三〇〇一号)  同(和田貞夫紹介)(第三〇〇二号)  同(渡辺嘉藏紹介)(第三〇〇三号)  児童の権利に関する条約批准に関する請願岩村卯一郎紹介)(第三〇〇四号)  朝鮮民主主義人民共和国との国交回復早期実現に関する請願岩村卯一郎紹介)(第三〇〇五号) 同月二十三日  子ども権利条約早期批准に関する請願高沢寅男紹介)(第三一二七号)  子ども権利条約批准等に関する請願細川律夫紹介)(第三一六〇号)  同(小岩井清紹介)(第三一六一号)  同(細川律夫紹介)(第三二八六号) 同月二十四日  子ども権利条約批准等に関する請願細川律夫紹介)(第三三五四号) は本委員会に付託された。     ───────────── 本日の会議に付した案件  故李方子女史英親王妃)に由来する服飾等譲渡に関する日本国政府大韓民国政府との間の協定締結について承認求めるの件(条約第一三号)  麻薬及び向精神薬不正取引防止に関する国際連合条約締結について承認求めるの件  (条約第一四号)  国際情勢に関する件      ────◇─────
  2. 牧野隆守

    牧野委員長 これより会議を開きます。  国際情勢に関する件について調査を進めます。  この際、外務大臣より発言を求められておりますので、これを許します。中山外務大臣
  3. 中山太郎

    中山国務大臣 まず、日ソ首脳会談について御報告を申し上げます。  今次の訪日は、日露日ソ間の歴史始まって以来初のソ連元首訪日でありまして、国民を挙げてゴルバチョフ大統領を歓迎したところでございます。また、同時に大統領の滞在は、予定を三回超過した六回の首脳会談における日ソ国間関係の根本にかかわる極めて率直で徹底した話し合いの場でありました。これらの話し合いの結果は、十八日深夜発表された日ソ共同声明に具現されております。日ソ間の最重要な議題たる領土問題の解決平和条約締結の問題を含め、今次会談議論における話し合い共同声明内容は、今後の日ソ関係を新たに推進していく重要な基礎になるものと考えております。  領土問題につきましては、総理ゴルバチョフ大統領間で率直な話し合いが行われました。  従来の日ソ間の交渉の中において国後択捉を含む北方四島が日ソ間の戦後処理の問題としての領土問題の対象であることについては、一九七三年の田中・ブレジネフ会談の際に作成された共同声明の中で「第二次大戦の時からの未解決の諸問題」との文言について、口頭でこれに四島の問題が含まれることが確認された経緯がありましたが、右口頭確認の事実すらもソ連側はその後否定するに至っておりました。ソ連側が一度も文書により明示的に認めることのなかった国後択捉両島が、歯舞色丹両島とともに日ソ間の戦後処理の問題としての領土問題の対象となっていることが初めて日ソ間の文書において明示されたことは、平和条約交渉を一歩明確に前進せしめたものと考えております。  以上の前進を背景として平和条約領土問題の解決を含む最終的な戦後処理文書であるべきことについても、極めて明確な認識が得られたこと。  さらに、平和条約の準備を加速化することが第一義的に重要であることに合意したことも今後の平和条約交渉に弾みをつけるものとして重要であります。  歯舞色丹両島我が国への引き渡しを規定した一九五六年の日ソ共同宣言につきましては双方の間で鋭意議論され、「戦争状態の終了及び外交関係回復共同で宣言した一九五六年以来長年にわたって二国間交渉を通じて蓄積されたすべての肯定的要素を活用しつつ」との表現の中に当然含まれていると考えており、また、ソ連側に対しても明確にその旨述べております。  他方、領土問題の解決それ自体につきましては、今次ゴルバチョフ大統領訪日においては打開は見られなかったという厳しい現実がございます。  今回の訪日確認されました四島問題を平和条約交渉の中心に据えて交渉していくとの立場に立ち、今後とも全力を尽くして平和条約交渉日ソ関係打開努力していきたいと考えております。  二国間関係に関しては、発表された共同声明において、最高首脳レベルでの定期的な相互訪問拡大均衡原則に基づく実務関係推進必要性等を指摘しております。  さらに、二国間関係におきましては政治経済科学技術、文化、人道の各分野にわたる十五の文書が発表され、日ソ関係の幅広い発展方向性を示唆しております。特に、北方領土問題とともに戦後の日本の心の苦しみとなっていたところのシベリア抑留の問題については、ゴルバチョフ大統領宮中でのスピーチにおいて哀悼の意を表明するとともに、協定締結され、ソ連側からも多くの死亡者名簿が提出されたところであります。  国際情勢議論においては、日ソ関係正常化は、アジア太平洋ひいては世界の平和と繁栄に資すること、国連協力重要性と旧敵国条項意味を失っていることの確認、中東の戦後復興における協調重要性アジア太平洋地域における諸国家自主性の尊重、朝鮮半島、カンボジアにおける協力、なかんずく北朝鮮のIAEAの保障措置協定の速やかな締結の希望、アジア太平洋における広範な対話と交流の重要性と、自由と開放性原則のもとでの経済協力重要性等広範な諸点について意見の一致を確認いたしました。  このことは、日ソがその国力をもって国際場裏において果たしている役割を明確に反映したものと考えております。  以上、今次訪問日ソ関係の今後の発展に一定の刺激を与える意義を持ったところであり、政府としては、引き続き、北方領土問題を解決して平和条約締結し、日ソ関係正常化抜本的改善に向かって粘り強く努力を積み重ねていきたいと考えております。      ────◇─────
  4. 牧野隆守

    牧野委員長 次に、故李方子女史英親王妃)に由来する服飾等譲渡に関する日本国政府大韓民国政府との間の協定締結について承認求めるの件及び麻薬及び向精神薬不正取引防止に関する国際連合条約締結について承認求めるの件の両件を議題といたします。  これより両件について政府より提案理由説明を聴取いたします。中山外務大臣。     ─────────────  故李方子女史英親王妃)に由来する服飾等譲渡に関する日本国政府大韓民国政府との間の協定締結について承認求めるの件  麻薬及び向精神薬不正取引防止に関する国際連合条約締結について承認求めるの件     〔本号末尾に掲載〕     ─────────────
  5. 中山太郎

    中山国務大臣 ただいま議題となりました故李方子女史英親王妃)に由来する服飾等譲渡に関する日本国政府大韓民国政府との間の協定締結について承認求めるの件につきまして提案理由を御説明いたします。  政府は、日本国大韓民国との間の友好関係及び諸分野における協力関係発展に資するため、故李方子女史英親王妃)に由来する服飾等譲渡に関する日本国政府大韓民国政府との間の協定締結することにつき、大韓民国政府との間で交渉を行った結果、平成三年四月十五日に東京において、我が方本大臣先方呉熙特命全権大使との間でこの協定に署名を行った次第であります。  この協定の主な内容といたしまして、まず、我が国政府は、故李方子女史英親王妃)に由来する服飾等をこの協定効力発生後六カ月以内に大韓民国政府に対して対価なしに譲渡することとしております。また、大韓民国政府は、譲渡される服飾等両国間の友好関係及び諸分野における協力関係発展に資することとなるよう適切な措置をとることとされております。  平成元年四月にソウルで逝去された故李方子女史に由来する服飾装身具等東京国立博物館に保管されているもの二百二十七点がこの協定対象となっております。この協定締結によりこれらの服飾等大韓民国政府に対して譲渡されますことは、両国間の友好関係のみならず、諸分野における協力関係発展に資することとなることが期待されます。  よって、ここに、この協定締結について御承認求める次第であります。  次に、麻薬及び向精神薬不正取引防止に関する国際連合条約締結について承認求めるの件につきまして提案理由を御説明いたします。  この条約は、昭和六十三年十二月二十日に国連加盟国等の参加によりウィーンで開催された条約採択会議にて作成されたものであります。  この条約は、麻薬及び向精神薬不正取引防止及び処罰のための国際協力を促進することを目的としており、麻薬及び向精神薬不正取引処罰不正取引による収益等の没収、犯罪人引き渡し等について国際的な枠組みを定めております。  我が国がこの条約締結することは、我が国における麻薬及び向精神薬不正取引防止の一層の強化並びに薬物問題についての国際協力の一層の推進の見地から有意義であると認められます。  よって、ここに、この条約締結について御承認求める次第であります。  以上二件につきまして、何とぞ御審議の上、速やかに御承認あらんことを希望いたします。
  6. 牧野隆守

    牧野委員長 これにて提案理由説明は終わりました。     ─────────────
  7. 牧野隆守

    牧野委員長 ただいま議題となっております両件のうち、故李方子女史英親王妃)に由来する服飾等譲渡に関する日本国政府大韓民国政府との間の協定締結について承認求めるの件について審査を進めます。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。園田博之君。
  8. 園田博之

    園田委員 私は、日ソ首脳会談について大臣から御報告いただきましたが、このことについて質問をさせていただきたいと思います。  今、あらまし御報告いただきましたが、今度の日ソ首脳会談について、終わってみていろいろな論議があるようでありまして、率直に言って領土問題で、おいでになる前からいろいろな報道もありましたし、いろいろなムードといいますか、そういうものが国内にありましたので、領土問題について大した進展が見られなかったということで、実際、今度の日ソ首脳会談は何だったのかという、そういう気持ち国民の間には率直に言ってあるようであります。ただ、いろいろな見方の中に、何せ初めてソビエトの国家元首おいでになって、今までの数十年にわたる対立の時代から協調へ向かっての第一歩というか、そういう話し合いが持たれたので大変意義があるんだという見方ももちろんあるようであります。その辺について、大臣から御報告ございましたが、簡単に、今度の日ソ首脳会談の総括を、外務大臣がどのようにお考えになっておるのか、お聞かせをいただきたいと思います。
  9. 中山太郎

    中山国務大臣 今回のゴルバチョフ大統領の来日に伴う日ソ首脳会談は、国民の間に領土問題の解決に対する大きな期待があったことは否めない事実だろうと思います。しかし、会談そのものにつきまして率直に申し上げるとすれば、一九五六年の日ソ共同宣言によって、平和条約締結後に歯舞色丹を渡すといったような五六年の共同宣言というものは、具体的にこれが双方確認することができなかったという点は現実としてあったと思います。しかし、一九五六年以来両国間に積み重ねられてこられたいろいろな実績というものを踏まえて、これから領土問題の交渉を引き続きやっていくという考え方は、そこに文言として記載をされています。  もう一つ領土問題は、一時もうないんだ、一九五六年の日ソ共同宣言が、一九六〇年の日米安保条約の改定に伴って、ソ連側から一方的に破棄をされるという通告が来たわけでありますけれども、私どもは、国際条約上、両国批准されたものが一方的に否定をされるというようなことについては、日本政府としては納得ができないということも今回明確に海部総理から申しております。  ただ、今回の特徴として、領土問題が二国間との平和条約締結の上で問題として残っている。その領土問題とは歯舞色丹国後択捉、四島が領土問題であるということをこの共同声明に書いたということは、領土の範囲を明確化したものというふうに認識をいたしておりまして、今後の、領土問題を含めた日ソ交渉において、これが一つのベースになり得る、このように考えております。
  10. 園田博之

    園田委員 私は、日本ソ連との関係がこれから一つの道筋に乗っていくということは、これは当然国民全部が望んでいることでありますし、何よりもアジア太平洋の安定のためにも、今回の日ソ首脳会談一つの基盤となるようにこれから努力をしていかなければならぬと思っていることは間違いないわけであります。ただ、私は、今回の日ソ首脳会談を通じて最初からずっと考えておったのですが、基本的なところでややソ連姿勢といいますか、こういうものをもう少し明確にしてもらいたいなということがあるわけであります。  それは、その大前提なんですが、つまり、日本ソ連との関係というのはなぜ今まで対立していたのか。このことはもちろん双方にそれだけの理由があるわけですからそれでいいのですが、日本は戦後いろいろな国との国交を再開するときに、やはり過去のこと、特に第二次世界大戦までの戦争歴史の中で、そういうものを、過去のこととはいえやはりある程度整理をしていろいろな国々との国交を今まで続けてきているはずなんです。ある意味では、これは当然のことであるかもしれません。  日本ソ連との関係考えてみますと、第二次世界大戦が終わりました。そして、私たちがどうしても気になっているのは、終戦直後にシベリア抑留をされた何十万人という日本国民がおって、しかもそのうちの約一割の方が、六万人ですか、ここで亡くなっております。我々のはるか上の世代の方々でございますが、大変なことだったろうと思うのですね。ましてや領土問題も、これは明らかに日本古来領土だったものを強制的にソ連が占有してしまった。これは事実でありますからね。こういう問題に対して、これから平和条約を結ぶ前提として、ソ連代表者は、私は、過去のこととはいえ、国と国とのつき合いというのは人間人間とのつき合いとも基本的には同じでございますから、過去の歴史について率直に認め、そして謝罪するところは謝罪して、それから私は初めてつき合いというものが本格的にお互いを信じ合って始まるのだろうと思うのですね。  そういった意味では、大統領宮中でのスピーチで、外務大臣哀悼の意とおっしゃいましたが、新聞によるとこれは訳の仕方で場合によっては同情の念とかこういう表現で述べられた。大変私は物足りないですね。これは、私自身の問題というよりは、日本国民全体がこれからやはりソ連協調し合っていこうという大前提をつくるためには大変物足りない、こういうふうに思っております。この首脳会談を通じて、そういう点について日本政府としてそんなことをお求めになったのか。あるいはこれは今後の問題でもありますから、これからもこういういわゆる基本的な姿勢について追及といいますか、お求めになるお気持ちがありましょうか。
  11. 中山太郎

    中山国務大臣 第二次世界大戦の終結後、六十万人近い人たちシベリアの荒野で捕虜となった生活、その労役に服する中で、六万人近い方が亡くなられたということは、我々日本人の心の中に長くとどまって残るものでありまして、この国民感情が払拭されるというか、ソ連側がもう少し日本人の心というものを、心の痛みというものを理解されて、この亡くなられた方々を初め遺族、また当時の悲惨な思い出を持っている日本人に対して、率直にもう少し遺憾の意といいますか、陳謝というか、そういう気持ちをあらわしていただければ、心の中に残っていた日本人ソ連に対するわだかまりというかこの苦い思い出というものが払拭できたのではないか、私はそれだけは少しこの大統領の言葉に物足りなさを率直に感じたということをこの機会に明らかにしておきたいと思います。
  12. 園田博之

    園田委員 この問題は本当に抽象的なものであるかもしれませんが、非常に大事な問題でありまして、そういった意味日本政府としてもぜひ今後の交渉を通じて、ただすという言い方はおかしいかもしれませんけれども、注意していただきたいというふうに思っております。  それから、シベリア抑留問題が出ましたので、ちょっとこの点についてお聞きしますが、今度の日ソ首脳会談では、大まかにいいますと名簿を提出するとかあるいは現地での墓参について便宜を図るとかということが決まったように聞いておりますが、さて、具体的にこれからシベリア抑留者の問題、団体の方からは補償の問題についても要求が出ているやに聞いておりますが、この問題について政府としてどのようにお考えになっているのか、お聞きしたいと思います。
  13. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 お答えいたします。  シベリア抑留者に対する補償の問題でございますが、この問題につきましては日ソ共同宣言第六項におきまして、両国政府相互に、戦争の結果として生じました請求権をすべて放棄したという規定があるわけでございます。したがいまして、政府間の問題として、このシベリア抑留者の問題につきまして政府として補償の問題を提起するという道は事実上閉ざされているというふうに解釈いたします。
  14. 園田博之

    園田委員 共同宣言、確かにあるわけでありまして、ただ、今おっしゃった政府として請求権がないとおっしゃった意味が、意味があるのかどうか。これは、日本が逆に外国の方々にそういった意味での御迷惑をかけたらそれなりにそういう補償をしてきているんではなかろうかと私は思うのですね、我が国の場合。そういった意味では、団体のいろいろな当事者の方々が、金の問題ではなしに本当に償いというものを具体的な形にして、これから平和条約を結ぶ前提としてきちんと示してくれというのは当然の要求でありまして、その場合に、じゃ、果たして団体方々政府を通じなくてソ連政府交渉するという余地が一体残されているのかどうか、その辺もお聞かせをいただきたいと思います。
  15. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 私が先ほど政府としてはと申し上げた意味をもう少し敷衍させていただきますと、日本国民お一人、お一人が持っておられる当然の権利として、ソ連政府に対して直接補償求められるという道までも日ソ共同宣言第六項は封じたものではないというのが従来の日本政府解釈であるわけでございます。その場合に、政府としてその個人個人から出された個人的な請求をいわば外交庇護権を行使してこれを外交上の問題として取り上げるという道は閉ざされているわけでございます。しかしながら、個人個人が行動をとられるという道までもこの日ソ共同宣言第六項は封じたものというふうには解釈をしないというのが従来の政府立場でございます。
  16. 園田博之

    園田委員 余り時間がありませんので、この問題はこれ以上申し上げませんが、いわゆる共同宣言というのは、今欧亜局長がおっしゃったように、戦争に関する請求権の放棄をうたったものでありまして、場合によっては、シベリア抑留の問題は戦後起きた問題でありまして、私は必ずしもそれにとらわれる必要はないんじゃないかなという、私の個人的な見解なんですが、そういう気持ちもあります。また、これはさっきから申し上げておりますとおり、これからの日ソ関係を本当に友好的にしていくためには、私は場合によっては政府もその補助をするというぐらいの努力をすべきじゃないかと思うのです。ぜひその点を今後御検討をいただきたいというふうに思います。  それから、領土問題なんですが、私は、今度の領土問題で政府も自民党も野党の方々も、四島返還が出なければならないということで一致できたということはよかったと思うのです。事前にいろいろな報道なんかでございました段階的返還とかいろいろな話がございましたが、もともと我が国のものですから四島を返すのが当たり前であって、それを貫いたという意味では私は基本姿勢に誤りはなかったというふうに思っております。  ただ今度の共同宣言を見ておりましても、今後の問題、これはなかなか困難でもあるし不満だなと思うことが幾つかあるわけであります。特に、今大臣から御報告がございましたが、一九五六年の日ソ共同宣言について、ここには「戦争状態の終了及び外交関係回復共同で宣言した一九五六年以来長年にわたって二国間交渉を通じて蓄積されたすべての肯定的要素を活用しつつ」、こういう表現の中に共同宣言確認されたんだというふうに言っておられます。ところが、ゴルバチョフさんはこれを否定をしておられるというふうに新聞で報道しておられますが、その辺はどうなっておるのか。
  17. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 先ほど中山外務大臣からも御答弁申し上げましたように、六回にわたります首脳会談におきまして海部総理は、日ソ共同宣言日本とソビエト連邦との基本的な条約である、批准をされた条約である、最も基本的な日ソ関係を律する条約であるということから、法律論としてこの有効性についてはもう争う余地がないという議論を展開されたわけでございます。それに対してゴルバチョフ大統領の方からは、海部総理の法律論というものに対してはまともにお答えがなかった、一度もなかった。ゴルバチョフ大統領は、海部総理が詰め寄られれば寄るほど政治論、記者会見でいろいろお言葉が出ておりますけれども、チャンスは失われた云々の政治論で、確認をすることに最後まで応じなかったというのが実情でございます。したがいまして、その点の議論は最後まで平行線をたどったというのが実情でございます。  第二の点でございますこの共同宣言の第四パラグラフに、先生がおっしゃっておられる「一九五六年以来長年にわたって二国間交渉を通じて蓄積されたすべての肯定的要素」という文章がございます。これを活用してこれからの作業を続けるという点でございますが、この文章の文脈の解釈として当然一九五六年以来の肯定的要素、これはもろもろの外交文書がまず念頭にあるわけでございますが、そこに共同宣言、松本・グロムイコ書簡等が入るということは私どもはもう明白であるというふうに考えておるわけでございます。  ゴルバチョフ大統領はこの点につきましても明確に、ここに入るという確認はされなかったわけでございますが、最後までゴルバチョフ大統領日ソ共同宣言のあらゆる形での確認というものに応じなかった背景というものは、終始政治的な議論をされたということからも勘案いたしますに、やはり現時点でのゴルバチョフ大統領の置かれた立場からすれば、ソ連国内においては共同宣言確認即すぐに二島を返すというような受け取り方が一般的でありますだけに、この確認というものは政治的に非常に難しいことであったというふうに私は推測するわけでございます。議論は、そういう意味では最後まで平行線だったということでございます。
  18. 園田博之

    園田委員 今度の会談を通じて、ゴルバチョフさんのソ連国内の政治的な立場というものがいろいろなところに影響したように私は思いますし、そういった意味ではやむを得ないところもあったのかなというふうに思いますが、さて、今後この領土問題、私たちは当然四島一遍に返せ、こういうことになるんですが、どのようにしてお進めになるんでしょうか。
  19. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 共同宣言の中にもまさに、この過程を加速化させてできるだけ早く平和条約を結ぶことが両国間の第一義的な重要性を持つ問題であるということがうたわれたわけでございます。私どももこれを受けまして、平和条約作業グループという場、日ソ間の、今まで七回開かれました外相レベルの平和条約締結交渉という場がございます。こういう場を念頭に置きつつ、今回達成されました成果、特に四島一括返還という我が方の土俵にいわばソ連側がのってきた、つまり同じ共通の土俵というものがつくられたという意義は大きいだろうと私は思いますけれども、その土俵にのって、今までと同じ日本政府の四島一括返還という立場をさらに主張してまいるということであろうと思います。
  20. 園田博之

    園田委員 ぜひ四島、これは当然のことでありまして、正しい姿にきちんと戻して、これから本当に友好的にお互いに助け合っていきましょうやというようにすべきでありまして、今後もその姿勢はぜひ貫いていっていただきたいと思います。  海部総理大臣がソビエトを訪問するという話なども伝えられておりますが、どういう目的で行かれるのかどうかわかりませんが、ある意味ではそう慌てることなく、それは早い時期に平和条約ができることがもちろん目的ではございますが、領土問題を早く片をつけたいという気持ちの余り本来の基本姿勢を崩すことのないようにひとつ取り組んでいただきたいというふうに思っております。  この領土問題につきましてソ連側から、ビザなしで四島への往来オーケーだ、こういう提案があったようでありますが、この提案に対して、これも新聞なんかで読みますと、場合によっては、こういう提案をすることによって領土返還問題をうやむやにしようとしているんではなかろうかとか、あるいは往来ということは当然ソ連側もビザなしで場合によっては北海道あたりへ行きたいというようなことにもなるんじゃなかろうか、いろいろな憶測がされておりますが、この四島の提案のあった背景、この問題点についてどのようにお考えでしょうか。
  21. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 ソ連側の提案と申しますのは、この共同声明の第三パラグラフに書かれているとおりでございますが、この提案はゴルバチョフ大統領御自身から、緊迫したやりとりの中から一つの提案として突然出てきたものでございます。それ以上に具体的なアイデア、説明というものはございませんでした。したがいまして、私どもの方は共同声明に書いてございますように、日本側は提起された問題について今後さらに話し合おう、とりあえず今回は時期を置いてさらに話し合いましょうという態度で応じたわけでございます。  ソ連側がいかなる意図、いかなる目的を持ってこの提案を出してきたかというその背景、意図について私はここで憶測をすることは避けたいと思いますけれども、今先生が例示として挙げられました相互の交流、人の訪問という点について申し上げれば、従来から、例えば墓参の問題一つをとりましても、まさにソ連側はある時期におきまして、事実上北方四島にソ連が施政を及ぼしているということをいわば出入国という形で認めさせようということを要請した時期があったわけでございます。それに対しては私どもは基本的な日本政府がとり続けていた法的な立場を害するということで、一時墓参の実施ができなかったという時期がございました。昆布協定、昆布がとれなかった時期もございました。これはいずれも北方四島につきましての我が国の基本的な法的な立場というものを害してはならない、アリの一穴という言葉がございますけれども、そういう一つ一つの具体的な行動で崩すというようなことがあってはならないということが基本的な立場であったわけでございます。  今回もいろいろな御提案があったわけでございますけれども、私どもといたしましては従来と同じように、いささかも今まで主張してきた日本国の法的な立場というものを害することがあってはならない、今墓参方式というものが実際的な解決方法として、一つの知恵として実現しているわけでございますが、ああいう方式というものを念頭に置きながら、双方の法的立場を害さない何か実際的な交流の方策というものがないものかということで、これからソ連と実務的な話し合いを始めたいというふうに考えておるわけでございます。
  22. 園田博之

    園田委員 この問題は、特に四島に住んでおられた方々のお気持ちの問題もありますから、できることは速やかにやるべきであります。しかし一方では、その背景に問題が潜んでいるのであれば、やはり慎重に取り組みながら、ひとつそういう方々気持ちに沿うようにお取り計らいを願いたいと思います。  最後に、経済支援の問題でありますが、いろいろな前提条件が、今私が申し上げましたからこれはこれで解決しなければなりませんが、しかし、これが解決する間何にもしないというんでは、これは二国間のこれからの友好関係を築くためにもそういうわけにはいかないだろうと思うのですね。ただ私は、日本という国は大体が国との関係をよくするためにすぐ金を出すのだという目で見られるのは非常に残念なことでありまして、そういった意味でも金を出すということについては慎重になるべきだし、それからもう一つは、何といったって支援をすることがソ連のゴルバチョフさんが今一生懸命取り組んでおられる市場経済への移行、本当にそういう土台をつくるために支援をしなければならぬわけでありまして、そのことが日本だけではなしに他の国々にも大変な国際的な一つの力というものを日本が示したということになるわけであります。  そこで、私はソ連の経済というのは詳しくはないのですが、まあこれはだれでも考えることでしょうけれども、まず経済の仕組みの土台をきちんとつくらない限りは支援がむだに終わってしまうということもあり得るのじゃなかろうかと私は思うのです。そういった意味で、とりあえず今度いろいろな十五にわたる覚書を結んでおられるようですが、経済的にその土台をつくるための支援体制といいますか、そういうものを少しずつ、できるところからどんどん進めていくべきだろうと私は思うのです。それで今度の覚書の中身を見てもよく理解ができない部分があるのですが、そういった意味での今度決まったものというのはありましょうか。あるのだったら教えていただきたいと思います。
  23. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 海部総理ゴルバチョフ大統領に対しまして、ゴルバチョフ大統領がこの六年間進めてまいりましたペレストロイカの方向を日本としても支持したい、そのために技術的な側面においてできるだけのお手伝いをしたい、事実、昨年の九月以来相当のいろいろな実績がもうできておるということを申されたわけでございますが、それを受けましたのが先生御指摘の十五文書の中にございます、わかりやすく言えばペレストロイカの技術支援に関する協定でございます。  この中でかなり詳しく九つの分野というものを例示いたしまして、まさに先生がおっしゃったいろいろな基礎的な、基本的な問題について、ソ連側の要望に応じまして、日本側は日本側の過去の戦争直後以来の経験を生かしてお手伝いをするという取り決めが署名されたわけでございます。これを中核といたしまして、海部総理も積極的にソ連の経済の立て直しといいますか改革を支援したいという姿勢を示されたわけでございます。
  24. 園田博之

    園田委員 この問題も、私はこの前のゴルバチョフ大統領の国会演説を聞いておりまして、まだやや誤解がありはせぬかなという心配を一つしておるのです。というのは、この前の国会演説というのはゴルバチョフ大統領の国内における非常な苦悩というものがわかるような気がいたしましたし、率直にその点を訴えておられました。しかし一方では、この今のペレストロイカをよその国々も助けてくれなければ損だよ、こうおっしゃっているのですね。このことが世界の平和あるいは世界の繁栄につながることであって、これを支援しなさい、こうおっしゃっていたわけで、そういう意味ではよくわかるのです。  ただ場合によっては、いろいろな分野での交流が今始まっているのでしょう。双方が間違えちゃいけないと思うのは、まずソ連側は、ソ連という国は、国土は日本の六十倍ですか、非常に広い国土で、いろいろな資源がある、したがって、これに投資をすることが日本の経済界にとっても非常にうまみがあるんだろうぐらいのお気持ちがあるような気がするのです。これをまず捨てていただかなければならぬ。これは土台をつくるためにお互いの国が協力し合うということですからね。  一方、日本の経済界の方々も間違えてはいけないのは、そういううまみといいますか、よその国に対して投資することによってそれぞれの企業が何らかの利益を得るというような安易な気持ちでは、このソ連の経済を日本協力をして立て直すということはとてもじゃないけれどもできないと私は思うわけでありまして、そういう心配を私はしておるわけですが、ソ連側が私が言ったようなそういう誤解をしておられるという懸念はございませんか。
  25. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 先生御指摘のように、ソ連経済は大変困難な状況にあるわけでございますが、IMF等の国際機関の出したレポートを見ましても、まさに基本的な経済システムというものをきちんとしなければ西側がいかなる援助を考えてもそれが有効に活用されないということが一つあるわけでございます。それに加えまして、まさに今先生御指摘の点でございますけれども、日ソの間におきましては政治的な安定した基盤というものがまだできてない。それはどうしても平和条約を結ばなければできない。そういう安定した基礎がないということに対しての経済界のまた懸念というものがさらにあろうかと思うわけでございます。  いずれにいたしましても、基本になりますペレストロイカ、経済改革、基本的な問題につきましても既に経済企画庁の専門家等もソ連に行っていただきまして、マクロエコノミーの観点からのいろいろな診断もしていただいたわけでございますけれども、そういうことから、あるいは戦後労働生産性本部が日本で戦後復興に果たした役割というものを生かしてこれからも御協力するとか、いろいろな形のそういう協力をこれからも進めてまいりたいということを海部総理も強調されたわけでございます。  と同時に、やはり政治的に安定した基礎がなければ、ゴルバチョフ大統領が国会でも若干触れられあるいは財界との会談でもいろいろな具体的なアイデアを出されたわけですけれども、大規模な本格的な経済協力というものはそういう安定なくしては考えられないという点も強調されたわけでございます。
  26. 園田博之

    園田委員 さっきも質問しましたけれども、これは今おわかりになるのかどうかわかりませんが、今度の首脳会談で、そういった意味で具体的に経済支援について何か決まったものはありますか。
  27. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 今回の首脳会談におきまして、そういう面で具体的に合意されたものはございませんでした。
  28. 園田博之

    園田委員 具体的にどのようにこれから土台づくりのための支援体制をされるのでしょうか。
  29. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 基本的には、先ほど申し上げましたいわゆる技術的側面における支援というものを中核として考えてまいりたいということでございますが、あわせまして、だからといって日ソ間のいろいろな協力が進まないということでは全くないわけでございまして、共同声明の第五項にも書いてございますように、拡大均衡という従来の政府考え方に沿いまして、具体的な案件が出てまいりました場合にはケース・バイ・ケースで検討しながらこれも進めていくということでございます。  なお、食糧あるいは医療という面での緊急援助でございますが、これは既にかなりの部分が実施されているわけでございます。引き続き一億ドル輸銀融資の分の援助につきましては具体的な推進方をなおいろいろソ連側と打ち合わせていく必要があろうかと考えております。
  30. 園田博之

    園田委員 この問題こそ今後具体的に進めていく中で非常に大事な問題でありまして、これはODAなどの議論でも必ずされるわけです。多額のODAを出して、そのことが本当にその国のために生きているのかどうか、そういうことを出す側の日本でもう少し具体的に考えてやらなければならぬ、そういう議論がよくされる。まさにこれはソ連の場合にも当てはまると思うのです。  例えば今、政府一つの支援体制を組むと同時に、外国とのいろいろな経済支援が始まる場合には、当然民間ベースでの支援体制を期待しなければならぬ部分もあるのですが、今申し上げましたように、民間ベースで進める場合には日本の経済界が基本的に間違いを持ってはいかぬということが一つと、それから、そういった意味で私は、今の日本の民間の企業側から見たソ連への投資というのは、ある意味では率直に言って今の政治情勢を非常に心配すると思うのですね。そういった意味では、みずからがそう積極的に出ていくという情勢にないと私は思うのです。それだけに、この民間投資に関連してもやはり日本政府がリードをして、そしてこれは長い目で見て日ソ間の友好それから世界の経済の安定という意味ソ連を支援することはいかに大事であるかということを、これは官民一体となって進めなければならぬ問題であるわけであります。  そういった意味では、私はぜひ外務省が窓口になって、いろいろな役所もあるでしょう、そういうところと打ち合わせをし、またソ連側とも打ち合わせをして、具体的にできるところから一つ一つ詰めて、経済支援、いわゆる土台づくりのための支援ですね、いろいろなノーハウを提供して、場合によってはソ連に対して内政干渉に近いものになるかもしれませんが、これは経済だけの分野での一つ日本のやり方ですから、私は政治じゃなくて経済の仕組みをつくるために日本がいろいろなくちばしを出すということは決して失礼に当たらないと思うのです。私は、そういった意味ではもっと積極的に日本ソ連に対して市場経済体制の移行に対して具体的なプログラムをつくってやってやるぐらいの体制が必要じゃないかと思うのです。その点でのお考えはございますか。
  31. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 今度署名されましたペレストロイカの技術的な支援に対する協定というものが、まさに先生がおっしゃったような考え方に基づきましてできるだけの協力日本政府としてもいたしたいということで、この協定の第二条にはかなり具体的なことが書かれているわけでございますけれども、この協定の規定と精神に沿いまして、まさにゴルバチョフ大統領がなお意欲的に推進しようとされている経済改革にお手伝いをしたいというふうに考えております。
  32. 園田博之

    園田委員 いずれにしろ一つの大きなスタートが切られました。これは、本当に歴史的なことでもあるし、我が国のためにも、世界平和のためにも大きな課題でありますから、ひとつ力を合わせて取り組んでいくようにしていきたいなと思っております。  最後になりますが、この条約で今回は李方子女史服飾を日韓協定に基づいて向こうにお譲りをするということになったわけですが、経過は今お聞きしましたけれども、この服飾は、韓国にお返しをしてどのように利用されるのか、どのように日韓の友好に貢献するのか、ちょっと御説明いただきたいと思います。
  33. 谷野作太郎

    ○谷野政府委員 お答え申し上げます。  経緯につきましては先ほど大臣より御説明申し上げたところでございますけれども、韓国側とのやりとりの結果、韓国にこれが譲渡されました暁におきましては、ことしの十月に王宮遺物展示館というのがソウルにできるそうでございまして、そこにこの服飾等は納められて、常時韓国の方々の展示に供されるというふうに伺っております。
  34. 園田博之

    園田委員 質問を終わります。
  35. 牧野隆守

  36. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 それでは、外務大臣がいないと大変ぐあいが悪いのですが、時間の関係で、進めていきたいと思います。  まず最初に、李方子さん関係協定の問題に入りますが、アジア局長、あなたは李方子さんの「歳月よ王朝よ 最後の朝鮮王妃自伝」をお読みになりましたか。
  37. 谷野作太郎

    ○谷野政府委員 お答え申し上げます。  若干個人事になりますけれども、私が韓国に在勤しておりましたときに実は家内ともども親しくおつき合いをさせていただいておりました。先生のお持ちの本を私、見つけようとしたのですがなかなか見つかりませんで、別の本でございますけれども李方子様が御自分でお書きになりました、ここにございますけれども「流れのままに」というこの本を詳しく拝読いたしました。
  38. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 「流れのままに」というのとそれからもう一つ自伝と画集がありますね。だから以上三冊今あの人が出されているわけです。そうしますと、私は特にこの「歳月よ王朝よ」の方を少し丹念に読んだわけですが、私は今度の協定の提案の理由というのを大変不満に思うのです。それは、日韓の友好のためにということが頭から来ていますね。しかし、この方子さんの自伝を読みますとそんな簡単なものではないですね。そこにかかわるところを取り上げますと、戦後大変苦労されるわけです。家も売却しなければやっていけないというふうなことで、   税金が納められず、差し押さえになるたびに借金し、その額はつもりにつのってとうとう二千万円になった。その返済のために今度は四千万円借りる──借金はまるで雪だるまのように増えていった。毎月の約束手形も不渡りになり、結局、当時の時価で一億数千万円もする家を半分にも満たない額で売って借金を清算した。私たちは調布駅近くのこじんまりした家を五百万円で買い、安住の地と定めた。最後まで いいですか、ここからですよ。  最後まで大切に保管していた韓国皇后の大礼服は、上野国立博物館に保管してもらうほかなかった。   この宮中衣裳は、紺青の絹地に赤と青色の雉を十四、五組も刺繍した、宮中女性のもっとも華やかなてき衣と唐衣および礼服である。はじめて純宗皇帝と尹妃に拝謁するときにまとった思い出ふかい衣裳だったが、こんどの狭い家では保管が無理と判断し、博物館に保存を依頼したのである。   上野博物館は今でもこの衣装を大切に保管しているが、見学は一切ことわっている。韓国にはこのような宮中衣裳は保存されていない。なんとか里帰りさせたいものである。 こういうふうに言っていますね。  ですから、そうしますと、この協定の中にはその遺志も—─何といっても日韓併合の悲劇の女性なんですよ。そのことはもうこの中に綿々と書かれておりますし、晋殿下も七カ月で殺される、御自身は殺されたと、こう見ているのです。そして日本の権力争いに巻き込まれたということもお書きになっているわけです。そういう思いを込めたものを、まして、幼児服というのがあるから何でだろうかと思ったのです。これを読んだら出てきますね。晋殿下が七カ月で殺された。その方の幼児服になるわけです。  そうしますと、そういう思いを込めたものをただ表だけのことではいけない、やはりそのことは協定の中に入れるべきだったと私は思います。それは韓国との間の事情がどうなのかわかりませんが、しかしそういう思いがあっていいのではないか、こういうふうに思います。  外務大臣、李方子さんの自叙伝三冊あるのですが、これは読みましたか。
  39. 中山太郎

    中山国務大臣 自叙伝を三冊読んだということではございませんが、李方子さんは私がおりました大阪にもお住まいになったことがございます。そのお人柄等もよく存じ上げております。
  40. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 そこで、これは細かにいろいろこのこと自体を議論したらあれですが、その点はひとつ十分踏まえてその返還については考えてもらいたいということを申し上げておきたい。  それから、保管してもらった、こういうわけですから、その保管してもらったり寄贈したりというふうなことが協定にありますが、そんな生易しいものではなかった戦後の、そして李承晩政権からは大変ひどく扱われているわけですし、また、韓国人の登録をしたために日本側からは何の生活の援助ももらえなかったということもあるわけですし、日韓の併合という歴史の中の悲劇の女性、そういう方ですから、そういうことはひとつ思いを込めていただきたいということを申し上げておきたい、こういうふうに思います。  そこで、次は、同じく朝鮮問題に関連して申し上げます。  今の外務大臣日ソ首脳会談についての報告がございましたが、核査察の問題です。これは、日ソ会談でこういうふうに取り上げましたね。韓ソ会談でまた取り上げたということになりますと、朝鮮民主主義人民共和国の方は非常にこれに抵抗しています。大変難しい問題だと思います。これはまさに南北朝鮮、南北の会談、それから日朝の正常会談、それから米朝、近くまた北京で会談が行われると思いますが米朝、それで韓ソと、こうございます。そういうものが全部絡んでおる。そうしますと、これは、この問題がクリアされなければ日朝の国交正常化というのは行われない、こういうものなのかどうか、伺っておきたいと思います。
  41. 谷野作太郎

    ○谷野政府委員 私からとりあえず御答弁させていただきます。  御案内のように、二回先方と正式会談の場を持ちましたけれども、細かい理由は御存じのとおりでございますから省略させていただきますが、このIAEAとのいわゆる保障措置協定締結ということが、私ども日本としては日朝正常化に当たっては避けて通れない大変重要な問題であるということを累次先方に強く申し述べてきておるところでございます。
  42. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 外務大臣は。
  43. 中山太郎

    中山国務大臣 今アジア局長が御答弁申し上げましたが、私も同じような考えで、先般の日中外相会談あるいは日ソ外相会談においても、この核の国際査察ということがアジア及び日本にとって極めて重要な問題であるということを申しておりまして、これが解決されなければこの日朝問題というものはなかなか前へ進まないというふうに考えております。
  44. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 きょうですか、日韓外相会談が行われるのだと思いますが、新聞の報道によりますと、韓国の国連単独加盟を支持するということを日韓協議で表明をする、こういうことのように見ておりますね。そうしますと、この問題は、南北会談、それから、日韓、日朝というところでも、非常に複雑といいますか、困難な問題としてありますね。このことによって日朝の国交正常化というのは大変影響がある、こういうふうに思いますが、いかがですか。
  45. 中山太郎

    中山国務大臣 明日日韓の外相会談を開催することを予定いたしておりますが、日本政府考え方といたしましては、まず韓国側の考え方をよく聞いた上で日本政府の対応を決めるべきであると考えておりますけれども、基本的に申し上げれば、南北の首脳間で国連加盟問題についてはよく協議をされることが最も好ましい、こういうふうに考えております。
  46. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 アジア太平洋という問題を考えた場合に、北東アジアの軍縮という大きな方向に持っていくためには日朝の国交正常化というのは大変急がなければならぬ、南北の首脳会談というのが前進をすることを期待しなければならない。そして、複雑に今入り組んできておるわけですから、それだけに今外務大臣が言われた南北の首脳会談というものを十分見詰めて進めてもらうことを要請しておきたい、こういうふうに思います。  それでは次に、日ソ問題に入りますが、一九五六年の共同宣言締結した直後はこれを否定したわけですね。そして、一括四島ということに方針を変えた。しかし結局、ここにまた返ってきた。この三十五年間の歴史を振り返った場合に、私は、日本政府というのには非常に長期の戦略がなかった、こう思います。  これは中曽根内閣のときでしたか、私は中曽根総理とも少し予算委員会でやったこともございますが、日ソ共同宣言と松本・グロムイコ書簡というのは一体として考えなければいけないし、それをどうほぐし前進させるか、当初重光・グロムイコですか、このときには十八島の返還を要求したこともあるわけです。ですから、そういう変化をしてきているわけですけれども、なぜ長期の戦略がとれなかったのか。松本・グロムイコ書簡と日ソ共同宣言というのを一つ考えていけば、そこから道筋はあったと思うのです。しかし、あの日ソ共同宣言を否定した、一括四島に行った。それは、やはり米ソの冷戦、アジア安保の強化、そういうものの中でそういう方向をとったと私は思います。  だから、ドイツが東方外交を進めてやってきたやり方と日本日ソ交渉というのは非常に違うわけですね。その点、外務大臣、どうですか。つまり、今あなたは歯舞色丹返還は既成事実だ、国後択捉が本格交渉の実質対象だ、こうまで言っているわけです。違ったのですね。つまり、五六年の共同宣言、松本・グロムイコ書簡、そういうものと、今日あなたが歯舞色丹返還を既成事実で国後択捉が本格交渉の実質対象だ、こう言ったところの大きな食い違いはどこから出てきたのですか。
  47. 中山太郎

    中山国務大臣 一九五六年の日ソ共同宣言というものは国際条約上から見ても、両国でこれの批准が行われているということでございますから、このいわゆる共同宣言自体の有効性というものは、国際的な法律上から見ても十分あるというふうに私は認識をいたしております。  そのような観点から、歯舞色丹というこの二島の問題については既にそのときに解決済みという我が方の判断でございますけれども、我が方としては四島一括返還という考え方を従来堅持しておりますから、今回の交渉におきましても、日ソ間の領土問題としては歯舞色丹国後択捉という四島が存在しているということを共同声明に記入したという認識を持っております。
  48. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 それは認識であって、確約されたことじゃないのですよね。だから、共同声明の後大変胸を張っていたけれども、どんどん今訂正してきているわけです。こんな交渉ってありますか。そのことを細かに聞いておってもあれですから、ひとつお尋ねしますが、三月小沢・ゴルバチョフ会談というのがありました。あの当時の新聞を読み直してみますと、どうですか、二島返還、そして次はこうだ、二百八十億ドル、まあ紙面を飾りました。そして、ソビエトの方では領土を売るのかという議論が保守派からどんどん出てきた。だから、小沢・ゴルバチョフ会談というのは今度の日ソ会談を邪魔した、こういう結果に終わらせた。しかも、そのころから急速に落ちていくのですよね、ゴルバチョフの体制というのは。政権基盤というのはこの間でも急速に変化しているのです。どうですか。小沢・ゴルバチョフ会談というのが今度の日ソ会談に非常に障害になったと思いますが、いかがですか。
  49. 中山太郎

    中山国務大臣 この小沢・ゴルバチョフ会談というものは、いろいろと会談が行われる前に、今委員からお示しのように何百億ドル単位の話が載っておりました。私ども政府といたしましては、このような金額にかかわることは一切相談に乗っていないということを私はべススメルトヌイフ外相との外相会談の二日前に明確に記者会見で言っております。  私は、この両者の会談というものは日ソ関係発展させていく上で一つの契機といいますか、刺激にはなったと思いますけれども、具体的にどのような成果があったかということは、私は現在のところこれを明確に申し上げる立場にないと思います。
  50. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 進展しなかったのですよ。進展しなかったのだけれども、歯どめになってしまったんですよ。まあつらいでしょうからそれをこれ以上言いません。  ソ連の代表団に同行してきたドイツの記者の書いたりしゃべったりしていることを読みました。今のゴルバチョフ政権ならドイツの統一に断を下せなかっただろう、こういうふうに言っております。そのとおりだと思いますね。うなずいているから、そのとおりだと思います。そうしますと、私は、一年前に日ソ首脳会談が行われていたら非常に違っていた、こう思います。いかがですか。
  51. 中山太郎

    中山国務大臣 一年前に日ソ首脳会談が行われておったら変わっておったかもわからない、それは変わっておったかもわかりません。過去を今振り返ってどうかということを現時点で申すわけにはまいりませんが、少なくてもソ連の政治事情というものは今日の状態とは全然違った条件にあったと思います。
  52. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 イフはない、こう言われますけれども、そうしますと要するに日ソの長い─—つまりドイツは緊張緩和、それはさっき言ったわけです。七〇年代のプラント政権が東方外交を進める、これは前にもこの委員会で私はやりました。そして、ハルシュタイン原則やなんかを乗り越えていったわけです。さらには、ポーランドとは教科書の見直しもやっていたわけです。そういうものを積み重ね、そして独ソの首脳会談は何遍も何遍も開かれてきたわけです。この三十五年間、何回ですか、日ソは。鳩山、田中、そして今度ですよね。だから、日本の場合には領土が返ったら緊張緩和、だから戦略が違ったのです。戦後同じ運命にあった日本とドイツの戦略が非常に違ったということをあなたはお認めになりますか。
  53. 中山太郎

    中山国務大臣 戦略が違ったと申しますか、問題は国境の画定が時間的に極めて大きな差があったと思います。ドイツとの間では、一九七〇年代ドイツは国境を既に画定した上でソ連との外交関係を強化していった、日本の問題は、領土問題がまだ国境線が画定されていないという状況の中で推移してきたという、この二つの国の対ソ外交というものの基本には、国境線の画定の時期に極めて大きな差異があるという認識を私自身は持っております。
  54. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 ドイツは分裂国家の統一ですよ。こっちは領土の返還ですよ。私は、もっとドイツの方がより困難だったと思う。しかし、それを一つ一つ丹念に、つまりヨーロッパのドイツということで不安を与えないような状況をつくり、緊張緩和を進め、そしてドイツの統一がヨーロッパの東西の大きな変化の象徴になるように、それで今はヨーロッパは敵のいない安全保障を議論をしておる、そういう段階に来ておる。日本は、おくれておる。アジアは違う、違うということできた。しかし結果は、三十五年間して共同宣言にも返れなかった、確認できなかった。一方的に言っているだけなんだ。大変な違いがあるじゃないですか。違いを認めますか。
  55. 中山太郎

    中山国務大臣 ドイツと日本との戦後のいわゆる対ソ外交の違いというものは明確に存在していると思います。
  56. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 そこで、ゴルバチョフ氏が一九八五年に登場してきた。当時ロンドンに勤務をしていた外務省の人から直接私は聞いたんですが、そのときにあの超保守のサッチャーさんがゴルバチョフを信用できるというふうに見た。そしていろいろとあります、いろいろとありますけれども、支援もしてきた。そのときに驚いた、その大きな、つまり先見性というか、そういうことに驚いたということを述懐しております。直接私は聞きました。  日本はどうだったか。日本はそれを読めなかった、あるいは読まなかった、読もうとしなかった。そうでしょう。だからウラジオストク演説にしてもクラスノヤルスクの演説にしても、つまり日本に向かって演説をしているんだけれどもそれをまともに見なかった、見ようとしなかった。いかがですか。
  57. 中山太郎

    中山国務大臣 私は、率直に申し上げてソ連の関心はアジア太平洋よりもヨーロッパにずっと向かっていたと思います。従来の過去二度にわたる世界大戦はすべてヨーロッパが大きな一つの震源地になっているということから考えると、ヨーロッパの平和を構築するためには、ヘルシンキ会議以来ヨーロッパ、ソ連も含めて関係国が随分双方努力してきて今日の成果が見られたと私は思っておりますけれども、残念ながらアジアにおいてはそのような関係は構築されていなかった。  なるほど委員御指摘のように、クラスノヤルスクの演説にしても、ウラジオストクの演説にしても一つ方向性を示していることは私は率直に認めたいと思いますけれども、これがこれからのアジア太平洋においてどのように各国が協力しながら一つの目標に向かっていくかということについては、しばらくこれからの流れを見ていかなければならないと私は考えております。
  58. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 ソビエトが戦後の冷戦体制を変えていく、壊していくというためには、アメリカが第一であるということですよね。それからその次は、ドイツを含むヨーロッパです。まさにそこは変わっていったわけです。しかし、去年予算委員会で私が国際情勢をやりましたときも、防衛庁は私の発言に対して名指しで非難をするほど潜在的脅威というものを消すことにはやっきになって非難をしてきたわけですよ。だから、歴史の方向を見てないのですよ。そうでしょう。  だから、あなた、今一年早かったら違っただろうということを言われた。一年早かったら違っただろうということをどうしてできなかったか。日本がその条件をつくらなかったか。だから、相手が変わらぬから、相手が変わらぬからと言うけれども、両方がなきゃ変わらぬのでしょう。両方が変わらなきゃ進んでいかぬわけですよ。相手が変わらぬ、相手が変わらぬ、相手が変わるまで待っとると言うからこういう状態になる。  そこで、具体的に検討してみたいと思いますが、八六年の九月クラスノヤルスクの演説が行われた後、これは今振り返ってみますと、当時ブレジンスキー氏はソ連の対日変化ということを言っているのですよ。「米国のブレジンスキー元大統領補佐官が朝日新聞との会見で「ソ連は北方領土日本に返還することによってソ連側にはどのような見返りが期待できるか、という現実的な計算を念頭に置き始めたようだ」と述べたことについて、「ブレジンスキー氏が何がしかのソ連側の感触を得てのことか、彼の歴史観に基づく発言かはっきりしない」」、それで「外務省は慎重な見方」、こうなったわけです。  それは本委員会でも前にも取り上げました。宇野外務大臣が十一月の外務委員会で、ペレストロイカが我が国との関係において評価し得るかどうかということになりますと、まだ具体的にそうしたものが出ておらないというのが現状です、こういうふうに言っておるわけですね。そしてさらに、「従前のソ連の主張の繰り返しのごときものではなかろうか、かように私は思っております。」これが宇野外務大臣の六十三年十一月の本委員会における答弁ですね。だから変化を見ていないのですよ。  それで、ブレジンスキー氏はそういうふうに言った、しかし日本の外務省は慎重だ、外務大臣自身がこういう判断をしておる。だから日本の、つまり外交担当の最高責任者はそれを読めなかったということでしょう。あるいは読もうとしなかったか、読まなかったのか、読めなかったのか。今日のこういう結末というのはその長い歴史の中にある、そのことを考えなければだめですよ。どうですか、どう反省しますか。
  59. 中山太郎

    中山国務大臣 反省という言葉をそのまま使わせていただくわけにはまいらないと思いますけれども、日本の対ソ外交というものは、御案内のように、米ソの対決が続いた一九六〇年代、七〇年代からずっと日米安保というものは我々の安全保障上存在しているわけですから、この問題が一九五六年の日ソ共同宣言にも一つの影を落としたことも事実であります。ソ連側が一方的にこの無効を宣言してきたわけですから、日米の安保条約の存在というものは、その当時はソ連外交にとって好ましくない存在であった。今日では日米安保条約の存在は十分肯定的に見ているということをソ連政府の責任者が私どもに直接言っております。  そういう中で、現実的にこの日ソの経過を見てみると、やはりソ連日本に対する関心を十分持っていなかったのではないか、私は現実問題としてソ連の目はヨーロッパに相当集中していたと思います。私どもはいろいろと外交チャネルを通じて、例えばG7の国々の外相との協議においてもいろいろと北方領土の話も現実にいたしております。あるときには北方領土問題は肯定するという印象を私どもがつかんだこともございました。しかし、去年のいわゆるペレストロイカの不透明さ、不確実性が増してから、非常に関係している国々は、ソ連外交の難しさというものが内政に起因しているということを十分私どもにも指摘をいたしております。  そういう面から考えまして、不幸な戦後の歴史ではございましたが、これから日ソ関係というものは、初めて大統領日本訪問するということが実現したわけでございまして、これから積極的に交渉するに際しても一つの転機が来たものと私は認識をいたしております。
  60. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 答弁になってないのですよ、しかし、やったってこれはかみ合わぬでしょう。  その当時は、竹下首相も、従来のソ連の基調に大きな変化は見られない、総理大臣外務大臣というものがそういうふうに見ているわけですね。だから、一年早かったらと、こうあなたは言われたが、そこに持ってこれなかったということの日本政府世界の情勢の見方、つまり日本がどうするか、日本アジアの情勢をどう変えていくか、日ソの間の条件をどう変えていくかということについて、日本自身が大変受け身であったということを私は指摘をしておきたいと思います。  そこで、ではこれからどうしたらいいのかというのが、この委員会での議論でなければならぬ、こう思っておるのです、ほじくるのが委員会の役割だと思いませんから。そうしますと、私は四つ挙げられると思います。第一には、ソ連国内の民族問題の解決、第二には、これは岡田委員が後でやるかとも思いますが、四島住民の説得の問題、今知事初め非常にいきり立っていますから四島住民の説得、三番目には、ソ連のゴルバチョフ政権の強力な政権基盤の構築、そして四番目には、北方四島の戦略的価値が、北西太平洋の安全保障に強い関心を抱くソ連軍部や保守派の説得、私はこの四つだと思いますね。  四島返還のためには、ただ領土を返せ、返せと言ったって返らぬことは今度わかった。そうなったら、どうして条件をつくるかでしょう。条件のつくり方に、日本政府は何をやるかというのが今検討されなければならぬわけですから。そうしますと、今私が四つ申し上げましたが、私は大きな道筋だと思います。外務大臣の見解を伺いたいと思います。
  61. 中山太郎

    中山国務大臣 今委員がお示しのこの四つの問題点、民族問題を解決していくこと、これは率直に申し上げてソ連の内政問題でございまして、日本がこれにいわゆる政治的に影響を及ぼすということは不可能だと思います。  もう一つは、四島住民の説得、これは四島の住民との交流が盛んになるということによって、彼らの認識日本に対して変わってくる可能性が非常に高いだろうと私は思います。  もう一つは、ゴルバチョフ政権が強化されることが必要だという御指摘でございますが、日本政府はゴルバチョフの掲げるペレストロイカの正しい方向性というものを支持して、今回も十五項目にわたる協定締結したわけでありますから、これを積極的に推進をしていくということが、ゴルバチョフ政権のペレストロイカの方向性を支持するということの裏づけになっていくだろうと思います。  それからあとは、四島の安全保障問題、この問題をめぐりましては、日本ソ連だけの問題では片づかない。これはやはりアメリカとソ連関係、こういう問題が現実にあるわけでございますから、そういう中でのいわゆる軍備の削減あるいは緊張の緩和ということに我々が努力をしていくようなことが必要であるという認識を持っております。
  62. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 今言われましたように、一、二、三は日本でできることじゃないのですね。日本の応援の仕方もありますけれども、かかわり方もありますが、これはゴルバチョフの方の問題ですね。その第四が特に日本のかかわる問題、そしてそれは、国会の演説でもゴルバチョフ大統領は日米ソの会議を言っておりますね。それから、日米中ソ印の、この印がどうして入ってきたかよくわかりませんが、五カ国会議を言っておりますね。  そうしますと、日米ソの会議、それから日米中ソ印の五カ国会議というものを、つまり今あなたも四をお認めになった。だから、四の戦略的価値をどう減らしていくか。今度は軍備を少し縮小するということは、私はいいことだと思いますね。これは全面的に撤退してもらわなければいかぬ。そうすると、国会の衆議院本会議場における演説で日米ソと今言われましたが、いわゆるアジア安保というものについて三者、つまり日ソだけではありません、私もそうだと思います。そうしますと、日米ソのこの問題解決に向かっての会議というのを、どういうふうに構想しておられるのか。どういうふうに受けとめておられ、どう構想しておられるか、外務大臣の見解を伺いたいと思います。
  63. 中山太郎

    中山国務大臣 この日米中ソ印という考え方については、私はまだ時期尚早であるという考え方を持っておりますけれども、日米ソの問題について、まず第一に米ソの緊張緩和、近く首脳会談が再開されるというふうに聞いておりますけれども、この大国同士の話し合いというものが進展をするという中で、私ども日ソのトップの関係も、これから会談を持つ機会を多くして、それぞれが協議をする場をつくっていく、あるいは日米の間でもいろいろ協議しております。そういう中で、環境の熟するように努力をしていくということが当面必要なのではないか、私はそのように考えております。
  64. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 日本自身が日米ソの中で、アジアの緊張緩和、これは朝鮮半島もあればカンボジアもある、しかしそこも非常に変わってきているわけですから、そうしますと、朝鮮半島とカンボジアについて日本が主体的にどういう役割を果たしていくかということが大変大事ですし、そのためには日本自身が、つまり日米という枠組みから場合によっては外れる、そういうぐらいの大きな一歩がなければ、つまり米ソのアジア太平洋における核軍縮ともかかわってまいりますから、これはなかなか困難だ、アメリカの方はそれを変えようとしないということでありましたならば、またこれは時間がかかっちゃう、こういうことになりますね。  どうですか、そうしますと、領土問題の解決に至るそういう道筋というのは、外務省の高官というのは、だれなのか知りませんが、十年以内には、つまり二十一世紀までには、こういうことを言っておりますが、そんなものですか。
  65. 中山太郎

    中山国務大臣 私は率直に申し上げて、日ソの間でも協議をする場合に、いわゆる国際問題を議論するときには、北朝鮮の問題、韓国の問題、中国の問題、アメリカの問題、いろいろと日ソ間でも話し合いが行われておりますし、日米の場合でもそのようなことを絶えず外相レベルでも協議をいたしております。それで、我々は米ソのSTARTをめぐるサミットがいつ行われるかということについてもソ連にも聞くこともございます。そういうふうにしていろいろと数多く接触をすることの中で、新しい一つ歴史というものが始まっていく可能性は十分ある。  そういう意味で、私はベススメルトヌイフ外相ともいろいろな問題を協議しておりますし、そういうことがやがてアジア太平洋の安全保障の問題の協議の場をつくっていく一つの過程、その中にはやはりカンボジア問題とか朝鮮半島問題の一日も早い解決という問題がソ連にとっても重要でありますし、中国にとっても重要である、日本にとっても重要である、アメリカにも関係がある、委員の御指摘のとおりだと思いますが、そのような話し合いを絶えずやることが極めて大切であるという認識を持っております。
  66. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 日ソの間で安全保障に関する会議を何かつくるわけですか。どういう形でつくるのですか。
  67. 中山太郎

    中山国務大臣 日ソの間には既に政策企画協議というものが発足をいたしておりまして、ソ連側日本側もこの会議重要性と価値を十分認識をいたしております。今年の後半に第二回を開くことになっております。その段階になりまして日ソで協議をして、さらにそれを拡大していくかどうかということについて、どういう形をとれば好ましいかという協議をするということが現在考えられております。
  68. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 そうしますと、きのう海部首相が各党の党首─—欧亜局長、何か違うの。違ったら後で訂正せぬように言ってよ。何か違うのですか。
  69. 中山太郎

    中山国務大臣 政策企画協議の第二回の会合が今年後半という時期を指定しましたけれども、時期を後半という指定は、この際訂正をさせておいていただきたいと思います。引き続き協議をすること自身は日ソ間で合意が行われております。
  70. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 きのう各党の党首と首相との会談が行われましたが、そのときに海部首相が、日ソ共同声明から一歩も出ない段階で訪ソするのはいかがか、これは総理が認めたわけですね。早急に中山外相をソ連に派遣し声明の中身が前進できる状況をにらみつつ訪ソを考えたいということになりますと、ここで出てくる問題は、私は、次の日ソ首脳会談というのは非常に大事なあれになるかなと思ったら、非常に後退しちゃったのですね。そうすると、七月中旬のロンドン・サミットの後訪ソして日ソ首脳会談を、こういうふうにずっと新聞に報道されておりましたけれども、これは今白紙に戻っている、あなたが行って話をしてそれから決める、そういうことですか。
  71. 中山太郎

    中山国務大臣 具体的な日時をまだ決定しておるわけではございませんけれども、次に日ソ間の外相協議を持ちたいというふうに今話をしております。
  72. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 いや、だから、首相の訪ソはどうなるのか。これは本当は総理に聞かなきゃいかぬことですよね。総理に聞かなきゃいかぬことだけれども、ここにいないのですから、一番大事なあなたに当然打ち合わせもあるだろうと思うから─—それは知らない、全く知りません、それは総理のことですというならそれでもいいのですよ。だから、それを聞いているのですから、そこを答えてください。
  73. 中山太郎

    中山国務大臣 日ソ外相協議において首脳間の協議をいつ設定するか決定をいたすと考えております。
  74. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 大体あなたがいつごろ行かれるのかが一つ。それから日ソの外相会談の課題は何ですか。
  75. 中山太郎

    中山国務大臣 時期といたしましては、この夏を一応考えております。あくまでも予定でございますけれども、そのような時間帯ではどうかというふうな考え方を持っております。  課題は何かということになりますと、今回のいわゆる首脳会談において協議されたいろいろな問題点、また協定についてのその後の推移、それからこれからの新しい日ソ間の問題等についていろいろと協議をいたしてみたいと考えております。
  76. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 どうも今の訂正やら何やら見てみますと、今度の共同声明のどこがどうなのかということ、いろいろ疑問が出てきた。それを今度行って解釈を決める、そんな会議になるのかなと思うと、これは本当に寂しいですよね、やっぱり前進してもらわなければいかぬわけですから。  本当は、冒頭に御苦労さんということを言うべきだったのですが、本当に御苦労だったと思います。その点については、外務大臣総理や外務省の皆さんの御苦労には敬意を表します。敬意を表しますが、要するにこれは大変長い経過があってここに来たわけですから、そういう意味では大変寂しい思いはいたします。  そこで、要するにゴルバチョフ政権というのが今非常に危ないというか非常に厳しい状況にあるわけですが、いろいろな報告から見ましても、ソビエトの石油の情勢というのは、今世界一の石油の輸出国ですけれども、これが九三年ごろには輸入国に転落する、これはもう中東とも絡む問題でして、全世界の問題ですね。そうなりますと対ソ金融支援、その他IMFにしましてもG7にしましても、いろいろなところでいろいろ議論されていますね。あるいはこの間、欧州復興開発銀行でもいろいろなことを議論されていますけれども、これは世界的な問題として取り組まざるを得ないというせっぱ詰まった国際情勢並びに世界経済の大きな課題だと私は思います。  そこで、ソビエトのそうした石油や天然ガス開発のための支援は私は積極的にやるべきだ、それはアメリカと打ち合わせて当然結構だと思います。それをやらなければいかぬと思います。その点についてはいかがですか。
  77. 中山太郎

    中山国務大臣 今までソ連は石油の輸出国でございましたが、輸入国に転落をする時期が近づいてきている、こういうことで、昨日実はIEAの事務局長が来られまして、六月上旬に開かれるIEAの会議の中身についていろいろと協議を事前にいたしました。その中には、ソ連の石油問題、ヨーロッパのエネルギー問題というものが当然議題として今度は出てくる、こういう中で、私どもは全体的に見て、ソ連の石油の生産量が落ちてきて国内の消費が必要なものが不足するといった場合に起こってくる湾岸の産油国の問題、国際経済に及ぼす影響、そういうものを考えると、この問題については真剣に協議をしていかなければならないという認識を私自身は持っております。
  78. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 どうするのですか。
  79. 中山太郎

    中山国務大臣 六月の初旬に開かれますIEAで、この問題についても関係国と一緒にいろいろと協議をいたしたい、このように考えております。
  80. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 国際的に今いろいろと、だめだ、だめだというのでどんどん手を引きつつありますけれども、そのことが大変大きな破局を迎えるということになってはならない、こう思いますし、日ソ領土交渉にもこれは悪い影響を持ってくるわけですから、そういう意味で積極的にイニシアチブをとってもらうことをお願いをしたい、こういうふうに思います。  最後に、湾岸戦争についてちょっと触れておきたいと思います。  私は、この湾岸戦争の停戦後すぐの本委員会で、アメリカ・多国籍軍は戦争に勝って政治に負けるということを指摘しました。あなたは別に反論はありませんでした。残念ながら今はそういう方向にだんだん深まってきているのじゃないか。一日千人ずつクルド難民は死んでいるのですね。これは戦争がもたらしたのですよ。残念ながら戦争がもたらしたということを考えますと、しかも第二次大戦後最大の難民ですね、二百万ということでございますから。それで、ニューズウィークは、これは日本版ですが、「読みを誤ったブッシュ」ということで、フセイン政権との問題が非常に絡みますけれども、「ブッシュには、もはや選択の余地はない。武力でフセインを打倒する道はブッシュ自身がふさいでしまった。あとは、開戦前にあれほど軽視していた経済制裁の効果を待つしかない。」私たちは、だから武力行使はだめだということを言ってきました。  原油流出によります海鳥が二万羽死ぬ、ジュゴンは出産期を迎えましてこれも多数死ぬだろうと言われている地球環境の破壊、そしてクルド人の悲惨な姿、これは戦争がもたらしたのですよね、残念ながら戦争がもたらした。としますならば、経済制裁でいくべきであった、そういう道が、今このニューズウィーク自身がそういうふうに言って、経済制裁の効果を待つしかない、こういうことを言っております。  そこで、日本政府は国際貢献ということで、二十億ドル、二十億ドル、九十億ドル、と百三十億ドル出しました。五百人の自衛隊、掃海艇をあしたごろ出すわけですね。ところが、クルド難民救済については、今十八名の国際緊急援助隊の医師、看護婦が行っているんですね。私はこの十八名の人たちの報道を見て、大変な御苦労をしているなと感謝します。  時間が終了したようですが、一言。これを見ますと、高等弁務官の緒方さんがお見えになって今週ようやく全部ひっくるめて一億ドル。百三十億ドルと一億ドル、これは大変な開きですね。私は医師の派遣その他にしましても──今中国が掃海艇の派遣に、大きな記事ではありませんけれども厳しく指摘をしている。きのう韓国の放送記者の会長さん、名前はちょっと控えを忘れましたけれども、日本はトラブルメーカーだ、こう言っているのです。東南アジアの意見を聞きなさい、こう言っているのです。だから私は、歴史の教科書の見直し、あるいは戦後、戦争の公的な謝罪、そういう問題についても、海部首相が東南アジア訪問するに当たって、その基本的な姿勢総理から聞かなければいかぬことでございますが、問いたいと思っておりましたが、時間がありませんのでこれで終わりますけれども、海部首相は東南アジアに行くに当たってはこのことを深刻に腹に据えて回ってもらいたい、私はこう思います。もし外務大臣として言えることがあったら言ってください。
  81. 中山太郎

    中山国務大臣 クルドの難民につきましては、委員も御指摘のように緒方高等弁務官が来られて、私もお話をさせていただき、日本政府としても早急に追加支援を決定するということをお伝えしております。  なお、掃海艇の派遣問題については、何しろ足の短い船でございますから、派遣をするということになりましても直行するわけにはいかない。いずれにしてもアジアの国々にお世話になりながら行かなければならないということで、外交ルートを通じて相手国にもいろいろと協力求めております。海部総理がASEAN訪問につきまして日本考え方というものを十分相手の国の方々に理解をいただくようにお話をされることを私も期待をいたしております。
  82. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 終わります。
  83. 牧野隆守

  84. 上原康助

    上原委員 非常に短い時間ですので簡単にお尋ねします。  実は、私は別の問題をお聞きするつもりでしたが、今話がありましたが、掃海艇派遣について外務大臣の見解を改めてただしておきたいと思うのです。これは、防衛庁も来てもらわにゃなかなか議論のしにくい、しにくいというか議論できない点ですが、十分ですから……。  見切り発車であさってにも派遣しようとしているわけですが、確かめておきたいことは、補給艦を含めて六隻派遣しようとするわけですが、ペルシャ湾岸における機雷の存在あるいは日本側が担当する海域というか等々はどうなっているのか。果たして機雷除去という必要性というのか、どのくらい機雷が敷設されておって、これまでにどれだけ除去されて現在はどれだけ残っておって、無理して日本側が今掃海艇を派遣しなければいかない根拠というのがあるのかどうか。そういう確かな情報収集というのはどこがやっているのか。今外交ルートを通していろいろやっておられるというわけだから、少なくともその点は外務省も知っていると思うのだが、その点はぜひ明確にしておいてください。
  85. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 ただいま先生から何点かのお尋ねがございましたけれども、最初にまず、ペルシャ湾におきます機雷の状況でございますが、これは私ども、これまでも既に、例えばあの海域で掃海に従事しております国等から外交ルートを通じて情報収集等をいたしております。その結果、湾岸危機の間にイラクがあの海域に敷設した機雷というのが大体千二百個足らずというふうに承知をいたしております。これがペルシャ湾の北西部に敷設をされておるということでございます。これまでの掃海の結果そのうちどれだけが除去されたかということでございますが、私ども、現時点で確認をできますのは、三月末の時点で三百個程度が処理をされておるということでございます。  それからほかの点、例えば実際に派遣が決定されて派遣をいたしました場合の現地での作業の状況その他につきましては、これは一つにはまだ決定が行われておりませんし、それからむしろこれは防衛庁の問題というふうに考えます。
  86. 上原康助

    上原委員 そんな不確定な言い方では、どうでしょう。千二百個というのも非常に不確定ですね。外務大臣は、前には千個程度と言ったのです。今三百個残っているの、三百個除去されたの、どっちなの。はっきりさせてください。
  87. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 敷設された数は千二百個弱でございまして、それから、先ほど申し上げた三百個というのは除去された方の数字でございます。
  88. 上原康助

    上原委員 それも全然違いますね。外電なんかは、これまでに七百三十個以上あるいは八百近くは既に除去されている、あと三百しか残っていないという報道だってある。おとといだったか、いろいろ報道しているものを見ると、日本の艦艇が行くまでにはほとんどなくなるだろう、アメリカ側でさえそういう情報もあるのですよ。  一体なぜ、外務省も防衛庁もそういうしかとしたものを確かめずに超法規的にこれをやろうとするのか。外務大臣大臣も安全保障会議の有力なメンバーでしょう。与党内でも、いろいろ無理な点があると言っているじゃありませんか。海上自衛隊行かそうとしたら拒否した人さえいるんじゃないですか。なぜそんなに無理してこれを今派遣しなければいけないということになるのか。その点は今後の大きな論議に発展する可能性があるだけに、改めて大臣の御見解を聞いておきたいと思うのです。
  89. 中山太郎

    中山国務大臣 この掃海艇派遣問題につきましては、外務大臣としては、まず戦争状態がないということが原則でなければならない。そういうことで、湾岸周辺地域における戦闘は国連の安保理の決議によって終戦宣言が行われたということで、戦争にかかわらないということが一つ確立をされているというふうに認識をいたしております。  なおもう一つは、公海上の機雷の排除について、掃海艇というのは御案内のように足の短い船でありますから、日本から真っすぐペルシャ湾に無寄港で行くというわけにいかない。そうすれば、アジアの国々の港に寄って、そこでさらに航行を続けるということになるわけでありまして、アジアの国にも、戦争を目的にしない掃海艇の派遣であるということの外交ルートを通じての説明、また、その寄港の許可、こういうことは相手国の政府が同意しなければできないことでございますから、そういうことについて外務省としては現在努力をし、ほぼ相手国政府が理解を示しているという状況にあるというふうに考えております。そういうことで、あくまでも平和目的でこの派遣が行われることであるということを御理解いただきたいと思います。
  90. 上原康助

    上原委員 これはいろいろ議論しなければなりませんが、戦争状態でない、交戦地域でないと言っても、我が国の自衛隊を武装集団として集団を組んで派遣するというのは、それは海外派兵なんだよ、あなた、どう皆さんが詭弁を弄しようが。それを法的にも十分な議論がなくしてやろうというところに問題があるのですよ、外務大臣。  それで、今、大臣、あなたは、公海上における掃海作業をすると、これは間違いないですね。カフジ周辺というのは、一体相手の領海とかそういうことには関係ないのか、あくまで公海上における掃海作業なのかどうか、この点も明確にしておいてください。
  91. 中山太郎

    中山国務大臣 公海上はもちろんのこと、相手国の政府の要請あるいは了解があればその地域の掃海も行い得るものと考えております。
  92. 上原康助

    上原委員 了解があれば相手国の領海内の掃海作業もするということですか。
  93. 中山太郎

    中山国務大臣 相手国政府の了解がなければ行わないということであります。
  94. 上原康助

    上原委員 それともう一点確かめておきたいことは、確かに足が短い云々言っておりますけれども、どこどこへ寄港していくのですか。どこどこの了解を今取りつけてあるのか。あさって行こうとするなら、その点さえも明確にできないというのは、これは何をか言わんや、そんな中途半端な言い方じゃだめ。
  95. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 私どもこれまで内々、まだ決定前ということで関係国といろいろ接触をいたしておりますけれども、具体的にどこに寄港するかという点につきましては、第一にまず、最終的にまだ決定したわけではございませんし、諸般の事情がございますので、具体的に申し上げるのは差し控えさせていただきたいと思います。
  96. 上原康助

    上原委員 これは納得できませんね。きょうじゅうにも決めてあさってにも派遣しようというわけでしょう。それなのにまだ具体的にどこどこに寄港─—そんなの秘密なんですか、どうなんですか。じゃあ私から言いましょうね。フィリピン、シンガポール、スリランカ、パキスタン、こういうところを予定しているという情報がありますけれども、これはどうなんだ、取りつけてあるの。  大臣、二十七日から総理大臣がASEAN諸国を回るというのだが、早くも中国は非常にシビアな反応をしていますよね。果たしてアジア諸国の理解と納得がこういうやり方で得られると思うのですか、国内でもこれだけの議論があるものを。今私が挙げた国名について、了解しているのかしていないのか、そこには寄港するのかしないのか、これをはっきりさせてくださいよ。
  97. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 繰り返しになりまして恐縮でございますけれども、私どもの立場といたしましては、具体的にどこに寄港するしないということはちょっと申し上げられない立場でございます。ただ、御指摘のとおり、関係国の理解を得ることは極めて重要なことと考えておりますし、そのため、これまでも努力をいたしておりますし、また今後もできるだけの努力を尽くすというつもりでやっております。
  98. 上原康助

    上原委員 時間ですから終えざるを得ませんが、大臣、今私が具体的に国名を挙げましたね。それを今言うことは差し控えたいというのは、これはどうしてですか。秘密なんですか。いずれわかることでしょう。あさって行こうとするのでしょう。極めて不安定要素の中で自衛隊をそういうふうに派遣するのですか、本当に。逆に自衛隊そのものも困るのじゃないの。これは大臣、政治の話だよ、あなた答えてください、最後に。秘密なのか、なぜ言えないのか。
  99. 中山太郎

    中山国務大臣 派遣自身がまだ正式に安全保障会議を通して閣議等で決定をいたしておりません現段階で申し上げることは差し控えさせていただきますが、一連の所要の手続が終了しました時点でこの寄港地先というものは当然国民の皆様方にもお知らせをしなければならないと考えております。
  100. 上原康助

    上原委員 終えますが、こういう非常に不安定というか不明瞭の中で、法的にも非常に無理がある、九十九条は。それともう一点は、日本船舶の航路帯、いわゆる日本船舶に障害になっているから派遣するということですが、日本船舶の航路地域、海域だけを掃海作業するのかどうか、これも確かめておきましょう。
  101. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 現在機雷が敷設されております海域は、いずれにいたしましてもこれはクウェートないしサウジアラビア北部等との航路に関係をしてくる海域でございます。それで、その中でどのような具体的な海域で作業をするのかということは、これは現在何カ国かの共同作業として行われておるところでございますし、現在まだ具体的に確定をしておるという段階ではございません。
  102. 上原康助

    上原委員 終わります。
  103. 牧野隆守

    牧野委員長 岡田利春君。
  104. 岡田利春

    ○岡田(利)委員 今上原議員から掃海艇派遣の問題について質問が行われたわけです。あす本会議でも本件は質問が行われる、こういう議事運びになるように承知をいたしておるわけです。したがって、今解明されていない諸点については外務省としても、あすも委員会があるわけですから、できるだけ親切に、委員会報告できるように十分検討願いたいということを私から申し上げておきたいわけでございます。  そのことを前提にして、私は前回、日ソ東京サミット以前、二日前の委員会でいろいろ御質問いたしておりますのでこれに関連して、短い時間でありますが質問をいたしたいと思います。  特にこの日ソ東京サミットが実現するまで、スタート時点としてはシェワルナゼ外相が日本訪問した、いわば三年間ぐらいの時間を経過してここに到達をしたと私は思うわけであります。そういう意味で大変政府当局も、この間の努力に私は率直に敬意を表したい、こう思っています。いわばタイミングがいいとか悪いとかいってもソ連国家元首が初めて日本訪問したということはまさしく歴史的な事実でありますから、素直にそういう敬意を表してこれから質問をいたしたいと思うわけです。  ソ連日本関係は引っ越しのきかない隣国であるという事実は、もう将来とも動かないわけであります。ただ、今までともすればソ連側の意向として、日ソ関係はアメリカの出方次第であるというような考え方が長い間強かったのではないかと私は見ておるわけであります。そして今度の共同声明内容等をいろいろ検討しますと、後からいろいろ説明文書を出したりあるいはまた補足をすると、なお事態が解釈上混乱が生じているのではないかな、こう思います。  そこで私は率直に聞きますけれども、かつて外務委員会や予算委員会で、日ソ共同宣言というのは日ソ間の基本的条約ではないのか、しかも日ソ間で、国会で批准しているじゃないか、こう私は質問するのですよ。そうしたら外務省は、今まで絶対そうだと答えなかったのです。これは議事録に残っています。こういう質問に対して、これは日ソ間の重要な文書ですと言うのです。だからそこにも問題が潜んでずっと流れてきたな、こう私は思うのです。  ところが今度この問題が表面化したら、日ソ共同宣言日ソ間の基本的条約です、それぞれの国会で批准しています、こう明確に述べておるわけです。やはり対ソ観について、政策についてその間ぶれがあるんではないかなという印象を私は非常に強くするわけです。もう二十年間ぐらいこの問題を時々取り上げておるわけでありますから、私はそういうことを率直に感じておるわけです。ですからもう一度聞きますけれども、これは日ソ間の基本的な条約である、そして我が国の国会が批准している、したがってお互いに遵守をしなければならないものである、こう明確に言えますか。
  105. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 お答えをいたします。  私が理解いたしますところでは、日本政府は一貫して、日ソ共同宣言は、この共同宣言の中にも書かれておるわけでございますけれども、双方批准をされた両国間のまさに基本的な文書条約であるという認識で一貫をしてまいったというふうに考えております。
  106. 岡田利春

    ○岡田(利)委員 そういたしますと、これが基本条約であるということになりますと、これを下回るということはあってはならないわけですね。この基礎の上に立って外交交渉が展開をされ、懸案事項で話し合いがされるというのが本当だろうと思うのです。私は、このサミットが始まる前にあるコメントを求められた際、今度のサミットの場合には、領土問題については大きな期待ができないだろう、いわば日ソ共同宣言を基礎にしてこれから日ソ間が話し合いを進めるというところが恐らくぎりぎりであろう、こういうことを述べたのでありますけれども、今回の場合には、確かに領土問題は歯舞色丹国後択捉という名前は出ている。しかし共同宣言確認求め確認がされなかったということは、やはり共同宣言が両首脳において確認できなかったわけでありますから、だから素直にいってこれは残念ながら現時点は共同宣言自体よりも後退しているということを率直に認めた方がいいんじゃないでしょうか、いかがでしょうか。外務大臣どうですか。
  107. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 日ソ共同宣言につきましては、日本政府立場は先ほど申し上げましたように一貫しているわけでございます。海部総理も、まさに法律論として、条約論として、国際法上の議論として批准された条約は一片の政治的な宣言ですとか一方的な通告で失効することはあり得ないということを申し、またそういう主張を展開したわけでございます。それに対しましてゴルバチョフ大統領は、法律論として真っ正面から応じてこられることはなかった、専ら政治論を展開されたということは先ほど御報告したとおりでございます。その点については残念ながら平行線をたどったということでございますが、それは私どもの政府立場がいささかも損なわれたことにはならないんだろうと私は思います。  共同声明というものが出されたわけでございますけれども、そこで直接日ソ共同宣言のことについて云々されていることはございませんが、その中で一九五六年以来の重要な肯定的な要素というものはすべて考慮に入れるという一文が入っている、それはそのまま素直に文脈上読みますれば当然のことながら日ソ共同宣言も松本・グロムイコ書簡も入るというのが日本政府の一貫した立場であるということでございます。  しこうして、日本政府の基本的な立場は、大臣も先ほど強調されましたように、四島一括返還ということでございまして、今回日ソ間の交渉におきまして四島の問題が平和条約領土問題の対象であるということが初めて確認されたわけでございます。つまり同じ土俵の中で交渉するということが確認をされた、この意義は私は決して少なくないというふうに考えます。
  108. 岡田利春

    ○岡田(利)委員 日ソ間では、平和条約締結のためにわざわざ両外相の確認に基づいて作業部会が設置をされているんですね。少なくとも次官ベースの話し合いがお互いに長い間行われたわけです。そして双方もう主張は出尽くした、こういうふうに言われているわけですね。どうですか、この作業を進めた作業部会の文書というもの、議事録というものは公開できませんか。
  109. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 この平和条約作業グループというのは、まさに平和条約締結に向かっての作業グループであるわけでございます。その前段階におきまして、まずは歴史的な議論、これは大変詳細な議論をしたわけでございます。それから法律的な議論、そしてこの第七回に至りまして、平和条約そのものを一体どういうふうにつくっていくかというところに話が移ってきているわけでございまして、まさに領土交渉と申しますか、平和条約締結交渉の中身と密接不可分のものでございます。したがいまして、交渉の途中でこれを公表するということは日ソ双方ともできないだろうというふうに思います。
  110. 岡田利春

    ○岡田(利)委員 平和条約を結ぶためには領土問題の解決がなくして平和条約は結び得ない、我が国の態度ですね。したがって、多少漏れてくるところでは、領土問題についていろいろ広範な議論が行われた、双方の意見はそれぞれ食い違いがあったということが言われているわけですね。しかし、その部分の中では少なくとも歯舞色丹国後択捉、この四島については相当歴史的にもあるいはまた双方の主張もより広範に具体的に専門的に詰めて意見の交換が行われたことは間違いないわけでしょう。どうですか。
  111. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 それは先生のおっしゃるとおりでございます。法律論は相当に突っ込んだ詳細な議論をずっと行ってまいりました。先生の御理解のとおりでございます。
  112. 岡田利春

    ○岡田(利)委員 ですから、その前段における日ソ間の専門的な話し合いでは、既に歯舞色丹国後択捉領土問題は、主張は違っても協議の対象として議論がなされている、そういう事実があるわけですね。その後に至って共同声明の中に歯舞色丹国後択捉、今後も領土問題として国境線の画定について話し合い対象になるということはもう自然な流れではないのでしょうか。ただ、両方首脳の合意する、調印する共同声明になったという意義はわかりますよ。意義は、あなたが言うようにわかる。しかしながら、それは載ったからといったって、もう作業部会ではずっとやってきた流れからいって当然である、真新しいものではない、こう私は思うのです。そういう私の見方は何かおかしいですか。
  113. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 平和条約作業グループが発足いたしまして以降も、外務大臣間の平和条約締結交渉が行われたわけでございます。例えば昨年の九月のシェワルナゼ外務大臣訪日の際もそうでございました。その際にも平和条約作業グループの議論を受けまして、例えばこのときには共同新聞発表文ということでございましたけれども、そこにどう書くかということは常に問題になったわけでございます。そこでも私どもがソ連とぎりぎり公表文として合意いたすことができましたのは、両国の間に存在する諸困難という極めて抽象的な表現以上の表現には合意することができなかったわけでございます。そこに領土問題という四つの言葉を入れることもできなかったわけでございます。  そういう過程の中で、今回四島の名前が明記されて、四島の帰属の問題がこの領土問題の交渉の中核であるということが明記されたという意義は私は少なくないというふうに思うわけでございます。
  114. 岡田利春

    ○岡田(利)委員 私はその意義よりも、やはり日ソ共同宣言双方確認できなかったということが、その方が非常に共同声明としては重要な部分が残念ながら合意に至らずして欠落した。これは何も政府だけが悪いと私は言っているのではないのですよ。私も基本的な日ソ関係はこの日ソ共同宣言にあると、我々が何回訪ソしても、向こうの大臣やあるいはまたロガチョフさんでも、張り合ってまずその基礎の上に立つことが日ソ関係の改善のスタートであるということを言ってきたのですから、それは一貫しているわけでありますから、そういう意味でこの点が非常にひっかかるわけであります。  特に説明の中に、ゴルバチョフ大統領は、ぎりぎり詰めると、宣言には実際成立しなかったものやチャンスを失ったものがある、こういう意見が述べられておるということをわざわざ局長は国会で説明しているのですね。なるがゆえに、それはいわば政治論とか法律論と分けて理解できるものではなくして、この問題についてはそういう意味では、私は、そう述べられた上で確認できなかったという現実をきちっと認めないと、これからの日ソ関係外交交渉の場合にやはり視点が定まってこないと思うのですね。その認識の問題なんですよ、いかがですか。
  115. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 私、先ほども御答弁申し上げたわけでございますが、ゴルバチョフ大統領が今回の訪日で公の文書の形で共同宣言第九項を念頭に置いているわけでございますが、それを確認するということには最後まで同意をされなかったということは、これは交渉の結果の事実でございます。
  116. 岡田利春

    ○岡田(利)委員 私は、そういう意味でこれからの日ソ平和条約交渉なり日ソ関係外交展開というものは厳密な総括の上に立って新たな構築をしなければならないのではないかな、こう考えるわけであります。同時に、二国間交渉を通じ、蓄積されたすべての肯定的要素の中に日ソ共同宣言は入る、これは日本側の解釈であって、双方がそのように肯定的にきちっと確認ができなかったわけでありますから、具体的に確認ができなかったわけでありますから、それは我々の解釈であるということにしかすぎないということもお認めになったらいかがでしょうか。
  117. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 まさにここがぎりぎりの妥協点であったわけでございます。  この文章を、日本語であれロシア語であれ、お読みいただけますれば、一九五六年以来のすべての肯定的要素と書いてあるわけでございますから、この文章の解釈として、一九五六年時点での重要な外交文書というものは当然入るというふうに読めるわけでございます。私どもは当然そういう解釈で一貫していくということでございます。この点について、入るのか入らないのかということをもしゴルバチョフ大統領に詰めてまいりますれば、公文書に書くことは困難だということをゴルバチョフ大統領が最終的な態度として明確にした以上、そこには無理があったのであろうというふうに私どもは考えたわけでございます。
  118. 岡田利春

    ○岡田(利)委員 外務大臣、どうですかね。今度の共同声明にサインをして、また、この中には海部総理のモスクワ招待も含まれておって、外交的な手続を経て、ひとつその点については協議をしましょうということにもなっておるわけです。そうしますと、私は、今のこの共同声明の延長線上に、これからの日本の対ソ外交政策であっていいのかどうか、その点、疑問があると思うのですね。もう少し重層的な、創造的に対ソ外交考えなければならぬということを今回の日ソ首脳会談意味しているのではないか、暗示しているのではないか、こう私は思わざるを得ないのですが、認識はいかがでしょうか。
  119. 中山太郎

    中山国務大臣 今回の日ソ首脳会談の六回の会談のうち、私は五回同席をいたしましたが、両首脳ともなかなか激しいやりとりがございました。殊に国益あるいは国の主権に関することでございますから、双方とも譲らぬ一線があったわけでございますけれども、共同声明を出すということで双方が合意をするという中で文章があのように作成をされてきた。で、我々の対ソ外交に対する考え方というものは現在も変わっておりませんけれども、ソ連の方は、この共同声明以外にいろいろと十五の協定を結び、さらに、日ソ間の関係を深めていきたいという強い意欲が私自身には感じられております。  そういう意味から、私どもは、激動の続く国際情勢の中で、日ソ双方が絶えず責任のあるレベルの者が接触し合って意見の交換をし合うということは極めて重要であるというふうに認識をいたしておりまして、私もそういう意味で、できるだけ機会を見て意見の交換をする機会をつかみたい。また、先方もそういうことに同意をしているということであります。
  120. 岡田利春

    ○岡田(利)委員 もちろん平和条約交渉は、従来のペースのソ連政府日本政府が折衝し交渉するということになるだろうと思うのですね。そこまで持っていく、いわば外交的なアプローチといいますか、これをどう構築するかということが問題だと思うのです。例えば、ロシア共和国と我が国の外務当局なりがどういう交流をするとか、あるいはまた折衝をするとかこの面も避けては通れない問題となっているだろうと思うのですね。  それから、幸い今度共同宣言の中に、北方四島についてはビザなしで交流してはどうかというソ連側の提案もあって、具体的にこれを協議する、またソ連軍も削減する方向で検討するという話も出されておるわけです。そうしますと、私も先に言ったのですけれども、これを機会に今までのようにかたくなに報道関係は入ってはならぬとか、そういうことはやめて、大いに民間ベースの交流をさせたらどうか。ただし、民間ベースの交流をする場合には原則を立てておかねばならぬと思うのです。その原則に、私は三つの原則を言っているわけです。  その一つは、まずお互いが自由に往来ができる、自由アクセスを認める、そういう気持ちで我々は交流するのですという態度がなければならぬと思います。  第二には、これは日本領土であると我々は主張しています。しかしながら、領土が返ったら皆さんこの島から追い出されるというものではない、もう一緒に住むなら一緒に住みましょう、こういう民間的な話し合いも自由に行い得ることがなければいかぬのではないかな、こう思うのです。韓国併合は三十六年ですけれども、北方領土は四十六年の時間がたっておるわけでありますから、そうすると人権上の問題を我々は重要視するという視点が大事ではないのか。  もう一つの問題は、大変高度な政治問題でありますけれども、我々はここは平和な島にしたい、軍事を置かないで平和な島にしたい、そういう気持ちでおるのだというような、三つぐらいの原則的な立場に立ってどんどん民間交流をやるということが大事ではないか。そういう状況の中で、島で世論調査をやった場合に、日本に返還してもいいという二五%が五〇%を超えないということは断言できないと思うのですね。  やはりそういう世論をお互いに接触の中でつくり上げていく、こういうことがないとするならば、また相当期間この問題の解決話し合いの場というものは遠のいていくのではないか。ちょうど共同宣言から十七年目が一九七三年の田中さんの共同声明のときです。ことしはそれから十八年ですから、この調子でいくとあとまた十七、八年たたないとこのような詰まった、問題解決に本当に直結するような場面というのが出てこないのではないかとすら考えざるを得ないのですね。  そういう点について、今後対ソの交流について、外務省として十分検討されて新たな方針と政策を出すべきである、こう思うのですが、いかがでしょうか。
  121. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 今岡田先生がおっしゃいましたいわゆる交流の積極的な意義、例えば報道関係者が北方領土の実態について国内に報道される、あるいは北方四島に住んでおられるソ連方々日本の実情を知っていただくというようなことの肯定的な側面というのは私どもも十分理解するわけでございます。したがいまして、ソ連側から突然の提案があったわけでございますが、それについていかにすべきかについてもいろいろ激論があったわけでございますけれども、これを共同声明に書く、そして日本側は話し合いをするというところまで書いたわけでございます。  ただ、まさに岡田先生が第二番目の原則として挙げられました法的な立場というものを害することがあってはならないという点は、これは大変に重要な点でございまして、考え方自体については多くの点でわかるわけでございますけれども、この具体的な実施の方向となりますと、先生よく御存じのとおり、墓参方式ということを編み出すまでにも相当の時間と議論がございました。私どもの日本国の四十五年頑張ってきた法的な立場を害さないで、いかにしてそういうことが可能か、私どもはまずは人と人との交流ということでこのことがいかにできるかということを早急にソ連側と話し合ってみたいと考えます。  なお、先生が挙げられました、ソ連の島民が今後一緒に住むことにしてはどうか、あるいは平和の島にするという考え方はどうかということでございますが、この二つはまさに主権の問題が解決された後の具体的な対応の問題になると思います。つまり、これは返還交渉の具体的な内容ということに入る問題であろうかと思います。
  122. 岡田利春

    ○岡田(利)委員 十四年前に二百海里時代に入って、我が国ソ連の間には大変な時間と労力を費やして、最終的に二百海里協定に達したわけです。それは八条のただ一条に、双方のこれまでの主張を妨げるものではないと、これがあるがゆえにこの領土問題に対する我が国の主張は変わらない、損なわれるものではないんだということでこの二百海里協定をしたわけですね。領土があり、領海があり、そして二百海里があるわけですから、これはつながっているわけでありますから、そういう点を考えますと、向こうからの提案でありますから、双方のそういうこれまでの主張というものを妨げるものではないということが確認をされれば、二百海里協定と同じように交流というものが容易にできるのではないかな。私も二百海里のときに桜井さんと一緒にモスクワまで参りましたけれども、そういうような感じはどうでしょうか。
  123. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 まさに先生のおっしゃる、双方が受け入れ可能な知恵というものがないかということをこれから探求をいたしたいと思うわけでございますが、法的な双方立場を害さないという側面が一つ。  それからもう一つは、事実としてソ連の施政が及んでいることをある一定の期間認めて、それがある既成事実として残るというようなことの意味もまた一方では考えなければならないということだろうと思いますが、いずれにしましても、何か双方で知恵を出し合って双方が受け入れ可能な具体的な方式はないか、まず人と人との交流についてソ連側交渉を始めたいと思っております。
  124. 岡田利春

    ○岡田(利)委員 私は殊さら、日ソ関係の中で領土問題だけをビルトインして考えるということをむしろとらない方なのであります。したがって、非常に重要な問題ですから、時間がありませんから領土問題について絞ってお聞きしました。  もう一つ、最後に伺っておきたいのは、拡大均衡論という問題です。いわば領土経済協力をケース・バイ・ケースで、政経不分離で進めていくんだ、この点もそういう姿勢は私は余りにもかたくなではないかなと思うのです。やはり領土経済協力もと、ある場合には経済協力も一歩出る場合があると思うのですね。それは拡大均衡論で、領土の問題が前進しなければ経済協力はやらぬというのはどうでしょう。非常に弁証的じゃないと思うのですね、これはお互いの主権に基づいて、話し合いによって経済協力もやるわけでありますから。余り拡大均衡論なんということを言わないで、むしろ領土経済協力もと、こういう姿勢でダイナミックな交流をやりながら僕はこれからの日ソ関係の接触を深めるべきではないか。  例えば北海道とソ連極東地域との間の交流がことし五回目でありますけれども、今度ソ連邦から離れてロシア共和国がこれを主催する、そういう点では改まってきていますね、そういうロシア共和国の問題。それと当該のサハリン州の問題、私も二日にちょっとサハリンに参りますけれども、フョードロフ知事に一言文句を言わなければならぬと今から思っているのであります。しかしながら、交流は大いにやる、こういう点でダイナミックな対ソ交渉をむしろこれを契機に展開をする、前進をさせていく、こういう点の考え方にぜひ立つべきではないのかと思うのですが、外務大臣のお考えを承っておきたいと思います。
  125. 中山太郎

    中山国務大臣 今委員のお話のように、日ソは隣国でございます。こういう隣の国同士の交流を盛んにしていく、こういうことは極めて重要でございまして、私が今考えておりましたことだけでも、昨年の九月にソ連外務大臣とニューヨークで会って、またアジア外相会議にも私がソ連の外相をお招きしたわけです。また、この一月に私がモスクワを訪問する、ソ連の外相は三月の末に日本に来られて、また今度来られる、この夏私が行く、こういった外相間のたび重なる交流あるいは会合というものの中に、これからの日ソ関係というものを現在の状態からどのように発展させていくかということは、当然いろいろな分野において議論されることがあろうと思います。  そういうことが極めて重要である、そういうことが結局政府間でいろいろな協議を進めていく一つの段階、それに合わせて民間における交流もさらに一層盛んになっていくものだ、私はそのように考えております。
  126. 岡田利春

    ○岡田(利)委員 終わります。
  127. 牧野隆守

    牧野委員長 遠藤乙彦君。
  128. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 まず最初に、日韓協定について御質問をしたいと思います。  この協定によって譲渡される服飾等は、大正年間に主として我が国において作製されたものであり、作製費用も我が国の負担であるということでありまして、そういうことであれば、これらの服飾等我が国固有の文化財であると考えられるわけですけれども、こういった我が国固有の文化財をなぜ韓国に譲渡するのか、この点につきまして御説明をいただきたいと思います。
  129. 谷野作太郎

    ○谷野政府委員 お答え申し上げます。  この服飾等につきましては、朝鮮王朝時代の様式にのっとって作製されたものでございまして、いわゆる文化的なルーツは朝鮮王朝時代にさかのぼるものでございます。そういうことで、かたがたまたこういう服飾等につきましては、このように李王朝時代の服飾で一式に見事にまとまって保管されている例は、韓国はもとより、日本、韓国、これが唯一の例のようでございます。  そこで、かねてから韓国側からも何とかこれを譲り受けたいという強い希望がございまして、それから、李方子様の御遺志もそのようなことでございました。そういうことで、私どもはやはりお里帰りといいますか、そういうことを認めてさしあげることが先方の希望にもかないますし、そういうことを通じて韓国との友好関係にも資するゆえんかなというふうに大局的に判断いたしまして、今回本件の服飾等を先方に譲渡することに決定したわけでございます。
  130. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 故李方子女史に由来する服飾等東京の国立博物館に保管されるに至った経緯につきまして、簡単に御説明いただきたいと思います。  あわせて、これらの服飾等は国有財産であると思うわけですけれども、現時点における評価額はどれくらいか、これをもしお答えいただければお願いしたいと思います。
  131. 谷野作太郎

    ○谷野政府委員 評価額につきましては、後ほど文化庁からお答えがあると存じますけれども、経緯の方は私の方から御説明いたしたいと思います。  一九五六年の三月に当時、東京都内に御在住でありました李方子女史からの申し出を受けまして、東京国立博物館がこれを購入した部分と寄贈を受けた部分、この二種類のものがあるようでございますけれども、購入あるいは寄贈を受けたということのようでございます。  評価額につきましては、文化庁からお答えいたします。
  132. 加藤孝治

    加藤説明員 お尋ねの件でございますが、対象となっております服飾等につきましては、大礼服等非常に特別な存在でございまして、当然のことながら市場でのそういう取引例はございません。そしてまた、いずれも李朝の形式を踏襲したものでございまして、美術的な価値でありますとか歴史的な価値があるわけでございますので、そういうものを含めて幾らというのはちょっと金額的に見積もることは困難でございまして、ただ大変貴重なものであると認識いたしております。
  133. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 続いて、朝鮮半島情勢につきましてお聞きしたいと思います。  まず、この日朝国交正常化交渉は既に過去二回にわたって行われました。しかしながら、核査察の問題あるいは戦後の償いなどの問題で双方の主張が平行線をたどりまして、まだ実質的な進展は見られていないわけですけれども、第三回が北京でいよいよより突っ込んだ話し合いになると考えられます。  まず、この核査察の問題でございますけれども、日本側としてはNPT加盟国として一日も早い査察の受け入れを求めるという立場、他方、北側としましては核兵器をつくる意思も能力もない、また、韓国にある米軍核兵器の査察を行うべきだといった主張をしておりまして、真っ向から対立をしておるわけです。この北朝鮮側の態度、恐らく一面から見れば、こういった核査察の問題を対米関係改善のカードに使っているのかなという面もあるかと思いますけれども、そういった核査察の問題に関する北朝鮮側の態度、意向を日本側としてはどのように分析、評価をされているか、お聞きしたいと思います。
  134. 谷野作太郎

    ○谷野政府委員 ただいまお話しのように、二回正式会談を持ちました。恐らく五月の中旬以降、北京で第三回目をやるということになると思いますが、お話がございましたように、いろいろな点で基本的に双方立場考え方が対立いたしております。  そこで、核査察の問題についてお尋ねがございましたけれども、時間の関係で、御存じと思いますので背景等は御説明いたしませんけれども、明確なことは、要するに、北朝鮮はいわゆるNPTに入ったわけでございますから、そこから当然生ずるところのIAEAとの保障措置協定、これになぜか応じないということで、ですから明確な国際法違反、国際的な義務違反でございます。そこを私どもは非常に厳しく指摘しておるわけでございます。  北朝鮮の考え方、立場はどのようなものであるかというお尋ねだったと思いますが、先方は二、三のことを言っております。  第一点は、この問題は日朝交渉に基本的に関係のない問題であるということ、ありとすれば、我々はこれはアメリカと話すべき問題であるということを申しております。  それから、いずれにせよ、日本側の御心配はあるようだけれども、自分たちは核兵器をつくる意思もなければ能力もない。  そして、最後に、日本がそこまでおっしゃるならば、自分たちは彼らが言う、南に存在するアメリカの核兵器を問題にせざるを得ない。  そんな諸点にまとめられると思いますけれども、いずれの点につきましても、日本政府立場は著しくこれと異なるものでございます。
  135. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 今北側主張では、これは日本とは関係ないということのようですが、我が国政府として核査察問題が北朝鮮と米国との間で解決すれば、それでよしという態度なのでしょうか。
  136. 谷野作太郎

    ○谷野政府委員 いずれにいたしましても、できるだけ早い機会に、これは日本側だけではなくて多くの国々がこの問題を心配し、憂慮しておるわけですから、そういった国際的な世論に応じてきちんとした措置を北朝鮮がとってほしいと思いますけれども、これが確かに一番大きな問題でございますけれども、その他先生が冒頭におっしゃいましたようにほかの点もいろいろ北朝鮮とは対立点がございまして、これが片づいたからといって日朝正常化交渉で問題点がなくなったということではもちろんございません。多くの問題がまだ残されている、議論を尽くさなければ問題は多々あるということでございます。
  137. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 別の角度から伺いますと、この核査察の問題が解決されない限り日朝国交正常化はあり得ない、そのように考えていいのでしょうか。
  138. 谷野作太郎

    ○谷野政府委員 恐らく私はそれが政府のみならず国会挙げての強いお気持ちではないかと思います。そういうふうに私どもは北朝鮮側に明確に述べております。
  139. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 この日朝国交正常化に関しまして北朝鮮の今までの公式態度は、日韓基本条約の破棄が必要ということを言ってきたと思うのですが、二度にわたる国交正常化交渉において北朝鮮側の日韓基本条約に対する姿勢の変化はあったのかどうか、ここら辺をどう認識しておられるかお答えいただければと思います。
  140. 谷野作太郎

    ○谷野政府委員 確かに仰せのように、先方は以前は、ひところまではこの日韓基本条約、これを破棄することが日朝正常化への前提条件であるということを言っておりました。しかしながら二回会談をやりましたけれども、現在二回の会談で先方とのやりとりに関しまする限り、この正常化交渉の場でこの日韓基本条約の破棄ということについては先方は一切これについての言及はございません。これをどういうふうに判断するかというのはいろいろな考え方があろうかと思いますが、明確にとにかく先方のこの点についての立場が変わってきたのではないかというふうに私どもは受けとめております。
  141. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 同じく関連した質問ですけれども、日朝交渉におきまして北側として、北朝鮮が唯一の朝鮮半島における合法政府であるという主張は重ねて言っておるわけでしょうか。
  142. 谷野作太郎

    ○谷野政府委員 いずれそういった法律論、条約論もする時期が来ると思いますけれども、まだ二回までのところは入り口のところをいろいろお互いに探り合っている状況でございまして、いずれそういった難しい法律、条約論もいたさなければならないと思いますけれども、先方からこの点を真っ先に取り上げてきておるということでは現在までのところございません。
  143. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 韓国政府の国連加盟問題をお聞きしたいと思いますが、恐らくこれからの動きとして、九月の国連総会前にも韓国として単独加盟を申請する動きが非常にあると思います。加盟に際しましてはソ連も賛成に回るであろうし、中国も拒否権は行使しないだろうという見通しが強いやに言われておりますけれども、まさにこれから日韓外相会談が行われるわけですけれども、我が国としてこの問題につきましてどういう態度を決めたのか、あるいは決めようとしているのかお聞かせいただければと思います。
  144. 中山太郎

    中山国務大臣 日本政府といたしましては、この南北の両政府話し合いを通じて平和的な統一が成立することを、一日も早く実現することを祈念しておりますが、この統一が実現するまでの過渡期の措置として南北の国連加盟を朝鮮半島の緊張緩和に貢献するような形で実現することが好ましいという考え方を基本的に持っております。それで、今晩韓国の外相が日本に来られまして、あす日韓の外相会談が持たれることになります。よく韓国側の御意見も聞いた上で日本政府としての対応を決めてまいりたい、このように考えております。
  145. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 朝鮮半島問題は、今までのクロス承認という考え方があって、特に北は頑強にこれを拒否してきたわけですけれども、現実の動きといいますと、例えばこの日朝国交正常化交渉とか考えますとむしろ逆に、言葉と裏腹にこのクロス承認あるいはクロス関係へ向かって動き始めているような感じがあるわけですけれども、この点につきましてはどういうお考えをお持ちでしょうか。
  146. 谷野作太郎

    ○谷野政府委員 ただいまの遠藤先生のような御質問を北朝鮮にいたしますと、先方は絶対認めません。しかしながら、まさにお話のように、先ほどもちょっとお話し申し上げましたように、今や日本が韓国と持っております外交関係、基本的な条約関係というものを問題にするふうはないわけでございますから、その点の要するに先方の考え方は変わったのかなという気がいたします。しかし、繰り返しますけれども、先方はクロス承認を政策を変更してこれを認める方向に踏み切ったんだということは認めないようでございます。
  147. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 ちょっと別の問題になりますが、新聞報道によりますとソ連のイグナチェンコ大統領報道官が北朝鮮の核疑惑問題に絡みまして、ソ連は北朝鮮がIAEAの査察を受け入れないのであれば燃料供与を停止する旨通告してあると述べたというふうに言われております。日本政府としてこの件につきまして日ソ首脳会談等の場で確認をしたのでしょうか。
  148. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 首脳会談の席におきまして、朝鮮半島問題についての意見交換をいたしました際にこの問題を海部総理から提起されました。ゴルバチョフ大統領との間で意見の交換があったわけでございますが、これは大変機微な問題でございます。この内容について御披露することは避けますけれども、ゴルバチョフ大統領日本側の有している懸念については共有するところがあるという趣旨の発言でございました。
  149. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 それでは、日ソ首脳会談の件につきましてお聞きしたいのですが、今回のゴルバチョフ大統領訪日、結果をどう評価するか非常に難しい点だと思うのですが、ただ大統領ソ連首脳として初めて訪日したということ、これはそれ自体非常に歴史的なことである、また大統領みずから日本をつぶさに見た、また懸案の問題あるいは国際情勢、幅広く首脳レベルで率直に対話をした、そういったことを考えると、領土問題では進展はなかったとはいえ総括的にはこれは日ソ新時代の出発点となる、またそうしなければいけないという点で私どもはこれを肯定的に評価をしたいと思っております。  また今回のいろいろな準備に当たられた関係当局の努力を多とするものでございますが、それとともに一つ印象として感じていることは、今回余りにも領土問題を前面に出し過ぎたがためにかえって領土問題の解決をおくらせる面もあったのではないかなという危惧が若干ありまして、といいますのは、ソ連の今置かれた情勢、また大統領立場から見ますと大変厳しいものがあったことは推測にかたくないわけでございますけれども、ソ連として北方領土を返すためにはどういう手順が必要かと考えると、逆にまず第一段階として、今ソ連がこの危機を脱してペレストロイカを成功させるためには日本協力が死活的に重要である、その点を首脳部並びに国民が深く認識をすることがまず大前提だと思います。その上で、日本から本格的な協力を取りつけるためには領土問題の解決が不可欠である、したがって領土を返還することがソ連にとっても利益である、いわばこういった考え方が定着したときに領土問題が解決できるのだと思うのですけれども、一番前段の日本協力の死活的重要性というこの点の認識がまだ十分でないままに領土問題だけ出るとかえってソ連の態度が硬化するんじゃないかとちょっと印象を持った次第でございますけれども、これからの日ソ間の対話、交流に当たってこの点もぜひ強力に進めていただければと感ずる次第でございます。  具体的な点につきましてお聞きするわけですけれども、この共同声明第四項に「すべての肯定的要素を活用し」こういう言葉が入っております。いろいろ考えたんですが、なかなか難しい言葉でして、具体的に何を意味するのかとなると非常に私もよくわからない点があるわけですけれども、まず素朴な疑問として「すべての肯定的要素」、具体的に何を意味するかという点につきまして、またこの「肯定的要素」の定義は何かということをお聞きしたいと思います。     〔委員長退席、高沢委員長代理着席〕
  150. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 先ほど御答弁申し上げましたが、このくだりは本当にぎりぎりの妥協の産物でございます。まさに「肯定的要素」という言葉はかなり漠然としたところがございます。ございますが、私どもが考慮にと申しますか、日本側が念頭に置いておりますのは、一九五六年以来の一連のこの問題に関連いたします重要な外交上の文書、それからいろいろな会談が行われましたが、その会談の実績でございますね、会談の実績等でございます。
  151. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 具体的にお聞きしたいんですが、外交文書と言えるかどうかわかりませんが、六〇年一月のグロムイコ外相のいわゆる覚書、六〇年安保条約締結に際していわゆる歯舞色丹の返還をいわば取り消したといいますか、押さえた覚書ですね。これは「肯定的要素」に入るんでしょうか。
  152. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 これは日本側の立場に立ちますれば、当然のことながら「肯定的要素の」中には入らないわけでございます。否定的な要素とむしろ私どもは考え一つの要素であろうと思います。     〔高沢委員長代理退席、委員長着席〕
  153. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 つらつら考えますとますますわからなくなるわけなんですが、第四項、領土問題の部分でこの「肯定的要素」という言葉が出てくるわけです。そうしますと、そもそも領土問題を考えると、ソ連にとって肯定的なことは日本にとって否定的なわけですね。他方、日本にとって肯定的なことはソ連にとって否定的なわけであって、本来両者が共通に理解し得る「肯定的要素」というのはあり得ないのではないか。それなのに「肯定的要素」という言葉を使うということは本当にレトリックだけの問題であって、実体においては何も意味しないのではないかということを考えるんですけれども、この点はいかがでしょうか。
  154. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 一九六〇年のいわゆるグロムイコ対日覚書という一つの例を考えますと、まさに肯定、否定の解釈は相分かれるわけでございますけれども、私は、一九六〇年以降のいろいろな、例えば首脳レベルの会談、田中・ブレジネフ会談でございますが、例えばこの会談の評価というものでございます。これはそれほど日ソの間で乖離があるというふうには私は考えないわけでございます。もっと最近の例を申し上げれば、ゴルバチョフ大統領といいますか、ゴルバチョフ政権下の過去の六年間の経緯を考えてまいりますと、その間に行われました日ソ外相会談のいろいろな実績、あるいは先ほど議題になりました平和条約作業グループのいろいろな作業、この作業の結果というものは双方が肯定的な評価を下しているわけでございます。これも当然入るわけでございます。いろいろなものがこの中に盛り込まれておる。したがって、日ソ双方が共通して肯定的な要素と呼べるものもこの中に多々あるだろうというふうに思います。
  155. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 その「肯定的要素」ですね、確かに抽象論として、言葉としてはあると思いますが、具体的に領土問題の出発点として双方が了解する、理解においてそごのない「肯定的要素」というのはどこに求めたらいいのか。
  156. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 私は、今回の会談を通じまして一番大きな要素と考えますのは、まさに平和条約締結交渉が四島、歯舞色丹群島、国後島、択捉島の四島の帰属をめぐる問題であるということが明確に特定をされたこと、これがまさに中核であるということが確認されたことであろうと考えます。
  157. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 五六年の日ソ共同宣言での歯舞色丹の返還の部分ですけれども、この首脳会談以前の段階ではそこまではぎりぎり行くだろう、そこを出発点としてあとの二島が継続協議なのか返還なのかという非常にかなり希望的観測があったわけですけれども、そこまでも至らなかったわけです。確かに政治的な非常に難しい要素があったと思いますけれども、この点につきましては確かに四島を対象と認めたことは前進だと思いますけれども、他方、共同宣言確認できなかったということはやはり退歩ではないかという見方が強いわけです。この点をお認めになりますか。
  158. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 この問題の経緯から見ましても日ソ共同宣言というものが出発点になるという認識は、これは当然変わらないわけでございますけれども、私どもは今回の共同声明におきまして日ソ共同宣言について明確に言及してその効力、効果を云々ということを書いたわけでは全くございません。そういう事実はないわけでございます。  私どもの法的な立場というものは一貫しておるわけでございまして、一片の通告文書あるいは政治的な声明で最も基本的な条約というものが失効するということは国際法上の議論としてもこれはあり得ないことでございます。私どもはそれを当然の前提として話を進める。したがって、交渉の中核は、日ソ交渉国交回復交渉の経緯からも明らかでありますように、歯舞群島、色丹島というものについては引き渡しは約束されたけれども、国後島、択捉島を継続して協議していくということ、これは松本・グロムイコ書簡では確認をされたわけでございますけれども、その後そのことについていろいろな経緯があった、それを改めて明確な形で御承知のような文言確認したということの方がより私は重要であろうというふうに考えたわけでございます。
  159. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 続いてもう一点、拡大均衡ということにつきましてお聞きしたいと思います。  最近日ソのやりとりでは拡大均衡という言葉がだんだん定着をしてきたように思うわけですけれども、この拡大均衡は今までの、今までといいますか今でも使われているのでしょうけれども、政経不可分と違うのか同じなのか、まずその点についてお聞きします。
  160. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 共通をいたしておりますのは、政治的に安定した基礎がない限り、ということは平和条約というものの締結が不可欠でございますけれども、ない限り本格的な大規模な経済協力というものは実際上行い得ないであろうということ、この点は政経不可分といいあるいは拡大均衡といい、どちらも共通した考え方であるわけでございます。
  161. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 今共通した分をおっしゃったわけですけれども、違う部分はあるわけでしょうか。
  162. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 これは実態と申しますより言葉の持つ響きの問題かもしれませんけれども、政経不可分という言葉で受けます印象は、とにかく政治が動かなければ一切経済を動かさない、何にも経済は動かないという響きが非常に強い。また、そういうふうに受け取っておられた方もおられるということがございましたので、むしろ方向としては拡大、したがって少しでも前進があれば、一つ分野で前進があれば他の分野で前進を図って全体としてとにかく前向きに方向としては押し出していこうという姿勢でございます。恐らくそういった違いであろうかというふうに思います。
  163. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 政治というものは必ずしも論理だけじゃありません、心理の要素もありますので、確かに今の御説明は了解をいたしました。  これに関連しまして、十九日の記者会見で大臣が、経済協力平和条約の作業の速度が絡み合うことが考えられると述べられているわけですけれども、この大臣の発言は、領土問題の前進を促す案件であれば経済協力の先行もあり得るというふうに解釈できる面もあるわけでして、そのように理解をしてよろしいのかどうかお答えいただければと思います。
  164. 中山太郎

    中山国務大臣 無原則な政経分離はいたさないというのが基本でございますが、交渉の過程でいろいろな問題が出きたときはケース・バイ・ケースで考えることも必要だと考えております。
  165. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 対ソ経済協力は今後日ソ両国領土交渉の進展次第では順次協力を拡大していかなければなりませんし、またペレストロイカの成功がソ連のみならず世界全体にとっても大事という観点からすれば、やはり前向きに考える点だろうかと思います。そういった点で、今後の対ソ経済協力の基本方針につきまして、改めて御説明いただければと思います。
  166. 中山太郎

    中山国務大臣 今回のゴルバチョフ大統領訪日を機に、私どもは首脳間の六回にわたる会談を行った。そのほか日本の社会が持つ実情、そういったものも大統領の夫人が実際に町を歩かれてごらんになり、また私も一緒に新幹線に乗って京都まで行って、いろいろと日本の実際の姿というものをごらんいただいた。こういう中で理解は飛躍的に深まったと私は思います。こういう機会を一つの踏み台にして、私どもは外相レベルの協議もそう遠くない時期に実現をしていく。この隣国どうしの話し合いというものが大事であるということを基本にして、これからの新しい時代をつくっていくように努力をしたいと考えております。
  167. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 ゴルバチョフ大統領は滞日中、国会演説におきましていろいろな提案を出しております。特に日米ソ三国協議とかさらに中国、インドを加えた五カ国協議とか、またアジア太平洋地域の外相会議開催を提案をしております。  これに対して我が国としては、ヨーロッパとは違うといったようなことで消極的な立場を示しているわけですけれども、他方、カナダ、豪州あるいはアジアの一部等もこういったヨーロッパのCSCE的なプロセスを、事情は違うかもしれないけれども、やはりアジアにも定着させるべきである、中長期的にそうするべきであるという発想から、前向きの提案、考え方を出しております。  そういったことを考えますと、我が国としても、確かにアジアはヨーロッパとは違うけれども、やはり安全保障を確保していく点では問題意識が共通をしておるわけですし、ヨーロッパの場合でも長い時間をかけてこのプロセスが定着したわけですから、やはり考え方としては安全保障の対話自体は幅広く行っていくべきである、こう考えるわけですけれども、そろそろもう一度このアジア太平洋の安全保障システムというものを考え直す時期に来ているのではないかと思いますけれども、この点につきましてはいかがでしょうか。
  168. 兵藤長雄

    兵藤政府委員 まさにアジア太平洋の安全保障問題というものにつきましても、日ソ間で十分な意思疎通、意見交換を行っていくことは、今おっしゃったようなこれからの長期的な展望を考えます上でも、また平和条約締結交渉ということを考えましても、私は大変に重要なことなんだろうという気がするわけでございます。そういう認識に立ちまして、シェワルナゼ外務大臣が九月に参りましたときに、まさにアジア太平洋地域における安全保障問題を日ソ間で真剣に話し合っていくという合意ができ、また事実第一回の意見交換を中山外務大臣との間で行ったわけでございます。そのフォローアップとしてこちらの方から政策企画協議というものを提案し、それが動いているということでございます。  また、今回の共同声明第二十三項に安全保障面におきます言及があるわけでございますけれども、この中にも「アジア太平洋地域の平和と繁栄を推進するとの見地から安全保障面を含む広範な問題について両国間の対話と交流を拡大していくことの重要性につき、」両首脳が「一致をみた。」という文言が入っているわけでございます。
  169. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 もう一点。ゴルバチョフ大統領訪日を終えて韓国に立ち寄ったわけで、盧泰愚大統領会談をしたわけでございます。その場で一層の韓ソ関係の促進をうたうとともに、特に友好協力条約締結問題が出てきたわけです。これもかなり大きなテーマではあると思います。特に最近、この韓ソ関係の進展は著しいものがあるわけですし、特にこの韓ソ友好協力条約の問題は、もしこれが締結されるとなればやはりこの地域の情勢にかなり影響を与えていくであろうかと考えられるわけで、またソ連としてもこの北と南に対する認識がかなり変わってきたのかという印象も持つわけでございますけれども、この問題につきまして外務省としてはどういう分析、評価をされているか、お聞きしたいと思います。
  170. 谷野作太郎

    ○谷野政府委員 確かに御訪日の後、韓国の済州島に行かれまして首脳会談を先方の大統領となさって、そこで、正確にはどうも善隣協力条約というのが一番正確な向こうの提案のようでございます。そういうものを締結してみてはどうかという提案がソ連側からあったというふうに承知いたしております。  どういう内容になるか、まだ恐らく内容自体は詰まってないのだと思いますから、この条約自体について私どもとしてどう考えるかということを申し上げるのは時期尚早だと思いますが、私は、せっかく韓国とソ連のこういった面も含めて関係が深まっていくことは、それ自体結構だと思いますし、願わくばそれが、私どもが非常に心配しております朝鮮半島の平和と安定というのがやはり一番大切でございますから、韓国と中国にせよ、韓国とソ連にせよ、そういった国々との関係の進展が、私どもが一番期待しております朝鮮半島の平和と安定にプラスになるような方向で発展してもらいたいということだと思います。もちろん私どもがそう申し上げるまでもなく、御当事者の方々ソ連あるいは中国、韓国、恐らくそういうことを十分念頭に置かれてそれぞれいろいろなことをこれからなさっていこうということだと思います。
  171. 遠藤乙彦

    ○遠藤(乙)委員 時間が参りましたので最後に一言。  日ソ関係をこれから考える場合、やはり三つの次元があるのだと思います。一つ日ソという次元で、特に領土問題、経済協力等が中心になると思います。それから次に、アジア太平洋地域全体における太平洋国家としてのソ連の位置づけという問題。それから特に三つ目にはグローバルな次元で、ソ連が今後世界のシステムによってどういう位置を占めていくか、また世界の新秩序づくりにどう役割を果たすかといった問題。特にペレストロイカの動向、大変重要なもとになると思いますけれども、今までの日ソ関係、非常にバイラテラルな問題が非常に重点といいますか、ほぼ全面的にその問題が中心だったわけですけれども、今回の大統領訪日によって日ソ新時代の出発点となったわけですから、ぜひこのアジア太平洋の次元、それからグローバルな次元も十分に考慮をして、何といいますか、日ソ関係をぜひ進めていただきたい。  特にこの領土問題及び平和条約の早期締結は非常に重要な、グローバルに見ても、アジア太平洋の面から見ても大変重要な意味を持つわけですから、ぜひとも、いよいよ本格的な努力をしていただきたいとお願いをいたしまして、質問を終わります。  以上です。
  172. 牧野隆守

    牧野委員長 古堅実吉君。
  173. 古堅実吉

    ○古堅委員 最初に、日韓協定についてお尋ねします。  今回の李方子女史服飾等譲渡については、それら服飾等が朝鮮民族の歴史的文化遺産としての価値を有するものであり、かつての日本の朝鮮に対する植民地支配という深い歴史的事実がかかわってくる面も考えれば、今回の措置は妥当なものであると考えています。ただ、現在朝鮮民族が南北に分断されていることから、一方とだけ協定を結ぶのが問題がないとは言えない点もありますけれども、将来の朝鮮民族の統一を考慮に入れて賛成したいというふうに考えています。  そこで、一、二点基本問題についてお伺いします。  大臣は、太平洋戦争について、これは旧日本帝国の太平洋諸国に対する侵略戦争であった、そういう趣旨の認識をこれまでも披瀝されてきたというふうに思います。ところが、朝鮮に重大な悲劇をもたらした植民地主義的支配に対してはその事実も認めず、また反省もしてこなかったというのが日本政府の一貫した態度です。外相、今回の協定締結するに当たって、戦前の韓国併合が誤りであった、反省すべき根本問題だということについての認識はございますか。
  174. 中山太郎

    中山国務大臣 既に竹下内閣総理大臣また海部内閣総理大臣が述べておりますように、過去の朝鮮半島における日本の行為というものが朝鮮の人々に大きな被害を与え、苦しみを与えたということは、私どももよく認識をいたしております。
  175. 古堅実吉

    ○古堅委員 質問している趣旨も御理解の上で、あえて今おっしゃった範囲のことしかおっしゃれないというところにやはり問題があるのですよ。先ほども川崎先生からもいろいろと御指摘がありました。ああいう重大な事態をもたらした我が国の侵略主義的な朝鮮に対する植民地支配、それに対する根本的な反省を明碓にして、隣国ともお隣同士あるべき、国際的な道理にも通用するような立場関係を改善発展させていくということが今求められている我が政府に対する一番重大な問題であるということを厳しく指摘しておきたいというふうに思います。  次に、掃海部隊派遣問題についてお尋ねしたいと思います。私はこの問題について、去る三月十五日本委員会で質問で取り上げましたが、再度質問をいたします。  まず最初に、この問題について、事態が国会の論議を抜きにして政府の一方的な立場から進んでいる、そういうこともありますので、態度を明確にしておきたいというふうに思います。  自衛隊が、第二次世界大戦の痛苦の教訓の中でかち取られた日本国憲法の平和条項、前文や第九条に照らして許すことのできない軍隊そのものであることははっきりしておりますし、その憲法に反する軍隊を海外に派遣するということがいかに憲法にもとるものであるかということは申すまでもありません。同時に、仮にこの自衛隊を合憲だというふうに認める立場に立つにしても、自衛隊法に基づかなければ自衛隊の行動というものは許されない、当然のことであります。  しかしながら今回のこの派遣です。内容を多くを申し上げませんが、自衛隊法の任務について定めた第三条に照らしても、専守防衛と政府みずから説明してきたことにもとるように、その海外派遣そのものがどうにでもできるなどとかいうふうなことにならないものであることは申すまでもありません。その目的や第三条の任務を抜きにして九十九条を持ってきてどこにでもいつでも派遣できるかのように装うてみせるなど、しかも国会論議を離れて政府が一方的にこのように強行するなどということは、これはもう断じて許せない。憲法や法律に照らして二重の重大な問題です。  そういう立場を踏まえて、この問題について厳しく指摘すると同時に、今の政府が決定しようとしているこの態度を直ちに改めて、派遣について取りやめるべきであるということを強く要求しておきます。そういう立場を踏まえて若干質問いたします。  政府は、この掃海艇の派遣についての論議、態度を決定するそういう過程の中で、日本に掃海艇部隊を派遣してほしいという要請がどこからかもたらされておりますか。
  176. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 お答え申し上げます。  まず最初に、この問題につきましては、御承知のように既にペルシャ湾においては正式な停戦が現在成立をしておる状況にございまして、そのような中で、湾岸危機の間にイラクによって敷設された機雷が多数存在いたしまして、これがこの海域における我が国の船舶を含む船舶の航行の重大な障害となっているという状況がございます。  このような状況を踏まえて、政府といたしましては自衛隊法第九十九条に基づく措置として、我が国船舶の航行の安全を確保するためにこの海域における機雷の除去及びその処理を行わせるということで掃海艇等をこの海域に派遣することを検討しておるというのが現状でございます。  この前提といたしまして諸外国から特に派遣の要請というようなものがあったことはございません。
  177. 古堅実吉

    ○古堅委員 湾岸危機の場合の避難民輸送のため自衛隊機を派遣しようとしたときには、国際機関からの要請があった場合に限定しておりました。今回の掃海部隊の派遣は何を根拠に強行しようとするのですか。
  178. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 私、先生の御質問の趣旨を正確に理解をいたしましたかどうか若干自信がございませんけれども、繰り返しになりますけれども、あの海域に多数の機雷がまだ残存をいたしておりまして、我が国船舶の航行の安全に重大な障害となるという状態を前提にして掃海艇等の派遣を検討をしておるということでございます。
  179. 古堅実吉

    ○古堅委員 日本は、あのペルシャ湾における機雷を除去する掃海に出なくちゃいけないという国際法上の何らかの責務を負っていますか。
  180. 柳井俊二

    ○柳井政府委員 我が国があの海域に行きまして遺棄された機雷等を除去する国際法上の責任というものは、法的な責任としてそういうものを負っているということはないわけでございます。  ただ、先ほど中近東アフリカ局長からお答え申し上げましたとおり、自衛隊法上規定されておる任務の中で、我が国の船舶の航行の安全を図るということからこれを検討しているということでございまして、これを行うことを決定する場合には、我が国の自主的な判断によって行うことになるものと考えております。
  181. 古堅実吉

    ○古堅委員 それらの機雷はイラクと多国籍軍の交戦の中で敷設されたものであります。その戦争当事国は機雷掃海を行い、公海上の航行の危険を除去しなければならない責務があると思いますが、どうですか。
  182. 柳井俊二

    ○柳井政府委員 確かに、武力行使が行われましたときに、その紛争当事国がこれらの機雷を戦闘終了後に除去すべきであるという考え方はあるわけでございます。  今回のイラクの湾岸の情勢に関して言いますれば、御承知のとおり、国連決議六百八十六号の三項の(d)というところで、安保理がイラクに対しまして戦闘行為が行われておりましたときに設置した地雷その他の爆弾、仕掛け爆弾、これには機雷が入ると解されますが、これらの関係の情報を提供すべしということを言っておりまして、イラクもこれに協力をしておるということでございます。この決議には直接機雷の除去ということは書いてございませんけれども、何のためにこのような情報を提供すべしということを命じているかということは、これはもう当然航行の安全のために戦後機雷を除去する必要があるということが想定されているからであるというふうに考えております。
  183. 古堅実吉

    ○古堅委員 この戦争当事国は、このように公海上にもいまだに危険をもたらしている機雷を除去しなければいかぬ責任があるというふうな御理解ですね、いいですか。
  184. 柳井俊二

    ○柳井政府委員 若干細かい点になるわけでございますけれども、一九〇七年にヘーグで作成されました自動触発海底水雷ノ敷設ニ関スル条約というのがございます。いわゆる戦時国際法の一つ文書でございますけれども、現在いわゆる戦争というものを認めていない国連憲章のもとでこのような戦時法規がそのまま適用になるかという問題はございますが、いずれにせよ、この条約におきましてイラクは締約国ではございませんでした。  また、この条約には全交戦国が条約当事国である場合に限り条約が適用されるという総加入条項がありますので、今回の事態につきましてこの条約が直接適用されるということはないわけでございますが、ただ、この条約に盛られた考え方について言いますれば、この条約の五条に機雷の敷設を行った交戦国が機雷の除去の第一義的責任を負っているという考え方が出ているわけでございます。ただ同時に、この規定が紛争当事国でない国が機雷を除去することを排除するとか禁止するとかいうものでないということもまた言えると思います。
  185. 古堅実吉

    ○古堅委員 明らかなことは、戦争当事国がそれを除去して安全を回復する責任があることはもう明らかです。したがって、日本がその危険を除去しなくちゃいかぬという国際法上の責務がないということも明らかです。  ペルシャ湾に機雷があるということなんですけれども、具体的にどの辺にあるのですか。
  186. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 現在と申しますか、この湾岸危機の間にイラクが機雷を敷設いたしました海域と申しますのは、ペルシャ湾のいわば北西部の部分でございまして、これが特にクウェートを包むような形になっておるわけでございます。
  187. 古堅実吉

    ○古堅委員 その程度しかわからないのですか。もっと詳しくわかっていますか。
  188. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 さらに詳しく申し上げれば、緯度、経度で申しまして、北緯二十八度三十分から北、それから東経四十九度三十分から西の海域に敷設をされておるということでございます。
  189. 古堅実吉

    ○古堅委員 日本の船舶は今その地域に航行していますか。
  190. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 現在の時点で申し上げれば、クウェートの現在の状況、それからこのような機雷が敷設されておるという状況等もあると考えますが、日本の船舶はこの海域には航行いたしておりません。
  191. 古堅実吉

    ○古堅委員 日本が今石油を積み出しに行くとか、あるいは何らかの必要に迫られておるけれども行けないから、その行くために除去に自衛隊を派遣するんだとか、そういうふうなかかわりではなくて、ペルシャ湾にたくさんの機雷が敷設されたままだからそれを除去しに行こうという考えですか。
  192. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 この機雷が敷設されております海域だけに限定して申し上げましても、今回の湾岸危機以前には日本の船舶が航行しておりました海域でございますし、また今後クウェートの復興の問題あるいはクウェートからの石油積み出しの問題、貨物積み出しの問題等が当然発生する海域であろうというふうに考えられるわけでございます。それから、そのすぐ南にございますサウジアラビアのカフジの石油積み出し港もこの機雷の影響を受けておるというふうに判断されます。
  193. 古堅実吉

    ○古堅委員 今おっしゃるように、本当にクウェートとかカフジとかそういうところに日本の船舶が行かなくちゃいけないんだが、機雷があるから行けないためにそれをやめておるんだというふうな関係に本当にありますか。行っても石油は積めないような状況にあるのでしょう。どうなんですか。
  194. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 先ほどから申し上げておりますように、現在の時点におきましては、クウェートの現在の状況、それから機雷の敷設の状況等からこの海域は日本の船舶は航行いたしておりません。ただ、この湾岸危機前、それから今後のことを考えますれば、この海域は当然日本船舶の航行にとって重要な海域であると認められると考えております。
  195. 古堅実吉

    ○古堅委員 ここに運輸省からいただいたアメリカからの関係の資料がございます。「四月四日付け米国政府勧告九一−九」という文書です。それにも明らかにされておりますが、この黄色い部分はペルシャ湾です。ここに赤く塗ったところがクウェートです。クウェートの先の部分、そこだけが今機雷が敷設されて危険な区域だとされ、しかも、その危険な区域とされているところが五つの区域に大きく分けられています。そこが掃海の対象海域だというふうにされています。自衛隊を派遣する場合に、その区域のどこで掃海作業をするということになりますか。  アメリカからもたらされたものにはこういう資料も添付されていますが、これに色を塗ったのは、見やすいように私が塗ったのです。この赤く記されているところが危険区域だとアメリカ側が指摘し、運輸省にもたらされている資料です。御存じなはずです。どこをやるのですか。
  196. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 具体的にどの区域で日本の掃海艇が参りました場合に作業をするかということにつきましては、現在まだ決定されておらない状況でございます。  これは、この海域において既に何カ国かの掃海作業が行われておりますので、当然それらとの調整等も踏まえた上での作業になるかと考えておりますが、いずれにいたしましても、現時点ではまだ具体的な海域等は決まっておりません。
  197. 古堅実吉

    ○古堅委員 ということは、このアメリカがもたらしている危険区域として、その地域のどこでやるかもわからぬ、どこであってもいいというふうなことにもなるのですか。
  198. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 いずれにいたしましても、現在のところまだどういう作業をすることになるかということは何ら決まっておらないわけでございますので、ちょっとそれ以上のことはお答え申し上げにくい状況でございます。
  199. 古堅実吉

    ○古堅委員 もうとんでもない話です。実際に日本の船舶が航行するに安全でない、危険が伴うからその危険を除去しなければいかぬ、だから自衛隊を派遣するんだというふうなことではないのですか。そういうことを離れて、ペルシャ湾に機雷があるからとにかくその機雷を多国籍軍、アメリカなどとも一緒になって除去に行こうということですか。どっちなんです。
  200. 渡辺允

    渡辺(允)政府委員 この問題につきましては、あくまでこの海域にこのような機雷が残存しておるという状態を前提といたしまして、我が国の船舶の航行の安全を確保するという目的を持って作業を行うということで検討しておるというのが現在の状況でございます。
  201. 古堅実吉

    ○古堅委員 時間がなくなりましたから終わりますが、今のやりとりではっきりしていることは、日本の船舶が航行するに危険が伴う、その危険を除去するために派遣するのだなどという言い分がいかに国民だましであるかということがはっきりした。同時に、昨年の臨時国会以来まず、自衛隊の海外派兵を何としてもと、日の丸を掲げて自衛隊の海外派兵という実績をつくろうというのがその本当のねらいだということが今のやりとりでもはっきりしたと思います。断じて許せません。直ちにやめるべきです。  終わります。
  202. 牧野隆守

    牧野委員長 これにて本件に対する質疑は終了いたしました。     ─────────────
  203. 牧野隆守

    牧野委員長 これより本件に対する討論に入るのでありますが、別に討論の申し出もありませんので、直ちに採決いたします。  本件は承認すべきものと決するに賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  204. 牧野隆守

    牧野委員長 起立総員。よって、本件は承認すべきものと決しました。  お諮りいたします。  ただいま議決いたしました本件に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  205. 牧野隆守

    牧野委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     ─────────────     〔報告書は附録に掲載〕     ─────────────
  206. 牧野隆守

    牧野委員長 次回は、明二十五日木曜日午前十時二十分理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後一時二十六分散会