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井上(普)
委員 日本の特殊事情といえば平和憲法を持っていることだ。これは大いに
世界に誇っていいと私は思う。しかし、ここにも平和憲法というのは書いてないのですね、ずっと読みましたけれ
ども。だから、そういう
外交をやられておったのでは困るのではないだろうかと私は思います。
国際ルールを守らなければならぬということは書いてあるが、私もちょっと調べたことがありますが、
明治以来、
日本ほど
国際ルールといいますか
国際法を守ろうとけなげなまでに
努力した国は少なかったと私は思う。すなわち、
明治において先進国に追いつくには
国際法を守らなければいかぬというのが金科玉条のようになって治外法権を撤廃させた。その後もずっとこの
国際法というものを非常に重んじてきた国であります。
しかし、侵略
戦争が起こってから、すなわち名分のない
戦争を始めてから、すなわち昭和初年から
国際法、
国際ルールというものに余り重きを置かなくなった思い上がった政治が行われてきた。いろいろその間には問題がございましょう。だから、私もあるとき調べたのでありますが、日清
戦争、
日露戦争あるいは第一次
世界大戦の宣戦の詔勅には、実は
国際法を守れということがあの開戦の詔勅にはあるのであります。大東亜
戦争のあの詔勅にはこれがないのであります。ここに当時の軍部といいますか、
日本政府の思い上がりがあったと私は実は思うのです。
外務大臣、戦前のことを申してまことに恐縮なのですが、宣戦の詔勅を出すのは、外務省も詔勅には手を加えたと思うのですよ。一応それに目を通して入れたと思うのですが、実は第二次
大戦の
日本の詔勅には
国際法を守れというのがないのです。それほどまでに
日本の外務省というのは力が弱かったのかということを私も感ずる。だから、敗戦後
日本という国は、営々として働く、その中で
国際ルールというのを守るべく懸命な
努力をして今日に至ったと私は思う。けなげなまでに守ってきた。しかし次から次へと、私らから言わせると、
アメリカは理不尽なる要求を突きつけてまいっておる。
私は、かつて
アメリカの上院の
外交委員会の
委員長あるいは幹部と会ったときに、こんな理不尽なことを言っておると、今親米的な
日本の国民は変わってしまいますよということを申したことがございます。それには、
日本の事情というものを
アメリカに知らさなければならない。
アメリカは
日本の事情を知らずにいまだ敗戦国、
日本はまだ占領国というような機運が
アメリカの中にあるのではないのだろうか、私はそう思うのですよ。向こうに行ってそう感ずるのです。だから、
日本の事情というもの、しかも特殊事情というものを十分に述べなければならないと私は思う。そして、言うべきことは言わなければならない。今まで栗山さんの言うように、言うべきことを控えてきたのだという
外交が展開せられておったら今後は大変だ。
しかも、栗山さんはこう言われている。最後に、
日本を大国として
主張すれば、そのような大国として持つべき普遍性を失い、他国の
日本異質論に力をかすだけだ、こうおっしゃっておるのです。恐らく
日本異質論というのは盛んに出てくる、今出てきています。そしてまた、先日も質問いたしましたが、真珠湾攻撃の五十周年に当たる、ことしは。
日本異質論の標本にされておるのが実はあの真珠湾のだまし討ちなのです。
だから、私はこの間も申したように、少なくとも異質論の根底にある
国家意思はだまし討ちではなかったのだということを明確にする必要がある。しかし、外務官僚の不手際によって、不手際というか何というかによって、ともかくだまし討ちということになっているのだから、ここらの事情というものはもっと調べ、するべきことは
日本は行い、外務省としては外務官僚の不手際であったことを天下に公表して、そして
措置しなければならぬ。そうでなければ、それを異質論だというところに持っていかれたのではたまったものではないと私は思うので先日も質問したのであります。
こういうふうに
考えてまいりますと、我々は決して
国際的孤立主義を歩もうとするものでも私はないと思うのです。ただ、
国連中心主義でいかなければならない。しかし、
国連中心主義でいくことが、この間の海部総理の
国際新秩序をつくる五つの目標にある程度沿うものではないか、私はこのように思うのであります。したがって、さらなる御
努力を
外務大臣──
国連中心主義を行うにはどこを直せばいいか、ここら、お
考え方がありますか。外務省はこの点について、
国連機能を強化させる、改変させる、それにはどこどこを直せばいいというお
考え方を持っておられますか、どうでございますか。