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兵藤政府委員 お答え申し上げます。
まず、肯定的要素というものはどういうものであるかということでございますが、確かに漠然とした表現になっております。ぎりぎりの妥協としてこういう文章が出てきたわけでございますが、私
どもがまず念頭に置きますのは、一九五六年以来、五六年も含むわけでございますが、以後の
平和条約締結交渉にかかわりますいろいろな重要な
外交文書がまず入るわけでございます。ここには当然のことながら一九五六年十月十九日の日
ソ共同宣言も入るし、それと一体をなしました松本・グロムイコ書簡も当然入る。それ以後のいろいろな
領土をめぐります文書がすべてここに入るということでございます。それからさらに、文書だけでございません。
平和条約締結交渉というものがいろいろな形で行われてまいりました。例えば田中・ブレジネフ
会談でございますとか、このときに口頭で四島が確認されたという経緯があったことは御承知のとおりでございますが、それも含めまして、さらには、ゴルバチョフ
時代に入りまして外相レベル間の
平和条約締結交渉あるいは七回にわたりました
日ソ平和条約作業グループのいろいろな議論ということも、当然この中に入ると
考えておるわけでございます。
その中で、御
質問の第三点目でございますか、グロムイコいわゆる対日覚書というものが入るかどうかという点でございますが、私
どもの
立場か
ら申しますと、これは肯定的要素ではなくて否定的要素であるというふうに
考えるわけでございます。
なお、ちょっとこの機会に対日覚書についての認識を確認させていただきたいと思いますが、一部にグロムイコ対日覚書は日
ソ共同宣言を無効にするものであるという議論がございますけれ
ども、グロムイコ対日覚書の文章を正確にもう一度読み直しますと、安保条約の議論をした後で、「よって
ソ連政府は、
日本領土から全外国軍隊の撤退及びソ日間
平和条約の調印を条件としてのみ、歯舞及び色丹が一九五六年十月十九日付ソ日
共同宣言によって規定されたとおり、
日本に引き渡されるだろうということを声明することを必要と
考える。」これが対日覚書の核心部分でございます。つまり、グロムイコ対日覚書におきましても、
ソ連政府はこの第九項が無効であるということを言ってきたわけではございません。第九項を履行するための新しい条件をつけてきたということであったわけでございます。
しかるに、この条件が二つあったわけでございます。
一つは
平和条約調印、これは第九項で書いてあることでございます。したがいまして、対日覚書で書いてまいりましたことは、
日本領土から全外国軍隊の撤退という条件がついた、こういうことだったわけでございます。したがいまして、この点につきましては外国軍隊の駐留を認めるというふうに態度が変わったわけでございまして、これは
ゴルバチョフ大統領御自身からも御発言があったわけでございますが、したがって、事実上ここにつけてきた条件というのは取れているということが言えるということでございます。