○常松
委員 大塚さん初め国鉄改革
推進本部の皆さんに、先ほど
大臣にお渡しをいたしました手紙、きょう向こうに傍聴でお見えになっている
方々はほとんど出向に出された
方々だと思いますけれ
ども、その手紙をぜひ読んでいただきたい、そういうふうに思います。非常にきちんとした字で、非常にきちんとした内容の手紙でございます。そして、出向に出されたことの非常に無念な思いがつづられておりますので、ぜひ読んでいただきたいわけです。やはり
運輸省は、第二次の広域追加採用の
方々がどういうところでどんな仕事をしているのか、その中身について知ってもらいたい、
大臣にもぜひ知ってもらいたいと思っております。
出向に出された
方々が出向者
連絡会というのをつくっています。この会長をしている若狭康男さんという方は、国鉄時代に表彰を三回も受けている非常に優秀な保線の土木管理工の方だというふうに承っておりますが、その出向者
連絡会がアンケート
調査をとりました。それは私の手元にあります。
そのアンケート
調査によりますと、賃金について、それから休暇について及び年次有給休暇の取得について、すべての労働条件でJRに比べて悪いというふうに皆さんが答えています。特に、「出向を経験して」ということで、会社、JRは、出向の目的について「関連会社の指導・育成」あるいは「人材の有効活用・育成」というふうに主張しているが、あなたの
意見はどうですか、こういう問いについて、そのような会社の主張はそのとおりだと思うという回答をした人はゼロです。全員がそうは思わない。つまり、この「関連会社の指導・育成」とかあるいは「人材の有効活用・育成」というふうには思わないというふうに答えています。あるいは出向の期間中に経済的な不利益だけでなくて肉体的、精神的な苦痛を
感じたことがありますか、こういう
質問については、
感じなかったという人はわずか三人です。大塚さん、あと全員が、
感じた、ひどく
感じたというふうに答えていらっしゃいます。
特に、非常に深刻なのは疾病でありまして、
平成元年五月八日から、つまり出向に行ったすぐ後の五月八日から去年の十一月までの間に、疾病のためにJRに復帰した人が十人、そして労災申請あるいは認定をされている人が九人、そのほか、腰痛、ヘルニア、皮膚病、胃潰瘍、そういうことでお医者さんにかかっている方が八十三人、合計百二人。三百九十人中、正確には三百八十八人だそうですけれ
ども、百二人の
方々がこういう疾病に悩んでいらっしゃる、こういう実態があります。
少し具体的な例を二、三御紹介いたしますと、例えばJR東
日本の盛岡支社一関保線区所属の阿部憲郎さんという方は、菅野工務店というところに出向していらっしゃいます。この方の場合は、一九八八年の三月一日から三月三十一日までの一カ月間に、日曜日休みがとれたのが二日です。そして、ひどい事例で言いますと、三月二十五日は、朝七時五十分に出社をいたしまして退社が翌朝の五時十五分、そしてその二時間三十分後の七時四十五分には出社をして夜の六時十五分まで働く、このような
状況で働いていらっしゃる。そして、その月の超勤時間が一カ月で百六十九時間。翌年
の一九八九年の三月一日から三十一日までの同じ一カ月間では、この一カ月間に休みをとった日がゼロです。年次有給休暇をただ一日とっただけ。そして同じく、三月十一日は、朝七時五十四分に出社をして翌朝の三時五十五分に退社、そして四時間後の七時五十五分に出社をして夜の九時十五分まで働く、一カ月百七十五時間の超勤、こういう
状態で出向させられています。
日本交通機械の大船営業所の富田さんとか谷岡さんとか高さんという
方々は、JRの人たちと全く同じ仕事をして、それで出向をしている。
キヨスクにいる井上公一さんからいただいた手紙によりますと、余り忙し過ぎて体調の悪いときは、トイレに行く時間まで我慢できないで、店の中で買い物袋に小便をしたことが何度もあるというふうな
状態で働いている。眠るところは二段ベッドなのですけれ
ども、全く掃除したことがないと思えるほど部屋は汚くて、床に座ることすらできず、ゴキブリが徘回をしている、こういうふうなお手紙をいただいています。そのほか、お手紙をいただいておりますから読んでいただきたいのです。
私自身、出向先を
調査に行きました。鉄道
整備の新上野事業所とか弘済
整備の新上野事業所とか、同じ弘済
整備の大宮事業所とか、こういうところに
調査に行きましたけれ
ども、とにかく私も驚きました。シーツを月に二回しかかえてくれない、あるいは鉄道
整備の新上野事業所というのは地下五十メーターぐらいのところが職場になっているのですけれ
ども、休憩室が地下五十メーターですから真っ暗なのですけれ
ども、ネズミ取りが置いてあるのですね。それでネコを飼っているのです。つまり、ネズミがうろうろしているようなところが休憩所。こういうところで旧国鉄時代のベテランの運転手さんや車掌さんや保線区のベテランの職員や構内指導係の人たちが働いている。こういう人たちはこう言っています。屈辱的な扱いに、当初は悔しくて通勤途上に何度も涙が出た、やめて
北海道あるいは九州に帰ろうと何度も思った、こういうことを訴えていらっしゃいます。
これが、本当に当時目的とされていた第二次の広域配転の
趣旨にかなっているのかどうかというふうに思うのですけれ
ども、いかがでしょうか。